第2話 オッサン、異世界に召喚される

 俺は凄い勢いで暗闇の中を落下していた。


 この状況は誰がどう考えたっておかしいだろ!

 道路陥没にしたって、こんなに延々落ち続ける訳がない。これは明らかに異常事態だ!!

 そもそも俺はどこに向かって落ちてるんだ? 地球の中心か?

 そういえば、地獄の最下層に到達するまで二千年くらいかかるとか…………いやいや! 俺はそこまで悪い事はしてない!!


 俺の精神の均衡が危うくなった頃、変化が訪れた。


「え?」


 落下速度が落ちて、フワリと俺の身体が浮いた。

 同時に徐々に暗闇から視界が開けてくる。


 ここは……………教会?


 俺の身体は天井の高い建物の宙に浮いて、ゆっくりと下に落ちて行く。

 建物内には二、三十人の、どう見ても日本人ではない人々がいて、何故か意味は分かるのに、日本語ではない言葉を話していた。


「どういう事だ!? 何故男なんだ! 召喚は失敗したと言うのか!?」

「恐れながら陛下。……やはり召喚を行うには準備が不足していたのでは? 魔石と術師の質と量が足りなかったかと」 

「うるさい、黙れ! この無能が!!」

「ひぃっ! お許し下さい陛下!! お許しを!」


『陛下』と呼ばれた偉そうな男が、進言した臣下らしき老人を杖で打ち据えた。

『陛下』がここで一番の権力者なのだろう。誰も彼の蛮行に口を出さない。

 最悪だ。俺はとんでもないところに来てしまった。


 ジロリと、『陛下』が俺に目を向けた。

 これはもう嫌な予感しかしない。


「あの男を始末しろ。北の森にでも打ち捨てておけば、魔獣が骨も残さず食い尽くすだろう。二度と私の目に入れるな」

「ハッ!」


 なんて勝手な!!

 コイツらの話から推測するに、俺はコイツらの都合でここに召喚されて、期待した人材じゃないから処分されるらしい。

 そんな理不尽な話があってたまるか!!


 床に着地する前に逃げようとしたが、俺の挙動に気付いた近衛兵らしき男達に、あっさり捕まり組み伏せられた。


「離せ! 何で俺が殺されなきゃいけないんだよ!?」


 多勢に無勢、無駄だと分かっていても「ハイそうですか」と応えてやる義理はない。

 俺は死に物狂いで滅茶苦茶暴れた。

 実際ここで抵抗しなきゃ、俺が死ぬのは明白だ。こんな訳の分からない場所と状況で死にたくない!


「このっ! 手間をかけさせるな!」

 憤った兵士に頭を掴まれ、思いっきり硬い床に打ちつけられた。


「がっ!」


 頭が割れるように——実際出血したから割れたのかもしれない——痛い。

 脳味噌がグラグラして、視界が歪む。

 駄目だ。

 このまま気絶したら、それこそ相手の思う壺だ。

 俺はこんな所じゃ死ねない——そう強く思うも、段々と痛みに正常な思考を阻害され、俺の意識はやがて薄れて……いっ…………た————



 ドサッ!!


「陛下もこんな遠くまで運ばせなくったっていいのにな」

「馬鹿、仮にも神聖な場所でバラすのはまずいだろ」

「ハッ、違いない」

「まあ、ここなら死体を片付ける手間もいらんしな。先月魔獣討伐に入った連中、まだ見つかってないんだろ」

「らしいな。で、コイツとどめさしとかなくていいのか」

「刃が汚れるからやめとけよ。適当に痛めつけてあるから、徒歩じゃあこの森から逃げられんだろう。それより俺達も早く戻るぞ。先月の連中の二の舞いはごめんだからな」


 蹄の音と、馬車の車輪の音が次第に遠ざかって行く………。

 完全にそれが聞こえなくなってから、俺は詰めていた息を吐き出した。


「ふー………、痛っ…………! アイツら加減ってものを知らんのか!」


 何とか声は出せたけれど、今身体を動かすのは難しい。

 さっきのアイツら——近衛兵——にボコボコにされたからだ。


 中一の時、高校生らしきヤンチャな少年達にボコられて、ゲームソフトを買うお金をカツアゲされたのが俺の人生でワーストワンの記憶だが、それを今更新しようとしている。


 幸か不幸か剣の錆にされずに済んだので生きてはいるが、ヤツらの話だと、この森にいる獣は人を喰うらしい。

 馬車から荷物のように落とされたままの姿勢——つまり寝っ転がったまま——で視線だけ動かすと、ここは木々が生い茂った深い森だと分かる。


 ヤツらは獣を『魔獣』と呼んだ。

 今更だが、『召喚』『魔獣』とファンタジーな用語が次々出てくるこの世界は、俺の生まれ育った世界とは違う異世界で、しかも魔法とか使えちゃうんだろうか?

 事実なら下がり切った俺のテンションが少しは上がるな。

 死ぬ前に少し足掻いてみようか。


 まずは異世界転生モノにお約束のステータスオープンを試してみる。何も出ない。魔法とやらを使えないか念じてみても、こちらも何も起こらない。

 ……………………………………………。

 これは………やっぱり俺、詰んでる?


「!?」


 不意に気配を感じて、目だけそちらを向く。


「あっ!」


 これが魔獣………?

 爛々と光る赤い双眸、真っ黒な大きな狼のような生き物が俺を見ていた。

 その頭部には長く先端の尖った角が一本生えている。


 そして注意深く見回すと魔獣はそいつだけじゃない。

 木の影に一頭。茂みに二頭と、目に見える範囲だけでも二十頭はいる。

 あの男達が言っていたのは、こういう事か。

 確かにこの数の獣に襲い掛かられて喰われたら、骨も残らないだろう。


 すんと、不思議と心が凪いでいく。

 暴行を受けた身体中は痛むし、魔獣の出現で俺の命は風前の灯火だ。

 それでも人間の悪意の中で殺されるより、自然の弱肉強食に従った死の方が俺にはマシに思えた。


 俺が俳人なら辞世の句でも詠んでいるところだけど、生憎とそんな風流な趣味はない。

 ああ、そうだ。それなら最期に歌おうか。


 昔作った自作の歌を、俺は自然と口ずさんでいた。


 顔も殴られて腫れているが、不思議と歌うのに支障はない。

 どうせ聞いているのは魔獣だけだ、少しくらい音程が外れても構うことはない。

 森の中は俺だけのオンステージになった。

 いつ魔獣に襲い掛かられてもおかしくはないのに、彼らは行儀の良いオーディエンスだった。


 三曲目に入ったところで、意識がすうっと薄れてきた。


 ああ………こりゃもう駄目かな。

 とうとう幻覚まで見えてきた。

 目の前に女神のような美人がいるんだから………。


 女神様に手を握られたところで、俺の意識はぷっつりと切れた———

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