第3話 兆し
「こんなに遅くなるなら、あらかじめ言って欲しかったなぁー。ねぇー? 始ぇー」
「ごめん、姉ちゃん。けど、一応連絡はしたから……」
「連絡では7時には帰るって言ってたけどー? 今はいったい何時かなー?」
「……8時半過ぎです」
自宅の玄関前。怒りの形相を浮かべる姉の前に俺は立ち尽くしていた。いつもならおっとりした呑気な表情なのだが、今は目が吊り上がり、口は真一文字に結ばれている。
心なしか、腰まで届くその長い髪も角張って、内心に溢れる怒りを表現しているかのようにも見えた。
彼女の名は長久詩遠。俺の姉だ。基本は滅多に怒らないのだが、心配をかけたとなるとこうして怒りに染まる。激しい口調ではないものの、迸るオーラには確かに怒りが見て取れた。
非常に申し訳ない。ただこれは、道に迷った女の子を案内していたらこうなっただけで……。と言いたいが、これは言い訳に過ぎない。遅れた責任は、最初に彼女に声をかけた俺にある。となれば素直に謝るのが筋であるのだが、一体どう謝ればいいのだろう。
などと考えていると、怒りのオーラは突如として収まり、代わりに穏やかな声が響いた。
「ま、始が遅れる理由なんて、一つしかないか」
「え、分かるの?」
「人助け、でしょ? 伊達に6年も親代わりしてないわよ。始がそういう性格している弟だって、私はちゃーんと分かっているんだから。さ、早く上がって。ご飯食べるわよ」
「……ありがとう」
姉は表情を柔らかなものに変えて微笑み、俺を受け入れた。
親は子の考えを見透かしているとはよく言うが、どうやら俺の場合それが姉に当たるらしい。まぁ、両親が死んでからずっと親代わりをしてくれていたなら、自然とそうなるか。
学生服から着替えテーブルにつき、育ててくれた姉に感謝しながら俺は夕飯にありついた。
「今日はどんな人助けしたの?」
「道案内、かな。外国人っぽい女の子でさ、白神工芸資料館に行きたいって」
「何だ、私のホームじゃない。時間が合えば、その女の子に会えたりしたのかなー。あれ? でももう夜でしょ? 案内して意味あった?」
「場所だけとりあえず知りたかった、ってさ。もしかしたら、明日会えるんじゃない?」
「へぇ、そっかぁー。楽しみにしてるね。外国人さんがうちの美術館来るなんて、珍しいし」
白神工芸資料館。今日俺が女の子を案内した場所であり、偶然にも俺の姉の勤め先でもある。駅から少し歩いた都市公園、鳶原公園内に建っている美術館だ。個人が開いたこぢんまりとした美術館でありながら、様々な資料や工芸品の実物を展示・保存している。
姉はそこの学芸員をしている。様々な業務をこなしつつ、その立場を利用して各地の博物館や美術館などを回り、交流を持つ事に精を出しているそうだ。ゆくゆくは自分用の博物館を持ちたいらしい。そのコネ作りの巡礼のため、なかなか家にいられないのが現状となっている。
「珍しいって言っても、日本の刀剣フェスやれてるぐらいには、でかい美術館でしょ?」
「それでも小っちゃい美術館なのは変わりないし? もっと私はビッグになりたいの。そのために世界中の博物館とか回ってコネ作ってるんだけど、なかなかうまく行かなくてねー」
「でも三者面談とかのタイミングで、こっち帰って来る余裕はあるんだね」
「そりゃー、始が心配だもん」
姉が箸の先で俺を指しつつ、そう告げた。
なんでだよと言いたかったが、生憎心当たりが多い。今日もそんな心当たりが出来たばかりである。連絡した時間よりも遅くに帰るという行為は、保護者代わりの姉からしてみれば、素行不良にカウントされるのかもしれない。
「わ、悪かったって。帰りが遅れたのは。けど今日みたいのは、たまにだけだし……」
「そっちじゃないの。私が心配してるのはー、始が人助けに夢中なところ」
「そこは、別に。皆も喜んでくれてるし、街の人たちと交流出来てるし」
「あんまりのめり込み過ぎないほうが良いよー? 始、暇さえあれば誰か助けているもん。
人を助けるのもいいけど、まずは自分ありき、だよ? 分かってる?」
「…………。」
自分ありき、か。確かに、姉の言う通りかもしれない。
今日俺は、一瞬ではあるが、カツアゲされている生徒を玉砕覚悟で助けようとした。足が竦んだせいで無理だったけど、アレは確かに自分の事を省みない行動だったかもしれない。
それだけじゃない。過去、子供を助けようとして車に轢かれそうになった事もあった。そう思うと、割と後先考えずに人助けを優先するきらいが俺にはあるかもしれない。
言われて振り返ると確かに、『自分ありき』という感覚が俺には薄れているような気がした。そんな風に今までの自分を考えていると、姉は深いため息をついた。
「なぁに? もしかしてまーた、自分より他人を優先して人助けしようとしてたの?」
「いや、そこまでしてないよ。ただちょっと、姉ちゃんの言葉も一理あるなー、とか考えてた。助けようとする人の立場に、少しのめり込み過ぎてたかな、とか。ちょっとね。
あと今日のは、俺の力が及ばずなところもあったりした、ってのも考えてて……」
「ふーん。力、ねー」
「──────もしかして、まだ6年前のこと、引きずってるの?」
姉が鋭い視線で、俺に対して一言だけ言い放った。じぃと細められた目線が、何故だか俺に突き刺さるような感覚を覚える。呼吸が徐々に早くなってゆき、鼓動が耳障りなまでにうるさい。そんな中で俺が思い出していたのは、両親が死んだあの日の記憶だった。
絶望と悲しみ、そして無力感。纏めて心の最奥に刻み付けられ、現実を突き付けられたあの日。そんな忘れたいのに忘れられない記憶が、脳裏を駆け巡ろうと残響し始める。
────が、そうなる寸前で、姉がパチンと音を立てて箸を机に置いた。その音で俺は我に返る。顔を上げて正面を見ると、申し訳なさそうな困り顔を浮かべる姉が目に映った。
「ごめんね。少し、言い過ぎちゃった。あの日は、始も思い出したくないのにね」
「いや、良いよ。俺もその、確かになんか最近、他人のことばっかりだったかも」
「そう。じゃあ、これだけは言わせて。何でもかんでも、自分だけで抱え込まない事。
神様じゃ無いんだから。なんでも自分で出来るって考えないで。困ったら相談してね?」
「うん。ありがとう、姉ちゃん」
「どういたしまして」
少しぎくしゃくした仕草だったが、姉の笑顔を見て俺はすぐ元の調子に戻った。
ちょっとだけ恥ずかしい。まだ自分はあの日から抜け出せていないのかと、少し自己嫌悪を抱く。ただまぁ、簡単に忘れられる過去ではないという事も、事実なわけで。
──────あんまり考えても仕方がない。明日もバイトだから早く寝よう。
何の因果か、明日は先ほど話題に挙がった白神工芸資料館でのバイトだ。姉の勤め先で醜態をさらすような事があってはならない。なので俺は、早めに就寝を取る事にした。
そういえば、明日あの女の子が来るというのなら、俺もまた会えるのだろうか。
いや、来るなら昼間の内だろう。学芸員の姉ならまだしも、俺とはすれ違いになるはずだ。変な期待をしないで、早く寝よう。
◆
──────翌朝。
夜が明け、街が動き出す。学生たちは学校へ、社会人たちは職場へと向かう。長久始と詩遠もその例外ではなく、それぞれが通うべき場所へと向かい通学・通勤していった。
だが、誰も彼もが品行方正に学校や職場へと向かうわけではない。この鳶原の地には、そんな居場所へと向かわない事を是とするアウトローも当然蔓延っている。
「あー、金ねぇし学校行く気もねぇなぁ」
「誰だよ昨日先公にチクったの」
彼らは長久始と同じ学校に通う生徒だが、いわゆる不良の類だった。
彼らは学校への登校をボイコットしている。先日匿名で密告されたカツアゲにより、学校での監視の目が厳しくなったからだ。そんな彼らの現在の行動原理はただ1つ。金が欲しい、ただそれだけであった。
「すいませーぇん。ちょーっとよろしいですかぁ?」
そんな彼らに対し、通りすがった一人の男が間延びした口調で話しかける。
「ああ? なんだよおっさん」
「いやなに、儲け話があるんですがぁー。詳しく聞く気ありやせん?」
「儲け話なら今目の前にあるから別に良いですわぁ」
「おじさんちょっと金出してくれない? 財布丸ごとでも良いよ?」
「あー、良いでしょ。ちょいとお待ちくだせぇ」
薄手のコートを羽織るその男は、不良たちに言われるがまま財布を探り、硬貨を一枚取り出した。日本のどこにでも流通しているような、ありふれた硬貨である。
「素直だねぇ。おじさん出世するよ」
「あれ? でも1枚だけってこたないでしょー。ほら全部出してよ」
「まぁまぁ落ち着いて。まずはこれをご覧なすってぇ」
そう言いながらコートの男は、その硬貨を宙へと弾き回した。不良たちの視線は揃って、その空中へと舞い上がった硬貨に集中する。そのまま続けて、男は静かな口調で言葉を紡いだ。
{ “銀も 金も玉も 何せむに 勝れる宝
「あ────。ああ? あれ。俺、あー……?」
男が謡うように口ずさむと、硬貨に視線を集中させていた不良たちの眼が、突如として虚ろなそれに変わった。さながらその姿は、『金に目が眩む』という言葉の体現のようだった。
「さーてぇ、お兄さん方。俺の儲け話に乗っちゃくれませんか? 勿論、お代は弾みますぜ」
「……。分かった。何すれば良い」
「俺たちはアンタに雇われた。アンタの命令なら、何だって聞く」
「儲けるためなら、何でもするぜ。親方」
驚くべきことに、その不可思議な現象の後、不良たちの態度があからさまに変わった。
彼らは突然、男に忠実な部下のように従い始めたのだ。その様子を見て、男はへりくだった態度から一変し、にやりと不敵に口端を吊り上げた。
「おーけぃ。じゃあまずは、お兄さん方みたいな不良共を集めてきちゃくれないかい? 出来るだけ、腕っこきの不良共で頼むぜ。出来るなら3、4人ずつ連れて来てくれ」
「了解した。任せてくれ」
不良たちは言われるがままに頷いて、各々が街へと散っていった。少し経過すると、数人の不良が集まってくる。男は先ほどと同じように、不良たちを『部下』へと変えてゆく。それを何度も繰り返し、やがて男は数十人の不良を従える、群衆の頭領となっていた。
「親方、こんなもんで良いですか?」
「ああ十分だ。とりあえずは、日が落ちるまで待機していろ」
「へい」
「まぁ、ただ待つだけなんてのは手持ち無沙汰か。とりあえず当面の目標を共有する、ぐらいはしておくか。ビズにおいて、時間は金だからな」
男は得意げに笑いつつ、ある方角を向きながら顎をしゃくった。それは鳶原公園と呼ばれる都市公園がある方向。この周辺地域に住んでいる人間ならば、知らぬ者のいない場所だ。
いや、正確には違う。男が真に指した場所は、その公園内にある白神工芸資料館であった。
「俺たちは今夜、依頼に基づき白神工芸資料館を襲撃する。警備システムは心配するな。俺達が片付ける。お前たちは、警備員だとか雑魚を頼む。その間に、俺たちが盗みを敢行する」
「盗み出す目標は
◆
──────その頃、白神工芸資料館。
「美しい。やはりこの刀剣は、神の如き芸術だ」
学芸員室に佇み、1人の男がそう呟いていた。
彼の視線の先にあるのは、1本の刀剣。まるで人間の手で作られたとは到底思えない、美しさと荘厳さを誇っている、一振りの刃。それは美術館の奥底に保管されながら、見るもの全ての眼を奪うかのような存在感を放っていた。
「これを保存するために私はこの美術館を作り上げたのだ。ああ、早く知りたい、これがいったい何なのか。教えてくれ、時代にそぐわぬ美しき刃よ」
誰に言うでもなく呟く男の名は、白神土也。白神工芸資料館を作り出した館長である。
整った顔立ちは二、三十代ほどの若々しさを見せるが、その実年齢は不明。端正な目鼻立ちと純白のスーツ、そして白きその頭髪はギリシャ彫刻を想起させる。その見蕩れる姿もまた、1枚の絵になるような美しさだった。
『白神さーん! 来ましたよーっ!』
美術館の裏口から声が聞こえる。白神が今日、博物館の資料の整理を依頼していた少年だ。彼とは蔵書を自由に閲覧していいという条件で、資料整理を手伝ってもらっているのだ。
「おや。もうそんな時間か。この剣を前にしていると、つい時間を忘れてしまうな」
光陰矢の如し。そんな言葉を連想しつつ、白神は立ち上がる。そして挨拶をする少年を出迎えるために、ゆったりとした歩みで裏口へと向かうのだった。
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