第65話 オッサンともう1人の歌姫

それはムジカと「おやすみ」の挨拶を交わし、2時間ほど経った頃だった。

すっかり眠り込んでいた俺の耳に、歌声が聞こえたのは———


最初は夢かと思った。

微かな音は、まるで脳内で響いているようだったから。

それに聞こえてきたのは、元いた世界のテレビ等で良く流れていた歌だ。

この異世界で聞こえるはずがない。

だから夢を見ているんだと、俺がそう結論づけた次の瞬間———


『………けて、たすけて、助けて』


歌に混線するように、悲鳴にも似た少女の声が同時に聞こえた。

しかも、日本語だ。

俺ははっきりと目を覚ます。

起きたのに、歌も少女の声も消える事なく聞こえ続けている。


「夢、じゃない………」


良く耳を澄ませて聞いてみれば、歌声も少女のものだ。

この世界には録音機器は無かった筈だ。となると———


「君も『歌姫』なのか!?」


しかし歌も声も俺の問いに答える事なく、程なくして消えた。

夢ではない。確かにこの耳に聞こえた。

俺と同郷の少女の声。


「………眠れないのですか? ユイ」


俺の声で眠りを妨げられたのか、ムジカが心配そうに覗きに来た。

目が覚めるほどの美貌が、今はしょぼしょぼして可愛らしいが、それを堪能する余裕は無い。


「ムジカ、俺の他にも『歌姫』が、女の子が召喚されたかもしれない………」

「! 本当ですか!?」


さすがにもう1人の『歌姫召喚』は、彼の頭を覚醒させたようだ。

俺は頷き、さっきの出来事をムジカに話した。



「…………確かに、森の結界をものともせず、ユイだけに声を伝えるとなると、通常の通信魔法では無理ですね」

「それに、彼女は俺と同郷だ。この世界の言葉じゃなく、日本語で俺に助けを求めてきた」


この世界に来た当初から、召喚特典なのか、話し言葉や読み書きで困る事はなかった。

日本語で話しても書いても勝手に翻訳され、ムジカ達の言葉も違う言語だと認識しながら日本語で聞こえた。

最初のうちは自動翻訳付きで生活していた俺だが、今はこっちの世界の言語を習得しつつある。

俺はそんなに頭がいい方じゃ無いから、これも召喚特典なんだろう。


少女の声はそういった翻訳フィルター無しで聞こえたから、俺と同じ日本人なのは間違いない。


「ラヴァンドに伝えてきます」

ムジカは少し考えた後、俺にそう告げた。

「こんな夜中に、迷惑じゃないかな?」

今更ながら心配する俺に、ムジカは首を横に振る。

「『歌姫召喚』が事実なら事態は急を要します。ユイの勘違いならそれで良し、杞憂であることを望みますが」

「そうだな………」



その後、ムジカが外出して、戻ってくるまで1時間ほどかかった。

ラヴァンドに『歌姫召喚』の可能性があると伝えたところ、念の為ゼルドナ王国側にも伝えた方が良いと、近衛騎士団長の耳を通して連絡したそうだ。


真夜中の緊急連絡に、プテウス王は当然驚いた。

しかし事が『歌姫』関連なだけに、ドゥエル王国に送り込んだ間者に真偽を探らせるとの返事を貰った。


次に、先日欠損した指をムジカに擬似指で修復してもらった後、再びドゥエル王国入りしたダスクにも連絡をとった。

まさに寝耳に水をかけてムジカが叩き起こしたそうだ。

その対応にブーブー文句を言っていたらしいが、一応情報収集はするとの確約をとった———いや、実際はムジカが「次は水ではなく熱湯を注ぎますよ」と脅したらしい。


ともかく今は真夜中で『歌姫召喚』の情報源が俺しかない。

朝になるまで行動を起こすのは難しいという事で、とりあえずムジカにもう一回眠るよう促された。

確かに彼の言うとおりだ。

これが俺の気のせいで、朝目覚めて「やっぱり何もなかった」なら一番良い。

騒めく心を宥めながら、俺は再度眠りについた。


しかし翌日、俺の懸念は現実のものとなってしまった。



『おい! アドルト王が『歌姫召喚』を正式に公表したぞ!!』

『歌姫様! ドゥエル王国で『歌姫召喚』を成功させたとの一報が!!』


ダスクの耳と近衛騎士団長の耳から、ほぼ同じ情報が同時に入ってきた。

これで昨夜の歌声の主が確定してしまった。


まだ滞在中だったクヴェレ王子を加え、エルフの大人達が集まって緊急会議が我が家で開かれた。

もちろんダスクと近衛騎士団長の耳も参加し、団長の耳の向こう側にはゼルドナ王国のプテウス王も待機している。


『『歌姫』の件を、アドルト王は兵士を使って民衆に触れ回っている。実際、城の露台から王と共に『歌姫』が顔を見せた。あれは……16、17歳の女だな。ユイと同じ黒い髪と瞳をしていた』

「様子はどうだった? どこか怪我をしているとか、具合が悪そうだとか……」

ダスクの報告に、俺はたまらず口を出す。


やっぱり昨夜の歌声は『歌姫』の少女だったと、俺は確信した。

しかも10代後半とか、俺の感覚じゃあ、まだ子どももいいところだぞ?

それを『召喚』という名目で誘拐するなんて、アドルト王の行為には怒りしか覚えない。


『表向きだけかもしれないが、無碍にされてる感じはなかったな。服も綺麗なドレス着せられて、あの王様が恭しく手を引いていたし。まあ、『歌姫』の表情に笑顔はなかったが』

「ユイの失敗で学習し、懐柔作戦に切り替えたわけですか」

ムジカはダスクの報告を苦々しく聞いていたが、俺は少しホッとした。


とりあえず、俺のように酷い目に遭っていなければ良い。

だが、彼女が王の意に反すれば、扱いは悪い方に変わるだろう。

その前になんとかしないと———


「アドルト王が最初に『歌姫』を使って何をすると思う?」

ラヴァンドが集まった皆の顔を見回して尋ねた。


「普通に考えればゼルドナ王国襲撃だな」

「ああ、俺もそう思う。それが狙いでわざわざ『歌姫召喚』したんだろうし」

「しかし、こちらにはユイがいるぞ」

「そもそも反撃が来るかもしれないのに『歌姫』を使うか?」

「あー、じゃあ今回の『歌姫召喚』は単なるアドルト王の牽制ってことか?」


『私がアドルト王の立場なら、まずはこちらの歌姫様を消すであろうな』


プテウス王の一言で、騒ついていた室内がしんと静まり返る。

そして視線が一斉に俺に集中する。


「最初に彼女の——『歌姫』の声を聞いたのはあなたです、ユイは彼女をどうしたいですか?」


静かに、ムジカが俺に問いかける。


………………プテウス王の言葉が、俺の頭の中で繰り返される。

『歌姫召喚』の1回目はゼルドナ王国に対する戦力としてだろうけど、今回はそれに加えて明らかに俺対策の意味もある。

あの王様ならどんな手を使ってでも、少女に俺を殺させようとするだろう。

このままなら、きっとそれは避けられない、

だから俺は———


「難しいかもしれないけれど、俺は彼女を助けたい。手を貸してくれないか?」


そう、この場に集ったみんなに、頭を下げて懇願していた。

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