第67話 歌姫達の二重唱
異世界に召喚された翌日。
由季はアドルト王に促され、城のバルコニーからドゥエル王国民に顔見せさせられた。もちろん彼女が望んだ事ではない。
よく眠れなかった由季は欠伸を噛み殺すのに必死で、隣りで国民に呼び掛けるアドルト王の言葉さえ殆ど聞いていなかった。
———昨夜、由季はもう1人の歌姫に向けて歌ってみた。
警護の兵士に見つからぬように歌った声は夜空に吸い込まれただけで、何の返事も返ってこなかった。
『夜だし、寝てたかもしれないね』と、小鳥を通じて王弟のアーベントは励ましくてくれたが、そもそも由季は自分に特別な力があるとは、未だ信じられなかった。そうこうしているうちに夜が明け、ほとんど寝られないうちに顔見せをさせられたのだ。
「まだ歌姫はこの世界に慣れず、お疲れのようだな」
幸いな事に、アドルト王は明らかに体調の悪い由季を見て、早々に解放してくれた。
与えられた部屋で1人になり、彼女はホッと息を吐く。同時に焦りも感じていた。
今はまだ猶予があるが、いずれ王に望みを叶えろと要求されるだろう。
それがアーベントの言う通り殺人だった時、自分は跳ね除ける事が出来るだろうか。
彼女の不安は、目が覚めたら小鳥がいなくなっていた事も関係していた。
部屋に出入りする侍女達に不審がられないように消えたのだと思いたいが、確証は無い。
また自分が異世界で独りぼっちになった気がして、ますます気分が滅入ってくる。
由季は昼食を食べた後、横になりたいからと侍女を退室させ、昨夜の寝不足もあって夢も見ずに眠った。
それからどのくらい経っただろう———
ピ、ピピピッ、ピッ
聞き覚えのある鳴き声に、由季はハッと目を覚ました。
暗い窓の外に、昨夜と同じ白い小鳥がいた。
急いで窓を開ければ、小鳥はそこが定位置であるかのように、由季の肩に止まる。
『遅くなってすまない、ユキ』
アーベントの声が小鳥から聞こえた。
由季はその声にホッとする。
『昼間は僕の行ける範囲で、君をここから連れ出してくれる協力者がいないか探していた』
「誰か見つかったの?」
『ああ。どうやら市井の革命軍が動きそうだ。彼らが信用に足ると確信が持てたら、接触してみる。ユキの方はどうだい? もう1人の歌姫から接触はあったかい?』
「ううん、まだ何も……」
そもそも自分の歌声が届いたかも、由季には分からない。
藁にもすがる思いだが、今はアーベントが接触しようとしている『革命軍』とやらが気になった。
『革命軍』が標的とするのが今の王政なら、王弟であるアーベントも無関係ではいられないだろう。
「接触して大丈夫なの? あなたの正体がもし分かったら……」
『そこは利用させるさ。交渉の余地があって、僕に利用価値があればだけれどね』
自虐的な言葉に、由季はなんと言って良いのか返答を躊躇う。
アーベントはそんな彼女の様子にすぐ気づいた。
『ああ、すまない。君は僕の身を案じてくれたのにね。でも実際まだ身体が動かせないんだ。目が見えないのは元からだけど、今はこの状態がもどかしいよ』
「無理はしないで」
『ありがとう。したくても出来ないから大丈夫だ』
「…………………」
『ユキ?』
「あなたは、国王が——お兄さんが捕らえられても平気なの?」
由季はこの世界に来て間もないが、アドルト王がこの国において絶対的な支配者だと言うことは、臣下への対応で理解した。
それを打ち崩すのに、平和的な方法は難しいだろう。
だとすれば、実力行使でアドルト王を引き摺り下ろすしかない。
『仕方ないと思っている。兄上は敵を作りすぎた。弟である僕も同罪だと言うのなら、ユキをここから解放した後で大人しく罰を受けるよ』
アーベントの声は諦めではなく、決意だった。
実際、幽閉同然の彼にいかほどの罪があるのか由季には分からないが、王族としての覚悟は感じ取れた。
しばしの沈黙が由季とアーベントの間に流れる。
進展がない以上、密談を長引かせても仕方ないと、彼女が口を開いた時だった。
「! 聞こえる」
『え?』
それは、最初は微かに彼女の耳に届いた。
僅かに開けた窓に近寄り、暗闇に耳を澄ます。
あまり不審な動きは出来ない。
昼間窓から外を見て気づいたが、ここは城の上階で、外の庭園に立つ兵士が数人、しっかりこの部屋を見張っていた。
おそらく、夜になった今でも見張られている事だろう。
「っ!」
集中した彼女の聴覚がメロディーを拾った。
それは自分が、もう1人の歌姫に向けて歌った曲だった。
自覚すると歌声はより鮮明になり、男性の声だとハッキリと分かる。
「聞こえる………これが、あなたの言っていた、もう1人の歌姫?」
『僕には何も聞こえないが』
「そうなの?」
小鳥は由季の肩の上で、キョロキョロと頭を動かしている。
彼女にだけ聞こえるのなら、この歌声は脳内に響いている事になる。
『………こえる? 聞こえる?』
今度は歌声に重ねて、男性の声が聞こえた。
しかもその言葉は、つい先日まで耳馴染んでいた日本語だ。
思わず由季も彼の声に合わせ、昨夜のように口ずさんでいた。
『っ! 聞こえた、歌が聞こえたよ! 君がもう1人の歌姫だね!』
嬉しそうな驚きの声が脳内に響いた。
自分の歌声は確かに今この人に届いてるんだと思うと、由季の顔にも自然と喜びの笑みが浮かび、勢い込んで『もう1人の歌姫』に脳内で呼び掛けた。
『そうです! あなたも歌姫ですよね!?』
『ああ、俺はオッサンだけどそうらしい。昨日の君の歌、ちゃんと届いたよ。返事が遅くなってすまない』
『いいえ、いいんです。良かった………』
『もう1人の歌姫』も由季と同じ経緯で召喚されたのなら、当然本人の意思でこの世界に来たわけではない。自分と同じ境遇で、理解し合える同胞がいると言う事実が、彼女の沈んだ心に光を差し込む。
『あ、自己紹介がまだだったね。俺は山田由一朗、こっちではユイって呼ばれている』
『私は馬宮由季です。ユキで大丈夫です』
『ユキちゃんか。早速だけど、アドルト王に嫌な事されてないか? 兵士に蹴られたりとか、殴られたりとかは?』
『それは今のところないです』
『そうか、なら良かった……』
心底ホッとした声でユイが安堵した。
由季は昨日アーベントから聞いた話を思い出す。
『兄上は男だというだけで、確かめようともせず、彼を魔物の棲まう森に置き去りにした』
彼が親身になって案じてくれたのは、彼自身が過去に受けた仕打ちのせいだと気づき、由季の胸が痛んだ。
『ユイさんこそ、大丈夫なんですか? 召喚した歌姫が男だから、魔物の森に置き去りにされたって話、聞きました』
『心配してくれてありがとう。死にそうにはなったけど、森のエルフ族に助けられてさ、それからここで生活している。今は安全だし幸せだよ。だから俺の事より君の、ユキちゃんの事だ』
『……………………』
『ユキちゃん?』
『……………本当に、助けてくれるんですか?』
『ああ、絶対だ。絶対に君を助ける!』
『っ!』
いつのまにか瞳に溢れた涙が頬をつたい、由季の歌声が揺れる。
それが向こうにも伝わったのだろう、力強い宣言から一転、
『大丈夫だ。少し待ってて。救出作戦が動いているから、君はもう1人じゃないよ』
と、優しい声で彼女を励ます。
『…………待ってます。あと、私、1人じゃないです』
『誰か君といるのか?』
『王様の弟だって言う、アーベントさんです』
『!?』
由季はユイにアーベントとのこれまでの経緯を伝えた。
『もう1人の歌姫』と接触しろと助言してくれた彼は、自分の味方だと思うし、信じたい。
ただ決め手に欠けるので、他人の意見が欲しかった。
『…………そうか。アドルト王は、自分の弟の魔力を召喚に使ったのか………』
『だから、あの、出来たら彼も一緒に助けてください。アーベントさんの話が全部本当なら、このままお城に残すのは可哀想です』
『うん。革命軍も彼に接触したいと思っているだろうから、俺が伝えておく』
『お願いします』
事態は動き始めた。
それが良い方へか悪い方へか、由季には分からないが、もう留まる事が出来ないのは確かだ。
最後にユイは『これはムジカ——エルフの族長からの提案なんだけど』と前置きした上で、
『もしアドルト王に歌姫の力を求められたら、人々の傷とか病気とか癒す方向で、力を使ってみたらどうだろう』
と言った。
『そんな事、私に出来ますか?』
由季はまだ、自分がそんな奇跡を起こせる存在か、半信半疑だった。
『現にこうして俺と話してるじゃないか。スマホもないのに』
おかしそうにユイは笑った。それもそうかと釣られて彼女も笑う。
彼との会話は由季の心を確実にほぐしていく。
『私、人殺しはしたくないです』
ぽろりと、本音が溢れた。
たとえ自分にどんな力があっても、これだけは絶対に出来ない。
そのラインを踏み越えてしまったら、きっと自分は正気ではいられない。
それが今、由季が一番恐れている事だ。
『うん。俺がさせないよ。って、なんか偉そうに言ってるけど、実際に君を救いに行くのは革命軍とゼルドナ王国の兵士達だ。アドルト王の狙いは俺だから動くなって。でも、絶対助けるから、それまで時間を稼いで欲しい』
『………分かりました。私はユイさんを信じたいです』
『ありがとう、ユキちゃん』
お礼を言わなきゃいけないのはこちらの方なのに、ユイはどこまでも由季に優しい。
2人の歌姫の二重唱は闇の中で絡み合った後、静かに解けた。
『ユキ?』
歌い終えた彼女を、小鳥——アーベントが心配そうに声をかけた。
由季は視線を小鳥に合わせ、はっきりと彼に告げる。
「アーベントさん、あなたにやって欲しい事があるの」
その声に、もう迷いや憂いはどこにもなかった———
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