第5話 オッサン、お世話される

 その後、俺はミィナにエルフの療養食だという物を出されて食べた。

 味は……塩気より甘味が強く不味くもないが、今まで食べたことがない、形容し難い味だった。

 そもそも見た目はお粥のようでいて、入っているのは米ではなく何かわからない野菜か果物の微塵切りだ。とにかく三日間も寝ていたんだ。栄養をつけなければ。


 俺の食事が終わると、ミィナは兄弟の世話があるからと家に帰って行った。

 ラヴァンドも明日の宴の準備があると、早々に姿を消している。


 俺はムジカと二人きりになった。


「そういえば、三日間も寝たきりだったんなら、その間俺がムジカの寝床を占拠してたって事か?」

「ここは来客の宿泊用の部屋なので気にしないでください。そもそもこの家自体、族長用の家なので」

 それなら良かった。

 彼の寝床を占拠していたとすれば、申し訳なさ過ぎるからな。


 あ。

 安心したら急に生理現象が………。


「えーと、トイレ……いやこの世界では便所って言った方がいいのか? おしっこ行きたいんだけど」


 たとえ相手が齢300歳のエルフだとしても、俺はオッサンの自覚があるから、こういう子どものような申告をするのはどうにも気恥ずかしい。

 ムジカの方は何も気にしてないように、

「ああ、そうでした。怪我が治って歩けるようなら、おしめは必要ないですね」

 と、神々しいほど綺麗な顔でにっこり笑った。


 ん? 今なんつった?


 俺は慌てて今の自分の姿を確認した。

 近衛兵にボコボコにされて汚れたスーツから、エルフの寝間着なのだろうか、貫頭衣のような簡単に脱ぎ着出来る衣服に着替えさせられていた。

 問題は———下着だ。

 恐る恐るめくって確認すると…………………あー、確かにこの分厚い布の感触は、間違いなくおしめというか、大人用布おむつだ。

 俺は会って間もないエルフに、下の世話までさせてしまったのか!?


「あ、お気になさらず。ユイのおしめの交換は、ミィナも昼間は手伝ってくれましたから。彼女の方が兄弟のお世話で私より手際が良いんですよ」


 申し訳なさに打ち震えている俺に、ムジカが悪気なくとどめを刺した。


「………あのさ、ひょっとして、エルフのムジカ達からしたら、俺って子どもに見えてる? 年齢じゃなくて、外見的な意味で」

「いいえ、ヒト族の大人に見えますよ?」

「あー、そうなんだ、へえー」

「………ああでも、ヒト族の大人のユイとエルフ族の大人は、身体的な特徴を除いて外見の違いはないですが、私——エルフから見ると根本から違うんです」

「? それは、どんなところが」


「同じ外見年齢でも、ヒト族の方が魂が若いんですよ。感覚的な事ですから、ご理解いただけるか分かりませんが」

 ———なるほど、俺には分からない感覚だ。

 でも、ヒト基準で外見上同い年に見えるヒト族とエルフ族が各一人ずついたとして、ムジカ——エルフには、エルフ族の方がヒト族より十倍以上の年齢だって、見た目で分かるってことなのか。


 俺が黙り込んでしまったから、ムジカが心配して「ユイ、おしっこは?」と聞いてくる。

 どうも、こういうところが子ども扱いされているようで、オッサンの俺は少しムズムズする。

 ヒトで言うと、猫や犬が歳を取っても、幼く可愛く見えるみたいなものなんだろうか?


 まあいいや。まずは『おしっこ』だ。

 種族間の感覚の違いは、追々何とか埋めていく事にしよう。



「こちらですよ、ユイ」


 少しフラつく身体をムジカに支えてもらいながら、俺は一階へ降りた。

 家が族長用と言うだけあって、一階は集会をするためなのか、二、三十人は入れそうな広間があった。

 机や椅子はないけれどラグが敷かれ、部屋の隅にはイグサで編んだような円座布団が積まれていた。


 ムジカに案内され、一階のトイレで用を足す。

 一階には他に、煮炊き出来る台所もあると教えてもらった。


「お風呂はどうしてるんだ?」

「すぐそばに泉があるので、私はいつもそこで水浴びをしてますよ。ご案内しましょう」


 ムジカはタオルのような布を二枚と、虫籠を二つ用意すると、そのうちの一つを俺に渡した。

 虫籠の中には果物のカケラが転がり、蛍よりも強い光を放つ羽虫がフワフワと飛んでいた。

 ……………いや、これ虫じゃないぞ。

 蝶々のような羽はあるけど、人間のような頭部と四肢がある!?


「精霊ですよ。暗くなったら籠の中に彼らが好む果実を置いておけば、勝手に中に入って来て、朝日が昇るまで灯火の代わりをしてくれます」


 ムジカが俺の疑問を先回りして、スラスラと答えてくれた。

 へえ、さすがエルフの存在するファンタジーの世界。精霊なんてものまでいるんだな。

 感心しながら彼の後をついて行くと、それ程歩くことなく泉に着いた。


 辺りは陽が落ちてすっかり暗くなっているが、その泉の周りだけ精霊達が飛びかい、仄かに光っている。

 キョロキョロと辺りを見回すと、俺がお世話になってるムジカの木の家の他に、転々と灯りのついた木が見える。そこもおそらく他のエルフの家なのだろう。

 俺はオッサンなので覗かれてもどうと言うことはないが、泉はそれらの家々からは木や繁みで隠されて、ちょうど見えなくなっていた。


「ユイ、手を上げてください」

 ムジカはチョイチョイと俺を手招き、万歳をしろと言った。

 脱がしてくれる気だったらしいが、俺はもう回復してるし、族長である彼にそこまで手間を掛けさせるのも申し訳ない。

 自分で全裸になると、ムジカに頭のてっぺんから爪先までジロジロ見つめられた。

 性的な意味はないだろうが、他人に裸を見せる機会など健康診断以外ないので、少しだけ恥ずかしい。


「良かった。跡も残っていないようですね」

「ムジカとミィナのお陰だよ、ありがとう。それにしてもエルフの治療って凄いんだな。薬? それとも魔法でこういう怪我とか病気を治すのか?」


 骨折こそなかったものの、殴る蹴るされて出来た怪我を三日間で完璧に治すなんて、俺のいた世界では考えられない奇跡だ。


「ええ。薬草と治癒魔法を少し。それでもこの短期間でここまで完治するのは珍しい事です。ユイ自身に魔力は感じないので、薬草があなたの身体に合っていたのでしょうね」


 成程。そういう事もあるのか。

 俺はこの森に捨てられた当時を思い返して、重大な事を思い出した。


「魔獣! そうだ、俺が気を失う前に周りに魔獣がいっぱい集まってて、ムジカ、君は襲われたりしなかったか!?」


 見たところ彼が怪我をしている様子はない。

 だけど、あの魔獣の群れから俺を救い出してくれたのなら、相当危険な行為だし、怖い思いをした事だろう。


 ムジカはキョトンとした後、おかしそうにクスクス笑い出した。

 俺と七倍以上の歳の差があるのに、そうしていると普通の二十代の青年のようだ。


「私は大丈夫ですよ、ユイ。我らエルフと魔獣は、この森においては共生関係なんです」


「共生……つまり、魔獣はエルフに危害を加えないと?」

「ええ。ヒトに対しても、攻撃しない限り彼らは無害な筈です」

「なんだ、じゃあ俺は魔獣に喰われる可能性はなかったのか。怖がって損したな」

「まあ、死んでいたら『食べ物』と見做される可能性はありましたけれど」

「あー………ははは」

 本当に生きてて良かった、俺!!


「ユイ、この森にいる限り、あなたの安全は私が保証しますよ。ご安心ください」

「……ありがとう、ムジカ」


 裏を返せば、森の外——俺を召喚した上に、亡き者にしようとしたドゥエル王国に戻っても、俺の安寧な日々は訪れないという事だ。


「本当に心苦しいけど、改めて君達のお世話になるよ」


 恐縮しきりの俺に、ムジカは慈愛の神のように、ただ微笑んで応えてくれた。

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