第29話 ロクス・アモエヌス
「調査中の長久始の過去についてですが……。気がかりな点がありました」
『アイツが抱いている、過度な人助けへの固執の理由についてか。何か分かったのか』
始がクリスと街に出ていた頃と同時刻、ディアドラは街の片隅で、機関に状況を報告していた。
つい先日、偶然から見つけたデータベース内の痛ましい事件の記録。そこに秘された、始という少年の転換点。そこに存在する致命的な危険に、ディアドラは気付いていたのだ。
「彼はかつて、両親を不慮の火事によって亡くしています。そして、その現場に居合わせてもいました」
『その事故が始少年の心に傷を残し、そして彼のロゴスの根幹を成す意志になっている、と?』
「推測ではありますが。ただもし、私の考えが正しければ、彼が人助けに執着する理由も説明が付きます。
おそらく彼は、両親を助けられなかった過去を後悔しているんだと思います。彼の根幹にある感情が後悔だとしたら、彼はいずれ致命的な間違いを起こす気がしてならないのです」
『似た者同士だから分かるわけか。お前、始に対して自分の過去を重ね合わせてたもんなぁ』
ディアドラのか細い声に対し、レイヴンは暖かい声で答えた。始の境遇へ同情する彼女を慰めるべく、彼なりに気を遣っているのだ。
『ひとまず報告感謝する。彼の動向に関しては、こちらでも警戒を続けておこう』
「ありがとうございます。彼の過去と意志について詳細が分かり次第、また連絡します」
『分かった。あんまり気張りすぎるなよ。お前、始の事になると躍起になり過ぎるからな』
「そ、そのような事は! し、失礼します」
通話を切り、ディアドラは一息つく。彼女は始の過去を調査する事に、そして当時の彼の心境を暴こうとする事に、強い罪悪感に覚えていた。しかし、それが機関のためであり、ひいては始のためであると考え、強い使命感も同時に抱いていた。
だが、何よりもその心を占めていたのは、始への同情だった。事故当時の始の心境を推察した事で見えてきた、彼の持つ「人助け」への執着。彼のその思いは、ディアドラが当初に思っていたよりもずっと強く、そして何より、悲しい過去が根幹にあったのだ。
「私の想像通りなら、彼の人助けへの思いは危険過ぎます。後悔が根幹にある意志は、いずれ当人の破滅を生みかねない……。
けれど確証がないなら、問い詰めるわけにはいきませんよね。時間をどこかで作るにも
「あれ? ディアドラちゃんじゃない?」
「わひゃぁ!?」
突如として声を掛けられ、ディアドラは素っ頓狂な声を上げ驚いてしまった。
声のした方向へ振り向くと、そこにはつい先日に彼女が知り合ったばかりの女性、長久詩遠がいた。
「あ、あら。お久しぶりです詩遠さん。奇遇ですね」
「ディアドラちゃんも買い物? それとも、どこか行き先探してる感じ? 旅行中だっけ?」
「あー、まぁそんな感じですねぇ。はい」
「このへん何も見るところないでしょー? 春は桜が奇麗なんだけどねー」
呼吸を整え冷静に対応しつつ、ディアドラは詩遠を探っていた。
彼女は長久始の姉である。即ちそれは、長久始という人間を最も近くで見てきた人といえるだろう。つまり、彼女から情報を読み解く事が出来れば、今の長久始がどのように形作られたかを知れる事を意味していた。
そう瞬時に判断したディアドラは、彼女にロゴス能力を行使する隙を伺う。ロゴスを使い詩遠の記憶や心理を解析すれば、言葉で聞くよりも詳細な情報を得られるためである。
「あ、そうだ。今お時間あるかなディアドラちゃん?」
「はい? え、ええ。大丈夫ですけれど、何でしょうか?」
「久々の帰省だからねー、懐かしいカフェに寄りたいなーって思って。でね、そこのケーキが凄く美味しいから、一緒に食べがてら話さない? と思ったんだけど、どうかな」
「へ? あ、はい! 喜んで!」
詩遠の提案に対し、ディアドラは驚きを隠せずにいた。
幼少期は周囲から距離を置かれ、機関に入ってからは孤独を選んでいた彼女にとって、それはあまりに慣れない言葉だったからだ。
彼女にとって初対面の人間というものは、本来は警戒するべき対象である。それなのに目の前の女性は、ほぼ初対面の自分に対してお茶の誘いを提案している。 何かの罠かとすら疑うディアドラであったが、肩の力を入れ過ぎている自分に気付き緊張をほぐした。
「良かった~。一人で行くのも寂しいなぁって、思ってたところだから。ディアドラちゃんみたいに可愛い子と一緒なら、話も弾みそう」
「で、でも宜しいのですか? 私、まだあまり詩遠さんと交流も無いというのに」
「私は大丈夫だけど、ディアドラちゃんは? 旅先で知り合っただけの私とお茶飲みたい?」
「それは、ええ。問題ありません。この街のお話とか、是非ともお聞きしたいので」
「なら良かった。始のせいで私もたまに、他人との距離感バグる時あるからね~。
なんかほぼ初対面でも、顔合わせたら大体友達? みたいな感覚になっちゃうのよね」
ディアドラは、うまく事が運びそうだと心の中で微笑んだ。長久始に近い人物が、自分から話を持ち掛けている。これは長久始の情報を得るべき、絶好の機会だった。上手くいけば、ロゴスを用いずに長久始の情報を得られるかもしれない。そう思いつつ、彼女は静かに安堵していた。
「(問題は彼らにとって、あの火事がセンシティブな事件であること、ですわね。両親を失っていますし、迂闊に触れるのは危険です。ですが、能力を使い無理に聞くというのも)」
「(うっせーなぁ、急いでるンダろ? だったら、ちゃっちゃと聞き出しゃいいだろーが。テメェはそうやって、いつまで経っても保守的だから舐められるンダぜ?)」
「(ええい、五月蠅いですよ私の中の私! ロゴス能力の濫用など論外です!)」
「ディアドラちゃーん? どうしたのー?」
「あ、はーい! 今いきまーす!」
人ごみを縫うように駆け、ディアドラは長久詩遠と共に喫茶店へと向かっていった。その足取りはどこか軽い。彼女は無意識下で、今この状況に対して喜びを感じているためだ。
それは何故か? 長久始の調査がスムーズに進むことに対してか。あるいは、誰かと出かけて食事をするという行為そのものに対して、喜びを感じているのか。
◆
俺はクリスの手を引き、ここからほど近いラーメン屋へと連れてきた。
ここは繁華街からは少し離れているが、知る人ぞ知る名店である。一度偶然から入って味噌ラーメンを食べたのだが、これが意外にも美味く、気付いたら常連になっていた。
「いらっしゃーい。お! 始くんじゃないかい! 横のは彼女!?」
「違うっすよ店長。この子はただのクラスメイト。そういうんじゃないから」
「謙遜すんなって! ほいカウンターにカップル二名様ご案内!」
何故、誰も彼も色恋沙汰に繋げるんだろう。そう考えつつ横目で見ると、クリスはニヤつきながらこっちを見ていた。人の感情の機敏は理解できないくせに、こういうのは分かるのか。
「で、ここはどのような料理を食うのだ?」
「なんだよラーメン知らねぇのか? 麺と具材が入ってて、スープに醤油とかあって……」
とりあえず、ラーメンがどういう料理かを説明する。幸い、麺や醤油がどういう物かはすぐ理解してくれた。教えればちゃんと理解してくれるというのは、俺としては大分ありがたい。
ちゃんと他人に対して何かをねだったりする様子もないし、教育はちゃんと行き届いているようだ。そういう意味では、コイツを街に連れ出した意味もあったというわけか。
「ふむ。ではどうやって食すのだ? ひとまずこのショウユとかいうものを食べたいのだが」
「普通に注文すればいいんだよ。すいませーん! 醤油ラーメン一つ!」
「あいよ! 醤油一丁!」
「ふむ、なるほど。で、
「俺はもう決まってるよ。長年ここに通い詰めて、何をどう注文すれば良いのか、肌で理解しているからな」
「「味噌ラーメン麺固めネギ多め、コマ切れチャーシューと煮卵トッピングで」」
「「ん?」」
俺がいつものように注文を告げると、偶然その注文が隣の客と被ってしまった。
一昔前の軍服のような、厚手のコートを羽織っている男性だった。もう暑くなり始めているというのに、随分とまた覚悟が決まっているファッションセンスだ。顔も見覚えのない顔だ。
男は俺を見るとニカッと軽快に笑った。大分若々しい顔だ。二十代から三十代半ばぐらいだろうか?
あまりこの辺じゃ見ない顔だと思っていると、その男は嬉しそうにこちらへ話しかけてきた。
「貴様、この俺と寸分違わぬ注文をこなすとは、只者ではないな?」
「あんたこそ、常連客のこの俺と全く同じ注文とはね。多分、この街の人じゃないでしょ?」
「分かるか。近日、ある一件故にこの街にやって来た、流離の風来坊よ。この店は初めてだ」
随分と古風な喋り方だ。軍服っぽい服装も相まって、タイムスリップしたかのような感覚に陥る。それらもかなり常識外ではあるが、何より初来店でこの店の一番旨い食べ方を見抜くなんて、只者じゃない。そう俺の勘が告げていた。
「なんでその注文を? 誰かから聞いた?」
「俺は生来数十年間にわたり、多くの拉麺屋を巡った。然るが故に、一目で分かるのだ。この店で最も美味いメニュー、トッピング、そしてバリエーションに至るまで!
貴様こそ、その若さで俺に並び立つとはやりおるわ。さぞや名のある者と見るや如何に?」
「俺は別に大したもんじゃないよ。ただ、色んな人を手伝ったりして、この街を知ってるだけ。
この店だって、気に入ったから通い詰めてたら、気付いたらその注文に辿り着いていたわけ」
「興味深い! この街を知っていると申すか! ならば貴様の一押したる飯屋を訪ねたい! 恐らく俺は、この街で長居するだろう。故に知りたい! この街にある美味なる食事処を!」
「良いのかい? 長くなるぜおじさん」
「もとより承知の上よ……っ! 桜花見を基に発展したこの街、食と酒へのこだわりは並大抵ではない事など、火を見るよりも明らか! さぁ聞かせてくれ、名も知らぬ青年よ。貴様がその十数年の月日を過ごしたこの街、如何なる美味が集っているのかを!」
すっかりと意気投合してしまった俺と謎のおじさんは、味噌ラーメンを啜りながらこの街の食事について語り合った。隣ではクリスが心底退屈そうな顔をしながらラーメンを啜っていたが、そんなことを忘れるぐらいに俺とおじさんは時間を忘れ語り合った。
こういう時、多数のバイトや人助けで培った話術が役に立つ。というか、無意識のうちに誰かと仲良くしようとする。もはや本能と言ってもいい。
「おやもうこのような時刻か。光陰矢の如し、とはまさにこの事よ!」
「楽しかったよおじさん。この街の飯、好きになってくれたかな?」
「ああまさしく! 既に立ち寄った店も、まだ見ぬ店も! 実に素晴らしいなぁ此処は!」
「そりゃよかった。こっちも語り明かした甲斐があったってもんだよ」
「おっと、一つ聞き忘れておったわ! 問うても良いか?」
「うん良いよ。何です?」
「貴様の横に或るその女は、
ゾ──────ッ、と。
一瞬で周囲の空気が変わった様な気がした。
余りにも唐突で、静かな言葉。だが同時に、確かな敵意と殺気を含んだ言葉でもあった。
目の前の男の放つ空気が変わる。朗らかな空気が、戦場の如き緊迫した世界に書き換わる。
「そんなに畏まるな。ただの世間話じゃあないか」
男が笑う。
その笑みを通して、俺の背筋に冷たい感覚が凄まじい速さで駆け巡り、全身に警告を伝達する。
逃げろ、こいつはヤバい、対話すら許すなと。汗が噴き出して、自律神経が乱れ狂う。
この男、海東なんかと比べ物にならない強さだ!
だが全身が動かない。まるでこいつの威圧に拘束されているかのようだ。
蛇に睨まれた蛙か、あるいはまな板の上の鯉か。勝ち目がないと本能が察したかのように、俺は何も抵抗できずにいた。
「…………ッ。アンタは、一体!?」
必死で言葉を絞り出す。疑問符を吐き出すだけで精いっぱいだ。
唇が渇き、瞼は見開かれ、胃の中身が逆流しそうになる。大声を上げて叫びだしたい衝動に駆られるが、背後でクリスが割り箸を置く音が響き、何とか正気を保つ事が出来た。
そんな俺の怯える姿をじっくりと眺めるように目を細めながら、男は口端を吊り上げ自らの名を告げる。
「俺? 俺かぁ? そうさなぁ。最も通りの良い名前で言えば“人間災害”室岡霧久と、広く親しまれている。
此度は其処の
静かだが、堂々とした名乗りだ。見るだけで戦慄する笑みを浮かべながら、男は告げた。
「河岸を変えよう、長久始。ここは人が多すぎる。戦えば、他者を巻き込まぬ自信が無い」
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