8話 転・転・転

 対面では冬月さんがテーブルにつき、メニュー表を開いている。隣には立ったままの従者の女性が。どうやら彼女──式さんも忌術師だったらしく、俺たちはその力によってさっきの体勢のまま瞬間移動させられたようだ。……初体験の俺は見事尻から椅子に着地した格好で。


「な、なんだなんだ⁉︎」「あれって巫女さん?」「急に上から降ってきたぞ!」


 店内がたちまち騒然となる。しかし冬月さんは意にも介さずページをめくり、メニューに目を通しながら滔々と語り始めた。


「君は〝イザナミ〟という名の世喪達を知ってるかな? 最凶最悪と恐れられる、世喪達の頂点に君臨するとんでもない化け物だよ。平安の時代より前に生まれ、数えきれないほどの人々を虐殺し、日本中を恐怖に陥れた正真正銘の怪物。──うん、この店はだめ。つまらない」


 パチンと、指が鳴らされて。それを合図に再び景色が一変した。


「ふぎゃっ」


 またもや椅子に着地。対面では冬月さんがさっきと違うメニュー表を開いている。別のカフェに移動したらしい。


「千年前……飢餓や疫病、暴力が蔓延した、まさに狂気の時代だよ。人が人を喰らい、世喪達が世喪達を襲う地獄のような時代だったらしい。その地獄の渦から生み落とされた大怨霊の正体こそ、イザナミさ。──はい、次」


 パチン! ぎゃふんっ。


「結社の創設はね、その実イザナミ討伐を悲願に掲げてのものだったんだ。けれど数多の忌術師が束になって立ち向かっても、夥しい屍の山が築かれるだけだった。千年も前から、忌術師はイザナミと血みどろの戦いを繰り広げてきたんだよ。わかるかい、千年だよ? それほどまでに邪悪で手強い世喪達が、今もこの国のどこかで生き永らえているんだ。──次」


 パチン! へぐうっ。


「やがてイザナミ討伐は忌術師にとって悲願から野望に変わり、三つの派閥に分かれて争うようになった。それが今の御三家さ。つまり御三家はその野望を果たすべく、他の家々としのぎを削り合っているんだ。とりわけ多くの強大な忌術師を輩出し、その野望に最も近い座にいる黄泉雲家は『イザナミの血族』と呼ばれていてね、私も一族の使命を背負って一生懸命頑張ってるってわけさ。──うん、ここもだめ。やっぱりあそこが一番だね。式!」


 パチン! 景色が切り替わる。だがそこは。


 ──ファミレス?


 明らかにファミレスだった。大衆向けのどこにでもある。


「いやー、やっぱりこういうお店が一番ワクワクするよね。あ、店員さんドリンクバー二つ」

「冬月様、そろそろ騒ぎの事後処理をするこちらの身にもなってください」


 騒然となる店内で、冬月さんは平然と立ち上がる。もう脳みそが処理しきれなかった。少しのあいだ待つと、やがて彼女はカップを二つ手にして戻ってきた。


「それ……紅茶ですよね? それ……」

「えっ?」


 テーブルに置かれたカップを指差して、思わず指摘していた。そこに注がれていたのは、疑問の余地もなく紅茶。最初に彼女が面白くないと一蹴した、ごく普通の紅茶だった。


「あの……」「冬月様、私が言いたいことはおわかりですね?」

「……」


 ダッシュでドリンクバーに戻ると、冬月さんは澄まし顔でカップの中身をコーヒーに入れ替えてきた。


「うん、そういえば今日はコーヒーの気分だった。忘れてたよ」


 パチン! ようやく屋敷に戻る。去り際に式さんがテーブルに勘定を置いていく健気な姿を、俺はかろうじて見逃さなかった。


「実のところ、君の忌術はかなり規格外なんだ。忌譚をそっくり世喪達に与え返す。まさに世喪達を葬るために開花した力だ。だからこそ仲間に引き入れたい。ともにイザナミを倒すために。……それに結社の一員になれば、お父さんの世喪達を探すことも容易かもしれないよ」


 こちらにカップを一つ寄越しながら、彼女は語る。虚を衝かれた。まさか自分が世喪達を追う理由を知られていたなんて。それもこのタイミングで。計算尽くの発言としか思えない。


「やっぱり君のお父さんは世喪達になってたんだね。香茱萸を監視につけといて正解だった。いつも無関心にみえてよく人を観察してるんだよ、あの子」


 ──『世喪達を殺すのにそこまで執念を燃やすのは、妹のためってわけ』

 ──『だけど……それが本当の理由なの』


 そうか。あの時点で香茱萸は、とっくに全て見抜いていたのか。


 結社の一員になれば、父の世喪達を簡単に見つけ出せる──それは大きなメリットだった。長年追い求めていた、それこそ己の〝野望〟をやっと果たすことができるのだから。


 ──『今まで本当にすまなかった……ごめんな、夏翔』


 ……やめろ。あれはただの夢だ。父の幻にいくら謝罪されたところで、現実は変わらない。

 けれど、もし俺が結社の一員になってしまったら──


「ところで疑問だったんだけど、君はどこで世喪達や忌術師なんて言葉を知ったの。他の術師には会ったこともなかったんだよね。なら普通、世喪達なんて名前も出てこないと思うけど」

「どこでって、そんなの決まって──」


 あれ? そういえば俺は、どこでそんな言葉を知ったんだっけ? 何で知ってるんだっけ?

 そうだ。確かあれは、忌術に目覚めた日。生まれて初めて世喪達に出くわして、忌譚の中で確実に心臓を刺されたのに、なぜか生きていて──


 ──〝コノ世カラ……ヨモ……ツ……ヲ葬リ去レ〟


「うぐっ……!」「お客様! どうされました⁉︎」


 頭が痛い。割れそうな痛みだ。こんなこと今までなかったのに、急にどうして。


「落ち着いて逢真くん。とりあえずコーヒーでも飲んで一息つきなさい」

「あ、ありがとう……ござい、ます」


 言われるがまま、朦朧とする意識でカップを口に運ぶ。そして。


「おええええええぇええっ!」


 全部カップの中に戻してしまった。


 ──こ、このコーヒー……ゲロ甘っ!


 コーヒーはもはや苦味を超えて砂糖の味しかせず、とても飲めたのものではなかった。


「なんで……なんでこんな……砂糖の爆弾みたいな……」

「ふふっ、言ったじゃない。普通じゃ面白くないって」


 澄ました顔で、冬月さんは自分のコーヒーを美味しそうに啜る。内心苛立ちを覚えてしまった。彼女のわがままに振り回される式さんの気持ちが、少しわかった。


「ま、返事は今じゃなくていい。気長に考えてみなよ。街の平和を守るため現状を維持するか、より大勢の命を救うために強大な敵と死闘を演じるか。一週間後にまた使いを寄越すから」


 その言葉を最後に、彼女は席を立った。俺はといえば、まだ心に迷いがあった。


 イザナミ──最凶最悪の大怨霊。他の世喪達とは一線を画す怪物。正直、瞬間移動の連続で内容はよく覚えていないが、それを聞いて躊躇いを感じたのははっきりと覚えていた。結社の一員になったら最後、彼女らとともにより熾烈な戦いに身を投じることになるだろう。


 俺にそれができるか? さっき死にかけたばかりの自分が。


 ──『初めまして、逢真夏翔くん。君に会うのをずっと楽しみにしてたよ』

 ──『私は黄泉雲──黄泉雲冬月。お話の前に、まずこいつらを片付けよっか』


 けれどあのとき、俺は確かに憧れたのだ。あの絶大な力に。大勢の人の命を救った彼女この人に。あんなふうに強くなりたいと、心の底から焦がれた。


 ──俺がもっと強ければ、あのとき帆晴を守れたのに。俺にもっと力があれば。


 自分の命より大事な家族。たった一人の可愛い妹。もし冬月さんが助けてくれなかったら、あの場で帆晴も死んでいただろう。自分の手で守ることもできずに。


 ──それだけは死んでも嫌だ!


 だったらもう、答えはわかりきっていた。俺が選ぶべき道は。


「なります! 俺も結社の一員に! あなたみたいに……俺も強くなりたいです!」


 立ち上がって、声を張り上げる。折しも部屋を出るところだった冬月さんが、不意を突かれたように振り返った。それは俺が初めて見た、彼女の驚きの表情だった。


「へえ……こんなに早く覚悟を決めるなんてね。もっと迷うものかと思ったよ」


 不敵に笑って、彼女はこちらに歩み寄る。


「これで君は今日から私の部下だ。ただしそこまで言い切るからにはちゃんと成果は出してもらうよ。並大抵の努力じゃ務まらない、血の滲むような鍛錬も」

「そのための覚悟です」

「……前言撤回。君やっぱり面白いね」


 踵を返して、彼女は颯爽と部屋を立ち去る。が、ふとその足が止まった。


「そうそう、面白いといっても程々にね。さすがにあれには私も爆笑したよ。『忌術……解放っ!』だっけ? あんな恥ずかしいセリフ忌術師はわざわざ言わない」


 × × ×

  

 俺は靴紐を結ぶのが苦手だ──いや、苦手だった。登校前、玄関で靴紐を締めながら思った。


 ──千年の歴史を誇る結社の力……あれってマジもんだったんだ。


 決して疑っていたわけではない。けれど今朝の新聞や各局のニュース、ネットを調べてみて驚いた。昨日起きた電車の事件の情報が、どこにもないのだ。あれだけ大きな騒ぎだったにもかかわらず。まるでそんな事件など最初からなかったかのように。


『今日の電車の騒動も、明日には完全になかったことになってるだろうね』──昨日の冬月さんの言葉が蘇る。まさに彼女が予見していた通りになった。


 ──それだけすげぇ組織の一員に迎えられたんだ、俺は……!


 あれから俺は屋敷まで乗ってきた高級車で自宅へ帰され、後日改めて稽古をつけようという話になった。それまではいつも通りの日常を送っていいと。正直、帆晴の容態が心配だった自分にとってはその方が有難かった。帆晴の元気な姿を確認して、安心するまでは。


 ──必ず見舞いに行くからな、帆晴。俺もお前を守れるように絶対強くなるから……!


 ぴしゃりと両の頬を叩いて、玄関を開ける。今日から新しい日々の始まりだ。


「え?」


 左胸に何かぶつかる。ナイフが、突き立てられていた。


 目を疑った。


 うずくまるような体勢で、ナイフの柄を握る人物。それは綺麗に切り揃えられたストレートボブの黒髪で、死んだ瞳でこちらを見つめる少女──西河香茱萸だった。

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