第16話 ムジカの考察

 最初に歌が聞こえた。


 微かな声に気のせいかと思う前に、森の獣達が反応した。

 必死に音のする方へ走る彼らに釣られ、私は彼———ユイと出会ったのだ。


 ユイは他者から暴行を受け、酷い怪我を負っていた。

 折れてこそいないが、特に足と頭の怪我が酷かった。

 重傷の彼を、魔獣の蔓延る森に放置した意図は明確だ。


 しかし他種族のヒトを安易に受け入れるのは、私達エルフにとっても危険が伴う。

 何らかの良からぬ意図を持って、彼がヒトの国——ドゥエル王国から送り込まれた間者である可能性も考えられたからだ。


 それ故ユイを私の家に置いたのは、保護以外に監視の意味もあった。

 しかしすぐに、私達の心配は杞憂だと判明する。

 ユイは間者どころかドゥエル王国の完全なる被害者だった。

 彼は歌姫召喚儀式で異世界から呼ばれた一般人だ。

 何の力も持たないユイを、あろう事かあの国は儀式の事実を伏せる為に、亡き者にしようとしたのだ。

 私たちエルフの彼に対する方針は、これで完全に決まった。

 ユイはエルフの森で保護すべきであると———



「良いですか? お守りがあるからと言って、夕方に帰って来れない程遠くに行ってはいけませんよ、ユイ」

「分かった、分かったって、ムジカ」

 何度も念を押す私に、ユイは少し呆れたように苦笑した。

 黙っていると不機嫌に見える顔が、笑みで崩れるのが可愛らしい。

 歳の離れた彼を見ていると、守りたいという保護欲がムクムク湧いてくる。

 私に子どもはいないけれど、これが父性というものなのか。


 私の許可を得て家から離れた所に薬草採集に行くユイを、姿が見えなくなるまで見送っていると、パタパタとフュジさんが駆けてきた。

 ———ん? 

 彼女を見た瞬間、私は違和感を覚えた。


「ムジカ! 見て見て、私、杖もついてないし、走り回れるのよ! あなたの薬のお陰だわ!!」

「えええええええええっ!?」


 いや、そんな筈は無い。

 先日ユイに頼んで彼女に渡してもらった薬は、いつもの鎮痛剤だ。

 フュジさんの加齢による腰痛は、私の治癒魔法でも薬でも回復はしない。

 ただ腰痛の痛みを和らげるに過ぎない。


「ユイはいないの? 私の魔法を見せたかったのに」

「え? 先日見せたんじゃないんですか?」

 ユイにはそう聞いている。


「見せたけれど、今の方が調子が良いのよ———それっ!」


 ブワッ!!!


 旋風が辺り一帯を襲い、木の葉や小さな獣を空に巻き上げた。


「まあ、全盛期には及ばないけれど………。仕方ないわね、また来るわ。今は歩くのが苦じゃなくて楽しいのよ。本当に良い薬をありがとうね、ムジカ」

「は、はあ………」

 心なしか笑顔まで若返っているようだ。

 つい先日まで腰を曲げ、杖をついていたとは考えられない軽やかな足取りで、フュジさんは自分の家に帰って行った。


 一体、何が起こってるんだ?

 彼女に渡した薬の調薬はいつもと全く同じだ。

 使った薬草も、調薬過程も何一つ変えてないのに———


 いや、一つだけ違うところがある。

 薬草の採取をユイに任せた事だ。

 でもたったそれだけ……。


「あれ?」


 私は、家の周りの景色に違和感を覚えた。

 今さっきフュジさんが旋風を起こした事を除いて、何一つ変わったものはない筈だ。

 ……………………………………………………。

 ………いやいや、変わらな過ぎなんだ。

 家の周り一帯は、ユイが薬草採取してくれたお陰で、ごっそり草が減っている筈だ。通常なら。

 それが採ってくれと言わんばかりに、元通り———いや、この前以上に繁茂している。


 不思議と言えば、昨日ユイに子守唄を歌ってもらった時も、一瞬だが私の視界に、幼い私を寝かしつける両親の姿が鮮明に見えた。

 私の感傷による錯覚だと、その時は納得していたが……。


 先日のレヴリ爺さんの言葉が、不意に頭の中で響いた。


『いいか、それは本物だ。絶対手放すな』


 あれはエルフの弓を贈ったユイに対しての言葉だと、私は今まで思っていた。

 しかしあの時、爺さんの視線はユイではなく、私の方に向けられていた。


「そんな、まさか………」


 ユイの去った方角を、その後しばらく私は見つめ続けていた———

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る