第13話 我思う、故に我在り



 『許さない』。

 そんなただ一つの否定の感情だけが、俺の中に渦巻いていた。



 この街で狼藉を働こうとするお前たちを、街の皆を傷つけようとする奴を、俺は許さない。

 こんな理不尽を、意味不明の力を、俺は根本から否定してやる。みんな、皆消えてしまえ。

 思考回路の全てを埋め尽くす感情の発露が起きて、一瞬で俺の脳内は「それ」に染まった。


『そうだ。それこそが力の根源。遍くを支配し万象へと至る。万有流出の始原』


 声が聞こえる。抑揚のない、機械的な声。かつて俺に、力が宿った時と同じ声だ。

 誰なんだお前は。俺に何をした? 俺はただ、あいつらを倒せる力が欲しいだけなんだ。


『力ならとうに形を成している。御身おまえの抱いた意志によって』

「? それは、どういう──────」


 もう一度度問いかけようとしたが、即座にそれは意味をなさないものとなる。何故なら、その問いの答え──────『力が形を成した結果』を、俺の眼前に突き付けられたのだから。


──────────────────

────────────

──────


「っ! ……ディア、ドラ?」

「──────ッ! 意識が、戻られたのですか」


 気が付くと、目の前にディアドラが立っていた。ただその表情は、恐怖と敵意に染まっている。その敵意は、強盗達へ向けられている物じゃない。

 他ならぬ、俺に対して向けられていた。

 例えるのならば、眼前に殺人鬼が出現したとでも言うような、絶対的な死への忌諱と拒絶。そんな、いつ攻撃されてもおかしくない臨戦態勢の姿で彼女は、俺を睨みつけていた。


 何で、俺に対してそんな目を向けるんだ? 意味が分からない。

 俺は状況を理解するべく周囲を見渡し、そして現実を直視した。


「──────なんだ、これ?」


 背筋が強張るのを感じた。頸椎に氷柱を刺されたかのような、鋭い怖気が全身を駆け巡る。

 さっきまで俺を取り囲んでいた強盗連中が、痛ましい怪我と共に地面へと倒れ伏していた。拳が砕けている奴がいる。骨が肉を突き破って、その痛みに身悶えている奴までいる。状況から鑑みて、この惨状を引き起こしたのは、おそらく。


「俺が……っ、やったのか? こいつら全員、俺の、醒遺物フラグメントの力が?」

「彼らを見つける事が出来なかった件に関しては、私たちの落ち度でしょう」


 狼狽える俺の背後で、ディアドラの声が冷たく響いた。敵意が鋭利な刃のように、鋭く俺に突き刺さる。


「貴方に対して明確な行動制限をかけなかった件に関しても、お詫び申し上げます」


 平坦に響く彼女の声が、俺に1つの事実を思い出させる。俺の自由は、彼女ら機関に与えられたものでしかない。

 俺は本来、自由でいて良いはずがない存在。世界を滅ぼしかねない、破滅掌者ピーステラーなんだと。


「貴方を憐れみ、判断が遅れた私にも落ち度はありました。ですが、その上で問います。

 何故、力を使ったのですか? 答えによっては、貴方をここでします」


 彼女の問いかけが、全身の細胞を震わせたような気がした。これは、恐怖だ。恐ろしくて震えているんだ。

 力を制御できず、暴走してしまった恐怖。そして人を傷つけてしまった恐怖。何よりも今この瞬間、生殺与奪を握られている恐怖。

 幾重にも折り重なった恐怖が、俺の細胞から脳裏へと染み渡り、そして精神を蝕んでいた。


「──────。俺は……」

「下手な行動も全て攻撃とみなします。{ “拘束せよ ”}


 俺の手首に、冷たい金属の輪が嵌められる感覚が走る。

 この感覚を、俺は知っている。つい先ほどまで、俺に架せられていた手錠だ。確かロゴス能力を使うと、起爆するんだったか。


「動きまでは封じませんが、能力の一切は禁じます。それとも、行動制限も課しますか?」

「待ってくれッ! 能力の、使用!? これはなにかの間違いじゃ! 俺は、何も覚えてない!」

「私はこの目で見ました。貴方がその持つ力で、彼らを蹂躙した事実を」

「そんな……! ……やっぱり、俺がやったのか? この惨状を、俺が作ったのか!?」

「ええ」


 事態を目撃していたであろうディアドラに問いを投げかけ、真実を探る。

 少しでも問答を間違えれば、俺の手首は粉々に爆散するんだろう。生命の危機、即ち生きる命として当たり前の、根源的恐怖が俺に満ちる。

 ……だが、それ以上に大きな恐怖が、俺の中にはあった。俺は無意識のうちに、彼らを傷付けてしまった。腕をぐしゃぐしゃに圧し折り、その身体機能を破壊しつくしたんだ。

 街を壊そうとする悪漢でも、ここまでされる謂れはない。故に俺の中には、彼らに対する罪悪感と呵責が、恐怖以上に満ち溢れていた。


「…………。だったら、俺にはやるべきことがある」

「命乞いですか? 口先だけの言葉に耳を貸すとでも……あ、こら! 待ちなさい!」


 了承を得るより早く、体が勝手に動いてしまった。

 我ながら馬鹿げていると思う。最悪の場合、手錠が爆発して死ぬかもしれない。にも関わらず、俺は苦しむ奴らへと走りだしていた。

 目の前に俺のせいで、怪我をした奴らがいる。それが例え悪人だとしても、苦しむ光景は見ていて楽しいものではない。

 だから気が付いた時には、考えるよりも先に体が動いていた。


「おい大丈夫か!? いま応急処置してやるから!」

「テメェ、なんのつもりだ? テメェが、やったんだろうが……ッ!」

「ああそうだよ! 俺がやっちまった。無意識とはいえ、こんな酷い事をしちまった!

 だったら、俺が手当てするべきだろ!? 俺なんかじゃ、応急手当が精一杯だけど!」

「……始さん」


 ディアドラのか細い声が聞こえた。それは俺の、馬鹿な行動への憐みかもしれない。

 ああ、確かにバカみたいな話だ。俺が死ぬかもしれないってのに、他人の手当てをしてるんだからな。

 ただ俺には、俺が傷つけたこいつらを助けなくちゃいけないという、確固たる使命感があった。

 死ぬかもしれないと分かっていながら、なんで俺はこんな事を、と自分でも思う。それでも俺のせいで傷ついた人を、目の前で苦痛に悶える人を、俺は放っておけなかった。


「畜生! 包帯も添え木もねぇ! どうやって手当すればいいんだ!」

「その必要はありません。彼らは我々R.S.E.L.《ラジエル》機関が医療機関に中継し、介抱します」


 穏やかで静かな声が、背後から響く。振り返ると、何処かへと通信するディアドラがいた。

 心なしか、俺に対して処刑と告げた時よりも、敵意が和らいでいるような声色だった。


「ディアドラ!」

「勘違いしないで下さい。能力者を下手に病院に運べば、情報流出の可能性があるだけです」

「それでも、手伝ってくれるんだろう? ……ありがとう」


 ひとまず彼女の手も借りながら、俺たちは路地裏に倒れた複数人の傷を手当てした。出来る限りの処置が完了すると同時に、連絡を聞きつけた機関の人たちが駆け付けてくれた。


「糞が、情けのつもりかよ!」

「情けじゃない。これは俺がやらかしたことなんだから、当然だろう」

「偽善者が!」


 吐き捨てるように、運ばれていくチンピラたちは俺に対し恨み言を呟いた。

 偽善者か、確かにそうかもしれない。治療しても結局、俺があいつらを傷付けた事実は変わらないのだから。


「気は済みましたか? では再度問いましょう。なぜ力を使ったのですか?」

「それは、違う! 俺はこの力を、使いたくて使ったんじゃない!」


 尋問が再開される。見るとディアドラの手には、何か振り子のようなものが握られていた。

 手当ての合間に用意したのだろうか? 不思議な軌跡を辿っており、不思議な様相を見せた。


「……それは?」

「相手の持つロゴスを感知し、虚偽を見抜く道具です。相当の意力を消費するので、手短に済ませましょうか。

 さて、使いたくて使ったわけではない。なるほどこれは嘘ではないようで」

「意力? あ、ああ。俺は、アイツらを傷付ける気なんてなかった」

「ならばこの惨状の理由とは? 故意でないなら、そうならざるを得ない激情を抱いたとか」

「────ッ!」


 ディアドラの言葉に、俺はゾッとする寒気を覚えた。まるで、腹の底を見透かされたかのようだったから。

 俺はあの時、途方もない怒りと憎しみを抱いていたと思う。あいつらだけじゃなく、こんな事態を引き起こした、醒遺物フラグメントやロゴスという存在自体にまで、怒りを覚えていたかもしれない。

 ディアドラは注意深く、手元の振り子を凝視している。嘘は恐らく通じないだろう。ならば、あの時感じた全てを洗いざらい話すしか俺に道はなかった。


「確かに、そうだ。俺は奴らに、我慢できないほどの敵意を覚えた。

 奴らがこの街に潜ませた仲間たちを、暴れさせるって脅しをかけてきたから。

 だからどうにかして、俺が奴らを止めなくちゃいけないと、考えて……ッ! こんな事態を引き起こしたあいつらも、ロゴスも、全部消えろって……思ってしまった」


 言い訳にしか聞こえない言葉だが、紛れもない事実だからこそ、そうとしか言えなかった。

 ディアドラは手に持つ振り子を左右に振りながら、その軌跡を注意深く観察している。


「ふむ。なるほど、嘘は仰っていないようですね。重ねて聞きますが、その"街に潜ませた仲間たち"は、彼らの言葉でしたか?」

「あ、ああ。ハッタリかどうかは分からないが、確かに奴らはそう言っていた。仲間を潜ませ、いざとなれば暴れさせるって」

「……対策が必要ですわね」


 そう呟きながら軌跡を見終わると、彼女は結論を出したように頷いた。

 続けて先ほどと同じように、機関の人々へ連絡を取る。


「ロゴスによる被意志掌握者ありの証言を聴取。全部隊へ、調査・探索を願います」

「信じて、くれるのか? ありがとう! 本当に!」

「貴方ではなく、ペンデュラムを信じたまでです。貴方の言葉に、嘘はないようですしね。

 礼を言うのであれば、こちらこそ貴方のおかげで惨事を防ぐ事が出来ましたわ。本当にありがとうございます」


 ディアドラは穏やかな口調でそう告げた。先ほどまでの敵意が嘘みたいに、その纏う空気は安らかな心地を見せる。

 彼女が俺に対して、嘘偽りのない感謝を告げているのは明らかだった。だが、お礼を言いたいのはこちらの方だ。

 奴らの言葉が真実であれ嘘であれ、俺の言葉を信じ、この街に潜む脅威を取り除こうと動いてくれたのだから。


「ただそれでもまだ、貴方の疑いと危険性は消えておりませんが」


 だが安堵するのも束の間、彼女の纏うオーラが、即座に鋭利なものに戻る。一瞬のうちに、周囲が緊張で満ち溢れた

 それは例えるなら、幾つもの仮面を使い分けているかのような切り替えの速さだった。放つ気配も並みのものではない。

 その立ち振る舞いにふと、仕事人という言葉が脳裏をよぎる。自分より年下に見える彼女だが、無数の修羅場を経験したプロなのだと突きつけられたような気がした。


「能力を無意識に行使した。なるほど、力を得たロゴスの使い手にはままある事でしょう。ですが、それも問題です。

 力を使いこなせない破滅掌者ピーステラーなど、それは災害としか呼べません。下手な悪人よりも厄介です」

「そんな! 俺は奴らがこの街で暴れるのを、止めようとしただけで!」

「その結果貴方が、この街の脅威になっていた可能性もあるのですよ?」


 彼女の鋭い指摘に、俺は息を呑んだ。結果的に奴らの蛮行を止められこそしたが、その過程は確かに問題だった。

 俺の能力は詳細が分かっていない。それを制御できない状態に陥ったのは、確かに由々しき事態である。それでも俺は、自分の内に溢れる激情を抑えきれなかった。

 世界を滅ぼしかねない力を持っていることを考慮すれば、俺に言い訳の余地は微塵もない。


「その誰かを守ろうとした意志が、誤っていたとは決して言いません。

 ですが何も分からずに振るう力は、時にそれそのものが災厄となり得るのです」

「──────ごめん。俺が、何も考えていなかった」

「自分の起こした行為の大きさを、理解いたしましたか?」

「謝って済むことじゃ、無いとは思う。ただ自分のした事態の重さは、心から理解した」

「承知しました」


 謝罪する俺に対し、ディアドラは静かに目を伏せつつ頷いた。俺の手に架せられた手錠へと一瞥を投げかけながら、彼女は手にしていた振り子を懐にしまう。


 俺はここで囚われるのか? それとも殺されるのか? そう考えると俺は急に恐ろしくなって、先の自分が抱いた衝動を後悔した。一度は見逃してくれたっていうのに、何てザマだ。そんな自己嫌悪から俺は強く目を瞑る。せめて最後くらい、姉に別れを告げたかった。



 ──────と思っていたのだが、何時まで経っても拘束の衝撃や感触は起きなかった。



「あの、いったい何をしていらっしゃるのです?」

「え? いや、あの。連行か処刑されるだろうから、覚悟をちょっと」

「そのようなことをする必要はありません。貴方への処分は私の判断を以て、保留とします。

 貴方の“意志”は、この街に被害をもたらすものでは無いと判断されました」

「─────良い、のか?」


 俺の予想と異なり、ディアドラは俺の謝罪を聞くと同時に、俺に対する敵意を収めていた。

 刃のように突き付けられていた鋭い殺意が、急激に収束していくのを表情から感じ取れた。



 本当に、これでいいのか?

 そんな思いが、俺の胸の中にもやもやと満ちた気がした。

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