20話 タバコの火が真っ赤に燃えている
「世喪達威種の忌譚はな、融合した世喪達の中で一番強い未練や怨念を持つ魂に左右される」
なんだ、あれは? 皆に倣って茂みに降りながら、滞空する巨大な異形に目を瞠った。
「言っちまえばその魂が主人格。いや、むしろその魂に惹かれた似たような忌譚を持つ世喪達こそ、街灯に群がる羽虫みてぇなモンだな。その分、世喪達威種の展開できる忌譚は強力だし、カオスの極みだ。……まあ、バケモンのテメェにとっちゃ赤子の首を捻るも同然だろうが」
大きな能面に、長い長い黒い髪の毛。それだけなら、まだ巨大な世喪達という一言で片づけられただろう。が、その腹と呼ぶべき部位はあまりにも異常で、歪だった。おびただしい数の世喪達の小さな面が、言葉にならない呻き声を漏らしながら胴体を埋め尽くしていたのだ。まるでそこから生まれ出ようとする赤子のように。
巨大なそれは、胎児のように身を丸めながら、空の真下から──
「つまり、世喪達威種とは無数の忌譚そのものです。あなたがあれを無事に駆除できたなら、本来の『一度に複数の忌譚を忌術で押し返す』目標も達成されます。……いえ、というより『イザナミの心臓』として覚醒した以上、それくらいできなければ我々も冬月様も困ります」
──空の真下から、無数の世喪達が山の頂を登るように我先にと群がっていた。その光景はさながら、天から垂らした蜘蛛の糸を他を押し除けて辿る地獄の亡者のようでもあり。行く先を覆う木々ではっきりとは見えないが、あれの真下に数えきれないほどの世喪達が殺到しているのは明白だった。凄まじい瘴気の気配はそれに違いない。まさに地獄絵図。
ごくり。思わず唾を飲む。それは今までの地獄絵図のどれとも異なっていた。これまでは、ひたすら圧倒的な力を前に立ち竦むばかりだった。が、今回は違う。それは力や邪念というより、恐ろしいまでの妄執だった。蜘蛛の糸という救いを前に、強大な力と新しい姿へ生まれ変わろうと縋る、渇望や飢餓感にも似た不気味な妄執。
「殺せるか、ガキ? お前にあのデカブツが」
「わか……自信は、ありません」
大きさだけで言えば、覚醒した自分と同じくらいだろう。だが『イザナミの右腕』を仕留められたのは本能的な衝動で、その時の記憶があるわけでもない。俺は『イザナミの心臓』としての戦い方を知らない。そう、知らないのだ。無二の友達を殺した時のことも──
「そうか、だが造作もねぇさ。そもそもイザナミってのはな、歴史を辿れば超強力な世喪達威種で……っと、どうやらお喋りが過ぎたらしい。お客様がお越しだ」
雨谷の視線の先。木々の陰。複数の邪悪な気配が近づいてくるのを感じる。間違いない、世喪達だ。こちらの気配に気づいて、ふらふらとやって来たのだろう。
その醜悪な能面が、今、木陰のあちこちから顔を覗かせた。
「お任せください。ここは私が──」「なわけいくか。獅貴神、西河の二人は体力温存だ」
式さんの言葉を遮って、雨谷は懐からタバコを取り出す。とんと箱を叩いて、咥えた一本にライターで火をつけて、肺に取り込んだ煙を体外にハァーッと吐き出しながら。その紫煙を燻らせる姿は、だがどう考えてもこれから世喪達と戦う人間の態度ではなかった。
──何してるんだ、この人は? 言外に自分が戦力になるってことじゃなかったのか?
雨谷がこうして一服している間にも、世喪達は迫ってくる。式さんも、香茱萸も、黄泉雲冬月も、誰も動こうとしない。まさか試されているのか? ここで俺に戦えということなのか?
「前に話したよな、テメェを始末できる手段は一つじゃねぇって」
ふと、彼はタバコを指の間に挟みながら世喪達らに向けて腕を伸ばして。「今、そいつを証明してやる」
幾多の忌譚が展開されそうになった──その矢先、紅蓮の炎が世喪達を襲った。タバコの動きに呼応するように軌道を描いて。世喪達らを一匹残らず焼き尽くして。
──あの炎、香茱萸と一緒に逃げたときに現れた炎の壁と同じだ……!
バチン! バチン! 幾度となく、タバコの先端から真っ赤な火花が散る。
そのタバコからは、世喪達特有の邪悪な気配が火花が散るとともに放出されていた。
「こいつは〝
冷酷な眼差しが、こちらに向けられる。背中の傷跡がじわりと熱を帯びる思いがした。
燃えている。タバコの火が、真っ赤に燃えている。
「雨谷、いい加減にしな。悪趣味にも程があ──」「これは俺なりの優しさだ、バケモン」
灼熱の火に、過日の痛みが、父の言葉が脳裏に蘇る。
──『どっちか選べ。自分が躾を受けるか──』
「どっちか選べ。自分の人間性を証明して役立たずとして処分されるか、それとも──」
──『妹を身代わりに立てるか。楽な方を選ばせてやる』
「怪物性を証明して生存を保証されるか。好きな方を選ばせてやる」
ああ、そうか。こいつは父と同じだ。彼の復讐とか、イザナミが憎いとかはよくわからないけれど、これだけは理解できる。──俺は、この人のことが怖い。
殴られ、蹴られ、理不尽な選択を押し付けられ。どちらに転んでも地獄の世界。その恐怖の権化と、この雨谷猛という男は、身震いを覚えるまでに似ているのだ。
──怪物性を証明する……それって、また『イザナミの心臓』として覚醒するってことだよな。あの化け物の姿に。そりゃつまり──
大事な友達を、兼人を殺したときと同じ姿になるということ。
──できるか、俺に……? いや、そもそも、やらなきゃいけないことなのか? 俺が変身したらまた同じことを起こすかもしれない。なのにやらなきゃいけないのか?
だが、こっちは妹を人質に取られている。俺が死んだら帆晴の命の保証もなくなる。やらなきゃ。やらなきゃ。やらなければ──
脂汗が全身から噴き出す。震えが収まらない。タバコの火が真っ赤に燃えている。
「や、やります……俺が、『イザナミの心臓』に──」「ちょっと待ってほしいな」
ぽん、と後ろから肩を叩かれて。振り返ると相手は黄泉雲冬月だった。
不敵な笑みを浮かべ、彼女は言った。
「ねえ君。少しだけ、二人だけでお話ししよっか」
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