【一旦完結】破滅掌者の救誓譚〜神の力を手にしたから、日常の傍で世界を救う〜
十九六
第1章 言葉、神と偕に在り
第1節 始まりの夜
第1話 ユメの中で
深夜の公園に、ドラゴンがいた。
─────と言っても、信じてもらえるだろうか。
「何だよ……これ、どうなってんだよ!?」
有り得ない光景だと思いながらも、俺は即座に物陰に隠れる。
万が一これが現実だとしたら、ドラゴンがこちらに気付いて襲ってくる可能性があるからだ。そうなったら、俺はひとたまりもない。最悪の場合、命を落とす可能性だってある。
そんな不穏な考えを、俺は即座に振り切って否定した。冗談じゃない。まだこんな所で、死ねるはずがない。俺はまだ、やるべきこともやれていない学生の身なんだ。
絶対に逃げ延びてやる。生きて、俺はやるべきことを成すんだ。そんな確固たる信念が、俺の胸中で激しく燃え盛った。
だがしかし、こんな非現実的な状況を前にすれば、生きたいという欲求と同時に、「何が起きているのか?」という興味も沸くのも、自然の道理と言える。そこで俺は、物陰に隠れつつドラゴンを観察することとした。
おおよそ背丈は5m程度に見える。動物園から逃げ出したトカゲとか、そういうものじゃないと直感で分かる大きさだ。何より、直立しているし翼もある。爪牙は刃の如く鋭く、全身を覆う鱗は甲冑のようだ。なるほど、何処に出しても恥ずかしくないドラゴンと魅せつけたしか言えないだろう。
ドラゴンが実在するなどリアリティのない光景極まりないが、その後に起きた出来事は更なる現実離れを俺に叩きつけた。
『フハハハハハハハァ! 機関もこのような極東の島国へ来るなどと、ご苦労なことだ!』
外見の細部に目を向けていると、いきなりドラゴンが喋ったのだ。しかも、やけに芝居がかった口調でだ。俺が驚きに目を見開いていると、凛と響く高い声が続いて響いた。
「耳障りな高笑いだ。反吐を通り越して虫唾が下るンダよ! 人間災害!」
目を凝らして向けると、ドラゴンに対面する形で立ちはだかる、一人の女の子がいた。
腰にまで届く金髪がとても美しく、その繊細な輝きは絹かなにかを想起させる。
肌も白く、陶器のように艶やかだった。少しの衝撃でひび割れてしまうような、儚くも美しい奇麗さがある。ただ、そんな華奢な様子とは裏腹に、言動は随分と粗暴だったが。
『此度の
「独善的倫理のバーゲンセールだな。聞き飽きたから、そのまま黙って死んでくれ!」
『
「英雄なんざ其処らに転がる凡百だろォが。俺のウツワにんな軽い銘入れんじゃねェ!」
二人は一歩も動いていない。
にもかかわらず、両者に間に暴風が吹き荒れ、そして金属がぶつかり合うような激しい音が響いた気がした。
普段はこの時間は閑散としている都市公園のはずなのに、今日だけは全く違う様相を見せていた。こんなの、まるで戦場だ。
空想から飛び出してきたようなドラゴンが、女の子を前にギラつく牙を鳴らしている。女の子はそれを見て、敵意に満ちた瞳で臨戦態勢を取っている。
……戦うつもりなのか、あんな化け物と。あんな怪物と正面からぶつかれば、大怪我は必至だ。命だって、落とすかもしれないのに。
なのに何で、あの子はあんなにも毅然に立てているんだ?
────俺自身、昔はヒーローになりたいだなんて夢見ていた。
誰も彼もを救える、絶対的な存在。正義の象徴。けれどそんなものは、空想の産物でしかない。在り得るはずがない。誰だってそんな風に、常識を知って大人になっていく。
俺だってそうだった。昔は何でもできると思っていたけど、現実を突き付けられた。自分は無力でしかない、という現実を。それが普通だ。そうでなくちゃ、いけないんだ。
だから今、俺の目の前で起きている空想みたいな光景は、間違いであるはずなんだ。
そんな"在り得ない"ドラゴンが、触れるだけで折れそうな女の子に襲い掛かる。刃の如き爪を突き立て、少女の心臓に突き刺そうとする。それがどういう結果を生むかなんて明白だ。
「やめ──────……ッ!」
俺はその結末を予測し、止めようと駆けだしていた。無力な自分に出来ることなんて、無いと分かっているはずなのに。割って入れば死ぬと分かっていても、俺はそれを止めたかった。けれど目の前で起きた光景は、俺の想像を超えた展開を見せる。
{ “汝、己が信仰を風と説くなれば、我は隆起せし大嶽となり、風を封鎖せん ”!}
「…………え?」
女の子が何か、呪文のようなものを叫んだ。その瞬間、理解できない現象が起きた。既にドラゴンがいるという事実自体が理解不能な現象ではあるのだが、それを遥かに凌駕する超常現象だった。
「圧し潰せェ!
女の子の目の前に、突如として巨大な岩が、次々と生えてきた。それも一つや二つじゃない。幾つもの岩石が次々と、ドラゴンを圧し潰すかのように、大量に。
それは物理法則を完全に無視した現象だった。公園の地形が変わるんじゃないかという勢いのまま、ドラゴンは岩に飲まれ封じ込められていく。これは、何だ? 彼女は何をしたんだ?
隆起せし……と表現したけれど、さながら彼女の放った言葉が、そのままそっくり現実になったかのように俺の眼には映った。いや、まさか、そんなことが有り得るはずが。
『ふはははははははッ! 面白い! 全くもって身動きが出来んなァ!
流石は機関のエージェント! 俺を飽きさせぬわ! 次はどの様な力を見せてくれる!?』
「次なんざねぇ。今日はこれで終いだ。そのまま朝まで封じられていろ」
「な……、何だよ、これ。何が、起こってるんだ?」
情けないことに、俺はその光景を目にして腰が抜けていた。何が起きたのかも理解できずに、ただか細い声を吐き出すのが精一杯だった。だが、その行動が間違っていたと、俺はすぐに思い知る事となる。
『おやァ? 小さき蟲が、1匹いるようだなァ』
ぎょろり、と。地面に封じられたドラゴンの眼が、俺の方へと向いて笑った。
「──────ッ! うわああああああああああっ!」
その視線だけで、心臓が止まったような錯覚を覚えた。
胃液が込み上げ、口の中が渇く。圧倒的なまでの死の恐怖を感じた俺は、気付いた時には無我夢中でその場から逃げ去っていた。
あの場にいては駄目だ。俺は死ぬ。あのドラゴンが大地に封じられている状態でも、気取られた時点で死ぬしかない。そんな明確な死の気配が、俺の全身を包み込んでいた。
嫌だ。死にたくない。こんな所で、俺は生を終えたくない! そんな本能のままに、無我夢中で俺は奔り続ける。
情けなく逃げまどい、やがて公園の中心にある大木へ辿り着き、その影へと俺は隠れた。そしてそのまま、絶対的な死を感じ取った事実に震えるしか出来なかった。
死の恐怖が、いつまで経っても消えない。一秒一瞬が永遠に感じられる。今すぐにでも、ここから逃げ出したい気分だ。だがそれすらも叶わないほど、俺の身体は竦んでしまっていた。
いや、逃げられない理由は恐怖だけじゃない。
「あの子、大丈夫なのか?
あんな化け物相手に、勝てるのかよ……!?」
そう、あのドラゴンと戦っていた、女の子の事が気がかりだった。理屈不明な力を使ってはいたが、それでも純粋な体躯の格差は明白だ。簡単に勝てる相手だとは思えない。そんな彼女を置いて逃げたら、それは俺が、あの子を見捨てる事になってしまうのではないか? そんな迷いが、胸の中に浮かぶ。
「死にたくない……、けど。
あの子を見捨てるのは、もっと……っ!」
「はぁー、最悪だ。オイお前、見たか?」
「え?」
一人で頭を抱えて考えていると、先ほどの少女が俺の前で腕を組み、仁王立ちをしていた。
不機嫌そうに額に皺を寄せ、舌打ちをしながら口を歪ませている。怒りや憎しみとはちょっと違う。苛立ちとも表現できる顔つきだ。
「あの、君は……一体。あ、あのドラゴンは……」
「見たか、つってンダよ。鼓膜に風穴開いてんのかテメェ」
「あ、はい」
聞きたい事が山ほどあったが、俺は彼女の気迫に負け、つい頷いてしまった。そんな俺を見やる彼女の眼つきは、どこか冷徹さを帯びていた。まるで、獲物を始末する狩人のそれだ。
「見られちまったら、仕方ねぇか。悪いが、見られたからにはこうするしかねぇンダ」
「え? ちょっと、何を?」
女の子は俺の方に、ゆっくりとその掌を伸ばしてきた。その纏う空気は、一般的に殺気と言っても過言ではない。
……嘘だろ。ドラゴンから逃げたと思ったのに、こんな所で俺は死ぬのか?
待ってくれ。俺はまだ、生きる目的があるんだ。まだこんな、心半ばで死にたくない!
「あばよ」
だがそんなことを口にする暇も無いままに、女の子の指先が俺に触れる。
嫌だ。待ってくれ。そんな──────ッ!
「殺さないでくれええええええええええええええっっっ!」
そんな情けない大声を出しながら、俺はバネのように飛び起きた。
呆然としながら、机の上に置いてある時計を見る。6時59分。丁度アラームが鳴る1分前。目覚ましに頼らず起きられるだなんて、なんて清々しい朝なんだろう。
「なわけねぇだろ。最悪な目覚めだ、このやろう」
誰に言うでもなく、随分と酷い夢を見せてくれた脳細胞を呪う。この怒りをどこかへぶつけたい気分だが、どうやらそんなことをしている時間も無いようだ。
『ちょっと何事!? 何があったの始!? 大丈夫!?』
俺の叫び声を聞きつけ、姉が慌てて部屋へと駆け付けてくる。彼女に対しどう言い訳をするべきか考えながら、俺は憂鬱な気分で学校への朝支度を進めるのだった。
◆
「おはよう始くん。今日も元気だねぇ」
「どうも。おはようございます、竹内のおじさん」
「よう長久! この前のバイト、入ってくれて助かったよ!」
「おはよう斎藤さん、そりゃよかったです」
いつものように、俺は繁華街を自転車で走りながら駅へと向かう。その道中で、お世話になっている街の人たちから多数の挨拶が飛び交った。
俺の名は、長久始。どこにでもいる一般的な高校2年生だ。いや、持っている趣味が一般的とは言えないかもしれない。この飛び交う挨拶は、その趣味の副産物だ。
人助け。それが俺の趣味、あるいは生きがいと言うべきかは迷うところではあるが。とにかく、他人よりも積極的に行っている行為であると、俺は自負している。
困っている人を放っておけない。というより、気付いたら身体が勝手に動いて、誰かを助けている。そういった性分を、俺は持ち合わせているのだ。バイトや部活のヘルプなど日常茶飯事。子供や老人への手助けなども、気付いたらこなしている有様だ。
そんなことを繰り返しているからか、多くの人と自分は顔見知りだ。必然的に、挨拶が飛び交うこの光景も日常となるのだが、急いでいる時はちょっと勘弁してほしい。
そりゃあ可愛がってもらうのは嬉しい。誰かに俺のことを、覚えていてもらっているということだからだ。しかし姉に朝から叫んでいた理由を尋ねられ、電車出発時刻ギリギリの登校になった今日のような日となれば、挨拶を交わす体力もほぼ無いわけで。
などと考えているうちに駅へと到着する。自転車を止めていると、肩を叩かれ声が響いた。
「よう長久、今日は随分急いでんだな。またバイトで夜更かしでもしたか?」
見覚えのある茶色い短髪と、俺も着ている単調な紺のブレザー。そして、一年以上も見飽きた面が笑っている。こいつの名は田崎俊。俺の友人、あるいは腐れ縁というやつだ。
「おはよー田崎。いやちょっとまぁ、諸事情で家を出るのが遅れた」
「なんだぁ? あの奇麗なねーちゃんに、セクハラでもかまして叱られたか?」
「なわけねぇだろ、馬鹿」
気の置けない友人だが、あいにく遅刻の理由は話せない。ドラゴンと女の子が戦う、ファンタジックな悪夢を見たなどと知られたらお笑い草だ。学校では目立ちたくない身なのに、そんなくだらない悪夢のせいで話題の中心になるのは、真っ平ごめんだ。
──────本当に夢だったのか?
そんなおかしい考えが頭をよぎる。あの公園に突き立った岩石の起こした震動や、ドラゴンの発した衝撃。その全てを、肌が実感して覚えている。そんなふうに感じるからだ。
女の子の姿や容姿も鮮明に覚えているし、俺が立っていた公園の場所、はては空気の感触までも、正確に覚えているような気さえする。そんな夢が、本当にあり得るのか?
だがニュースを見ても公園は普段通りだったし、ドラゴンを見たなんて人もいなかった。やはりあれは夢なのだろう。そう俺は振り払うように考えつつ、通学のため電車に乗り込んだ。
『ああ。俺だ。問題はない。機関のエージェントと接触こそしたが、この通り息災だ』
「……?」
今さっき、人ごみの中に、どこか聞き覚えのある声が聞こえたような……。
『
何? まぁ雇用主の責任というものよ。俺がいると分かれば、奴らも俺に集中する故な』
『頼んだぞ。では共に成功させるとしよう。
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