第8話 オッサン、トリをつとめる
時間の経過と共に、エルフの大人達の酒量は増えてくる。
俺はもともと酒は飲まない方だから、スコラと一緒に木製のコップに注がれた葡萄のようなジュースを黙々と飲んでいた。
ポロンと、どこからか楽器を鳴らす音が聞こえた。
続けて聞いたことのないメロディーが流れ、誰かが歌を口ずさむ。
そうすると、別の誰かも楽器の奏でるメロディーに合わせて歌う。
一人で始まった歌は、たちまち大合唱になっていった。
聞き覚えのない曲だけど、楽しげな様子に釣られて、俺もスコラと一緒に手拍子で参加する。
「ユイ、どう? 楽しんでる?」
今日は同年代のエルフの女の子達と一緒にいたミィナが、俺達の座っている所へやって来た。
「ああ、楽しいよ。今みんなが歌ってるのは、エルフに昔から伝わる歌?」
「そうだよ。宴で誰かが必ず歌うもんだから、私も教えられてないのに覚えちゃった」
ニコニコと笑う彼女の頬は僅かに赤みを帯びていた。
ミィナも少し酔っているらしい。口調が舌足らずになっていた。
確かに、久しぶりに楽しいと思える飲み会だ。
気楽な仲間の集まりと違って、会社の飲み会では無礼講を謳っていても、いつも気を使っていた。
損得なしで、ただ飲んで食べて歌って笑う。
それがこんなに楽しいものだって、彼らエルフのお陰で久しぶりに思い出せた気がする。
「それにしても、あの楽器は弓……なのか?」
俺はさっきから気になっていた、エルフ達が使っている楽器についてミィナに聞いてみた。
形状はどこからどう見ても弓そのものだ。共鳴器はついていない。
それをただ爪弾いているだけなのに、いろんな音が聞こえる。
時に笛の音のように、または鳥の鳴き声のような……どうやってそれらの音が出ているのか、実に不思議だ。
「ああ、あれね。狩りにも使う弓だよ。レヴリ爺さん特製なの」
自分の事のようにミィナは胸を張る。
「レヴリ爺さん?」
「あそこで一人で飲んでるのがそうだ。私が小さい頃から変わらないから、もう1000歳以上になるかな。この森では最高齢のエルフだよ」
にゅっとラヴァンドが会話に混ざって来た。
彼の指差した先に、一人の老エルフが静かに木の椀で酒を飲んでいた。
長い白髪と同じく長い白い髭。そして胸元には黒い花輪。
節くれだった手が、彼の生きてきた時の長さを物語るようだ。
よく見ると右足に木の義足をしている。
「あ」
俺がジロジロ見ていたせいか、レヴリがこちらを振り向いた。
その瞳は白く濁り、俺を見ているようで見ていなかった。
「ご覧のとおり、高齢だから身体も不自由でな。狩りも出来ないから皆で爺さんの食糧なんかを家に運んでるんだ。弓はその御礼で、大人になったエルフに爺さんが作って贈ってるんだよ」
「へえ……、本当に特別な弓なんですね」
「弾いてみるか?」
「え?」
ニッと笑うと、ラヴァンドが弓を差し出した。
「これはラヴァンドさんの?」
「ああ、私が大人になった証に、レヴリ爺さんから貰ったものだ」
差し出されるので思わず受け取ってしまったが、大切な物じゃないのか?
それに、そもそもの話、俺は楽器が弾けない。
音楽の授業でも、歌以外の評価は散々なものだった。
一時期弾き語りに憧れて、アルバイトで貯めた金でギターを買ってもみたが、一月と経たずに諦めた。
どうしても歌っていると、手や指の動きが疎かになってしまう。
「難しいことは考えず、ただ爪弾いてみればいい。そいつは思ったとおりの音を出すから」
「?」
戸惑う俺を尻目にラヴァンドは俺の手を取り、しっかり弓を抱えさせると「さあ、やってみろ」とばかりに頷いた。
確かに興味は物凄くある。
だってこんな何の変哲もない弓が、あんな豊かな音色を奏でるんだ。
ひよっとして、ピアノみたいな音も出るんだろうか?
俺は恐る恐る弦に手を伸ばした。
ポロン……。
本当に出たよ。
じゃあ次はエレキギター……なんて、さすがにこれは無理か。
ギュイーンッ!!
出来た!?
まさかお寺の鐘の音とか出ないよな。
ゴーン……
SEかよ!!
何これ凄い。脳裏に思い浮かべた音が、弦を爪弾くだけで本当に出力される。
しかも俺は手や指の位置を動かしていない。
俺は調子に乗って思い浮かんだ音を次々に弾いてみた。
電話の着信音、学校のチャイム、信号機のあのメロディ、等々………。
本当に凄い楽器だ。
ヴァイオリンだろうが電子音だろうが、奏でる音に区別はない。
ただ奏者がその音を知っているか、知らないかだけなんだ。
「それが異世界の音なんだ」
「聞いたことない不思議な音ね」
「ねえ、それなんの音?」
「面白いから、もっと鳴らしてみてくれよ」
気が付けば、俺の周りにエルフの輪が出来ていた。
さっきまで弓を弾いて歌って踊って、飲んで騒いでいた連中まで全部だ。
「え、え〜と、お気遣いなく……?」
注目されることに慣れていない俺はキョドってしまう。
……しまったなあ。夢中になり過ぎて、周りの目を気にしてなかった。
俺はお礼を言って、ソロソロと弓をラヴァンドに返そうとしたが、何故か押し戻された。
「せっかくだ。ユイ、宴のお開きの前に何か歌ってくれないか?」
「え」
どうしてそういう展開になるんだ。
俺が助けを求めて視線を彷徨わせれば、スコラはおねむの時間なのか船を漕いでいるし、ミィナも「いいね、歌ってよ、ユイ!」と乗り気だ。
ムジカは……と見れば、少し躊躇いがちに、
「ユイさえ良ければ、異世界の歌を私も聴きたいです」
と、興味津々だ。
………俺も歌うという行為自体は大好きだ。
ただそれが優劣を競う道具だったり、からかいの対象になるのに嫌気がさして、人前で歌わなくなっただけで……………。
今ここにいるエルフ達は、純粋な好奇心で俺の歌を聴きたがっている。
だったら歌いたい俺と、単純に異世界の歌を聴きたいエルフで、需要と供給は合致している。
俺は覚悟を決めて———いや、本音を言うとただ歌いたいだけなんだ———弓を抱え直した。
しかし宴会で最後を締める歌は、『蛍の光』では閉店のようだし、ロックもなんか違う。
今にも夢の世界に旅立ちそうなスコラを見て、俺は何を歌うか決めた。
前奏は確かこうだったか…………ポロンと、弓は俺の思い通りの音を奏でる。
弦を爪弾き歌い出すと、俺の周りの風景が知覚から消えた。
俺の歌ったのは童謡『赤とんぼ』
賑やかな宴会の締めには似合わないだろうが、闇夜にぼんやりと光る精霊の灯火の色は、夕焼けの残滓を思い出させた。
俺がこの世界に来てまだ数日だけど、元いた世界に執着はないと、自分では思っていた。
それでもふとした時に、優しい過去の思い出が蘇り郷愁を誘う。
俺の戻りたい子どもの頃の風景には、どうやったって帰れるわけないのにな…………。
短い歌は三分もしないうちに終わった。
かくんと、スコラが木のテーブルに突っ伏した。
とうとう眠気が限界を突破したらしい。
他のエルフ達の反応はと、周りを見回して俺はギョッとした。
全員ではないが、彼らはハラハラと涙を零していた。
「え? あの、何かそんなに琴線に触れるものがありましたか? 確かに俺の世界でも郷愁に溢れた童謡ではありますが……」
「違う。歌詞の意味は良く分からなかった」
「え」
ラヴァンドはキッパリ否定すると、グイッと目元を拭った。
「それでも、何か心に染み込んできたんだ。懐かしいような、寂しいような、えも言われぬ感情がこう……込み上げてきて……」
「ああ……宴会向きではなかったですね、すみません」
陽気な宴を湿っぽいものにしてどうする、俺。
「うえええん、死んだおばあちゃんに会いたいよう〜」
ミィナが酒の入った椀を片手にテーブルに突っ伏した。
その隣でしんみりとムジカが酒を煽り、
「私も、亡くなった母のことを思い出しました……」
と、目頭をそっと押さえた。
恐るべきだな『赤とんぼ』………。
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