19話 世喪達威種(ヨモツイクサ)

「えー、今回の標的は──〝世喪達ヨモツクサ〟。逢真くん……もとい『イザナミの心臓』にはそいつをやっつけてもらいます。勝てば君の存在を結社に公表した際、対イザナミ戦において有用な武器として少なくとも命の保証はされるよ。やったね!」


 六人乗りのワンボックスカー。白い縄に手足を拘束された状態で、俺は真ん中の席で他の四人に挟まれるようにして揺られていた。運転席に雨谷が、助手席には香茱萸が、俺の背後の席には式さんが、そして隣には意気揚々と何かを話す黄泉雲冬月が。


 ──俺が……俺が兼人を、殺した。


 今ならわかる。なぜあの洞窟で皆の俺を見る目が変わったのか。ただの化け物と相対しているだけではない、それ以下の……人殺しと話す態度に変わってしまったのか。


「世喪達威種、君は初耳だろうね。要するに他とは比較にならないくらいデカくて強い世喪達のことさ。わかりやすく例えれば……魂の集合体かな。多くの世喪達が一つの霊体として集まり、融合して、より強大な力を得る。その中で最もこの世に強い未練や怨念を抱いた魂が、世喪達威種の主人格となり、生前の忌譚を展開できる。いわば他の魂は街灯に群がる羽虫」


 車はどこを目指すかもわからないまま、郊外の人気の少ない道路から、山奥へと入る。

 あれから丸三日。俺はあの洞窟に連れ戻され、人の姿のまま白い縄で拘束され、必要最低限の食事を与えられた。外部の情報は遮断され、誰も来ないまま、無数の蝋燭に囲まれてひたすら孤独な時間を過ごした。ただ、己の犯した罪について考えながら。


 ──俺が……俺が……


 頭に焼きついて離れない。あの恐ろしい光景が。泣き叫ぶ兼人の両親。歪な人型を象ったブルーシート。そして──


「先の騒動以来、世喪達が大量に発生していてさ。いやー、あんなこと滅多にないからいくら結社の強権を総動員しても隠蔽するのはさすがに困難だったよ。あれはもう世間の色んな学者様の都合のいい解釈に任せるしかないね。ほんっと、てんやわんや」


 それをめくった下から現れた、兼人の──


「まあ少し脱線しちゃったけど、なぜ世喪達大発生なんて事態になったかというと、イザナミの力のせい。『イザナミの骸』は常に強い瘴気を放っているからね、それに殺された魂は強い世喪達になりやすいんだ。今回の標的も本を正せばその被害者さ。あの日、あの場に現れた、『イザナミの右腕』、『左脚』、そして──」

「──テメェの無責任さが友達を死に追いやった、『イザナミの心臓』」


 兼人の、生首。


「うっ……うぷ……おえっ……」

「わあああ雨谷! 窓窓窓!」「ちっ、車にかけるんじゃねぇぞ」


 拘束されたまま、咄嗟に開いた窓へと身を乗り出す。吐き気を、我慢できなかった。


「おぇええええええぇええっ!」


 吐瀉物が、風に散って砂利道に落ちていく。唾液と胃液の混ざった粘液が、後方に糸を引く。苦くて、酸っぱくて、喉が焼けるようで、ぼーっとした頭が却って冴え返るようだった。


 そうだ。俺は化け物で、彼らに従うほか道はなくて、大事な友達をこの手で殺した。一度救った友達を、助けたことがきっかけで仲良くなった友達を、今度は自ら殺した。


 それも偶然あの場に居合わせたからという、全く無意味な、理不尽な理由で。


 兼人の死に、意味はあったのか。いや、そんなものはない。あってたまるか。でも、兼人を死なせた張本人はこの俺で、せめてわずかな意味でも与えなければ浮かばれなくて、けれどそもそも兼人を死なすなんてあってならないことで──


 ──なに罪から逃げようとしてやがる。この人殺しが。


「うえぇええええええぇええっ……がっ……ぁ……」

「あーあー、これから戦闘だっていうのにそれじゃ先に空腹で死んじゃうよ」


 口元を拭い、手足がミノムシみたいに拘束されたままよろよろと座席に戻る。黄泉雲冬月はそんな俺に一瞥もくれず、退屈そうに反対側の窓を眺めていた。膝の上に小判型の弁当箱……曲げわっぱというやつか、を大事そうに両手で抱えて。これから戦闘だというなら、なぜ食べもせずに放置しているのか……が、彼女はすぐに懐から俺の膝に数枚の写真を落としてきた。


「今回『イザナミの心臓』に倒してもらう世喪達威種。そいつは今とある廃墟を根城にしてるんだけど、その前にすでに八人も殺害している。これはその犠牲者」

「……は?」


 意識が、覚醒した。今度こそ現実に引き戻された。その数枚の写真に写っていたのは、八人の遺体だった。家で、道路で、学校で、全身を巨大な刃物でめった刺しにされたかのような血まみれの遺体。思わず目を背けたくなるような、あまりに凄惨な光景。


 しかし、一番衝撃を受けたのは──


「おそらく『記憶型』か『心象型』か定まってなかった、いわば成長過程での犯行だろうね。忌譚の中ではその世喪達の生前と同じ死に方を強いられる。けれどこんなデカい刃物でめった刺しなんて普通ありえな──」

「これ。この顔……兼人の、両親だ……」


 そう。写真の中で倒れている遺体。それは明らかに四日前、あの夜に出会った兼人の両親で間違いなかった。おそらくは自宅のリビングで、一緒に地の海に仰向けに転がって。死の恐怖を、忌譚の中で体験した出来事を如実に物語るような、恐ろしい形相で。


 ──い、一体誰がこんな……いや、その〝世喪達威種〟ってやつの仕業なのはわかってる。けどこんな残酷な……あの人たちは、悲しみに暮れてたんだぞ……


 自分がその悲しみをもたらした張本人なのは理解している。間違えるはずがない。でもこんな残酷な仕打ち、あんまりだと思った。あんなに良い人たちだったのに。息子の死を嘆いて泣いていたのに。まだあの夜の非礼すら、詫びていなかったのに……


 ──他の六人はどれも高校生で、男子か……ガラが悪そうだけど、気のせいか? 俺はこいつらを、どこかで見たことがあるような……


「テメェ、こっそり抜け出して友達の両親まで手にかけたんじゃねぇのか? よくいるんだよ、獣や快楽殺人者にはそういう執念深いヤツが。獲物をどこまでも追いかけて、周りの人間もターゲットにする。目に浮かぶようだぜ。テメェの不気味な能面がケラケラ笑う様が──」

「雨谷、悪趣味だよ。もうやめな」


 助手席で無言で行先を眺めていた香茱萸が、初めて沈黙を破った。低い声で、脅すように。


 ──『違……う。違う、の……っ……夏翔は、そんなつもりじゃ……っ……なかっ、た……夏翔、は……私たちをっ、助けたかった……だけなんだ……!』


 俺の罪を庇ってくれた香茱萸。皆を裏切ってまで俺を助けようとしてくれた香茱萸。曰く、本来ならこの場に同席できる立場にないらしいが、『イザナミの骸』の瘴気で世喪達が大量に発生し、他の忌術師が沢山駆り出されているそうで、人手が足りないとのこと。つまり信頼はされていないが、念のため頭数は揃えておきたいということなのだろう。


 ──香茱萸には、本当に申し訳ないことしたな……


 皆を裏切る決断をさせて。忌術師同士の戦いをさせて。何度も、何度も、俺は彼女に助けてもらってばかりだ。なのに俺は彼女に何も返せていない。


「夏翔、確かにあんたは兼人を殺した。何の意味もなくたまたま殺した。その罪は消えることはない。けれど同時に大勢の命を救いもしたんだ。その中には当然、あそこにいた私や式の命も含まれてる。でなきゃ私たちは今ここにいない。そうでしょ、式」


 式さんは返事をしなかった。バックミラー越しに背後の席を確認できたが、彼女はただ静かに前を見つめていた。


「でも……兼人は言ってたんだ。俺みたいになりたいって、ヒーローになりたいって。こんな俺なんかのことを……そんな兼人を、俺は、こっ……殺してしまった!」


 殺した──その一言を口にしただけで、全身が震えと寒気に襲われた。


「俺が復讐心に囚われ続けたばっかりに、同じ痛みを味わわせたいなんて馬鹿なこと考え続けたばっかりに……ただの巻き添えなんて形で、むざむざ死なせちまったんだ……その時の記憶すら、俺には残ってない!」


 罪悪感が、後悔が。頭の中で、胸の奥で、ぐるぐる渦巻いて止まらない。


 ──『痛みってね、誰かに与えるものじゃないの。寄り添って、分かち合うものなんだよ』


 わかっていたのに。思い出していたはずなのに。結局、帆晴の言っていたことが正しかった。相手に同じ痛みを味わわせてやろうと思った結果が、大事な友達の死なのだから。


 声を荒げる俺を、誰も止めようとはしなかった。


「それに俺は、兼人を殺しただけじゃない! あの優しそうな両親から大事な息子の命を奪った! 天から授かった大事な我が子だって、子供が生まれるのは奇跡みたいなもんだって、そんな良い人たちの幸せを踏み躙っちまったんだ! 二人が世喪達威種に狙われたのだって、もしかしたら俺のせ──」

「授かった? 授かったって、なに? 奇跡ってなに?」


 その声は、どこかドスが効いていて。思わず一瞬肝が冷えた。いきなりどうしたんだ? さすがに俺の態度が気に障ったのだろうか。でも、どこか違うような。


「授かった……それってつまりどこかの誰かから貰ったってこと? 天の神様からある日突然お腹に宿されたってこと? 違うでしょ。子供っていうのは奇跡で生まれるものじゃなくて、生命の神秘でもなんでもなくて、ヤることヤったから当然の摂理でデキるものでしょ」

「な、なあ香茱萸。急にどうし──」

「ねえ、私たちって勝手に生まれてきたの? たまたま偶然生まれてきて、気に食わなかったら殴ったり蹴ったりしていいの? ……私、授かったとか、そういう無責任に美化した言い方嫌いなんだけど。そういうこと臆面もなく言える大人も、悪いけど優しい親とは思えない」


 何も、言い返せなかった。反論の余地だとか、そんなことも考えられないくらいの圧が、香茱萸の言葉にはあった。


「私、前に言ったよね。母親が殺されたって。あれ嘘じゃないけど、本当は──」

「もういい西河。無理して話すことじゃねぇ」

「──私が殺したんだ」


 運転しながら制止する雨谷を無視して、香茱萸は語った。理解が、追いつかなかった。


「……え?」

「ある日母親が機嫌を損ねて、弟を包丁で刺し殺しそうになったことがあってね。それを止めようとしたんだ。けど、つい感情が爆発して、奪った包丁を振り下ろして……気づけばめった刺しにしてた。だから、少しは共感できるよ。人を殺した罪悪感」


 窓越しに空を見上げて、香茱萸は語った。


「あんたは地獄を見たことある? ……私はあるよ、一瞬だけ。比喩でも、宗教的な意味合いでもなくて。地獄はね、最悪な場所だった。真っ暗で、とにかく痛くて……世界中のありとあらゆる痛みを集めたような場所だった。私はね、逃げてきたんだよ。その地獄から」


 やがて車は停止した。鬱蒼とした木々に覆われた山奥で。そのずっと向こうに群がる無数の瘴気の気配と、空に浮かぶ謎の巨大な異形を視線の先に定めながら。

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