16話 裏切り者

「……って、この辺の説明ぶっちゃけ当たり前すぎて面倒めんどいんだよね。式、代わりにお願い」


 冬月さんがどさっとソファに座り直すと、式さんが一歩前に進み出た。


「我々の右手の甲に刻印されている八咫烏の紋章。そこにはそれぞれ異なる世喪達の魂が封印されています。その人間の魂の波長と適合した、世喪達の魂が。世喪達が忌譚を使って人を襲うのは当然ながらご存じですね。我々はその忌譚の力のごく一部を、人の身でありながら忌術として転用しているのです。おわかりですか? 〝忌譚〟から派生した力、ゆえに〝忌術〟。それで我々は忌術師と呼ばれているのです。決して持って生まれた才能や後天的に開花した能力でもない。忌術師は世喪達の力を借りて世喪達と戦っているのです」


 理解が追いつかなかった。いや、理性は否応なしに聞き入れても、本能が拒絶した。これ以上、耳を貸すな──心のどこかで、そう囁く自分がいた。


「結社は素質のある者を引き入れ、紋章を与えて忌術師として活躍させます。ここにいるみながそうです。例外は逢真様、あなた一人。あなたには『心臓』が取り憑いていたために、無自覚にその力を忌術の如く扱えていたのでしょう。ですので、あなたは忌術師ではありません」


 たしかに、俺には八咫烏の紋章なんてない。結社に勧誘されたのも、忌術を扱えるようになった後だ。その忌術だって、式さんが否定した後天的に開花した能力。


 世喪達の力である忌譚。そのごく一部を転用した力だという、忌術。全部、本当なのか? それが忌術師なのか? 俺は本当に──忌術師じゃないのか?


「──つまり、さ。野良の忌術師なんて絶対に存在し得ないんだよ。結社に勧誘され、力を得る。その逆はありえない。八咫烏の紋章は結社のみが管理しているからね。だから何度でも言うけど、君は忌術師じゃない。『イザナミの心臓』だ」

〝ッ……!〟

「そして、私の右手に封印されている魂は──『イザナミの首』。君と同じ『イザナミの骸』の一体さ。それが私の強さの秘訣」


 ソファにくつろぎながら右腕を高く掲げ、冬月さんは見せつける。黒く輝く八咫烏の紋章を。その輝きは、さっきとは比べ物にならないほど禍々しく映った。


 ──『イザナミの首』だって? それってたしか……


『イザナミの腸』──八体の『骸』の中で最も強大な、顕現するだけで災厄が起きるほどの怪物。忌術師が討伐を悲願に掲げる〝イザナミ〟そのもの。それと双璧をなす存在だと、彼女は語っていた。そんな強大な化け物の力を、彼女は意のままに操っていたのか?


「もちろん、君と違ってイザナミの姿に変身したりなんかしない。式が言った通り、これは封印された力だからね。他の忌術師も同じさ、世喪達の姿に化けたりなんかしない」


 そう語る瞳には、冷笑が浮かんでいて。内心歯噛みせずにはいられなかった。


「『イザナミの骸』の魂はね、いくら封印されているとはいえ誰とでも適合するってものじゃない。他の世喪達の魂とは違って、もし普通の人間に定着を試みようものなら間違いなく即死ものだ。けれど、例外が一つある。それが黄泉雲家さ。本来『骸』の魂は黄泉雲の血筋……しかも不思議なことに、私みたいに生まれつき純白の髪の持ち主である女児にしか宿らないんだ。代々昔からね。だから黄泉雲家は『イザナミの血族』って呼ばれてるわけ」


 ──『雪凪ちゃん、私と同じ髪なんだね。知ってる? 黄泉雲の血筋で純白の髪の女児が生まれたら、最凶の忌術師になるって言い伝え。その子供には神聖な巫女服を着せよって』


〝……ソンナ桁外レノ化ケ物ガ、ドウシテ俺ナンカニ取リ憑イタンデスカ。忌術界トハ縁モユカリモナイ、ドコニデモイル普通ノ子供ニ……〟

「そう、そこだけが唯一わからない。君のことは洗いざらい調べたけど、御三家の遠縁でもなければ、イザナミの子孫ってオチでもなさそうだったから。だから香茱萸に仔細に観察させたの。君の普段の行動や思想を。この一週間、訓練と並行して学校生活を送らせたのもそのためさ。今なら理解できるだろう? 私たちが君を監視していた本当の理由が」


 そうか。こんな状況に置かれて、なんで今まで気づかなかったんだ。彼女らは俺が有望な忌術師か見極めたかったんじゃない。俺が危険な化け物かどうか見極めるために、暴走してもいつでも対処できるよう監視していたんだ。


 恐る恐る、香茱萸の方へ能面の視界を定める。そして──目が合った。それはここへ連れ去られて初めて交わした、彼女との視線だった。


 香茱萸は俺を見つめていた。一番遠くから、これまで見たこともない冷ややかな眼差しで。それは友達を見る目ではない、明らかに化け物を蔑む目だった。


 希望が、全身が脱力するように心から抜け落ちた。これ以上、彼女を見れなかった。


〝ソレモ……面白イカラ、ッテヤツデスカ〟

「まさか。黄泉雲家の当主として下した、至極合理的な判断さ」

「おいガキ。いくら血縁の繋がりがないとはいえ、ちったぁ心当たりぐらいあるんじゃねぇのか。化けモンに目をつけられる心当たりが。じゃなきゃ辻褄が合わねぇんだよ」

〝……アリマセン。世喪達ニ遭遇シタノモ、四年前ガ初メテデス。忌譚ノ中デ心臓ヲ貫カレテ、ソイツカラ現レタ不思議ナ白イ人影ガ身体ニ入ッテキテ、俺ヲ蘇生サセテクレタ……サッキダッテ、鉄筋ガ刺サッタ俺ノ心臓ノ穴ヲ塞イデクレマシタ……覚エテルノハ、ソレダケデス。四年前ノ出来事ダッテ、今マデ完全ニ記憶カラ忘レテイタ〟

「なるほど。蘇生ねぇ……白い人影っていうのは引っかかるけど、さすがは生と死を司る『心臓』だ。今回も一度死にかけたんなら、それが引き金でこの姿になったのかもね」


 逡巡するような間を空けた後、冬月さんはやがて再び口を開いた。


「君は今まで『心臓』の言葉を聞いたり、意思に反した行動を勝手に取ってしまった経験はあるかい? 記憶を失ったとしても、自分の中に誰かがいる違和感はあったんじゃないかな」

〝一度ダケ、最初ニ出会ッタ時ニ声ヲ聞イタコトナラアリマス。死ニタクナイカ、力ヲ与エヨウ、トカ……他ニハ何モ……自分ノ中ニ化ケ物ガ潜ンデルナンテ、気ヅキモシナカッタ〟

「だろうね。私の推測が正しくてよかった。君の魂に宿っているのは、厳密には『イザナミの心臓』そのものじゃない。その絶大な力だけなんだよ」


 力だけ? その言葉に、余計に混乱した。


「実のところ、君からはイザナミ特有の邪悪な気配がほとんど感じられない。その姿になった現在の状態でもね。つまり『心臓』の〝魂〟はどこかへ去って、〝力〟だけを君の魂に残したと考えられる。なぜわざわざ『心臓』がそんな真似をしたかは不明だ。けれどそのおかげで心身に異常を来さなかったどころか、二度も命を吹き込まれたんだろう。……とはいえ、力だけでもその絶大さゆえに本来なら即死ものなんだけどね。まったく謎は深まるばかりさ」


 お手上げとばかりに、彼女は大袈裟に肩を竦めてみせる。


 力だけを俺に与えて……要するに本体は去った? 果たしてそんな意味不明なことがあり得るのか。『心臓』が俺に二度も命を吹き込み、忌術を使える身にしてくれたのは事実だ。が、それが『イザナミの骸』という危険な存在と知った今、疑念を禁じ得なかった。


「証拠に君のこれまでの忌術を思い出してごらん。世喪達に忌譚をそっくり与え返すあれだよ。式が言ったように、忌術はその人間の魂と世喪達の魂の波長が適合して初めて使える。裏を返せば適合しなきゃ使えない。考えてもみな? 世喪達を確実に自滅へ追い込む忌術……もし君の中に『心臓』の魂や意思が残っていたら、そんな忌術を世喪達の頂点に君臨するイザナミ様が許すと思うかい? つまり君の──〝逢真夏翔の魂〟だけが力に反映されたんだろうね」

〝親父……イエ、世喪達ヲ憎悪スル俺ノ魂ノ形ガ、ソノママ忌術ノ形ニナッタ?〟


 冬月さんは首肯した。納得、せざるを得なかった。彼女でさえ理解できない点の多い事柄を、俺ごときが理解できるわけがない。四年間、ずっと自分の中に恐ろしい力が同居していたことに気づきもしなかった、俺なんかに。


「もっと詳細に説明するなら、たとえばここにいる雨谷のように──」

「やめろ」

「魂の形が変化して紋章を所持していてもすでに忌術が使えない者も──」

「やめろっつってんだろ!」


 しん、と空気が静まり返る。雨谷と呼ばれた男の怒声が、広い洞窟に響き渡った。殺気立った眼光が、冬月さんの横顔を鋭く捉えていた。


 今更だが、この男は一体何者なんだ? 曰くかつては忌術師だったらしいが。この場にいる四人の中で、彼だけが俺を見る目が他とは異なっていた。それは蔑みや嫌悪感というより、明らかな殺意だった。俺の存在そのものが許せないという、強い殺意。


 センターパートに整えられた髪型に、しわ一つないスーツ。まさに清潔感の塊のような男だった。年齢は二十代後半といったところか。だが、唯一、その獣のようにぎらついた双眸だけが、かえってその格好に威圧感を与えていた。


〝アナタハ……何者ナンデスカ? 香茱萸ヤ式サンミタイニ、冬月サンノ部下デスカ? 忌術師デナイナラ、何故ココニ居ルンデスカ?〟


 その眼光が、こちらに向く。ぞーっと、背筋の凍る思いがした。


「なんだと……てめぇ今なんつった? 俺がこの女の部下だと? 殺されてぇのか?」


 その言葉は、怒りに満ちていて。墓穴を掘ったとすぐに後悔した。


「俺はこいつの部下でも、ましてや仲良しこよしの仲間でもねぇよ。ただイザナミをぶっ殺すために行動を共にしてるだけだ。てめぇの力を武器として利用したいこいつみたいな奴もいりゃ、イザナミに恨みを持って殺したくて仕方ない俺みたいなのも当然いるってこった」

〝当然……デスカ〟


 口ぶりは乱暴だが、たしかに考えたこともなかった。イザナミ討伐が忌術師の悲願なら、それに敗れた者も当然、いる。恨みを抱き憎悪する者も大勢いるだろう。最初にイザナミの話を聞いたときは規模が壮大すぎて理解が追いつかなかったが、きっとそれが普通なのだ。


 なら、俺みたいな化け物と相対して冷静でいられないのも、当然……か。いや、でも。


「俺が何者かって質問だったな。俺の名は雨谷あまやたける。元忌術師だ……が、忌術が使えなくてもてめぇを殺せる手段はある。命が惜しけりゃよく覚えとけ。この──クソ化けモンが」

〝……ッ!〟


 我慢の限界だった。これ以上、黙ってなどいられなかった。


〝確カニ俺ハ化ケ物ダ! デモ望ンデコウナッタ訳ジャナイ! 理由モ分カラズ勝手ニ妙ナ力ニ取リ憑カレテ、ソレガ危険ナ代物ダナンテ知リモシナカッタ! ──ソウダロ、香茱萸! サッキカラ黙ッテナイデ何カ言ッテクレヨ!〟


 冷徹な視線を寄越す香茱萸に向かって、大声で叫ぶ。あの日常が好きだと語ってくれた、窮地から共に何度も生き延びた、かけがえのない友達に。


〝今ハ化ケ物の姿デモ、心マデハソウジャナイ! 只ノ人間ダ! ソレハ香茱萸ガ一番ヨク知ッテル筈ダロ⁉︎ セメテ証明シテクレヨ! 俺ニ人ノ心ガ有ルッテ! 俺タチ友達ジャ──〟

「──うるさい。喋るな化け物」


 頭が、真っ白になった。


「友達? 私とあんたが? 冗談じゃない。私はただのあんたの監視役で、それ以上の関係だなんて思ったことは一度もない。ひたすら苦痛だったよ。この──裏切り者」


 その表情には軽蔑と、冷酷さしか籠もってなくて。友情なんて一切感じられなくて。


 ──嘘だ。そんなの。こんな香茱萸、俺は知らない。香茱萸は不器用で、優しくて、無二の親友で……だからこれは、何かの間違いだ。


 もう、消えたい。耳を塞いでしまいたい。全ての視線が、刺さるように痛い。


「──ま、ともかくさ。私たちは結果を出す必要に迫られていたんだよ。君の存在をいずれ結社に公開するために、君がただの化け物じゃなく、イザナミに対抗する上で有用な化け物だってね。その意味では、今回君はとても大きな成果を残してくれた。なにせあの『右腕』を討伐し、『左腕』を撃退したんだから。これからも期待してるよ、『』くん」


 冬月さんが何か喋っている。でも、もう聞こえなかった。何も、聞きたくなかった。今後の処遇も、自分が忌術師じゃなかった真実も、もう全てどうでもよかった。


 去り際だったのだろうか、彼女は最後に思い出したようにこう質問した。


「そうそう、『心臓』と融合を果たす直前、君は何か言われなかった? 力を与えられる直前までは、そこに『心臓』の魂も残っていたはずなんだ。死にたくないかとか、力をどうのこうのとかどうでもいいからさ、他に大事な言葉は言い残されなかったかい?」


 言葉……大事な言葉? なんでもいいじゃないか。もう、そんなのどうでも──


 ──〝オ母サン……やっタ! ヤったヨ! 私、オ母サンの言ウ通リにデキたよ!〟

 ──『便利でしょ、これ。使い方次第で何でもできるんだ。敵の攻撃を防ぐことも、敵を内側から破壊することも。それに──世喪達の首を吊るすことも』

 ──〝サあ……次は本家ノ人間ヲ当主もろトモ皆殺シに──〟

 ──『分家や他の御三家は同じ人間と思うなってお父様から教わってるの。だからせめて安らかな夢でも見てね。おやすみなさい、雪凪ちゃん』

 ──〝この世から……〝黄泉雲冬月〟を葬り去れ〟


〝……コノ世カラ……貴女ヲ葬リ去レ、ッテ……〟

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