第3節 "童子切"

第23話 醒遺物の少女



「……えらい事になったな」

「えらい事になりましたわね……」


 ホテルの一室。窓から刺す夕焼けの色はもう暗くなり、夜空がほとんどを占めている。晩飯までには帰るよう言われていたから、そろそろ帰った方が良いだろうか。

 だが、そんな考えが些事に思えるレベルに見過ごせない大事が、俺たちには起きていた。


 いや、基本的に事態は良い方向に進んでいるんだ。

 強盗の首謀者である海東西山は倒す事が出来た。奴を倒せばあの強盗達の大半は洗脳が解けるし、他の仲間もあらかた捕縛できた。奴らへ依頼した首謀者とやらも気になるが、まだ動きは見えないらしい。


 現状の問題は、そんな醒遺物フラグメントを狙う奴らではない。


「えーっと、あの、少女、なのでしょうか? あの方は一体、何者なのです?」

「俺に宿っていた、醒遺物フラグメントの力で間違いないと思う。そう名乗ってたし。

 何より、アイツが出現してから俺の内側からの声が聞こえなくなった。だから、多分」

醒遺物フラグメントの力が、実体化? まさか、そんな……。宿っている力が、単体で実体化するなんて」


 流石のディアドラも困惑している。実際、俺も理解できていない。

 ロゴス能力とはなんでもありだと思っていたが、この現状はその範疇を大きく逸脱しているようだ。だが思考停止していては、何も始まらない。そこで俺たちは、どうしてこうなったのかを分析することにした。


「ひとまず、今は目の前の事実を受け入れましょう。実体化したきっかけに、覚えは?」

「やっぱり俺がやった、定義化のせいだと思う。あのままじゃ勝てないと思ったからな。だからディアドラに言われたとおり、新しく力の形を定義してみたんだ。そうすれば力が安定するって、ディアドラも言っていたろう?」

「ええ。力の方向性が明確になりますからね。初めてであれほど上手くいくとは、称賛に値するでしょう。

 まさか“神”と定義づけるなどとは、思いませんでしたが」

「館長は元々アイツが宿っていた剣を、神そのものみたいだと言ってたからな。そうやって定義するのが、一番だと思ってたんだ」

「ただその定義した形の相性が良すぎたせいで、自由を与えた、ということでしょうか」

「そうなると、俺のせいか?」


 ディアドラの分析を聞いて、俺は肩を落とした。

 宿した醒遺物フラグメントの力を制御出来たと思いきや、面倒ごとを増やしてしまったとは。せっかく力を使いこなせて、役に立てると思ったのに。

 どうして俺はいつも、行動が全て裏目に出るのだろう。ロゴスが関わると特にそうだ。そんな風にうなだれ落ち込んでいると、ディアドラが励ますように俺の肩を叩いてくれた。


「そんなに落ち込まないでください。貴方の行った定義化は、海東を倒すためには必要なものでしたわ。だから自分のやった事を、そんなに後悔しないでくださいまし」

「ありがとう……」


 情けない事だが、女の子に励まされてしまった。いや、ロゴス能力に関して言えば、向こうの方が何倍も先輩なのだが。それでもやはり、こう励まされるのは気恥ずかしさを伴う。

 そもそも俺が、能力を扱えていればこんな事にはならなかった。そう考えると強い無力感が襲う。そうだ。俺に宿っていた醒遺物フラグメントの力が、女の子の姿を取ってしまった事も─────。


「あれ? アイツどこ行った?」

「え? 貴方の中に戻っているんじゃないんですの?」

「いや居ねぇ!? さっきまでついて来てたよな!? どこ行きやがったアイツ!?」


 ホテルの部屋に戻るまでは一緒だったはずなのに、いつの間にか影も形も見えない。何処に行きやがったと憤りながら立ち上がった時、抑揚のない声が背後から聞こえた。


「五月蠅いわ、大声を出さずとも聞こえている。我が破滅掌者ピーステラーなら、少しは冷静であれ」


 少女らしい高い声だが、可憐さの欠片も無い、機械的で平坦な語り口。背後に立つだけで分かる強い気配。すぐにアイツと分かる。俺に宿っていた力が、少女の姿を取ったアイツだ。


「お前なぁ、何も言わずにいなくなるんじゃ──────っ!」

「湯浴みも随分と進化したな。天井から湯の雫とは。温度も調整自在とは、実に素晴らしい」

「なっ!? 待……っ! まずは服を着ろーっ!」


 振り向いた俺の目に飛び込んできたのは、一糸纏わずに堂々と佇んでいる少女だった。一切の恥じらいや羞恥心という物が無い、堂々とした立ち振る舞い。そうして全裸で立っている事こそが当たり前で問題はないと、そう錯覚しかけるほどの貫禄であった。


「こら! 見るんじゃねぇ馬鹿!」


 だが当然その光景には問題しかないわけで、俺はディアドラにすぐさま目隠しされる。それでもその光景は、俺の目に焼き付いていた。

 なんというか、芸術品を想起させる美しさを見せられたような気がする。色気よりも、肉体美だとか黄金律だとか、そういう美を追求した容姿とプロポーションだった。いや、一瞬しか見てないから、この評が正しいかどうかは分からないが。


吾輩わたしの身体に不具合でも? 人類史が研鑽し続けた、美に準じて作り出した肉体なのだが」

「そ、そうじゃねぇよ! 服を着ろっつってんだ! まともに見れねぇだろ!」

「服? 衆目に晒しているでもないのに必要か?」

「部屋ん中でも全裸はダメだろ! 年頃の高校生だぞこっちは!」

「まったく、面倒だな。いつの時代も、人類の願いというのは細かい」

「こら! 素っ裸のまま窓から顔出すんじゃないですの!」


 見えないため詳細は不明だが、多分ディアドラが奴の奇行を止めようとしているのだろう。

 俺は両手が塞がっているので、彼女に全てを託すしかない。非常に申し訳ない。わーぎゃーと騒がしい喧騒が響いていたが、数秒ほど経ってすぐに静かになった。


「え? 嘘!? まさか、そんな……!?」

「な、なんだ? 何があった!? 大丈夫かディアドラ!?」

「あ、えっと、ええ。大丈夫です。ついでにもう目を隠さずとも大丈夫です」

「何だよそれ。この短時間で服を用意して着たとでも……」


 許しが出たので両目を開く。目の前には確かに、服を纏った醒遺物フラグメントの奴がいた。だが、その服装は出現した際の、古代ギリシャみたいな一枚布の服ではない。


 さながらファッション誌のトップを飾るかのような、美しい少女がそこには立っていた。纏う服装は、流行の最先端を走るワンピース。華美でこそあるが、派手すぎもしない。絶妙なバランスを備えた、マゼンタや青色を散りばめた美しい服装だ。

 少しスカートが短いと思うが、逆に言えば不自然な点はそれしか存在しないほどに、完璧に現代的な服装だ。容姿も相まって、このまま街を歩けばスカウトされるぐらいには、ばっちりと決まっている。


「それ、どうやって!?」

「その辺を歩いている人間どもの服装をいくらか観察し、それを再現した。この部屋は良い。人々を一目で観察できる。当分ここに住みたい気分だ。人間どもの観察も容易い」

「見ただけで、服装を再現? なぁディアドラ、ロゴスってここまで何でもアリなのか?」

「いえ。ここまで高度に物質を複製・再現できるロゴス能力は、見たことがありません」

「理屈を聞きたい顔をしているが、吾輩わたしにも分からん。出来るからやる。ただそれだけよ」

「とぼけてるのか、本当に知らねぇのか。機関に報告するにしても、何て言えばいいんだこれ?」

「言っても信じてもらえるのでしょうか。このような、常識の埒外な出来事」

『もう既に伝わってるよ。一難去ってまた一難だな、お前ら』


 聞き覚えのある声が通信端末から響く。取り出して画面を確認すると、そこにはレイヴンの姿が映し出される。彼は信じがたいと暗に言いたいような、渋い表情を固めていた。

 曰く、美術館で一連の流れを確認したエージェントが、既に一連の事態を報告をしていたというのだ。ただ、余りにも前例がない事態だから、現状は上層部への報告を保留としているらしい。

 つまり、今この事態を知っているのは、レイヴンと俺達含めた数名のみとなるわけだ。


「大丈夫なんですか、それ? レイヴンさんの一任で、情報隠すなんて」

『だって、こんなの初めてだぞ!? 醒遺物フラグメントの力だけが、姿を得て実体化!? 史上初だわ!

 意志をもって自律する醒遺物フラグメントは幾つかあるが、力だけが実体化するなんて初めて見たぜ』

「でしょうね。私としても初めて見ました。データベースにも記録はありません」

『正直、余りにも未知数が過ぎる。一旦捉えて、その持つ力を調査したいのが本音だ』

「ほう? 吾輩わたしを、捉える? 青二才が、随分と吠えるではないか」


 レイヴンが頭を抱えぼやく。彼が放ったその言葉に、醒遺物フラグメントは苛立ち気味に立ち上がった。

 どうやら調査対象と言うか、"物"のように扱われた発言が気にいらなかったのかもしれない。 醒遺物フラグメントの奴はグギリと指を鳴らしながら、挑発気味に笑って臨戦態勢を取った。その見据える先は、発言主であるレイヴン─────その部下でありこの場にいる、ディアドラであった。


「なっ、ちょ。やるのですか? 機関に楯突くというのでしたら、相手になりますよ!」

「楯突く? 勘違いするな。これは制裁だ。人間程度が、吾輩わたしを調査出来るなどと思わない事だ」


 応対するように、ディアドラも立ち上がって構える。待て待て待て。ここで2人が争う理由なんて無いし、何よりこんな場所で戦うんじゃない!!明らかに1泊云万円はかかるようなホテルだ。そんな一室で2人が戦えば、被害額がどれほどになるかなんて想像に難くないし、したくもない。


「やめろ! お前ら!」

「そ、そう言われましても。敵性体なら排除しなくては……」

「フン。吾輩わたしに無礼な口を聞いた罰だ。どちらが上か思い、知らせ──────ぐえ」


 俺が叫んだのとほぼ同時だった。急に醒遺物フラグメントの奴が、勢いよく床にぶっ倒れた。頭から地面に突っ伏すという、見ている側が心配になるレベルでの奇麗な倒れ方だった。


「お、おいどうした!? 大丈夫か!?」

「わ……分からん。急に力が、抜け──────」


 何が起きたのかもわからず、俺は彼女に駆け寄る。すると、地面にぶつけたと思われる頬をさすりながら、涙目でこちらを睨みつけてきた。


「お、御身おまえのせいだぞ! こらやめろ! 憐れむ視線を向けるでない! 手出し無用だ!」

「そう言われても、倒れられると心配になるっていうか。え? 俺のせい? 何で?」

『おそらく、契約相手であるお前がと命令したから、戦うための力が無くなったんじゃないか?』


 レイヴンが、長年機関で培ったであろう知識を基に分析を口にした。曰く、彼女の全身から力が抜けたのは、俺が命令したからだという。自律して実体を手に入れても、俺と契約関係下にあるという事実はまだ変わっていない、という事らしい。


「つまり、俺が命令すると、こいつはその通りに動く?」

「というより、始さんが許す範囲でなければ力を使えない、という点が重要でしょうか」

『こりゃ良い方向に想定外だ。醒遺物フラグメントほどの存在が自立稼働したらどうしようと思っていたけど、長久始が首輪付けてくれるんなら安心だな。特に悪さするような人間にも見えねぇし』

「な、おい! そんな吾輩わたしを狗かなにかのように言うでない!

 ええい、命令しろ我が破滅掌者ピーステラー! 御身おまえの口から“こいつらを殺せ”と! 舐められっぱなしは気が済まんわ!」

「いや、するわけないだろ。今は大人しく言う事を聞いておけ、頼むから」

「何故だ何故だ! 納得いかーん! この吾輩わたしが人に支配されるなどとーっ!」


 そいつは癇癪を起こした子供みたいに、床に横たわりながらじたばたと暴れて始めた。


 ……なんか、思ったよりも随分と愉快な存在だな。俺の中にいた時は、機械的で冷徹だったのに。女性らしい肉体を手に入れたからか? そもそも、何故女性なんだ? 全く何もかも分からないまま、謎だけが増えていく。

 とりあえず、こいつを今後どうするべきかが急務の課題か。こんな少女を連れて家に帰るわけにもいかない。連れたら姉がどんな顔をするか。それを想像するだけで、俺は頭が痛くなった。




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