第4話 青天の霹靂



「久しぶりです白神さん。今夜はよろしくお願いします!」

「こんばんわ。相変わらず元気だね始くん。資料の整理、いつもありがとうね」

「いえ。こっちも蔵書読むの楽しみなので。好きでやっている事だから、お礼なんて……」

「謙虚なのは美徳だ。お姉さんに似て、他人に対して気遣う心の余裕があると見える」


 夕暮れ時、時刻は6時頃。もうすっかり顔なじみとなった、白神工芸資料館を俺は訪れる。最初は、仕事で手伝える事がないか姉に聞いた時、資料整理を提案されたのがきっかけだった。

 たかが資料整理と侮っていたが、やってみるとこれがなかなか神経を使う。ただその分、やりがいもある上に知識も身につくので、気が付けば趣味の一環となっていた。一般ではなかなか見られない、貴重な蔵書を貸し出してくれるのも魅力の1つと言えるだろう。

 元々俺は知識欲が他人より旺盛で、図鑑や資料というものに目が無い。そういう意味では、こういう場所の蔵書は俺にとって宝の山と言える。だからこそ、今の俺のモチベーションは万全だった。数ヵ月に1度しか出来ないバイトだから、その分やる気も漲るというものだ。


「あ。始ー、今日のご飯は生姜焼きで良いー?」

「良いよー。でも、借りたい本見繕うから遅くなるかも。明日土曜だし、別にいいよね?」

「またー? あんまり館長に迷惑かけないでよねー? あと、9時までには帰りなさいよ」

「ははは。私は問題ないよ。始くんとは、会話しているだけでも飽きないからね。

 斑鳩いかるが教授などいれば、もっと話が弾むのだろうが」


 帰り支度をしていた姉とすれ違いながら、他愛もない雑談をしているうちに、俺たちは資料室へと辿り着く。

 そのまま仕分け作業を開始する。何ごとも無ければ7時台には終われるだろう。その後は興味深い資料や蔵書を見繕い、警備員さんに挨拶して帰宅。いつも通りのスケジュールなら、そうなるはずだ。



 そう。何ごとも無ければ──────。この時は、そう思っていたんだ。



 ◆



 順調に作業は進み、7時を回って整理が片付いた。館長を含めた他の人たちは既に帰って、今の館内は俺と数人の警備員だけが残っている状態となる。

 8時には美術館の鍵が閉まるので、それまでに俺は興味の沸く資料や蔵書を見繕わねばならない。


「刀剣フェスやっているからか、それ関係のものが多いな。ほー、天下五剣ねぇ。こういうのって、浪漫あって良いよなぁ。あと、西洋の剣とかもなかなか興味深いな」


 1人でぶつくさ言いながら考えを纏めつつ、資料を色々と検分する。

 割と凝り性なところがあるせいか、一度集中するとつい時が経つのを忘れてしまう。気が付いた時にはもう既に7時55分だった。集中し過ぎていたが、アラームが鳴ったおかげで気付く事が出来た。


「まずい。早く帰らないと。姉ちゃんも心配するし、警備の人に挨拶して帰らなきゃ」


 急いで荷物を纏め、資料室の電気を消し、そして警備員を探す。あくまで厚意で残らせてもらっている立場だからこそ、きちんと筋を通して警備員に帰る旨を伝えなくてはならない。

 そのために、いつものように警備員を探していたのだが、この日は何かがおかしかった。


「……? おかしいな。いつもなら、少し歩けば警備員に出会うはずなんだけど」


 小さい美術館ではあるが、貴重なものを保管している事には変わりない。

 だからこそ、夜は基本的に警備員が巡回している。警備会社にも入っており、監視体制は万全のはずだ。ただ今日に限って、何故か館内のどこにも警備員が見当たらなかった。

 何処にいるのかと思いながら歩いていると、俺はとんでもないものを目にした。



 警備員が一人、廊下に力なく倒れ伏していたのだ。



「ッ!? だ、大丈夫ですか!? しっかり! 意識は……!?」


 何があったかわからないまま、俺は声を張り上げ警備員に近づく。

 ひとまずは無事を確認するべく、俺は意識の確認を最優先して声を掛けた。


「う、ぐっ! 体が、重い……っ。動け、な……」

「良かった、意識はある。けれど、この傷は一体……?」


 ひとまずは意識があった事に安堵する。だがよく見ると、彼の顔には無数の痣があった。

 明らかに人為的な暴行による傷。これはまさか、侵入者か? でも異変があれば、警報が鳴るはず。そういうシステムが整っているはずなのに、と。考えていた次の瞬間、それは響いた。


『何だ今の声は? こっちから聞こえたぞ』

『さっき警備員のいた場所か』

「……ッ! まずい」


 声が聞こえてすぐに、無数の足音が次々とこちらへと向かってくるように響く。

 迂闊だった。誰かが倒れているとなれば、それをやった何者かがいると考えるべきだった。

 ひとまずは警備員さんを安全な場所に避難させようと、近くの部屋へと引きずり安静にさせる。あとは逃げて警察へ相談すれば良いと思っていたのだが、逃げるよりも早いうちに俺は囲まれてしまっていた。

 周りに立つその十数人程度の男たちは、ナイフや金属バットなどの武器を構えている。まさしく疑いの余地もない、『強盗』たちが目の前に並んでいた。


 だが、不可思議なのはその様子だった。

 明らかに目が正気じゃない。全員が遠くの景色を見ているかのように、ぼんやりとしている。まともな意識を感じられないというか、夢遊病患者のようだ。更に注意深く観察すると、学校で何度か見かけたチンピラたちも混ざっていた。


 なんでこんな奴らが強盗を? そんな理由を考える暇もなく、強盗達が俺に襲い掛かる。


「だらぁ!」

「っぶねぇ!」


 正面から振りかざされた金属バットを躱す。掴みかかろうとする巨漢の腕からすり抜ける。

 ……明らかにおかしい。俺みたいな、運動神経が高い方じゃない人間でも躱せるなんて。

 コイツらも素人じゃないはずだ。体格や人相を見ればすぐにでも分かる。けれど、こいつらの動きは目に見えて遅かった。目が正気じゃない事と、何か関係があるのか?

 だがしかし数が集まれば、当然躱しきるのにも限界があるというわけで──────。


「俺たちの“仕事”を見られたからには、死んでもらうぜぇ!」

「やっべ……っ!」


 ナイフを避けて転がると、その先には大きく振りかぶられた金属バットが待ち構えていた。

 それは明確に、俺の胴体を狙っている。勢いづいた俺の身体では、到底避けきれないだろう。あばらに罅が入るのは確実。そうとしか考えられないフルスイングが待ち構えていた。


 あれが当たったら痛いだろうな。怪我したら、全治どれくらいなんだ? 姉ちゃん心配するかなぁ。

 そんな呑気にも思える思考が、スローモーションで脳裏に浮かんだ。常識的に考えて、もう逃げる手段がない。そう判断した俺の脳が、逃避の為に想起させたのだろう。

 ───そう。少なくとも、常識で考える内は俺に逃げ場はない。そのはずだった。


{ “汝、己が信仰を地と説くなれば、我は吹き荒ぶ疾風となりて富を風へと帰さん ”!}

鋳風導々ラスト・ブラストッ!」


 声が響いた。凛とした女性の声だった。

 合わせるように、強烈な突風が美術館の廊下に吹き荒れる。ダイナマイトが至近距離で爆発したと錯覚するほどの、凄まじい速さの風だった。

 その爆風を前にして、声の主を確認するよりも早く、俺は顔を両腕で覆う。そのまま強烈な圧を全身に受け、俺は盛大に転倒した。


 いったい何が起きたのか? 状況を把握しようと起き上がって気付く。

 腹部に走ると思われていた、金属バットによる痛みが無いのだ。急いで体勢を立て直し、チンピラ達から距離を取る。同時に現状を確認するべく周囲を見渡すと、そこには信じられない光景があった。


「……っ! これは!?」


 俺を殴ろうとしていたチンピラの金属バットが、ボロボロの塵と化していたのだ。金属バットだけじゃない。ナイフや鎖といった、チンピラたちの装備が軒並み風化していたのだ。

 流石の彼らも困惑している。当然だろう。爆風が吹いた途端、金属製の武器が揃って使いものにならなくなったのだから。その武器の様子は例えるなら、突然何百年と時を経たかのようだ。

 連中は揃って、何が起きたのかを知るべく声が響いた方向へと視線を向ける。俺も同じようにそちらを向いた。


 そこに立っていたのは、俺の知っている人だった。


「君は──────ッ!」

「まったく、つくづく縁のある方ですわね、貴方は。

  昨日も今日も、その前の夜も!」


 呆れ顔でそう言い放った女性は、昨日俺が道案内をした女の子だった。響く声は、先ほど響いた声と同じ。つまり、先の現象を起こしたのは彼女ということになる。

 理解が追い付かない。常識を超えたことが、年端も行かない女の子の手で起きている。何が起きているんだ? 漫画みたいな異常現象が当たり前のように起きて、まるで夢の中のような──────。


 そうだ、俺は知っている。こんな常識ではあり得ない出来事を。


 ただ呆然とするしか出来ない俺をよそに、少女は地面を蹴りチンピラ達のもとへと駆け抜ける。普通に考えれば、女の子が大の男に立ち向かうだなんて正気じゃない。そのはずなのに、少女は怯える様子もなく、毅然として彼らに対し臨戦態勢を取った。


{ “拘束せよ ”!}


 彼女がそう叫びながら、なにか縄のようなものを投げた。

 暗がりで良く見えなかったが、その縄には文字のようなものが刻まれているようにも見える。やがてその縄は一瞬で広がり、獲物を捉える蜘蛛の巣のように、チンピラ達を包み込んだ。

 さながら縄そのものが、、あり得ない動きである。


「すげぇ……」

「油断しないでください! まだ大勢います!」


 安堵したのも束の間、騒ぎを聞きつけた強盗の仲間達がここに集まって来た。10、20、あるいはそれ以上だろうか。

 更に言うなら、奴らは今までの強盗連中とは違い正気の人間の眼をしていた。さっきまでの連中のような、行動の遅さを期待できないだろう。

 そんなことを考えていたら、またもや理解できない現象が続けざまに巻き起こった。


{{{ “我が心、満たされることなく。永劫燃え上がりし炎である ”}}}

熱血癇パッショーネッ!』


 駆け付けたチンピラたちが、口を揃えて一斉にそう唱える。すると突如として彼らの心臓のあたりが燃え上がり、そのまま炎が拳へと燃え移った。

 火炎放射器? いや、違う。その炎は燃え広がらず、手に留まっている。加えて彼ら自身が熱がる様子を見せていないし、火災報知器も作動していない。その発した炎が、普通の炎じゃないのは明確だった。


「話に聞いていた“機関”のガキか。待っていたぜェ」

「コイツを捕まえりゃあ、海東さんからのボーナス確定だァ!」

「丁重にお縄につきなさい。今ならまだ、貴方がたはやり直せるはずですので」


 これから何が起きようとしているのか、詳しい事は一切分からない。

 そもそもどういう経緯でこうなっているのか、この強盗達が何者なのかすら分かっていないのが現状だ。この場において俺は、最も無力で無知な存在と言っても過言ではないだろう。



 ただ一つだけ分かる事がある。

 俺は今、巻き込まれちゃいけないことに巻き込まれている。

 それも本来ならば、知ってはいけない領域の話に。それだけは、心の底から理解できていた。


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