第28話 火中の兎
「ちょ、待て! 待てって! クリス! 勝手に一人で動くな!」
「
「お姉ちゃんだれー?」
「ごめんね! 何でもないからーっ! 失礼しました!」
路を歩く子供にたかるクリスを無理やり引き剥がす。こいつ、目を放すとすぐ誰かに絡んでいる。街へ行こうと提案したのは俺だが、まさかここまで活動的だとは思わなかった。何に対してでも興味を示す行動力に加え、無駄に尊大な態度で誰彼構わず話しかける。結果、肉体的にも精神的にも疲労が凄い。うっかり気の短い人に遭遇したらどうするつもりだ。
「なんだ
「どうもお前の尊大すぎる態度から、変えたほうがよさそうだと理解したよ!」
「この他人への接し方は不満か? ならば甘い物を寄越せ。捧げものだ、ほら早く」
「だいぶ我儘が板について来たなお前。まぁ、それで大人しくなるなら良いけど」
ひとまずミルクキャラメルを買い与えたら静かになった。その姿は、活動的なのも相まって子供のようにも見える。実際生まれたばかりなのだから、子供のようなものとも言えるか。
それはさておき俺はというと、徐々に熱くなり始めた気温も相まって、すっかり息が上がってしまっていた。そんな俺と対照的な様子で、クリスは涼しい顔で突っ立ったまま俺を見つめている。
「な、なんだよ?」
「いや、
何かと思えば、そんな些細な事を気にしていただけか。お前が傍若無人過ぎるだけだろう。
だが、それを知らないのも無理はない。こいつは目覚めたばかりで、しかも過去はほとんど人と関わった事のない神様なんだ。
ならば、俺には目覚めさせた義務として、人について教える義務がある。そう考えて、俺は簡単に俺の行動の理由を教え始めた。
「えーっとな。人間は、他人と関わらなくちゃ生きていけないんだ。
だから他人に嫌われないよう、変な行動は慎むんだよ。これも一つの常識って奴さ」
「1人で生きられない? 何故だ? 衣食住が揃えば、生きていけるのが人間であろう」
「じゃあその衣食住を、全部1人で用意できるのか? って話だよ」
万が一秘密情報が漏れないように、日陰になっている道の端までクリスの手を引いて連れていく。向こうもその意図を理解してくれたらしく、会話を小声に揃えてくれた。
「お前が生きていた頃は知らんけど、今の人間は、社会っていう繋がりの中で生きてるの」
「社会、か。知っている。多くの者たちが専業を持って生活を成す、だったか」
「そうだよ。今お前が貪っている、そのキャラメルだってそうだ。牧場主とか、加工業者だとか、そういう人たちが揃ってようやく形になるんだ。
つまり、人は大勢の人と繋がり合って生きている。だからさ、自分の勝手でなんか行動しようってのは、こう、ダメなんだよ」
「よく分からんな。己さえ良ければ、それではだめなのか?」
「何て言うかなぁ……っ!」
言葉に詰まり、思考が淀む。脳の内側がむず痒いような感覚が走る。暗黙の了解を言語化する辛さとはこういう事か。
冷静に考えると、確かに言語化に悩む概念だと迷う。どのように説明すれば、この面倒な神様に納得してもらえるだろうか。
『キャアアアアアアアアアアアッ!』
そう考えを巡らせていた、その時だった。
思考を切り裂くような鋭い悲鳴が響く。周囲を見渡すと、すぐ近くの道路で子供が飛び出し、車に轢かれそうになっている様子が目に映った。
乗用車はブレーキを踏んでこそいるが、距離的に絶対に間に合わない。
このままじゃ、子供が轢かれて死んでしまうのは明白だった。そう結論づけたその時、既に身体が動いていた。
「クリス、力貸せるか!?」
「
「じゃあ借りるぞ!」
クリスの手を握り締め、力の一部を受け取る。現実にする『意志』のカタチは、単純明快。道に飛び出した子供を助けたい。ただそれだけの、真っ直ぐな意志。
その意志に従ってクリスという力を制御し、全速力で駆ける。疾風怒濤もかくやという速さで、俺という肉体は人波の合間をすり抜けた。そのまま道に飛び出した子供に接近し、抱きかかえる。そして俺は道端まで走り抜けて、最後にその子供をそっと降ろした。
『オイ、大丈夫か!?』
『い、今子供が飛び出して……っ! ……あれ?』
『何か、今通らなかった? 風?』
「フゥー、よかったぁ。大事にならなくて。子供も怪我無くて、本当に良かった」
「大事にならずとも、混乱になっているが? 言わなくて良いのか? 自分が救った、とな」
「馬鹿。今の見てたろうが。明らかに人間業じゃ無かったろ。あんな方法で救いましたって名乗り出たところで、どうやったのか質問責めにされるのがオチだ。 ロゴス能力は表沙汰にされちゃだめだって、ディアドラも言ってたろ?」
「
「別にいいんだよ。そもそも、ひけらかすもんじゃないんだから」
「──────ふぅん」
クリスは物珍しげに頷いた。昨日もそうだったが、他人のために行動する人間がそんなに珍しいのだろうか。
確かに普通ではないかもしれないが、これは俺が悩んだ末に出した俺の生き方だ。誰かが苦しんだりするのが嫌だから助ける。ただそれだけの、単純な俺の意志だ。だからこそ、契約相手のクリスであろうと否定させる気は無かった。
「しかしバレるのが嫌なら、助ける必要などあったのか? あんな弱い子供を」
「弱さとか関係ねぇよ。誰かが嫌な目に遭おうとしていたら、それを助ける。それが普通だろ?」
「それもまた、社会という繋がりゆえか?」
「そうかもな。人って基本弱いから、みんな助け合って、繋がりあって生きていくんだ。逆に言えば、繋がりが無くちゃ、人間はみんな生きていけないんだよ。
1人じゃ弱いからこそ、互いに助け合う。それが人間の持っている“当たり前”なんだよ」
「それが、
不意なクリスの問いかけに、俺は息をのんでしまった。
俺を心配していたディアドラがそう聞きたがるのは理解できるが、まさかコイツまで同じことを聞いてくるとは思わなかった。
確かに契約関係なわけだし、行動の理由を聞きたい気持ちは分かる。人を知りたいとも言ってたしな。だが、こんな面と向かってド直球に聞いてくるとは、想像だにしていなかった。
「そもそも、他人が傷つき
「まぁ、そうとも言える、のかな? いや、違うな。んー、あんまり言いたくないけどな」
「歯切れが悪いな。意志をはっきりさせんと、ロゴスは扱えんぞ? それに、
「うーん。まぁ、別に隠すようなことでもないし、話して良いか」
俺が人助けに拘る理由。それはつい先日の夜、姉ちゃんからの話で思い出せたことだ。
誰かが苦しむのを見るのが嫌だ。そう気付けた一連の過去。俺が連想したのは、その前日譚となるある事件だった。その過去、幼い頃に両親を火事で失った事を、俺はクリスに打ち明けた。
「昔、両親と暮らしてたんだけど、些細な原因で火事になって、父さんと母さんは揃って死んじゃってさ。でさ、ガキの頃の俺は、無謀にも2人を助けようとしたんだ。
まぁ当たり前だけど、無理なわけで。ただ燃え盛る家を、見続けるしか出来なかった。それが俺には、酷いトラウマになったんだよ」
「だろうな。幼子の精神は脆い。加え、全能感も持っている。
「ああ。消防隊員に止められながら泣き喚いて。そん時俺は、酷い無力感を覚えたんだ」
当時の記憶は、夢で何度も繰り返すほどに、俺の心を抉っては傷を残した。何もできないままに、ただ命が失われていく光景。今までの人生で、一番近くにいた人が消えていくあの感覚。
情緒も整っていない俺にとって、それはもう地獄にいるような思いだった。今でも目を閉じれば、あの日の炎がちらつく気がする。そんな炎が俺にもたらした物が『無力感』だった。
「その"悲哀"が、お前の人助けの根幹か?」
「近いかもな。俺は何もできなかった。両親が目の前にいるのに、助けられなかった。もうこんな思いはしたくないってほど、苦しかったんだよ。
初めはどうすれば良いのか、ずっと分かんなかった。2人を助けられなかったような俺が、のうのうと生きてていいのかなってすら思っていた」
「……ほう」
「けど、川で子犬が溺れていたのを見て、それで頭が真っ白になって──────」
「両親の命が失われる光景と重ね合わせた。故に己が身も省みず、無我夢中で助けた、と」
「そう。それ以来、誰かが苦しんでいるのが嫌になった。それが、俺が人助けをするようになった経緯だよ」
「……なるほど。“後悔”を引きずっている、とでもいうべきか」
クリスは俺の言葉を一通り聞き終えると、顎をさすりながらそう告げた。その姿はどこか、俺の人生を推理というか、思考しているかのような仕草だった。
こいつもこんな風に考える事があるのか。いや、これは考察している、というべきか? こうやって俺の感情を分析するという事は、俺の言葉を真剣に考えている証なのだろう。そういえば、人を知りたいとか言ってたからな。これもこいつにとっては、人間の学習の一環になるのか。
そんな風に考えていると、クリスは探るような口調で切り出した。
「
幼い身でありながら“死”を明確に刻まれたが故に、その人格形成の根幹に死があるのか。となるとお前の意志は、失う事を極端に恐れている、とでもいうべきか?」
「そう、かもしれないな。とにかく色んな人を助けたい、って考えたりもするしな」
「質より数、か。それは誰が喪われてもいいように、か? ──────いや、もっと単純に、埋め合わせと考えている、とか?」
「……どういうことだ」
クリスの口調が、どこか冷酷なそれへと変わったような気がした。その言葉に俺は、どこか神経が逆撫でられるような感情を覚える。
埋め合わせ? まるで、俺が両親を助けられなかった代わりに、皆を助けているような言い方をする。そんなことを、俺がしているわけが……。
「だってそうであろう。両親を助けられなかったから、他の命を助ける。単純な数の問題だ。
先ほど言っていたな。生きていて良いのかとすら迷った、と。
「なわけねぇだろ! 俺が人助けするのは、苦しんでいる人を見たくないからだ!」
こいつ、遠慮ってものを知らないのか? そんな自分勝手な理由での人助けが、許されるはずがない。そんな単純な数の問題で人助けをする奴がいるとしたら、イカれているにもほどがある。
苛立ちながらもそう反論しようとした俺に、クリスは突き付けるように問いを続けて投げかけた。
「なら先ほど、何故自分の身も省みずに飛び出し助けた?」
「? 何を言って」
「普通の人間ならば、他者を助ける時はまず自分の安全を確保する。それは自分の命を、他者の命より優先するゆえだ。だが
「いや。それは。そんな、ことは」
違う──────と、否定したかった。だが俺の言葉は、そこで理由もわからず止まってしまった。
なんだ? 何故俺は、クリスの言葉を真っ向から否定できない? 腹の内では、こんなにもクリスの言葉に苛立っているのに。
まるでじりじりと、不完全燃焼の炎がくすぶるかのような不快感が、俺の中に満ちる。そんな俺の気も知らず、クリスは言葉を続ける。
「そういった事を考えない理由は、"助ける"という行為に対し、結果ではなく助けたという事実だけを優先しているからではないか?
命が喪われる、という経験に対し、もう2度と失いたくないという渇望を覚えた。それを防ぐために、ただ"助ける"という行為だけを求めている……。
「そんな、馬鹿な事があるかよ! 助けるって過程だけを見てる? そんな人助け、有り得ないだろ!」
「有り得るさ。助けるという行為そのものが、生きる意味となっている人間ならな。お前は、それではないのか?」
「……ッ!」
言葉に詰まる。胸が詰まり、息が苦しい。何も反論できず、ただただ胸の内側に感情が籠って、ぐちゃぐちゃになっていく感覚が支配する。
俺は人助けを、結果じゃなくて過程だけ見ていたのか? いや、違う。俺は誰かが苦しむのを見たくないから、誰かを助けて──────。
「他人の苦痛を見たくない。ああ、立派な意志さ。
だがその根幹が、幼い時分に突き付けられた死となれば話は別。お前の意志は、順序が逆になっているんだよ。自分で定めて他人を優先するのではなく、他人の喪失が先にあって、それで意志を定められてしまっているんだ。
それはいわば、他人を自分より優先する空虚な人生。 自分の存在を棚に置き、他者のためにだけ動く。それは生きる意味を、他人に縋っていると言っても過言ではないのでは?」
「勝手に分かったような口きくなよ……っ! なんでそこまで言われなくちゃいけないんだ!?」
クリスの冷徹な分析に対して、俺は言葉にならない激昂を抱いた。我慢ならない。今まで燻っていた怒りが、爆発的に広がる錯覚すら覚える。
勝手に腹の内をまさぐられるような不快感に、俺は拳を握り締める。畜生。俺の気も知らずに。俺を勝手に分析して、好きかって言いやがって。
「ロゴス使いにとって、その意志は欠陥だからだ。強い自我を押し付ける事こそロゴスの本質。他人に意味を見出す人生など、はっきり言って自分が無い。
それは言ってしまえば、生きていないのと同義だ」
「欠陥だとか生きていないとか! 言わせておけばッ!」
今すぐコイツを黙らせたい。そんな、八つ当たりにも等しい短絡的な怒りが、俺を支配する。
俺は気付けば握り締めた拳を、ただ怒りに任せてクリスへ振るおうとしていた。そんな我を忘れた衝動へ移りかけたその時、ふと聞き慣れた声が聞こえた。
「おお? 始ちゃんでねぇか」
「あ……。岩崎の婆ちゃん、こんにちは」
声を掛けたのは、近所に住むお婆さんだった。間延びした声で挨拶されたので、俺は怒りを忘れて挨拶を返す。その呑気な声は、俺の中で沸騰していた怒りを。急速に冷ましていった。
「こっちの別嬪さんは始ちゃんのコレかいぃ? 随分と良い子見つけたじゃないかぃ~。私の若ぇ頃そっくりだねぇ~」
「え、いや! そんなんじゃないっすよ! ただのクラスメイトで。ほら、行くぞ!」
冷静になれた俺は怒りを鎮め、クリスの手を引いてその場を後にし、自分を言い聞かせた。
そうだ。こいつに怒っても何も始まらない。今は少しずつこいつと距離を縮めるべき段階。なのにコイツと仲違いしていたら、本末転倒だ。心の距離というものは、近づくのは牛歩だが離れるのは一瞬だからだ。俺は繁華街から距離を置き、深呼吸をしてクリスと向き合った。
「なんだ。急に怒ったり落ち着いたり、忙しない奴だ」
「いや、その、何ていうか。とりあえず、何でもかんでも無暗に詮索するな。そういうのを嫌がる奴だって、人間には大勢いるんだからな」
「了承した。こちらも結論を急ぎ過ぎた事を謝罪しよう。すまなかった」
案外素直に頷いた。やはりこいつなりに歩み寄ろうとしているのは確からしい。ならばこちらも、と考えていると盛大に腹が鳴った。時計を見ると、もう既にお昼時になっていた。
「もうこんな時間か。丁度いいや。この辺にうまい店があるから、案内するよ」
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