18話 ヒーロー

 ──殺人者? 何の話をしてるんだ、この人は?


「ぐっ……あああっ!」〝香茱萸! 大丈夫カ!〟


 突然、香茱萸が叫び声を上げる。背骨の上でよろめき、空中へ足を滑らせた。受け止めようと、急いで地上へ降下したが──なぜか彼女は、黄泉雲冬月の隣に無傷で倒れていた。


「冬月様……申し訳……っ……ありません。お手を、煩わせてしまいました……」


 パッ、とさらにその隣に登場したのは、酷く苦悶の表情を浮かべる式さんだった。『右腕』との戦闘でのギプス以外、打撲や骨折の怪我は見当たらない。背骨から落下した際、地上へ転移したのだろう。にもかかわらず、急に苦しみだしている。まるで香茱萸と同じように。


 ──妙だ。二人ともさっきまで大暴れしてたのに、いきなり苦しみはじめて……


 そういえば、似た光景を以前にも目撃した。『右脚』と『左脚』が襲撃してきた際、立ち向かった二人が突然倒れて。香茱萸は全身をナイフで切られたように痛みだし、式さんは幼い子供のように弱音を吐きながら失明同様の症状を現していた。あれは一体……


「私の方こそ休養が必要な時期に申し訳なかったね、式。でも念のため確かめておきたかったんだ。いざというとき香茱萸がどっちの側につくか」


 隣で苦しむ香茱萸を見下ろして、彼女は淡々と語る。


「普段よりだいぶ早く痛みが回るだろう。君と式はあの戦いでかなり忌術を酷使したからね。しばらくは〝霊肢痛れいしつう〟の耐性も並みの忌術師レベルまで落ちるだろうさ」

〝霊肢痛? ソレッテ一体──〟

「──君が知る必要はない」


 怖気が走った。彼女は眉一つ動かさず、こちらに顔を上げて即答した。


「黄泉雲。例のスマホを寄越せ。こいつに最後まで動画を見せて真実を教えてやる」


 炎の壁に、扉の形に穴が開いて。黄泉雲冬月の後ろから、雨谷猛が歩み寄ってきた。なぜか今度は俺に睨みもくれず、躊躇いのない足取りで。


「……彼の知らなくていいことだよ。少なくとも今は」

「まさかお前、こいつに情が移っちまったんじゃねぇよな。過去と同じ過ちを繰り返す気か」


 さっき香茱萸はこの炎が雨谷の仕業だと言った。八咫烏の紋章を所持しているのに忌術を使えなくなったという、彼が。このそそり立つように燃え上がる紅蓮の炎を。


 ──くそ、駄目だ。洞窟で色々な真実が明かされたのに、まだわからないことだらけだ。


「……仕方ない。いつまでも隠し通せるものでもない……か」

「確かに受け取ったぜ」


 黄泉雲冬月は何やら小さなジッパー付きのビニール袋を取り出すと、それを雨谷に渡した。雨谷がその袋から取り出した物、それはさっきの血で汚れたスマホだった。


「おい化けモン。この動画をもう一度見ろ。お前が犯した罪の重さを教えてやる」


 あの動画をもう一度? 罪の重さ? これも、俺がまだ知らない忌術師の真実とやらか?


「違……う。違う、の……っ」


 地面に倒れたまま痙攣し、苦悶の表情で雨谷の方を睨みながら、香茱萸は辛そうな声で言った。


「夏翔は、そんなつもりじゃ……っ……なかっ、た……夏翔、は……私たちをっ、助けたかった……だけなんだ……!」


 雨谷がスマホを高く掲げ、例の動画を再生する。香茱萸の容態が心配だったが、雨谷は有無を言わさぬ視線でこちらを見上げ、逆らえる状況ではないと本能的に理解した。


 下へ降りて、能面をスマホに近づける。動画の内容はさっきと何ら変わりなかった。『イザナミの心臓』として化け物に変身した俺が、『右腕』と戦っている。相手の忌譚を奪って、我が物とした巨大な骸の拳を振りかざして。そのまま激しい叫び声とともに、ど真ん中を貫く。


 ──あれ?


 動画はそこで終わりではなかった。敵を貫いた拳が、それだけで留まらず『右腕』を押したまま一直線に突き進んだのだ。黄泉雲冬月が再生したときは、こんな場面は映ってなかった。いや、そこで中断された。巨大な俺の拳は、そのまま一直線にスマホの方へ迫って──


 ──え?


 いきなり、画面が大きくブレる。天と地が、空と廃墟が、スマホが宙を舞うようにめまぐるしく入れ替わる。スマホが後ろの廃墟を捉えた一瞬、初めて撮影者の顔が映った。


 巨大な拳がすぐ間近に迫り、驚愕に目を見開いた撮影者の顔が。


〝兼……人?〟


 画面はそれから、スマホが廃墟の山に落下する様子を映し出し──雑音とともに終わった。


「やっと理解したか。自分のしでかした行為の代償が。犯した罪の重さが」


 嘘。嘘だ。こんなこと、ありえない。


 信じられない。信じたく、ない。あの場に兼人がいたなんて。あの見覚えのあるスマホの持ち主が、兼人だったなんて。俺が兼人を──殺したかもしれないなんて。


「辻又兼人……てめぇが命を救った相手で、ずいぶん慕われてたみたいだな。命の恩人だって。そして、てめぇの大事な友人だった」

〝兼人ハ……ソノ後、ドウナッタンデスカ? 無事……ナンデスカ?〟

「知りたいか?」


 戦慄した。全身が震え上がった。雨谷は睨むでもなく、敵意を剥き出しにするでもなく、ただこちらを見つめていた。化け物になった俺の能面を、鏡のように写し返して。


 ──『味わわせてやる……あの化け物どもに、みんなの痛みを! 『イザナミの心臓』!』


 倒れたまま、憐れむように俺を見つめる香茱萸の目。敵対していたにもかかわらず、居た堪れないように俺を見つめる式さんの目。無感動に、深い影に閉ざされたように俺を見つめる雨谷の目。まっすぐ射抜くように、全てを物語るように俺を見つめる黄泉雲冬月の目。


 俺を見つめる目。目。目。目。


〝ア……アアア……ァ……〟


 俺の拳に襲われて、恐怖に慄く兼人の──目。


〝アアアアアァアアアァアアアアッッッ‼︎〟


 気づけば皆に背を向けて、夜空を飛んで逃げていた。炎の壁をすり抜けて。大きな叫び声を上げながら。黄泉雲冬月も、誰も、追っては来なかった。

 

 ×   ×   ×

 

「君は何者なの?」


 俺はその日、世喪達に襲われかけ、高架下で腰を抜かす一人の青年に出会った。


「俺は逢真夏翔。街の平和を守る忌術師だよ」


 青年の手を取って、言う。


「あ、ちなみに忌まわしい術と書いて忌術師な。間違ってもマジシャンの方の奇術師じゃないぜ? あははっ!」

「君は……冗談が、つまらないな……」

「悪かったな」


 未だ呆然とする青年を起き上がらせながら、軽く睨みを送る。


「さっき廃墟に行くとか言ってたけど、化け物の巣窟になってることがあるから近寄るなよ。それじゃ!」


 青年に背を向けて、次なる獲物を探すべく歩きだす。が。


「待って! ……まだ、名乗ってなかったよね。僕は辻又兼人」


 急に呼び止められ、立ち止まって振り返った。


「あれって要は、悪霊みたいなものなんだろ? 君に庇われる直前、少しだけ悪夢のような世界を体験したんだ。無数のナイフに何度も何度も刺されて……」


 己の両の手の平に視線を落としながら、彼は震えながら語った。


「感じたんだ。あのナイフから、物凄い恨みや怨念を……きっとあの霊は、同じように刺し殺されたんだろうね。ナイフの痛みがあんな想像を絶するものなんて、考えもしなかったよ……だとしたらあんな真似、僕には恐ろしくてできない」


 困惑した、どこか縋るような表情で、彼は問うてきた。


「街の平和を守る忌術師って……君はいつもあんな痛みに耐えてるの? 辛くはないの? どうして君は……僕みたいなやつを、助けてくれたの?」

「どうしてって、そりゃ」


 理不尽な目に遭ってる人がいたら、助けるのが当たり前だろ──そう答えようとして、思い留まった。彼が後半何の話をしているのかは全然わからなかったが、とにかく悩んでいるのは確からしい。だったらそんなありきたりな言葉、届かないと思ったのだ。


「あー……これは俺じゃなくて、妹のセリフなんだけど。痛みってさ、誰かに与えるものじゃなくて、相手に寄り添って、互いに分かち合うものらしいぜ?」

「……与えるものじゃなくて、寄り添って、分かち合うもの……」

「そう。だからさ、お前が一人で痛みを抱えてるなら、俺も一緒に支えてやるよ。俺たち同じ高校だろ? 俺も散々妹に支えてもらってるから、きっと今度は俺が誰かを支える番なんだ」


 ぱーっと、彼──兼人の瞳が輝いて。それまで死んだような顔に、やっと生気が宿った。


「ありがとうっ……!」


 兼人は涙を浮かべていた。感謝の気持ちを伝えるように、こちらに手の平を差し出しながら。躊躇いつつも、その手を握ると。がっちり力を込めて、両手で握り返してくれた。大粒の涙を流し、命の恩人を見るような目で。


「僕も、君みたいになれるかな」

 

 ×   ×   ×

 

「いやああああ! 兼人ぉ! 兼人ぉおおお!」「うぐっ……こんな、こんなこと……っ!」


 深夜。街は廃墟と化していた。至る所で火の手と黒煙が上がり、おびただしい人の泣き声や呻き声が聞こえ、けたたましいサイレンや非常ベルの音が鳴り渡っていた。


 平和だった日常の風景が、一夜にして崩壊していた。


「そこのあなた……もしかして」「君が……逢真、夏翔くん?」


 上下が逆さにひっくり返って潰れた家屋。地面に開いた巨大な穴に沈むビル。ぐにゃぐにゃに捻れて打ち捨てられた、窓という窓が真っ赤に染まったバス。粉塵が吹き上がる、粉々の木材やコンクリート、鉄筋を残して平らな地表と化した大地。あちこちに転がる、死体。


「初めまして、夏翔くん。私たちは兼人の両親です。あの子はいつもあなたのことを話していたわ……仲良くしてくれて、本当にありがとうね……っ」

「君に憧れて、慕っていたよ。おかげで兼人は前向きになった……本当に、感謝しても……っ……しきれない……!」


 上空をヘリが飛び交い、瓦礫の間を縫って消防車や救急車、自衛隊の車両が走り、決死の救命活動が行われている。建物の残骸から救い出される命もあれば、その場で心肺蘇生を施される命もあり、見捨てられる命もあった。すでに、人の形を留めていなかった。


「私たちはなかなか子宝に恵まれなくてね、失意の最中さなかに授かった命があの子なのよ……天から授かった、大事なあの子が……!」

「よしなさい、夏翔くんが困るだろう……でも、そうだね。子供が生まれるっていうのはまさに奇跡なんだ。君も……いつか、わかる……っ」


 押し寄せるマスコミが街中の様子を中継し、カメラに向かって被害の全容を伝えていた。いかなる天変地異と異常事態が起こったか、どれほどの損害と死傷者に見舞われたか。


「あの子は勉強熱心でね、あなたに出会ってからもっと頑張るようになったわ。それまでは成績が悪かったのに。だから、恩人のあなたにはどうか手を合わせて祈ってほしいの」

「ああ、兼人が天国に旅立てるよう一緒に──」

「──さっきから何を喋ってるんですか、あなたたちは? 俺は兼人の安否を確認しに来たんです。そこにあるのはただのブルーシートだ」


 足元を指差して、問う。どこにでもある、人型に覆い被さったブルーシートを。


 屋敷から逃げて、逃げて、逃げて──いつの間にか、俺は人の姿に戻っていた。なぜそうなったのかはわからない。ただ、不安と焦燥感に駆られて闇雲に空を飛行していたら、徐々に背骨や能面、長い髪や注連縄が黒い瘴気と散って、そのまま裸足で地面を駆けていたのだ。


 制服も元に戻って。けれど左胸に開いた穴だけは、俺があのとき鉄筋に心臓を貫かれて死にかけたことを如実に証明していた。やはり、あれは現実だった。


 その後は、とにかく走った。泣きながら。何度も嘔吐しながら。足の皮が擦り剥かれる痛みなんて、血が滲むことなんて知ったことじゃなかった。


 確かめたかった。一刻も早くこの目で。兼人の生死を。本当に俺が──殺してしまったのか。


「この下に何かあるんですか?」

「夏翔くん……辛いのはわかるけど」

「まさか、錯乱しているのか……?」


 何時間走っただろう。やっと街に辿り着いたとき、あれからまだ半日も経っていないことを初めて知った。あの惨状が、人々の救助活動が続いていることを、初めて知った。


 それからは死に物狂いで探し回った。恐ろしい数のぐちゃぐちゃの死体に吐き気を催しながら。兼人の生存を心から願って、あの動画を撮影したであろう場所を。


 ──なあ兼人、嘘なんだろ? 冗談なんだろ? 頼むよ、また俺をあの生真面目な顔でからかってくれよ! ドッキリでしたって笑ってくれよ!


 ところが、それらしき場所で見つけたのはただのブルーシートだった。


「あ、そっか。この下で兼人が安静にしてるんですね。だから寝かせてるんだ」

「お願い……もうやめて!」

「よせ! 見ない方がいい!」


 目を背ける二人を無視して、シートをめくる。果たしてそこにあったものは。


「ったく、マジで心配したんだぞ。兼……ひ……」


 ──『僕も、君みたいになれるかな』

 ──『お、おいおい。今の話聞いてた? あれは妹のセリフであって、俺の言葉じゃ──』

 ──『誰のセリフかなんて関係ないよ! 僕は君に助けられた! 命の恩人だ! だから僕も君に支えられるだけじゃなくて、君の役に立ちたい!』

 ──『えっと……ちなみに俺みたいになりたいって、想像つかないけどどんな風に……?』

 ──『ヒーローに!』


 逃げて、逃げて、逃げて──いつの間にか、教会らしき残骸の前でがっくり膝をついていた。


「俺が……殺した。俺が兼人を……あんな風にしたんだ」


 兼人の前で、両親の前で、恥知らずにも愚かな言葉を口にした。心から謝罪すべき被害者と遺族の前で、加害者が素知らぬ顔で感謝の言葉を貰った。我が子を殺した、張本人が。


「あ……ああ……あああああぁああぁぁあああああああっ‼︎」


 シートをめくって、見たもの。それは恐怖の形相に歪んだまま、首から下が内臓も骨も滅茶苦茶に潰れて血溜まりと化した、兼人の生首だった。

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