第7話 幸運は勇者を好む
『力を求めるのは────────────お前か?』
「(なんだ……? 誰だ、一体)」
感情の抑揚が一切ない、機械的な声だった。それが突如として、俺の脳内を包み込む。
一瞬、ディアドラのロゴス能力かと思ったが、彼女が能力を使用したような素振りはなかった。
じゃあ、一体誰が? そんな疑問が脳裏を駆け巡った時、『それ』は突如として起きた。
『望むのならば、
ドクン、と。跳ねるように心臓が鼓動を鳴らす。瞬間、俺を覆っていた重圧が突如として消えた。
その理由を考えるよりも早く、俺は男を追うために立ち上がる。けど、俺は脚を踏み出せなかった。足が竦んだ? 違う。物理的に俺は、一切脚を動かす事が出来なかったのだ。
そのまま俺の身体は、意志に関係なく動き出す。まるで導かれるように、身体が羽根と化したかのように軽やかに、俺の身体は走る。
辿り着いた先は、保管室の扉だった。まだ展示していない物品の保存や修復を行う、この美術館の心臓部ともいえる部屋。本来は厳重に鍵がかかっているべき場所だ。何が起きようとしているのか。そんな事態を理解する前に、俺の身体は勝手にその扉に手を掛ける。
手を触れた瞬間、扉の施錠が解除された。まるで誰かが中から、俺を手招くようであった。
心臓の鼓動がうるさいほどに響く。最初はあの強盗達の罠かもしれないと思った。だがすぐに、そんな疑念は『力が欲しい』という強い意志によって、すぐさま上書きされる。
今この瞬間を打開できる力が手に入るなら、例え罠であろうと踏み砕いてやると。もはや飢えや渇きにも似た、力への望み。そんな強い意志に導かれながら、俺は扉を思い切り開いた。
「────────────これは……」
扉の向こう側にあった光景に、俺は思わず息をのんで絶句する。
そこにあったのは、刀身が鏡のように磨き上げられた、美しい刀剣だった。窓から差す星や月の光を反射し、非常に幻想的な様相を醸し出している。その荘厳さと神聖さは、この部屋そのものが神殿であるかのような錯覚すら覚えさせるほどだった。先ほどまでの非常識な戦いが霞むほど、目の前の光景は現実離れしていたと言っても過言ではないだろう。
「お前が、俺を、呼んだのか?」
恐る恐る、部屋の中央に鎮座する刀剣に話しかけると、先ほどと同じ機械的な声が響いた。
『力を求めるならば、
なるほど。どうやら本当に、この刀剣が俺を呼んだらしい。響いた声にビビって後ずさりながらも、俺は納得する。それで俺はようやく、体の自由を取り戻せた事に気付けた。
「力、か。本当にお前に頼めば、力が手に入るのか?」
言葉も自由に話せる。それを確認した俺は、この刀剣に対して聞きたい言葉を捲し立てた。
「力ってのは何だ? いやそれ以前に、お前はなんだ? 奴らが狙う
だったら力を授けようとするのは、自衛のためか? それは、俺じゃなくちゃダメなのか?」
『力を求めるのなら、手を──────』
会話が成り立たない。まるでシステムか何かを相手取っているみたいだ。どうやらこちらの質問に答える気はないらしい。確かに俺としても、問答をしている時間はない。気がかりなのは、どういう理由で俺を選び力を与えようとしているか、ということだった。
そして何より、その与えられた力が、どのようなものを齎すのか、ということも……。
「力……」
謎の存在が告げた言葉を繰り返し、俺は無意識に拳を握り締めていた。
力が欲しい。そう思ったことなんて、今までの人生で数知れない。何度も俺は、今までの人生で無力さに苛まれていた。そしてただ震えて、打ちひしがれて、悔やむしか出来なかった。
『もうあんな思いはしたくない』と思いながら、足掻いた事もあった。けれど結局、俺一人で出来る事なんてたかが知れている。そんな自己嫌悪を振り切るように、俺は皆を助け続けた。
だが、そんなものは逃避でしかない。逃げながらも俺はずっと、無力な自分を恥じていた。
「俺は……。俺は──────ッ!」
『求めるのは力か? あるいは──────』
「うるせぇッ! 俺が、俺が欲しいものはっ!」
脳裏に浮かぶのは、燃え盛る炎の記憶。俺の中にこびりつく、後悔の起源。
何だってこんな時に限って、何度も何度も思い出されるんだ。いつまでも消えない火傷が、抉られるかのような感覚。そんなトラウマの
助けたかったのに助けられなかった。自分の無力さを突き付けられた。それを拭うように大勢の人を助けたけれど、あの日の後悔は消え去らない。それは、俺が無力なままだからだ。
「俺は誰かを助けたい! 無力じゃないって、生きていても良いって証明が欲しい! 力を寄越すって言うんなら、ありったけを寄越せっ! いまこの状況を、打開できる力をなぁ!」
『────────────良いだろう』
俺はがむしゃらにその刀剣へと手を伸ばした。掌が、鏡のように光を反射する刀身へと触れる。その瞬間、何かが俺の中へと入りこんでくるような感覚があった。
ずるり、という音がしたと錯覚するほどの、奇妙な感覚。驚きから手を放しそうになるが、そのナニカが入り終わるまで、俺の腕はぴくりとも動かなかった。
一瞬とも、永遠とも感じられるような時間が過ぎて、俺の手はようやく自由になる。
「今、のは、一体?」
『振るえ。
「望む? 俺が? ……俺が今、やりたい事は──────」
そんなこと決まっている。奴らを、強盗達を倒したい。そしてあの子を、ディアドラを助けたい。そう考えた瞬間俺の身体に、今までにないほどの凄まじい力が漲った。
羽根になったかのように体が軽い。気付いた時には、もう既に体が廊下へと出ていた。身体の動きに、認識が追い付かない。まるで思考や感情が、そのまま力になったかのようだ。
これがロゴスなのか? あまりにも桁違いの力じゃないか。だが、これほどの力があれば……。
「いける……っ! これならきっと、あいつらに対抗できる!」
無我夢中で俺は、意志のままに美術館内を駆け巡る。さながら瞬間移動もかくやという、衝動的情動の躍動だ。館内を凄まじい速度で移動し、奴らを探す。ある程度館内を探したところ、突如として背後から声が響いた。
『か、海東さん!? あいつ!』
『はーぁ? あのガキぃ、どうやって逃げやがった!?』
振り向くと、俺たちを拘束したコートの男と、その部下と思しき数人がいた。その首謀者らしきコートの男を目にした途端、奴らのした行為に対する怒りが沸々と湧き上がる。
お前たちのせいでディアドラが傷ついて、そして俺の日常が崩れ去った。怒りは全身を巡り、滾り、燃え盛り──────やがて、俺の神経全てを逆撫で、力を形にする。
「許せない……っ! お前が、お前たちがいたから!」
「まぁ、どうだって良いか。お前ら拘束しろ。たかがロゴスも使えねぇガキ一人。楽勝だろ」
「オーケー。ちょっとしたボーナスタイムだ。大人しくしていろよ、ガキ」
数人の男がこちらに向かう。前の俺だったら、勝ち目が無いと逃げ出すような相手たちだ。
だが今は違う。絶対に勝てるという自信が湧き上がる。いや、勝たなくちゃならない。そんな使命感が、俺の全身から溢れ包み込んでいる。これは、俺に宿った『力』の影響なのか?
「やってやる、やってやるよッ!」
「ああ? やられるのはテメェだろうがクソガキィ!」
「──────見えたッ!」
拳の動きがコマ送りのように見える。ナイフの軌道が、何処へ向かうかを読むことが出来る。攻撃を即座に躱して隙をつき、そのまま連中の腹部に拳を叩き込んだ。面白いほどに、どう対処すれば良いのかが直感で分かる。俺は運動は不慣れな方であり、殴り合いの喧嘩なんかに慣れているはずもないのだが、今は全くもって違っていた。
「やれた……。分かる。体の動かし方が、力の入れ方が! 理解できる!」
「が─────ッ! ぐっ、テメェ! くそがァ!」
「おーぃ、どしたー? まさかガキ相手にのされたとか、言うんじゃねぇだろうな」
「やるな。なら……{ “我が心、満たされることなく。永劫燃え上がりし炎である ”}
男がそう告げると、その胸から炎がせりあがり、そして腕へと燃え移った。先ほども見た異能の力。ディアドラがロゴスと説明してくれた、言葉を現実に投影する力。
少し前までの俺なら、ただ困惑するしか出来なかった。対抗する力も当然無かった。けれど今は違う。今の俺には、お前たちに対抗する『力』がある。
「力を寄越せ……。その為に"お前"は、俺に宿ったんだろう」
『ならば唱えろ。その鍵は、既に形を成しているはずだ』
「ああ? 何を言って……」
{ “始めに、言葉在りき────── ”}
俺は内側から外へ、溢れ出るほどに氾濫する力を、言葉にして肉体の外へ流出させる。
内側に宿った"ナニカ"に語りかけると、俺の脳裏には自然と呪文のようなフレーズが浮かび上がってきた。
さっきの刀剣の中身の仕業か、あるいは昔読んだ本からの引用だろうか。
「あーぁ? ……おい、これ、まさか!」
「いや、そんなバカな! あるハズがねぇ。あり得るわけがねぇ!」
{ “言葉、神と偕に在り──────言葉、其れ即ち神と成り ”}
それは言葉を、力にするための詠唱。ディアドラも奴らも例外なく行っていた、ロゴス起動の証。それを今、俺が紡いでカタチとしている。
口にしながら俺は、自分が告げる言葉の意味を咀嚼し、これ以上ない詠唱だと納得した。なるほど。言葉を現実に変えると言うのなら、この詠唱の内容はぴたりと合致している。
「嘘だろ!? 何でだ! 何でこのガキ、ロゴスを扱えてやがる!?」
{ “万物、此れに由りて形と成り。遍く、此れに依らぬ物無く。其の言葉に、命有り ”}
「ざけんじゃねぇ糞がぁ! ずらかるぞ! 一旦態勢を立て直す! 明らかにやばい!」
「で、でも!」
{ “此の命─────人の光なりき ”ッ!}
言葉を終えると同時に、俺は拳を振るった。どうすれば良いかもわからないまま、『あいつらを倒したい』と願って行動する。故に、ただ敵意をぶつけるべく、俺は大振りな攻撃をした。
その所作は凄まじいまでの衝撃波を巻き起こし、男たちを壁に叩きつけた。さらにその余波で、窓ガラスが破片へと変わって廊下に降り注ぐ。それでも俺は、傷一つ付かなかった。
明らかに自分が別物に変わったような感覚。常人なら持つ事自体に恐怖する、圧倒的な力。そんなものを俺は、手にしてしまったのかもしれない。けれど俺に恐怖は無かった。むしろ、力を得る事が出来たという現実に対して、仄かに充足感すら覚えていたかもしれない。
「お、おぃい! 大丈夫か!?」
「ぐ、げふっ! こ、この糞がぁ!」
そう叫びつつ、男たちは逃げていった。悪態をつきながらも、戦意はもう無いと理解できる。良かった。とりあえず危機は去ってくれた。そう安堵していると、背後から声が響いた。
「はぁ、はぁ……っ! ちょ、ちょっと始さん! 今のは、一体!」
「ああ、ディアドラ。終わったよ。あいつら、もう行っちゃったから」
「そうではなく! いったいその力は!? なって……しまわれたのですか!?
「ああ、これは──────」
説明しようとした瞬間、立ち眩みのように俺は意識を失った。立ち上がろうにも、力が入らない。糸が切れた操り人形にでもなったような気分だ。本格的に、やばいかもしれない。
感覚も働いていない。呼吸が出来ているのか、心臓が動いているのかすらもわからない。当然か。あんな凄まじい力を、さっきまで一般人だった俺が振るったんだ。何らかの代償があるのは、必然の結果だ。無事で済むはずがない。
「始さん! 始さん! しっかりしてください! 始さん!」
薄れゆく意識の中で、ディアドラの叫び声が聞こえる。頬に雫が垂れるような感覚を、俺は微かに感じ取った。もしかして、泣いてくれているのか。こんな無謀な馬鹿のために。
全身から力が抜けながら、これで死ぬのかなという諦めの気持ちがあった。けれどこうやって俺のために、泣いてくれている人がいるって考えると──────。
死にたくない。
そう後悔しながら、俺は眠るように意識を失った。
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