3話 誰のために憎むか
チャイムが鳴って、放課後。それぞれ部活に所属していない俺たちは、授業が終わると決まって旧校舎の空き教室に忍び込み、我が物顔で入り浸っていた。
「今日のお題は……これだ!」
ビシッと俺が叩いた黒板には、『最近の世喪達の動向チェック!』と大きく書かれている。
つまるところ世喪達会議。みんなで奴らの情報を出し合い、退治に向けて頑張りましょうという会だった。もちろん退治の役は俺一人だし、表立ってできない話だからこうしてこそこそ集まっているのだが、効率的に奴らを狩るにはこまめに情報を共有するのが大事なのだ。
バラバラに席についている二人。先に発言したのは
「あのさ……こうして毎日のように集まってるけど、もう情報なら出尽くしたって言ったよね。そもそもこの狭い街でそう何度もあいつらに遭遇すると思う? この会議って意味あるの」
退屈そうに頬杖をつく香茱萸に、俺は堂々と答える。
「意味ならあります! 情報がないという情報が逆に奴らの絞り込みに役立つからです!」
「……あ、そ」
嘘ではない。俺たちの行動範囲に世喪達がいなければ、裏を返せばそれ以外の場所にはいるということ。探す範囲は広がるが、少しでも他の範囲を潰せたならそれだけで収穫だ。
「僕もあまり役立つ情報は持ってないけど……この前深夜に墓地に近寄ろうとしたら、ちょっと嫌な気配を感じたな。それで急いで帰ったけど、墓地は気をつけた方がいいかも」
「……墓地か」
世喪達の傾向を読むのは難しい。人気のない場所に棲み着くのもあれば、四年前のようにいきなりショッピングモールを襲う凶悪なのもある。それらの犠牲者の大半は正体不明の殺人犯のせいにされるか、行方不明として処理される。要するに未解決だ。
墓地はその性質上か、それとも奴らは腐っても霊だからか、世喪達が集まることが多い。だから定期的に優先して狩って回っていたのだが、万事がうまく運ぶわけではないらしい。
それにしても。
「兼人……前に話したよな。自分から危険な場所に近づくのはやめろって。お前は忌術師じゃないんだから、あくまで普段の行動範囲の話でいいんだ」
忌術師でない二人は、いざとなったら逃げる他ない。
ここは単なる情報共有の場。ここでの情報は、あくまで自由行動の範囲内の話だった。自ら危険な場所に赴く行為はむしろ近寄ることすら厳禁にしていた。みんなの持ち寄る希少な情報だけでも、とても役に立っているのだから。
香茱萸などは霊感でそれを察知して、危険な場所を的確に弁えている。しかし兼人はどうも必要以上に役に立ちたいと考え、自分を過小評価する傾向があるみたいだ。
「お前の身に万一のことがあったら悲しむ人はいっぱいいるんだぞ? お前の家族に、友達。香茱萸。もちろん俺だって。きっとお前が思ってる以上に悲しむと思うし、泣くと思う」
「そうね。あんたが死んだ時よりずっと泣くと思う」
「そこ、静かに」
兼人はしょんぼり押し黙ると、やがて困ったように笑った。
「そうだね、ごめん。僕、周りがよく見えてなかった。これからは気をつけるよ」
でも、と兼人は付け加えて。
「夏翔だって僕たちに何か隠し事してない? 最近明らかに世喪達の動きを知りたがるよね。なんだか焦ってるように見える」
思わず面食らう。──隠していたつもりは、なかったんだけどな。
なんだか居心地の悪さを感じて、窓際まで歩いて、やがて白状した。
「……明日、妹に久々に外出許可が下りるんだ」
沈黙が、寂れた空き教室を包んだ。
妹はずっと入退院の日々を繰り返している。四年前、帆晴は幸い世喪達に襲われなかったものの、なぜか体調が急変し入院した。身体は健康そのもので理由はわからなかった。それが生まれつき霊障に弱いせいだと気づいたのは、その後も何度か奴らに遭遇したときだった。
「ちょうど明日は母さんの命日だからさ。帆晴を絶対安全な環境で墓参りに連れて行ってやりたかったんだ。次、いつ一緒に外に出れるかわからないから……」
身体は健康なのに、運動が大好きなのに、他の誰より優しいのに。
帆晴の体調は年々弱っている。だからこそ、大事な一日にしてあげたかった。
「世喪達を殺すのにそこまで執念を燃やすのは、妹のためってわけ」
「えっ」
香茱萸の言葉に、思考が停止する。
「前から聞きたかった。何であんたがそこまで世喪達を憎むのか。普通は怖くて逃げるもんなんだよ。最初はただのヒーロー願望かと思ってた。だけど……それが本当の理由なの」
香茱萸の眼差しは相変わらず冷めていて、けれどどこか熱を感じた。
そうだよ、当たり前だろ──その言葉が喉から出かかって、詰まる。それが彼女から感じるそこはかとない圧のせいかはわからない。……いや、違う。本当はわかっている。
「……そうだよ、当たり前だろ」
変わらぬ眼差しで俺を見つめる香茱萸と、困惑した様子でこちらを見比べる兼人。
結局その日は気まずい空気のまま解散となり、各々の日常へと戻った。
× × ×
家に帰ると、爺ちゃんが夜の庭でタバコを喫っていた。
「よう、おかえり。遅かったじゃねぇか」「爺ちゃん……た、ただいま」
ぎこちない声が出てしまう。直前まで、明日に備えて念のため付近の墓地に立ち寄っていたのだ。世喪達こそいなかったものの、どこか虚を衝かれた気分だった。
なんとなくこっちに来いと言われているようで、隣に並んで夜空を見上げる。気温は少し肌寒くて、冬の足音を感じる。街は静まり返っていて、紫煙が吐かれる音まではっきり聞こえた。
夜の闇に、タバコの火が真っ赤に燃えている。
「……禁煙、したんじゃなかったの」
「ん? ははっ、思い立つのは簡単だがな、それを継続するってのはなかなか難しいもんよ」
俺の耳元に口を寄せて、爺ちゃんはこっそり付け加えた。
「それに家の中で婆さんに見つかっちまったら叱られて大変だからな。こそこそ外で喫うしかねぇのさ」
「おーい、聞こえてますよ。おじいさん」
遠くから響く婆ちゃんの声に、爺ちゃんの肩がビクッと震える。つられて俺もビクッとした。
婆ちゃんは気が弱そうな人にみえてしっかり者だ。おまけに地獄耳だから隠し事が難しい。調子に乗った爺ちゃんを諌めるのが婆ちゃんの役割みたいなものだった。
「……ま、まあ、とにかく我慢するのは大変ってこった」
気を取り直して、爺ちゃんは紫煙を吸い込んだ。
「なあ夏翔。夜中にこっそりどこ出歩いてる?」
心臓が、止まるかと思った。
恐る恐る隣を見やると、爺ちゃんは穏やかな表情のまま、紫煙を吐き出すところだった。
「この年になるとちょっとした物音で目が覚めてな、尿意だけでも辛いってのに困ったもんだ。お前が夜中に家を抜け出してることはだいぶ前から知ってた。そんでもお前も高校生だし、今の時分にしか味わえねぇ貴重な大人の階段を登ってるんなら、まあ吝かじゃないと思った」
こちらを向いて、爺ちゃんは冗談だよと悪戯っぽく笑う。
「お前がそんなお天道様に顔向けできねぇこたぁしない子だって、ちゃあんとわかってるよ。ただな、もし何か悩みを抱えてるんだったっらちゃんと話してほしいんだ。もう一六歳なんだ、色んなことがあるだろう。けどそんな時はいつだって頼っていいんだぜ」
ニカッと笑う爺ちゃんに、これ以上ない頼もしさを感じた。
けど世喪達のことは爺ちゃんに話せない。きっと信じてくれるかもしれないけど、余計な心配をさせてしまう。──しかし、まさかバレていたなんて。育ての親に隠し事はできないなと、自分自身の甘さを痛感してなんだか面映ゆい気持ちだった。
「……なあ、お前の父さんは……息子は、どんな父親だった? まだ憎んでいるか?」
顔が、自ずと強張るのを感じる。爺ちゃんは先ほどと打って変わって、どこかしょげた、申し訳なさそうな表情をしていた。
熱いタバコの先端が、携帯灰皿の底をじりじりと焼き、押し潰れる。
「今でもな、思うんだ。あいつがお前たちに酷い仕打ちをしてるって知っときながら、何でもっと早く守ってやらなかったんだって。何で強引にでも引き取ってやらなかったんだって」
──『仕事で疲れてるんだよこっちは! 誰のために身を粉にして働いてると思ってる!』
──『もう我慢の限界だ……ちょっと来なさい』
「ごめん、ごめんな……俺の躾がもっとちゃんとなっていたら……」
とても悲しそうに、爺ちゃんは何度も謝る。
心配をかけたせいだろうか。夜の静けさが感傷的な気分にさせたのだろうか。……どっちにしろ、返事なんて言うまでもなく決まっていた。
「何言ってんだよ、そんなの爺ちゃんのせいじゃ──」「晩ご飯ができましたよー」
婆ちゃんの呼ぶ声に、最後の言葉は掻き消された。一緒に頷いて、俺たちは家に戻った。
三人で食べる夕食。家族の団欒。バラエティ番組にツッコミを入れる爺ちゃんに、微笑みながらそれを見守る婆ちゃん。それに、仕方ないなぁという顔で付き合う俺。
食べ終えると、二階にある自分の部屋に鞄を放り、ベッドに倒れ込む。
疲れが、どっと押し寄せてきた。
『父さん言ったよな! タバコカートン買いしてこいって! ちゃんと金も渡したよな!』
知らないよ、そんなの。子供にタバコを売ってくれる店があるわけないだろ。知らないほど馬鹿なのか? それとも知っててわざとやってるのか? クソ親父が。
『仕事で疲れてるんだよこっちは! イライラして癒しが欲しいんだ! それをお前はなんだ! わざとやってるのか! 誰のために身を粉にして働いてると思ってる!』
イライラしてるのはこっちだよクソゴミが。我が子を虐待して、自由を奪って。どうしてそっちが怒ってるんだ? どうして平気でいられるんだ?
『もう我慢の限界だ……ちょっと来なさい』
後ろから強引に首根っこを掴まれ、床を引きずられる。幼い身体は抵抗する力もなくなすがまま連れて行かれる。
帆晴が泣きながら飛び出してきて、俺と父を引き離そうと小さな両手に力を込める。逆上した父がその腹を蹴り飛ばす。うずくまる帆晴の顔には恐怖の色しかない。
何しやがる! 勝手に怒声が上がる。妹への仕打ちに腹の底から怒りが湧き上がる。が、ジタバタするしかない身体はそのまま風呂へ連行され、お湯の中に無理やり顔面をぶち込まれる。
苦しい。息ができない。
怖い。……怖い。
『どっちか選べ。自分が躾を受けるか。妹を身代わりに立てるか。楽な方を選ばせてやる』
そう言って父は俺の頭を水中から引き上げ、懐からタバコを取り出すと、火をつける。
真っ赤なタバコの火が、灼熱に燃える火が──恐ろしい光景として、目に焼き付いた。
怖い。怖い。
ここで自分が嫌だと言えば、本当に見逃してくれるんだろうか? いま自分が妹を選べば……お父さんは、僕をのことを、ちゃんと許してくれるのかな?
──なに馬鹿なこと考えてやがる! 死んじまえ!
長く感じる時間の中で、震える声で、俺は言った。
『お願い、します……』
再び顔を沈められ、呼吸ができなくなる。タバコの熱がゆっくり背中に近づいてくる。
そして──拳が勝手に枕を叩いていた。
意識が現実に引き戻される。ベッドに机、ダンベル、脱ぎ捨てられたランニングウェア、埃をかぶったゲーム機……ここは俺の部屋。今の自分が住む家だ。
──『世喪達を殺すのにそこまで執念を燃やすのは、妹のためってわけ』
嘘じゃない。妹のために街の平和を守りたいのも、人々を脅かす世喪達の存在が許せないのも、全部本当だ。でも。
──『だけど……それが本当の理由なの』
けど、俺はあの日見たのだ。クソ親父の遺体から立ち上るわずかな瘴気を。世喪達が生まれ出た死体からしか感じられないはずの邪悪な気配を。
見つけだして、必ず味わわせてやる。俺たちが味わった痛みを。化け物になったクソ親父に。──それが、俺が世喪達を追う本当の理由だった。
× × ×
翌朝。巨大な紙袋を抱えながら、俺は病院の廊下を駆け足で歩いていた。
今日、妹に会える。ようやく一緒に外を出歩くことができる。
紙袋の中身は大量の漫画や雑誌。帆晴はいつもベッドの上で娯楽に飢えているから、よさげなものを選んで買ってきたのだ。帆晴は激しい運動ができないし、学校にもなかなか通えず友達も少ない。せめて退屈にならないよう、時折こうして娯楽を持っていくのである。
──今日は沢山帆晴のわがままを聞いてやるんだ。行きたい場所に連れてってあげるんだ。
やがて病室に辿り着く。息を整えて、コンコンとドアをノックした。
「帆晴? 迎えに来たぞ」
返事がない。聞こえなかったのだろうか?
試しにもう一度ノックする。が、病室からは物音一つ聞こえなかった。
ゆっくりと、ドアを開く。ベッドに──帆晴の姿はなかった。
「帆晴……? お、おーい帆晴!」
なんだか胸騒ぎがして、病室のあちこちを探し回る。ベッドの下、カーテンの裏、イスの陰……ありとあらゆる隙間を探したが、どこにも帆晴は隠れていなかった。
体調が急変した? それとも誘拐? 不安が頭を駆け巡る。訪ねる時間は事前に伝えておいたし、いつもはベッドで待ってくれているのに。まさか世喪達の仕業じゃ……
──ギシ……ギシ……
最後にもう一度、俺は窓際に回り込んでベッドの下を覗き込んだ。ここからなら、病室の全景をくまなく見渡せるかもしれな──
「だーれだ!」「わああぁああああぁ!」
大量の本が宙にひっくり返る。驚きのあまりベッドの底が頭にぶつかり、落下してくる本を顔面から浴び、前が塞がったまま背後の壁に思いっきり激突した。
驚きやら事故やらで死ぬかと思った。なんとベッドの下の向こうから、いきなり逆さまの少女の顔が現れてこちらを覗き返してきたのである。
「ご、ごめん……大丈夫? そこまで驚かせるつもりなかったんだけど……」
声の方を見上げると、いつの間にかベッドの上にぺたんと一人の少女が座っていた。
「えへへ、ずーっと見てたよ。おにぃが慌てて私を探してくれてるとこ」
やや癖っ毛の栗色の髪に、無邪気な笑顔、優しく語りかけるような瞳。そして……患者衣に包まれた、少しでも力を加えたらそのままベッドに倒れてしまいそうな身体。
それは紛れもなく、世界で一番大事な妹──十四歳に成長した逢真帆晴に他ならなかった。
「おま……お前なあ、すごい心配したんだぞ。一体どこに隠れてたんだよ」
「隣の病室だよ! たまにはおにぃをびっくりさせようと思ってさ。おにぃが来る前からちょっとだけドア開けて、私の部屋の前覗いて隠れてたんだ」
顔の前でピースを作って、帆晴はあざとくウインクを送ってくる。
「……それ、隣の患者さんに迷惑じゃないか?」
「大丈夫! ご近所さんとはいつも仲良くやってるし。最近じゃ色んな患者さんや看護師さんと友達になってね、こっそり雑誌とか小説とか持ってきてくれるんだー」
「ったく、相変わらずお前は天然の人たらしだな」
ついお互いに笑みがこぼれた。帆晴のすぐ人と打ち解ける性格には、いつも驚かされる。担当医が変わっても次の日には親しく話していたし、お見舞いに来た迷子の子供に出会った時は親を見つける前に笑顔を取り戻していた。本当に優しい子なのだ、帆晴は。
それにしても……床に散らかった雑誌類を見下ろして、俺は内心動揺していた。帆晴が喜ぶと思って買ったのだが、これでは逆にがっかりさせたかもしれない。
「ん? これ……」
雑誌の一つを拾い上げて、帆晴はパラパラとページをめくる。
「わあああ! わざわざ色んな本買ってきてくれたの? ありがとー!」
「……本当に、そんなんでいいのか?」
それはどこにでもある、ありきたりな週刊誌だった。とりたてて喜ぶものではないと思うのだが──帆晴は、輝いた瞳で答えるのだった。
「そうだよ、当たり前だよ──おにぃがくれるものなら、何でも嬉しいに決まってるよ!」
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