7話 彼岸と此岸

 右も左も、森。森。森。鬱蒼とした木々が果てしなく広がっている。


 その中央を突っ切るように、車一台がやっと通れるほどの道が整備されている。俺たちを乗せた車は、その只中を一定の速度で走っていた。


 遡ること数時間前。世喪達の軍勢を一度に葬り去った女性──黄泉雲冬月は、その後何事もなかったように宙吊りの電車を線路へ下ろし、香茱萸と二言三言やりとりを交わすと、いきなり俺に車へ乗るよう言ってきたのだ。気づけばフェンスの向こうには黒い高級車が一台停まっており、俺たちが乗るのを待っているようにドアが開かれていた。


 帆晴の無事が第一だった俺は困惑したが、これまたいつの間に手配されたのか救急車が現れ、入院中の病院へと搬送される手筈になった。とんぼ返りとなった帆晴には申し訳ない念でいっぱいだったし、そもそも彼女らが信頼できるかまだ半信半疑だったが、他に選択肢はなかった。


 そして、言われるがままに車に乗り込んだのだが。


「あの、そろそろどこへ向かってるか教えてくれても──」

「しーっ……いま面白いところだから」


 隣の後部座席。そこで真面目な顔でずっと読書に耽っているのは、まさにさっき俺たちを救ってくれた巫女服の忌術師、黄泉雲冬月だった。よっぽど笑える場面なのか、それとも静かに感動しているのか、その手はかすかに震えていた。


 俺はといえばただ緊張するばかりで、借りてきた猫みたいに車に揺られるほかなかった。

 一体どこへ向かっているのか。どれほどの時間が経過したのか……この森に入ってからというもの同じ景色の繰り返しで、時間の感覚などすっかり麻痺していた。


 わからないことだらけだ。統率されたように俺たちを襲ってきた世喪達の大群。自分の記憶を覗き込まれたような異常な忌譚。忌術師だったことを隠していた香茱萸。そして、なぜか俺を知っていたこの女性、黄泉雲冬月。


 ──俺の知らないところで、何かヤバいことが起きてるんじゃ……


 疑念の眼差しが隣へ向く。が、文庫本がパタンと閉じられ、相手の視線が前方へ注がれると、ついつられてそちらに目が行った。


 息をするのを、忘れた。


 巨大な屋敷が広がっていた。果てが見えないほど長い塀に囲われた、時代から隔絶されたような日本屋敷が。裾野のように広がる屋根は天を衝くようでもあり、瓦の一つ一つが陽光さえ遮るほどの厳めしい漆黒に沈み、その威容を誇る佇まいに思わず圧倒された。


 ──森の奥に、こんな場所があったなんて……


 木造の門が、今、大きな音を立てて開く。


「ようこそ我が家へ。ここが忌術界の御三家、黄泉雲の本家だよ」


 × × ×

 

「どう、この家は。気に入った?」


 円いテーブルの向こうから、彼女が椅子にくつろぎながら問うてくる。

 案内されたのは、どこか大正ロマン的な雰囲気漂う畳敷きの一室だった。クラシカルな円いテーブルに、蓄音機、レトロなランプ、それに振り子時計など。開かれた障子戸からは広い庭園を一望できて、時折ぬるい風が流れ込んできた。


『おかえりなさいませ、冬月様』──車を降りた俺たちを出迎えたのは、黒子のような装束に身を包んだ大勢の男衆だった。顔を覆い隠しているせいで表情も年齢もわからない彼らは、主の帰還を待っていたかのように低頭しながら、列に並んで一本の道を作っていた。彼女はその道を当然といった顔で進みながら、時々耳打ちに現れる男衆に無言で頷いていた。


 その光景は力と偉大さを示しているようでもあり、不気味で異様でもあった。


「……と、とても素敵で、立派なお屋敷だと思います。ええと、黄泉雲さん……」

「冬月でいいよ。この家には黄泉雲さんが他にもいっぱいいるからねえ」


 ふふっと笑うと、彼女──冬月さんは神妙な面持ちでテーブルの上で両手を組んだ。


「で、何から聞きたい?」


 ごくり──思わず唾を飲み込む。今日はありえないことだらけが起きた。それこそ自分の世界が一変するような。その真相を知るために、わざわざここまでついてきたのだ。

 つい前のめりになりつつ、俺は慎重に言葉を選んで問うた。


「あの世喪達の大群は何なんですか? まるで統率が取れているような動きでした。それに俺が見た忌譚。世喪達の生前の記憶じゃなくて、俺自身の記憶を見せられているような──」

「はぁー……全然だめ。失格。つまらないよ」

「……は?」


 思わず声に出ていた。冬月さんは退屈そうに頬杖をつくと、拗ねたふうに口を窄めた。


「こーんな大豪邸に招待されて、最凶の忌術師と話して、おまけにこんな美人と二人っきりなのに」


 ぐっとテーブルに身を乗り出して、冬月さんは俺の目を覗き込んできた。悪戯っぽい笑みを浮かべて、吐息がかかりそうな距離で。


「それが、君が最初に聞きたいことなの?」


 目が、離せなかった。頬が、体中が熱くなるのを感じながら、何一つ抵抗できなかった。


 全てを見透かすような透明な瞳。控えめに反り返った長いまつ毛。肌は透き通るように白く、産毛さえも美しく照り映えている。年の頃は大学生ぐらいだろうか、その悪戯っぽい笑みには、企みと、愉悦と、そこはかとない大人の色香が漂っていた。


 だが、何より目を奪われたのは──純白の長い髪。あの神聖な白い縄を思い出さずにはいられない、一点の曇りもない絹のように繊細なその髪だった。


 ゆっくりと、冬月さんは俺から離れて。それまで少しドキドキしていただけの心臓が、急に激しく暴れ始めた。緊張と羞恥心が一気に押し寄せてきたみたいに。


 ──お、落ち着け俺……これじゃ弄ばれる子供じゃないか……!


 冬月さんはケラケラと笑っている。さっきまでの大人っぽさが嘘みたいだ。俺はバレない程度に何度か深く息を吸うと、正面切って再び質問をした。


「なら聞きますが、あなたは……あなたたちは、一体何者なんですか?」

「見ての通り、忌術師だよ。ただし、色んな要因で君とは根本的に違う」


 その一! と高らかに宣言しながら、冬月さんは人差し指を立てる。


「君が思うより忌術界はずっと複雑でずっと広い。日夜裏では権力争いが繰り広げられていてね、その中でも特にトップの座に近いのが御三家。つまりこの黄泉雲家だよ。私は父の代を継いだ、この家の当主なんだ」

「当主? その若さで?」


 にわかには信じがたかった。それだけ広くて複雑だという忌術界なら、もっと老齢の、それこそ権力争いに長い時間を費やしてきた重鎮が当主の方が自然に思えた。


「私がまだ幼い頃、家がとある世喪達に襲われてね。当時の当主……父を含めて、他の次期当主候補が揃って立ち向かったんだけど、みな敗れた。その中で唯一撃退まで追い詰めて生き残ったのが私ってわけ。そこで急遽当主として祭り上げられたんだけど、ただの繋ぎなのは明白だったし、他の親族が黙っちゃいなかった。たぶん一族も適当な頃合いで私に男児を産ませたら暗殺する目論見だったんだろうね。けど……ねえ、逢真くん」


 そっと喉元を、冬月さんの細い指先で触れられる。


「なんで私が最凶の忌術師なんて恐れられてると思う? 強いから? 沢山の世喪達を葬ってきたから? ……ねえ、首って怖いよね。他人に触れられるだけで命を握られてるみたいでゾッとするよね。誰だって、自分の首が縄で吊るされる感覚なんて味わいたくないもんね」


 つつーっと、爪の先で喉を真一文字に撫でられて。指先が離れた途端、どっと全身から冷たい汗が噴き出した。いま自分が話している相手が何者か、否応なしに再認識させられた。


 ──最凶か……そりゃ誰も敵に回したくないわけだ……


 不敵な笑みを浮かべたまま、彼女は話を元に戻した。


「その二。私たちはとある〝結社〟に所属している。もちろん御三家も例外じゃない」

「け、結社……? 忌術師を統括するような、巨大な組織ってことですか」

「そ。千年の歴史を誇る秘密結社さ。その力は君の想像も及ばないほど絶大だ。今日の電車の騒動も、明日には完全になかったことになってるだろうね。そして、その結社を支えている柱こそ我々御三家。……まあ、うち一つの家は袂を分かって、今は技術提供だけなんだけど」


 驚いた。そんな陰謀論めいた組織が実在していたなんて。それも千年も前から忌術師を束ね、世喪達を葬る集団がいたとは。でも、わざわざそんな話を打ち明けたということは……


「まさか俺をここに招いたのは、その結社の一員に誘うため……ですか?」

「ふふっ、理解が早くて助かるよ。実は君には私の部下になってほしいんだ。君の活躍は香茱萸からよく聞いてる。随分な数の世喪達を仕留めてきたそうじゃない。正直、期待以上だ」

「じゃあ、香茱萸が今まで正体を隠してたのは」

「……私たちは優秀な術師を常に求めている。香茱萸は私の部下でね、君の力を見極めるために学校に送り込んだんだ。あれだけ街で暴れ回る君を探すのは簡単だったよ」


 合点がいった。薄々おかしいとは思っていたのだ。霊感があるという共通点だけで世喪達退治に協力してくれたり、情報提供してくれたり。その思い返せば不自然な行動の数々が、俺にあえて世喪達退治をさせて力量を量るためだとしたら、全て辻褄が合う。


 香茱萸は俺を監視していたのだ。彼女との出会いは偶然ではない、仕組まれたものだった。だからこそ、あの電車にも乗り合わせていたのだろう。


「ところで君はイザナミという名を──」「失礼します。冬月様、お茶をお持ち致しました」


 すーっと襖が開かれて、現れたのは和装の黒髪の女性だった。年齢は冬月さんと同じくらいか。銀色の盆を手にした従者らしきその女性は、静かな足取りでこちらに歩み寄ってきた。


「もぉー。遅いよ、式。もう話半分終わっちゃったじゃん」

「申し訳ありません。今日の冬月様のご気分がわかりかねましたので」


 淡白に答えながら、式と呼ばれたその女性は手慣れた所作で二つの空のカップをテーブルに置き、ティーポットを手にする。その様子を、冬月さんは頬杖をついて見守っていた。


「それで? 今日の冬月さんのご気分は?」

「お客様がいらしているので、本日は無難に紅茶かと」

「うーん、式は芸がないなあ。それじゃ面白くないよ。はい──いつもの!」


 パチンと、冬月さんは盛大に指を鳴らす。だが何も起こらない。一体何の真似事かと訝しんでいると、どうやら従者の女性も同じだったらしく、呆れ顔で「は?」と返した。


「ほらはーやーくー。いつものやってよー」

「あの……お客さまの前でそのような振る舞いはいかがなものかと」

「そのお客様のためなの。式はお客様にもっと上質なおもてなしをしたいとは思わないの?」

「こ、このお屋敷で最大級上質な茶葉を厳選したつもりですが……はあ、仕方ありませんね。お客様、どうか無礼をお許しください」


 彼女は盆をテーブルに置くと、両手を拝むように合わせ──正反対に捻るように、勢いよく左右に擦り合わせた。


「あ、あの、『いつもの』って何のこ──ぐへぇあっ!」


 尻に衝撃。まるで空から落下したような勢いだった。


 ──ここは……カフェ⁉︎


 尻をさすりながら状況を確認すると、驚きの光景が待っていた。さっきまでの大正ロマン的な和室が消え、見知らぬカフェが広がっていたのだ。

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