オッサン、エルフの森の歌姫【ディーバ】になる
クロタ
第1話 オッサン、人生に行き詰まる
「山田、悪いんだけどコレやっといてくんない?」
「いいですよ。娘さんの塾のお迎えですか」
「そうなんだよ。また今度奢るからさ」
「ハハハハ、期待してます」
——そう言って、彼に奢ってもらった事はまだ一度もない。
就業時間直前に追加された仕事は、一時間以上はかかりそうだ。
彼が自分のデスクに戻ったのを見計らって、俺はそっと溜息を吐く。
「山田さん、また向井さんに仕事押し付けられちゃったんですか?」
俺の後ろに座っていた玉木さんが呆れたような声を出す。
「別に良いよ。俺は家に帰っても一人だし、やる事もないから」
「だからって人が良過ぎますよ。あー、こんなんじゃあ来月から心配だなあ。それ半分ください、私も手伝いますから!」
「ありがとう。でも俺の心配なんかより、ちゃんと自分の幸せ追求しなよ? 玉木さん」
「当然です!」
ニッコリ笑った彼女の左手薬指には、彼にもらったという指輪が光っている。
社内で俺が唯一心安く話せる相手だった玉木さんは、来月寿退社する。
彼女の幸せは当然祈っているが、正直少し寂しい。
玉木さんのお陰で、仕事は思ったより早く片付いた。
「お疲れ様、玉木さん。助かったよ」
「あれ? 山田さん、帰らないんですか?」
「帰るよ。トイレに寄ってから」
「あー。じゃあ、お疲れ様でした!」
彼女を見送ってから俺はトイレに行った。
ちょうど誰もいないタイミングで、洗面所の鏡には疲れた中年の男——俺の顔が映っているだけだ。
中年が40歳からなら俺はギリギリ当て嵌まらないが、鏡の中に映った顔はどこからどう見ても中年のオッサンだ。
180cm弱と体格には恵まれた方だが、この歳になると見てくれより健康が大事だ。そもそも若い時だってモテて困った時期なんかない。
学生時代に初めて付き合った彼女は、俺の身長と、黙っていると不機嫌そうな顔が好きだと言う子だった。
単純な俺は女子に告白された事が嬉しくて、二つ返事でOKした。
でも嫌われるのを恐れる余り、俺は何もしなかった。いや、しなさ過ぎた。
その結果、付き合って一ヶ月でフラれた。
「こんな見掛け倒しのヘタレだと思わなかった」というのが、彼女の別れの言葉だ。
二人目の恋人は、どちらから告白するでもなく、何となく良い雰囲気になって始まった。
俺は前回の反省を活かして、今度は積極的に接していたら、
「こんなガツガツした人だと思わなかった」と失望され、二週間であえなく破局した。
それ以降、俺の灰色の世界に恋人は存在しない———
「どうする? このメンツで進めちゃう?」
「でもそうすると女の子一人余るじゃん。男女同数の方が良くね?」
「うーん、誰か他に暇なヤツって言ってもなー……あ、山田さん、お疲れ様っす」
あまり会いたくないヤツらと出くわしてしまった。
彼らは同じ部署で、二年前に入社した二十代の若者達だ。
俺が彼らを苦手とするのは、俺のウィークポイントを弄りと称して、ちょいちょい突いてくるからだ。
ヤツらにしてみれば『彼女もいない寂しいオッサンを弄ってやってる』という感覚かもしれないが、正直放っておいてほしい。
しかし俺は大人なので、内心はどうあれ「お疲れ様ー」と、曖昧な笑みを投げておいた。
「あ、山田さんこれから暇っすよね? 合コン行きませんか? 合コン! 彼女出来るかもしんないっすよ」
彼らの一人が、さも良いことを思いついたとばかりに、ニヤつきながら俺に提案する。
こういうところが本当に苦手なんだよな………。
「いや、俺はいいよ。相手の女の子だって君らと同世代だろ? 俺なんかが行ったら、気を遣わせるだけだし」
「あー、やっぱあんまり年下だとキツイっすか?」
「そうだね。ま、楽しんで来てよ。俺は帰るから」
まだ俺は用を足してないんだが、仕方ない。
別の階でしよう。
「そういや、リストラやるって噂、本当かよ」
「詳しくは知らないけど、ウチの業績良くないみたいだから、あり得るかもね」
「でも俺らはまだ関係ないだろ。他にいくらでもリストラ要員いるし」
「山田さんとかなー」
「ちょっ、ウケる。実名出すなって」
ドアを閉めても結構な音量で喋ってる彼らの声は、俺に筒抜けだ。
ここで怒って反論出来るような性格なら、俺の人生は違っていたかもしれない。
「はー」
知らず溜息が漏れた。
気持ちがささくれ立ってる自覚はある。明日は休みだし、こういう時はストレス解消に限る。
俺は少しだけ足早に馴染みのカラオケ店へ急いだ。
『あーっ♪ ………っと、次の曲、次の曲!』
気持ち良くヒトカラしてたら、時間はあっという間に過ぎて行く。
あと二曲も歌えば終了時間だ
『喉の調子も良いし、延長コースだな、コレは』
明日が休日だという事実が、俺の気を大きくさせた。
とりあえずトイレ行って、ついでにフロントで延長を頼もうと目を向ければ、そこにたむろしていた男女のグループが、従業員の男性となんか揉めているような………?
そのグループの男の一人が、不意に俺の方を向いた。
「あ、山田さんじゃないっすか!?」
うわっ。
せっかく良い気分だったのに、合コンに行ったはずの会社の連中と鉢合わせてしまった。
女の子も一緒という事は、これからカラオケで二次会をするつもりなのか。
「え? もしかして山田さん、カラオケデート!?」
「いや、一人で気晴らしに……」
「あー、ですよねー、山田さん独り身っすもんね。良かったら今から合流します? つっても、この店今部屋空いてないって言うから、他当たらなきゃだけど。せっかく来てやったのに酷いっすよね!」
酒臭い赤い顔を近づけて、俺に文句を言われても困る。
もう少し歌いたかったが仕方ない、今日は引き下がるか。
「それなら、俺もう退室するから一部屋空くよ」
「そうっすか!? いやー、なんか悪いっすね。急かしたみたいで」
「いいよ、終了時間近かったし。じゃあ、みんなで楽しんで」
「ウィーっす! 山田さん、今度の会社の飲み会、期待してますよ」
「何を?」
彼の唐突な言葉に、俺はキョトンとする。
「山田さんの歌っすよ! 飲み会でカラオケのマイク回しても『俺、歌えないから』なーんて断ってたけど、ヒトカラするくらい歌好きなら、今度絶対聞かせてくださいよ。山田さんの美声!」
嫌な展開になった。
他のヤツらもそいつに同調して「俺も聞きたい」なんてニヤニヤ笑いながら囃し立ててくる。
俺は愛想笑いを浮かべつつ、ほとんど逃げるように店を出た。
夜の街はまだ賑やかで、光に溢れている。
どこかで酔っぱらいが遠吠えを上げたかと思えば、いかにも同伴出勤の男女が俺のそばを通り過ぎて行く。
「はー」
俺の憂鬱は酒や色恋に溺れて消えるようなものじゃないから、純粋に彼らが羨ましい。
正直、歌は好きだ。歌うのも大好きだ。
世に多数いる『かつて歌手を夢見て、今は普通の社会人』の中の一人だ、俺は。
小さい頃、俺が歌うと当時存命していた両親、祖父母からすごく褒められた。
みんなに喜んでもらえるのが嬉しくて、俺はどんどん歌った。
「上手いね」「歌手になれるよ」という親類や友人の欲目込みの評価を、俺は真に受けてしまった。
しかしその自惚れは長く続かない。
二十代の頃にさんざん受けて落ちたオーディションで、俺の自信は木っ端微塵に砕かれた。
それはいい。
相手だって商売だ。
俺の歌が売るに値しないと判断したのなら、それは彼らの価値観で、俺は納得するしかない。
問題は軌道修正に失敗した俺の人生の方だ。
今の会社に正社員として就職出来たのは五年前だ。
それまで俺はアルバイトだったり、派遣だったりで職を転々としていた。
しかし、やっと得たと思った居場所も、リストラで奪われるかもしれない。
今は恋人もいないし、家族も——祖父母はとうに亡くなり、両親も俺が29歳の時に事故で亡くなって、俺の周りには誰もいない。
誰に対する責任もない、気楽な天涯孤独な身の上だ。
それは裏を返せば、俺はこの世界からいなくなっても大して影響のない人間なんだ。
夜の灯りが眩しくて、大通りから人気のない道に逃げ込んだ。
ズンズン歩いた分喧騒が遠退き、夜の闇が俺を包み込む。
しばらくして後ろを振り返ると、街の光がぼんやりと彼方に見えた。
誰もが羨むような成功者になりたい訳じゃない。
でも一回くらい、俺の人生スポットライトが当たっても良くないか?
そう、例えばこんなふうに———
「え? 何だコレ」
———おかしい。
本当に俺にスポットライトが当たっている。
位置的に街灯でもない。寧ろ、それよりもっと頭上から光は俺に向かって伸びている。
本能的に何かおかしな事が起きていると感じ、俺は光の輪から逃げようとした。
「あっ!」
俺の行動は一歩遅かったようだ。
光から踏み出した足の先には地面がなかった。
次の瞬間、もう片方の足元の地面も消失し、俺は虚空に投げ出されていた——!
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