【一旦完結】破滅掌者の救誓譚〜神の力を手にしたから、日常の傍で世界を救う〜

第33話 愛は死よりも強く在れ

『幼子のために、己が命すら顧みず手を差し伸べるその姿！　己よりも、他者を優先するその在り方！

　その姿を一目見て、まさに貴様こそ英雄であると俺は確信した！』

「っ……！　こいつ、まだ早くなるのか？」

　暴風雨が形を取ったかのような素早さが、そこにはあった。

　目で追う事すらクリスの力を借りてやっとなレベルだ。こいつ、これほどの巨体を持ちながら、こんなにも早く動けるのか！

『故に俺は、英雄の敵対者たる姿で貴様と相対しているわけだが。よもや見込み違いか？　貴様は、英雄に値しないというのかァ！』

「……ッ！　気配が全然読めない！　クリス、もっと俺に力を！」

『渡している！　だが、これは────ッ！』

　まさか、クリスの力を以てしても奴の気配は読めないのか？　考えられる可能性としては、俺の実力不足か。あるいは、奴の力が純粋にクリスよりも上なのか。　そうとなれば、もう俺たちにはお手上げだ。

『さぁ答えを見せてみろ！　貴様は英雄かッ！　それとも否か！　その真骨頂をォォォッ！』

　奴の一撃が俺へ向かう。鋭利なる刃を束ねたような、何十もの牙が生え揃った顎が開く。

　それを認識した時には既に遅かった。文字通り、目の前に“死”が存在している。奴の速度が、俺とクリスの感知能力を凌駕したのだ。

　ここまでくれば、回避などもはや出来やしない。

「…………ッ！　畜生っ！」

　ここで終わるのか？　いやだ、ふざけるな、俺はまだ終わりたくない。そんな震えが再びこみ上げそうになった時、激しくも凛とした声が響いた。

「圧し潰せ──────“地盤席捲（ロックン・ロール）”！」

　声と同時に、室岡を中心に地面から岩がせりあがるように出現する。室岡は強靭な顎と爪を用いて岩に抵抗するも、全てが遅かった。

　岩石群は牢獄を形作るように、室岡の全身を包み込む。奴は精一杯にその岩石群に抵抗するが、虚しくも室岡は完全に岩石に覆われ、その身体の動きを完全に封じ込められた。

「ヨシ、と」

「ありがとう、ディアドラ。助かった」

「助かった、じゃねーンダよオイ。戦闘中に相手の言葉に耳貸すんじゃねぇ。意力に呑まれたらどうなるかって、美術館ン時さんざ体験したろうが、ええ？」

「え？　俺は、そんな」

「マ、始は素人だから大目に見るケド。なに言われても、相手の言葉は真に受けるなよ」

「……分かった。気を付ける」

　ディアドラの言葉の意味が分からないまま、俺はクリスと分離した。

　だが冷静になり、確かに俺は奴の言葉に惑わされていたと気付いた。奴が英雄だのなんだのと言いだした時点で、俺は奴の言葉をシャットアウトするべきだったんだ。そんな風に後悔していると、突然ディアドラが俺の方を向き、思い悩むような顔つきで言葉を切り出した。

「まぁ、正直その話は、俺も言いたい事があったンダがな」

「？　その話って？」

「貴方の持っている、その人助け癖の事ですわ。他人を優先する生き方、とも言えますか」

「──────っ」

　そう告げられて俺は、呼吸が止まるような錯覚を覚える。先ほどクリスが告げた「自分がない」という指摘が脳内で連想されたからだ。

　ディアドラの宝石のような両の瞳が、真っ直ぐに俺を捉えて離さない。その視線にはどこか、憐みが込められているように俺には思えた。

「貴方の持つ、他者のために行動できる在り方。それは素晴らしいものです。

　ですが後先を考えなければ、いずれ致命的な間違いを生む。そう伝えたくて、貴方を探しておりましたの」

「ち、致命的？　そこまで言うなんて……何があったんだ？」

「貴方のその人を助けたがる理由について、勝手ながら調べさせていただいたからです。

　始さんの持つ意志の根源を調べた結果、貴方には少なからずの自己犠牲への欲求があるのではないかと、分析させていただきました」

　自己犠牲、と言われて俺は否定しようとするが、あいにく否定材料が見つからなかった。

　俺は確かに、自分の事をあまり考えずに誰かを助けるのは事実だ。その結果、自分が危険な目に遭うのはしゅっちゅうある。

　先ほども、街を守るために生き残る手段も考えず、室岡の攻撃を受け止めようとしたのは事実だ。クリスにも指摘されたが、他人を優先し過ぎるのは、俺の長所でもあり短所でもあるのかもしれない。

「いや、俺は……」

「私の時も、振り返ればそういった部分があったと思います。

　貴方が誰かを助けようとするとき、自分の命よりも、その助ける人を優先しているきらいがある──────違いますか？」

「…………。それは──────」

「違うというのならば、誓ってください。人を助ける時は、まず自分の安全を確保してからだ、と」

　ディアドラから真っ直ぐに向けられた視線に、息がつまる。その表情には、どこか必死さが感じ取れるような気がした。

　おそらく、生きるか死ぬかという経験を多く積んだ彼女だからこそ、他人を優先する俺の行動理念は間違っていると主張したいのだろう。

　だが、今は──────。

「それよりも、今は室岡の無力化だ。あれほど奴が、この程度で倒れるとは思えない」

「そう、ですかね。以前の戦闘では、このロゴスで封じる事が出来たのですが」

「──────そうやって御身（おまえ）は、また結論から逃げるのか？」

　鋭利な声が、刺さるように俺の背後から響いた。

　振り向くと、クリスの冷淡な視線が俺へと向けられている。その視線の意図を推理する俺に、クリスは呆れたような口調で続けた。

「御身（おまえ）は常にそうだな。自分にとって都合の悪い問いからは、すぐに逃げようとする」

「……どういう、事だ？」

「"自分が誰のために生きているか"。そのに答えを出す事から、逃げていると言いたいのだよ。痴れ者が」

　クリスの言葉には、どこか苛立ちが含まれているような気がした。そんな彼女につられるように、俺も苛立ち気味に答えてしまう。

　これでは売り言葉に買い言葉となってしまうと理性では思いながらも、クリスのその言葉を聞き流す事は俺には出来なかった。

　何故だか知らないが、彼女のこれから語る言葉を無視しては、いけないような直感があったからだ。

「御身（おまえ）は今、揺らいでいるのだろう？　自分の人生が己のものか、他者のためなのか、とな。

　自分も他人も、死ぬのが怖い。利己主義と利他主義の狭間に立っている。それが今のお前だ。だから他人の為に命を投げ出そうとし、そのくせ死にたくないと泣き言を漏らす訳だ」

「んなの、当たり前だろ。生きている以上死にたくはない。けど、目の前で誰かが死ぬのを、簡単に見過ごせる奴もいないだろ」

「御身（おまえ）の場合、思慮もせずに自分の命すら投げ出そうとするのが問題なのだ」

　クリスのその言葉は、どこか怒りを孕んでいるようにも聞こえた。

　先ほど繁華街で口論した記憶が想起される。あの時俺は、他人のためだけの空虚な人生という言葉に怒りを覚えた。

　その時のクリスへの反抗心が、再び沸々と湧き上がるような気がした。

「何故考えずに行動をする？　それはお前が、答えを出す事から逃げているからだ。"自分"か、"他人"か。どちらを優先して生き、助けるか、という解からな。

　現に先の戦闘でも、お前は身を挺して他者を守ろうとしただろう。自分がどうなるか、後から後悔した癖にな」

「…………っ」

「問いから逃げ続ける理由は……おおかた、己も他者も大事だから、か？

　幼い身で死の光景を突き付けられたのだ。ああ死にたくないと思うだろうさ。同時に、他人を失いたくないと思うのも理解できる。

　だが、人は万能ではない。二者択一を迫られる場面は多い。にもかかわらず、お前はどちらにも目を向けず、思考を停止させ、ただ"助ける"という行為に躍起になっている。

　それは逃避でしかない。御身（おまえ）は自分からも他人からも、逃げ続けている臆病者だ」

「っ！！　俺が意志薄弱だって言いてぇのかよ！？

　自分か他人か、どっちを優先するかも決められない人間だって言いてぇのか！？」

「その通りだが」

　クリスの冷淡な口調が響く。対して俺の鼓動は早まり、緊張が全身に走っていた。

　苛立ちを隠しきれず、今にも掴み掛かりたい気分だ。何故だ？　クリスが無遠慮に俺を探るからか？　俺を否定するから？　あるいは────。

「図星、か？　答えを出せば、他人のためにしか生きられない、己の生である意味はないと突き付けられる。そう心の奥底では、分かっているのではないか？

　故に、己の人生は己のためであると反論すら出来ないと」

「そもそも！　俺のどこが、答えから眼を逸らしているっていうんだよ！　確かにさっきのお前の問いには、答えられなかったけど……！

　けどだからって！　それを逃げだなんて言われる筋合いは──────ッ！！」

「あの室岡とかいう男に、英雄らしいと言われ不自然に気を逸らしたのは何故だ？」

「…………ッ！」

　クリスの指摘に口が渇く。視線の焦点がブレ、震えが全身に奔る。

　なぜ俺はあの時、室岡の問いから意識を逸らした？　その答えが見つからない。問いかけが俺の中で渦を巻き、ループし、そしてただ漠然とした不安になって俺を埋め尽くしていく。

　何だ、この感覚は？　分からない。分からない事が、怖い。答えが見つからないままに、俺は目の前のクリスを見て、ただ沈黙するしか出来ずにいる。

　これじゃあまるで俺が、クリスの問いかけに恐怖しているみたいじゃないか。

「自己犠牲の精神を礼賛され、御身（おまえ）は何を思った？

　否定したかったのだろう。しかし、否定しきれない。自分を他人より優先すると、言い切れない。

　だから御身（おまえ）は気を逸らした。御身（おまえ）が彼奴（あやつ）の速度を捉えられなくなったのは、当然の帰結だ」

「……違う。俺、は……っ！」

　違う、違う違う！　俺は答えから逃げているんじゃない！

　俺は……、俺は誰かのためだけに生きる人間じゃない！

　俺は……俺が生きる意味は──────！

　そう叫びたかった。

　だが、俺の口から言葉は出なかった。まるで、中身のない伽藍の洞のように、ただ沈黙しか俺には許されなかった。

　そんな現実を突き付けられ、クリスの言葉が脳裏に反復する。お前の人生は、他人のためだけの空虚な人生だと。

　俺はそんな事実に歯向かうように、ただ怒りを募らせて拳を握る。だがその姿は、今思えば癇癪を起こした子供にしか見えなかった。

「御身（おまえ）の意志は未完成だ。他者か己か、どちらも大事などという軟弱な思想がまかり通ると思うな！

　我が破滅掌者（ピーステラー）だというのなれば、小童が如き世迷言など、蹴散らしてから吾輩（わたし）を握れッ！」

「好き勝手言ってんじゃねぇ！　人のトラウマ勝手に掘り返しやがって！」

「よしてください始さん！　クリスさんも言い過ぎです！」

　反射的に拳を握り締めていた俺を、ディアドラが間に入って止めた。

　……ッ！　そうだ。俺も頭を冷やせ。こんな言い争いをしている暇はない。こいつに対して熱くなっても、何も解決するわけじゃないんだ。

　今は室岡を無力化しなくてはいけないんだ。

「……言い過ぎた、か。あまり鋭い言葉で指摘するのも、考えものか」

「こっちこそ、少し熱くなり過ぎたよ」

「話を元に戻しますが、よろしいでしょうか？

　クリスさんの言葉は言いすぎでしたが、私が始さんを心配な事も事実です。貴方は他者よりも、自分が大事だと言い切れますか？

　このままでは、貴方が他者のために命を投げ出さないか。気が気でありません」

「心配してくれるのは嬉しいけど……。なんで、そこまで俺の事を？」

「私が貴方を、こうしてしまったから。その一点に尽きます。

　私のせいで、貴方はロゴスの世界を知った。貴方は力を手に入れてしまった。それらは全て、私の責任です。

　故に、貴方がロゴスで誰かを助ける際に、貴方が命を投げ出したら、それは私が貴方を殺したも同義となります。……そうなるのが、私は怖いのです」

　そう告げる彼女の声は、消え入りそうなか細い声だった。

　恐怖を感じているその感情は、嘘ではないだろう。見るとその手が、小刻みに震えているのが見える。

　彼女は本当に、心から俺が死ぬのを恐れているんだ。俺が力を得た事で、浅慮に力を使い、そして自滅するという未来が来ることを、恐怖している。

　──────それは、彼女が俺に対して、責任感を抱いている事の証左であった。

「……ディアドラ」

「だから、約束出来ますか？　命を投げ出してまで、誰かを助けるような事はしないと」

「……っ。俺、は──────」

　俺はディアドラのその問いに、肯定を返す自信が無かった。

　クリスの言う通り、俺は自分の死に恐怖している。両親の命が失われる光景を、目の前で見せつけられたからだ。

　でも、だからこそ他人の命の重さも承知している。だから自分の死への恐怖が、誰かを守りたいという気持ちに負ける可能性を、俺は否定しきれなかった。

　死ぬのは怖い。けど同じくらい、誰かが死ぬのも怖い。

　そんな堂々巡りの中、答えが分からないままに沈黙が過ぎていく。

　その沈黙を破ったのは、俺でもディアドラでも、そしてクリスでも無かった。

『敵に背を向けるは、首を撥ねてから。そう教わらなかったかァ！？　間抜け共がァアッ！』

　積みあがった岩石の隙間から、不気味な鳴動が木霊した。

　考えるよりも早く、俺はクリスと一体化し戦闘に備える。だがそれより早く、鋭い爪先がディアドラを射抜かんと向かう。俺は無我夢中のままにそれを止めようと、全霊で腕を振るって軌道を逸らそうとした。ディアドラもその全身をバネのように駆使し、攻撃を避けようと全力を尽くす。

　だが、室岡の攻撃は余りにも不意打ちで、そして早すぎた。俺は全力で軌道を逸らした。ディアドラも全力で回避した。にも拘らず、室岡の爪は彼女の肉体を深々と抉り削った。

「──────ッ！！　ディアドラぁあああああああああっ！」

「まったく。死の覚悟すら出来ていない半端者に、トドメも刺さずに背を向ける小童か。

　俺の眼は節穴であったか。どいつもこいつも、英雄には程遠い。萎えたわ」

「お……前ええええええええ！」

「血気盛んは良い事だが、蛮勇は好かん」

　竜の姿から半分人間へと戻った室岡は、気だるげに俺の攻撃を片手で払った。鉄骨の如く硬いその腕を前に、俺は叩き伏せられる。

　ダメだ。フィジカルの桁が違いすぎる。どうすれば倒せるのかと思考を巡らせていると、室岡はため息をつきながら告げた。

「フン。誰かのために激情は出来る、か。なるほど英雄としての素質はあるが、覚悟がまだ足りぬ。

　これはいかんなぁ。有望な若者の才を伸ばすのは、年長者が務めというものよ！」

「何が言いたい……ッ！」

「お前が英雄になるきっかけを、作ってやろうと言っているのさ」

　室岡が口を三日月状に吊り上げて不気味に笑う。吐き気を催すような悍ましい笑みだった。

　だが、そんな悍ましさは本質じゃない。コイツの真なる悍ましさは、外面ではなく内面にある。それを俺は今まさに突き付けられようとしていた。

「今宵20時、かの美術館のある公園にて待つ。英雄としての試金石たる場だ。この俺を殺しに来るが良い。

　貴様が来なかったり、俺に負けたりすれば──────。俺はこの街を、跡形もなく地図より消滅させる」

「！？　ふざけんじゃねぇっ！　この街の皆は、なにも関係ねぇだろうが！」

「故にこそ、だ。貴様を英雄として完成させるための、贄となってもらう」

「待てェ！！」

　怒りに任せた俺の渾身の攻撃は宙を切り空振りする。

　歯噛みするしか出来ない俺を見下しながら、嘲笑いつつ室岡は俺の目の前から姿を消した。

　逃げるなと叫びたかった。怒りをぶつけたかった。

　だがすでに、俺の目の前に奴はいない。

「畜生……！　畜生ォッ！」

　俺は天に向かって吠えた。何もできない無力さを、俺は再び突き付けられた。

　だが、悔いてばかりでは始まらない。今はやるべきことがある。

　俺は地面に倒れ伏すディアドラを抱え上げ、携帯端末からR.S.E.L.機関へと連絡しつつ、彼女の応急処置を試みた。