11話 行方

「私は今から新幹線で京都へ出張だから」「はい」

「あくまで任務のためだから。決して観光しようとか、やましい意図はないから」「はい」

「決して観光しようとか、やましい意図はないから」「だからわかってますって」


 嘘つけ。だったらその観光する気まんまんの大荷物はなんなんだよ。


 香茱萸に呼び出されたのは、郊外に放置された建設途中の廃ビル前。俺と香茱萸、それに式さんは、これから高級車で駅へ出発する冬月さんを見送る途中だった。……見送るというより、式さんは呆れ顔で、香茱萸などは舌打ちでさっさと行けという態度だったが。


 ──せっかく冬月さんに成果を見せるチャンスだと思ったのに、出張かよ。


 てっきり冬月さんが直々に指導してくれると期待していたのに、がっかりだった。彼女は俺の顔を見に来ただけで、香茱萸と式さんを補佐に置いてこのまま任務へ向かうという。


 せっかく久しぶりに、会えたのに。


「……任務って、世喪達の討伐ですか」

「まあね。『左腕』の気配が観測されたらしくて、ぶっ倒しに行けって上からのお達しなの」


 左腕? 特定の世喪達の名称か? 冬月さんが討伐に向かわなければならないほど強力な世喪達なのだろうか。そう、つい眉間に皺を寄せていると。


「逢真くん。顔の傷は男の子の勲章かもしれないけど」


 突然、耳元に彼女の唇が近づいてきて。


「早く手当てしておかないと……せっかくのかっこいい顔が台無しになっちゃうよ?」


 甘い言葉で、囁かれた。耳がとろけそうな快感に、思わず赤面して硬直してしまう。

 ゆっくりと俺から離れる冬月さんは、悪戯っぽく目を細めて。「君には期待してるよ」と手を振ると、運転手がドアを開けて待機していた車に乗って、そのまま出発してしまった。

 甘い痺れと、名残惜しい余韻を、俺の心に残したまま。


「……夏翔、ちょっと頬を出しな。私が手当てしてあげる」

「え? あ、ああ……ありが──ってなにその顔! お前怖いよ!」


 香茱萸は瞳孔をガン開きにして。殺気立った表情で睨むようにこちらを見つめていた。


「いいから出しな! 絆創膏あるから! あの女に触られたらあんたの大事な顔が穢れる!」

「お前の冬月さんに対する謎の当たりの強さはなんなんだよ!」


 × × ×

 

 って早速被害者いるじゃねえか! 香茱萸と式さんと一緒にビルの階段を上ると、二階で早くも世喪達一匹に遭遇した。すでに誰かに忌譚を展開した状態で。

 長い髪に覆われた、不気味に笑う白い髑髏。忌譚を展開中の間、その象徴である能面はない。その化け物の目の前に、一つの黒い球体が浮かんでいる。その球体の正体こそが忌譚だ。


 ──忌譚って、外から見るとだいぶシュールなんだよな……黒い球体を髑髏の化け物が見守ってるって謎の構図で。まあ、中身が恐ろしいことは間違いないんだが。


 だからといって、あそこまで変な構図は初めてだ。おそらく被害者はよほど動転していたのだろう。球体の中からぴんと両足を突き出して犬神家みたいになっていた。


 その履いている靴は、明らかに子供のもので。たちまち怒りが込み上げてきた。


「ここは俺が──」


 ザシュッ──鋭い斬撃音と、霧とともに散る断末魔。俺が動き出す前に、香茱萸が誰より素早く血の刃で世喪達を真っ二つに切り裂いたのだ。その動きには一切の躊躇いがなくて、目で追う暇もないくらい気づいたときには全てが終わった後だった。


 黒い球体が、消滅して。悲鳴とともにべたんと床に落ちたのは幼い少年だった。

 香茱萸は血の刃を手首に戻すと少年に歩み寄り、屈んで声をかける。


「怪我は……っ……ない? 君、一人で来たの?」

「う、うん。僕一人。心霊スポットって聞いて、面白そうだと思って……」


 起き上がりながら、少年は恐怖に耐えきれなくなったのか、泣き顔で香茱萸の身体に抱きついた。


「お姉ちゃん……あ、あれってお化けなの? すごく怖い夢を見て、痛くて……僕、死んじゃうの?」


 うわずった声で懸命に話す少年。その幼い身体を、香茱萸はぎゅっと優しく抱きしめた。


「大丈夫。死にやしないよ。お化けは私がやっつけたから。早くお母さんのところに帰りな」

「うん……ありがと、お姉ちゃん。迷惑かけてごめんなさい」

「ん、いい子」


 かすかな笑みを浮かべながら、香茱萸は小さな頭を撫でる。少年はくすぐったそうに、照れ臭そうに縮こまると、やがてバイバイと手を振って帰っていった。

 その姿はさながら、弟をあやすお姉ちゃんみたいで。


「……なに見てんの」「い、いや別に。やっぱ香茱萸もお姉ちゃんなんだなーって」


 言えない。香茱萸の意外な一面に内心ときめいてしまったなんて。子供を助けるための迅速な判断といい、弟を守るために忌術師になったという話は本当らしい。


 改めて三人で階段を上り始めると、俺は以前から気になっていた疑問を口にした。


「ところでいつも謎だったんだけど、さっきの手の紋章? って何なんだ? 三本足のカラスみたいなやつ。式さんも冬月さんも、みんな忌術を発動するときだけ黒く輝いてるよな」


 香茱萸の右手の甲を指差して、尋ねる。そこには羽を広げた三本足のカラスのような紋章が、薄らと黒い輝きを残していた。最初に香茱萸の血の刃を見たときも、冬月さんが白い縄を出現させたときも、式さんに瞬間移動させられたときもそうだった。みんな忌術を発動させる際だけ、なぜか右手の甲に必ず黒いカラスの紋章が輝くのだ。俺が忌術を使っても現れないのに。


「これは〝八咫烏やたがらすの紋章〟……まあ、結社の一員である証みたいなもんだよ」

「八咫烏……ああ、日本神話に出てくる鳥か。証ってことは俺もいつかもらえる?」

「あんたは……いや、今は気にしなくていい」


 今は? 香茱萸はわざわざ言い直した。ということは、俺には必要ないものということなのだろうか。もう結社の仲間入りを果たしたのに。つい香茱萸を横目で窺っていると。


「逢真様」


 隣から、式さんが声をかけてきた。


「冬月様からのご命令を説明させていただきます。結論から申しますと、逢真様には今回の実戦で一度に二匹以上の世喪達を討伐していただきます。それが達成されない限り、今日は帰れないと思えと。このビルは世喪達の巣窟と化しており、最上階である四階には十匹程度の個体が待ち構えています。私、西河様の支援を得ながら、とにかくその指令を果たしてください。ああ、それから」


 このビルは先日黄泉雲家が買い取ったので、お好きに暴れてくださって構いません。と、式さんは平然と語った。……黄泉雲家の財力って一体どうなってるんだよ。


「……俺がなすべきことはわかりました。俺はとにかく自分の力のレベルアップを図る! 二人はバックアップを担当してくれて、香茱萸が攻め、式さんが守りってことですよね。いざとなったらあの『別空間の穴を出現させる忌術』で脱出すると」

「守り? 仰っていることがわかりかねますが、私も戦いますよ? それに私の忌術は別空間の穴を出現させるなんて、そんな大層なものではありません」


 え? 違うの? 正直困惑した。あの瞬間移動の忌術は、それ以外に説明しようがないと思っていたのだが。式さんはこちらの心情を察したのか、眉根を寄せつつも答えてくれた。


「むむむ、いざ言葉で解説しようとすると難しいですね。感覚で例えるなら、そう……私の忌術は、『あちら』と『こちら』を強制的に繋ぎ止めるものです。それが別空間に繋がる穴という風に映ってしまわれたのでしょう。なので、逢真様の認識は厳密には違います」


 もっとわからなくなった。あちらとこちら? 繋ぎ止める? 俺の理解力が乏しいのか? それとも式さんの国語力が悪いのか? だんだん頭が混乱してきた。

 そんな俺の様子がおかしかったのか、式さんはくすりと笑った。


かしこまらなくても結構ですよ。私のことはお気軽に式とお呼びください。敬称で呼ばれるほどの人間ではありません。私は冬月様を監視するべく送り込まれた、獅貴神しきがみ家の密偵ですので」

「へえ、密偵……密偵⁉︎」


 目玉が飛び出るかと思った。衝撃のカミングアウトだった。

 おろおろする自分と違って、香茱萸は平然と歩き続けている。まさか最初から知っていたのか? 式さんと冬月さんのあの関係からは、とても信じられなかった。


「そ、そんなこと、教えてよかったんですか? 俺なんかに」

「周知の事実ですから。冬月様も、西河様も、それに黄泉雲家の方々もほとんどが存じております。話せば少々長くなりますが、私は御三家の一角である獅貴神しきがみ家の娘なのです」


 過去を懐かしむように、彼女は滔々と語り始めた。


獅貴神しきがみ天膳てんぜん……獅貴神家の現当主であり、我らが結社を束ねるおさの名です。そして、私の父でもあります。黄泉雲家の先代の当主の死後、急遽その娘たる冬月様に新たな当主として白羽の矢が立ったのはご存じですね。その形ばかりの当主の動向を探れと、あわよくば懐柔してしまえと任務を命じられたのが、私、獅貴神式なのです。新当主就任祝いの奉公人として」


 右も左もわからない幼い当主に接触し、心を開くのが私の役目でした、と彼女は語る。


「しかし現実はその逆でした。あろうことか私の心が冬月様に開かれてしまったのです。当主である父や他の次期当主候補が全員亡くなり、一族も内乱の危機にある最中、意気消沈して泣き喚いてもおかしくないというのに、冬月様は気丈に振る舞い私に本当の友人のように話しかけてくれたのです。色々な遊びを教えていただき、時には同じ布団に潜ってこっそり朝までゲームをしました。一応、奉公人の身でしたから、バレて追い出されそうになったのは今では笑える思い出です。なので、私が冬月様をお慕いするようになったのは簡単……いえ、当然でした。獅貴神家では、父からも母からも厳しい忌術の鍛錬しか与えられませんでしたから」


 それは温かくて、けれど悲しい話だった。忌術界がどれほど複雑で醜悪か、その一端が垣間見えた気がした。スパイとして潜入した子供が、そこで本当の友達と居場所を見つけた。それは喜ぶべきことなのだろう。だがそこまでの経緯を考えると、心中穏やかではいられなかった。


 ただの子供が享受して当然の幸せが与えられない。それが御三家だというのなら。


「……それで、密偵だってバレたとき冬月さんはどうしたんですか?」

「ふふふ。他の御三家の人間が送り込まれた時点で、それが密偵であるのは疑う余地もない明白な事実なのですよ。むしろ疑われて当然の立ち場でした。そんなことなど露知らず、幼い私が勇気を振り絞って打ち明けた正体を、冬月様は笑い飛ばしてくださいました」


 柔らかく微笑んだかと思うと、彼女は急に真剣な面持ちになって。


「あの方はわがままで大胆不敵なようでいて、その実とても繊細なんです。思えば初めて出会ったときも、かなり無理をしていたのかもしれません。どうか冬月様のこと、温かく見守ってあげてくださいませ。それはあなたにしかできないことなのですから」


 俺にしかできないこと? それってどういう──


「着いたよ」


 俺の疑問は、香茱萸の言葉に掻き消された。いや、正確には、そこに広がっていた光景に。


 カビ臭いコンクリートに覆われた、薄暗い広間。その奥に世喪達の群れが待ち構えていた。十……いや、それを優に超える二十匹近い能面の群れが。三々五々に散っていたそいつらが、今、一斉にこちらを向いて。おぞましい呻き声を漏らしながら不気味な笑みで迫ってくる。


 ──ちっ、十匹程度って話じゃなかったのかよ!


 心臓に手を当て、忌術を解放しようとした──そのとき。


「獅貴神! 半分削るよ!」


 呻き声の一つが、断末魔の叫びに変わって。真っ二つに斬られた霊体が黒い瘴気と立ち上る。その瘴気の向こうから冷徹な眼光を走らせ、血の刃で赤い残像を描くのは、ついさっきまで隣に立っていたはずの香茱萸だった。

 隣で待機する式さんは、左右に捻るように両手を擦り合わせていて。それが忌術発動の合図だと理解したのは、次に香茱萸が別の地点へ瞬間移動した直後だった。


 ──すっげえ……まるで忌術師同士の連携プレーだ。


 次々と別の世喪達の前へ転移し、目にも留まらぬ速さで斬撃を食らわせていく香茱萸。その仕組みは至って簡単。式さんが忌術で世喪達の前へ香茱萸を転送し、そのまま香茱萸は迷わず血の刃を振るうのみ。転送先に標的がいるとわかっている以上狙いを定める一瞬の隙すらなく、世喪達は忌譚も展開できずにただ葬られるほかない。


 それはきっと、長年の熾烈な実戦の成果。互いを信頼しているからこその巧みな連携だった。

 その勢いは、衰えることを知らず。


「香茱萸! 後ろだ!」


 背後からの敵襲。能面を溶かした髑髏が忌譚を広げて香茱萸に襲いかかる。──が。

 ざっくり。次の瞬間、世喪達は忌譚ごと横に切断──いや、バラバラに別れていた。音もなく、霊体の上半分だけ香茱萸の背後から前に瞬間移動したかのように。


 ──香茱萸が斬った……んじゃない! この既視感は……!


 忌術を発動したのは、冷徹に周囲を観察する式さん。それまで擦り合わせられていた両手が、急にぱっと離れたのだ。その直後、先の世喪達が黒髪と骨の詰まった切断面を露わにした。

 俺は見逃さなかった。世喪達が切断される寸前、突然現れた異空間の穴に呑まれ、上半分だけ香茱萸の背後から前へと転送させられたのを。その穴が、今度はいきなり消えて。


 ──『あちら』と『こちら』を強制的に繋ぎ止める忌術、か……言い得て妙だったな。


 予想外の威力に冷や汗が流れる。『あちら』と『こちら』を強制的に繋ぎ止める技とは、裏を返せばその強制を解けば自然と元に戻るということ。『あちら』と『こちら』に分断されるということだ。もし、その瞬間、自分の身体が『あちら』にだけ転送されていたとしたら。


 ──俺の身体も半分『こちら』に置き去りになってたかもしれないのか……ぞっとするぜ。


 こうして息を飲んでいる間も、香茱萸と式さんの猛攻は絶えない。香茱萸が暴れ、式さんが支援に回る。まさに攻守一体。その流れるような身のこなしはもはや美しくすらあった。


 やがて世喪達も半数まで減り、香茱萸が少し息を切らしてこちらに戻ってきた。


「さ、お膳立ては済ませたよ。今度は……っ……あんたの番だ」

「二人とも助かったよ。……よし、行ってくる!」


 世喪達は二人の攻撃に怯んだのか、遠くからこちらを威嚇している。やるなら今がベストだろう。深く深呼吸すると、俺は意を決して歩を進めた。


「私はあいつの援護につくよ。単身じゃ心配だしね」

「よろしいのですか? そろそろ霊肢痛れいしつうが酷くなってくる頃では……」

「これくらいなら問題ない。獅貴神こそ無理してるんじゃないの」

「……承知しました。では私は万一に備えてこちらで待機を」


 二人して何の会話だろう? 耳を澄ませたが遠巻きからは聞き取れず、遅れて香茱萸がついてきた。震える指で手首を押さえ、心なしか具合が悪そうだ。


「大丈夫か。前にもこんなことあったけど」「平気。ちょっと肌寒いだけだから」


 広間の奥へ辿り着くと、獲物が飛び込んできたとばかりに一匹、二匹と世喪達が哄笑にも似た呻き声を漏らし、集まってきた。結果、周りを四匹の世喪達に取り囲まれる。

 四つの能面が床に溶け落ち、暗闇が広がって──世界が忌譚に閉ざされる。


 ──香茱萸も式さんも、さすが冬月さんの部下だな。あんなに強いなんて……ぐっ!


 幾重もの忌譚が重なり合い、混ざり合い、視界が歪んでいく。平衡感覚が失われる。やがて意識がはっきりした頃には、ピカソのゲルニカのような混沌とした悪夢が広がっていた。自分ではない記憶がいくつも頭に流れ込み、歪な風景に眩暈を催し、立っているのがやっとの状態。


「覚悟はできてる?」「あ、ああ……問題ないね」


 体調とは裏腹に、心の準備はばっちりだった。おそらく香茱萸は知らないだろう。俺がこの一週間、夜な夜なこっそり複数の世喪達と戦い、実戦に備えていたことを。まだ一度に二匹以上を葬ったことはないが、コツだけは確実に掴んでいるのだ。


 ──俺だって、あの人みたいに強くなるんだ!


 左胸に手を当てて、叫ぶ。


「忌術……解──」


 言いかけて、詰まる。突如脳裏に蘇ったのは、冬月さんの言葉だった。


 ──『そうそう、面白いといっても程々にね。さすがにあれには私も爆笑したよ。『忌術……解放っ!』だっけ? あんな恥ずかしいセリフ忌術師はわざわざ言わない』


 危ない危ない。注意していたつもりだったのに、つい癖で口にするところだった。あんな台詞また香茱萸に聞かれたら今度こそ爆笑ものだ。言わなくて本当によかっ──


「あんたまた忌術解放って言おうとした?」

「……言ってない」

「言ってない? 私はただ『言おうとした?』って聞いたんだけど。そこまで激しく否定するってことは、やっぱり言ったんだ……『忌術……解放っ!』って」

「だから言ってねーって! いいかよく見てろ! きじゅっ──」


 直後、ゲルニカの奥から巨大な白い腕が生えてきて。いきなり俺の身体を掴んでくると、そのまま上に向かって忌譚の渦を突き破った。

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