第38話 オッサンと残された想い 2
「……良いんですか? デフィ。こう言っては何ですが、故人の想いを暴くような真似をして」
俺の困惑を代弁するかのように、ムジカがデフィに問い質した。
「これが自己満足だとは分かっている。しかしヒトよりオークより、長く生きているムジカなら分かるだろう? 永遠に会えなくなった者との思い出の中で『こうすれば良かった』と後悔した事は無いか? 全く無いとは言わせないぞ」
「それはまあ………分かりますが」
渋々ながらもムジカが頷く。
「ただ納得したいだけなんだ。私はチヤコがこの世界で幸せに暮らせるよう努力はした。だけど最期まで彼女の一番の望み——元の世界に帰るという事だけは、どうしても叶えてやれなかった………」
「だから、チヤコさんが生前ちゃんと幸せだったか確認したいと?」
「ああ。そういう事だ、ユイ」
俺は手渡された日記に目を落とした。
書かれていた文字は日本語だった。デフィ達オークに読まれる事を想定していないそれに、偽りの気持ちは書かないだろう。
デフィの方を見ると、彼は覚悟を決めているようだ。
そこに何が書かれていようと、受け止める覚悟を。
「本当に、俺が読んでしまって良いんですね?」
「もちろんだ」
俺は再び日記に視線を移し、その冒頭を口にした。
「『ここに来てもう一年は経っただろうか。母さんや芳子は今も元気で暮らしているか、正雄さんは戦地から無事に帰ってきたか、それだけが気がかりだ。最初は恐ろしくて仕方なかった彼らの言葉も、今では少しだけ分かるようになってきた。何か書くものをと言ったらこの日記を貰った。ここで紙は貴重な物らしいから大事にしよう』」
そこでいったん口を閉じ、デフィを見る。
「ああ、そうだ。彼女は早くに父親を亡くし、母親と妹と暮らしていたと聞いた」
「この『正雄さん』と言うのは?」
「初めて聞く名だ。チヤコから聞いた事はない」
「……そうですか」
それから俺は日記の朗読を再開した。
チヤコさんは自分の気持ちを多く語らない質なのか、もしくは紙の節約のためか、以降は日々の記録が淡々と続く。
『マレビト』は、俺のように最初からこの世界の言葉は分からないらしい。
初めて知る単語の意味なども書かれていて、日記と言うより備忘録のようだ。
それでも時折———
『ここにも稲に似た植物があるらしい。デフィさんにお願いしたら田んぼを作ってくれると言った。うまく育てられるか分からないけれど嬉しい』
『この世界の洋服は着慣れないから着物を仕立てた。デフィさんがたくさん布をくれたので、デフィさんとお隣りのマルテさんとルーナちゃんの分も作った。みんなとても喜んでくれた。良かった』
『今日は夕焼けが綺麗だった。私がここに来て二年は経った。母さんと芳子は元気だろうか。正雄さんはどうしているか。考えていたら久しぶりに涙が出た』
記録の合間に、ぽつりぽつりと彼女の心情が垣間見えた。
俺はチヤコさんの日記を淡々と読み、デフィとムジカはそれを黙って聞いている。
これは彼女個人の日記ではあるけれど、同時にデフィ達オークとの思い出の記録だった。
一回目の稲作が失敗した事、お隣りのルーナに弟が産まれてお祝いした事、デフィとの初めての口喧嘩と仲直り、自生していた梅や紫蘇に似た果実や植物で梅干しを作った事、デフィに連れられてゼルドナ王国のお祭りに行った事———
大事件は起こらず、淡々と平和なオークの村での生活が綴られていく。
その隙間に『家族』と『正雄さん』への想いが挟まれる。
『正雄さん』との関係性は語られていないが、チヤコさんにとって家族と同列にする程大切な人だったのは間違いない。
彼女の日記は時が進むにつれ、元の世界に関する記述は少なくなっていく。
それでも全くなくなったわけじゃない。
読み進めていくうちに、日記のページも残り少なくなってきた。
「チヤコさんの日記はこれ一冊だけですか?」
「そうだ。私はヒトの街でもう一冊買ってくると言ったんだが、その前に必要なくなってしまったな」
そう言うと、デフィは寂しそうに目を伏せた。
俺は最後のページに目を落とす。
綺麗だった彼女の字は、この頃には弱々しく、ともすれば見づらくなっていた。
でも、そこにデフィの求めていた答えはあった———
「『今日も起き上がることが出来ない。少しづつ死期が近づいている事を実感する。死んだらこの魂は自由にどこにでも行けるのだろうか。もしそうなら帰りたい、懐かしい家族とあの人の元へ』」
デフィが小さく息を飲む気配がした。
「『けれど最後のわがままが許されるのなら、どうか私の魂を二つに割って一つは日本に、もう一つはここに残して欲しい。この世界も確かに私の居場所なのだから』」
俺は日記の最後の一文を読み終え、デフィにそっと返した。
彼はぎゅっと目を瞑り、何かを堪えるようにチヤコさんの日記を抱き締める。
デフィは、チヤコさんに好意以上の感情を抱いていたのだろう。
逆にチヤコさんから彼への感情は、日記の情報だけでは俺には分からない。
けれど彼女が故郷と同じくらい、この世界を愛していた事はきっと真実だ———
「ありがとう、ユイ。これで長年の胸のつかえが取れた」
顔を上げたデフィの瞳は微かに潤んでいたが、何か吹っ切れた表情をしていた。
「私が死ぬのはまだ先だが、その時までチヤコの気持ちが変わらないのなら、きっと彼女に会える。そう思ったら、少し楽しみになったよ」
死ぬのが楽しみだなんて縁起でもないが、その考え方は分からなくもない。
愛する者の死後、残されて悲しみの暗闇の中にいる者にとって、それが生きていく上での希望の光になる。
それを否定する程、俺は若くもない。
「デフィ。ちょっと良いですか?」
部屋の外から村長を呼ぶ声が聞こえる。
日記まるまる一冊分の朗読だ。この部屋に来てから二時間以上は確実に経っているだろう。
デフィはチヤコさんの日記を元の場所に仕舞うと、何事も無かったかのように、彼を呼びに来たオークの女性に対応した。
「デフィ、そろそろお開きの時間ですけど、片付けはどうします?」
「もう遅いから片付けは明日にしよう。今日はこれで解散だと、皆に伝えてくれ。私もすぐに行くから」
「はい。じゃあ明日は早めに来ますね」
「ああ、お疲れ様。余ったご飯やお惣菜は、少しだけ残して後は皆で分けてくれ」
「分かりました。エルフの皆さんのお部屋の用意はしてありますので」
「そうか、ありがとう」
オークの女性が立ち去ると、デフィが俺達に振り返る。
「二人とも、私の我儘に付き合わせて悪かったね」
穏やかな声で言う彼は、既に『オークの村の村長』の仮面をきっちりと被っていた。
デフィは心にチヤコさんを住まわせたまま、これからもこうして生きていくんだろう……。
「私は皆の様子を見に先に行くから、ユイ達はゆっくり来てくれ」
彼はそう言うと早足で広間に向かった。
しかし俺達もモルソとミィナを置いてきてしまったから、のんびりしてるわけにもいかないか。
モルソはあの調子だと今頃酔い潰れてるに違いないし。
ミィナならモルソの扱いに慣れているだろうが、酔っ払いの対処を彼女一人に任せるのも心苦しい。
俺がムジカに声を掛ける前に、後ろから服の背中を引っ張られた。
「ムジカ?」
振り向くと、彼が何とも言えない表情で俺を見ていた。
ムジカの方がずっと歳上なのに、綺麗な瞳が迷子の子どものように揺れている。
そういえば、俺がチヤコさんの日記を読んでから、ムジカが無言だった事に今気付いた。
「……もし、もしもの話です」
二時間ぶりに聞いた彼の声は、少し掠れていた。
「ん?」
「ユイが、どこにでも自由に行けたら、元の世界に帰りたいですか?」
「………」
服を掴む力がグッと強くなった。
………正直、考えなかったと言えば嘘になる。
俺が歌姫で、その力で様々な奇跡を起こせるのなら、異世界の壁だって壊せるんじゃないかって。
でも元の世界で歌姫の力が発揮されなかった事を思い出し、俺は冷静になった。
それにあそこに思い出はあるが執着は無い。
「俺はここにいるよ、ムジカ」
その瞬間、曇っていた彼の表情がまさに花開くように、パッと笑顔に変わった。
俺が考える以上に彼に好かれていたのだと思うと、どうにも照れ臭くなって頰が熱を持つ。
「———あ、すみません! 変な事を言ってしまって……これではユイに答えを強制したも同然ですね」
ムジカは今になって、自分の発言が思慮を欠いたものだと気付いたらしい。
せっかく花開いた笑顔が、しょんぼりと萎れてしまった。
「いや。もう俺の家族は亡くなっているし、薄情かもしれないけどムジカ達以上に、元の世界に俺と繋がりがある人がいないんだ。ここは居心地が良すぎて、君達に追い出されるまで俺は居座るつもりだから、覚悟してくれよ?」
「追い出しません! ずっと居てください!」
照れ隠しにおどけて言ったら、真剣に返されてしまった。
本当に、ムジカは優しくて真面目な男だ。過保護過ぎるのが玉に瑕だけど………。
「それより、モルソは大丈夫か? けっこう飲んでたから、もう明日は二日酔い確定だろうけど」
「自業自得——と言いたいところですが、置いていくわけにもいかないので、回収しに行きましょうか」
やれやれと、ムジカが俺の前を歩く。
この家の照明も精霊の灯りを使っている。
しかし家の広さに対して灯りが少ないのか、ムジカの家と比べて少し薄暗い。
俺たちが後にしたデフィの私室の灯りも、夜が更けるに従って闇に沈んでいくようだ。
………どんな種類のものであれ、俺は単純な人間だから、好意を寄せられるのは素直に嬉しい。
それが自分も好意を持っている人物なら尚更だ。まさに相思相愛でハッピーだ。
しかしふわふわと浮かれる気持ちは、先程手にしたチヤコさんの日記の重みの分だけ深く沈んだ。
ヒトとエルフの寿命の順番でいけば、俺の方がどうしたって先に逝く。
今はたまたま彼が俺の面倒を見る立場だから、俺に執着しているだけだと分かっている。
ムジカみたいな男は周りが放っておかないから、俺がいなくても彼が孤独になる心配は無い。
それでも、優しい君は俺が死んだら悲しむだろうな………。
ムジカと一緒に俺が生きていられる時間は、あと長くて60年程度。
俺にとっては十分だが、長命なエルフにとってはあっという間だろう。
俺はその時間で、ムジカの為に何が出来る?
遠い未来に確実に彼を置いていってしまう俺は、少しだけ寂しくなった———
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