15話 イザナミの心臓

「おはよう、逢真くん。ちょっと見ない間にずいぶん大きく成長したねー」


 暗闇の向こうから、俺を呼ぶ声が聞こえる。眠っていたのだろうか。とても長い夢を見ていた気がする。俺は今まで、どこで何をしていたんだっけ?


「ここは黄泉雲の本家。うちの地下だよ。力尽きて倒れた君をちょーっと強引な手段で街から連れて来させてもらった。ここなら君とゆっくりお話できる」


 ──あれ? 手足の感覚がねぇぞ。身動きもできない。これって……縛られてるのか?


 目を開く。そして、愕然とした。小人が、囲うように地面からこちらを見上げていた。一人を除いて、見覚えのある四人の小人が。知らない男、香茱萸、式さん、それに──ひっ……!


 戦慄した。冬月さんと目が合った途端、全身に怖気が走った。あの神聖な縄で首を絞められる感覚が、死の底に落とされる恐怖が、経験したこともないのになぜか鮮明に蘇ったのだ。


「また同じ過ちを繰り返しやがったな! 『イザナミの血族』が!」「少しは冷静になりなよ雨谷あまや。やっと当人が目を覚ましたんだから」「そうです。我々は冬月様のご判断を待つのみ」


 みんな争っているようだが、内容など頭に入ってこなかった。なぜみんな小さくなった? 俺が眠っている間に、妙な忌譚の中にでも囚われたのか?


 ──あれからどれぐらい経った? 二体の化け物に打ち負かされたところまでは覚えてる。とにかく二人とも無事みたいだけど、何が何だか全然わかんねぇぞ⁉︎


 戸惑っていると、冬月さんが一歩先頭に進み出た。


「まどろっこしいのは苦手でね。本題に入らせてもらうよ。この動画を見れば一目瞭然さ」


 そうして取り出されたスマホも、やはり小さくて。なぜか血で汚れていて。だがそこに映っている動画を目にして、絶句した。そこには見たことのない三体目の化け物が映っていたのだ。


 ──そうだ! 俺は化け物に吹っ飛ばされて、挙句鉄筋に心臓を貫かれて……それから、どうなったんだっけ? 生き返った……のか? 確かにどこも痛くねぇが……


 スマホの中では、能面をつけた巨大な背骨の化け物が『イザナミの右腕』に襲われている。化け物が、化け物に襲われている。一体どうなってる? 同じ仲間じゃないのか? 疑問も束の間、〝キジュツ……カイホウ〟──背骨が相手の忌譚を奪って攻撃を開始したのだ。


 ──すげぇ、あの化け物を圧倒してる。まさか味方だってか? でもこの忌術って……


 漆黒の閃光が無数の骸の腕と化し、一つの巨大な右腕となって敵のど真ん中を貫き──冬月さんはそこでスマホを消した。そして、真っ暗な画面に、化け物の能面が反射した。


〝エ……?〟


 驚いた。眼前の光景に。自分の口から出た声の、おぞましさに。


 ──嘘だ。そんなの、ありえない。


 それは明らかに、ここにいるのが動画と同じ化け物で。つまりは俺が──その化け物である証拠に他ならなかった。


「理解できたかい? 私たちが小さくなったわけじゃない。君が大きくなったんだ。背骨……正しくは『胴』の姿にね。逢真夏翔──いや、『イザナミの心臓』」


 わけがわからなかった。俺が化け物? イザナミの……心臓? 街中の人々を殺戮した『イザナミの右腕』や『左脚』と同じだっていうのか? そんな馬鹿な。きっと何かの間違い──


 ──『味わわせてやる……あの化け物どもに、みんなの痛みを! 『!』


〝ア……〟


 背筋に、冷たいものが走った。……いや、今の自分が化け物なら、正しくは背骨に。自分がどれほど危機的な状況に置かれているか、やっと理解した。

 岩肌が剥き出しになった、地下を丸ごとくり抜いたような巨大な洞窟。周囲を灯す無数の蝋燭。冬月さんは言っていた。ここは黄泉雲家の地下だと。


 ──何かを……誰かを閉じ込めて、自由を奪うための場所……なのか……?


 今までと違う、細長く伸びた能面の視界の向こう。仲間の視線が、自分一人に注がれていた。そのどれもが冷たくて、殺気や蔑みが籠もっていて。明らかにそれは仲間を見る目つきではなく、化け物を見る目つきだった。特に香茱萸はつまらなそうに腕組みをしたまま、目も合わせようとしてくれず……ぎゅっと胸が締め付けられる思いがした。


 焦燥感が募った。身の危険を感じた。逃げ出そうと、ここから脱出しようと、必死に背骨の身体を動かした。けれど身動き一つ取れなくて。顔を──巨大な能面を限界まで後ろへ反らすと、無数の白い縄が洞窟の天井まで伸びているのが映った。


 歴代最凶の忌術師の、世喪達を死刑に処するためだけの縄が、化け物と化した自分の背骨の至る所に巻きついて宙吊りの状態にしていた。


「ちっ、このガキやっぱり記憶が飛んでやがる」

「問題ないさ。いずれは明かすつもりだったんだ。監視する本当の理由や忌術師の真実を」


 式さんの忌術で、冬月さんは一人分のソファを運ばせて、そのまま俺を見上げる格好でどさっと座る。式さんの骨折した腕にはギプスが巻いてあり、香茱萸も含めて至る所にガーゼや絆創膏が貼ってあったが、忌術は支障なく使用できるらしかった。


「『イザナミのむくろ』──それが君を襲った化け物の正体だ。イザナミの概要は覚えているね。世喪達の頂点に君臨する、日本中を恐怖に陥れた最凶最悪の大怨霊。ところが、イザナミはそれだけじゃ飽き足らなかった。より多くの場所で、より大勢の人々を殺戮すべく、なんと我が身を八つに分けたんだよ。つまり、君が目撃した二体はれっきとしたイザナミの一部なのさ」


 巫女服のまま脚を組んで、冬月さんはいつもの調子で語る。


「『くび』、『はらわた』、『右腕』、『左腕』、『右脚』、『左脚』、『陰』。そして『心臓』。それらを称して私たちは『イザナミのむくろ』と呼んでいる。その中で〝イザナミ〟と通称されている個体こそ、『首』と双璧をなす『はらわた』なんだ。『イザナミの骸』の中で最も強大な、顕現するだけで災厄が起きるほどの怪物さ。私たちはそれを打ち倒すべく活動している」


『イザナミの骸』──街を蹂躙した化け物の正体。必死に深読みを試みたが、説明を頭で追うのでやっとだった。こっちはその説明している当人に、命を握られているのだから。


「『骸』にはそれぞれの特性がある。『首』は罪と罰を、『腸』は飢餓と裏切りを、『腕』は自由を、『脚』は束縛を、『陰』は結合と創造を。そして、生と死を司る個体こそ、君の魂に宿る『イザナミの心臓』なんだよ」


 信じられなかった。イザナミの一部が我が身に宿っているなんて。一体いつから? どうやって? 自分が『イザナミの心臓』の名を呼び、その後この化け物の姿に変貌したことが、冬月さんの言葉を裏付ける証拠で間違いないのだろうが。


「冬月様に代わって改めてお聞きいたします。あなたはどこで世喪達の名を知ったのですか? 知識を仕入れる場がないにもかかわらず、なぜ自らを忌術師と名乗ったのですか?」 

〝ダカラ……ソンナノ決マッテ──〟


 ──〝君ノ人生には大キな痛みと苦難が待ッてイル。そレでもヨケれば……力ヲ与エよう〟

 ──〝きっト君は、私のコトを忘れルダロウ。ソレデモ、コレダケハ覚エテイテホシイ〟


 違う……そうだ、思い出した! 俺は四年前に死にかけたとき、謎の白い人影に出会って、不思議な力で蘇生させられたのだ。そして、魂と融合を果たした。その誰かの記憶が、俺に知識を与えてくれたのだ。世喪達や忌術師の名と、力の使い方を。そのおかげで、これまで沢山の世喪達を葬ることができた。だとしたら、決して悪い力ではないのでは──


 ──『便利でしょ、これ。使い方次第で何でもできるんだ。敵の攻撃を防ぐことも、敵を内側から破壊することも。それに──世喪達の首を吊るすことも』

 ──『へえ、人に戻れるんだ。首のない敵を殺すのって初めてだから、正直助かるよ』

 ──『分家や他の御三家は同じ人間と思うなってお父様から教わってるの。だからせめて安らかな夢でも見てね。おやすみなさい、雪凪ちゃん』


 ぞっと、悪寒に全身を襲われて。さっきの夢の内容が鮮明に蘇った。こちらを見上げる最凶の忌術師と、あの夢の主人公が最後に見た幼く冷酷な忌術師の面影が重なって、身震いを覚えずにはいられなかった。


『イザナミの心臓』の名を呼んで意識を失っている間、俺は長い夢を見た。どこかの貧しい少女がどこかの裕福な少女に出会い、復讐に失敗して首を吊られる夢だ。幼い頃の、冬月さんに。


 あれが単なる夢とは思えない。もし『イザナミの心臓』の記憶なら、俺を二度も死の淵から生き返らせてくれた白い影は、あの少女ということになる。冬月さんや黄泉雲家に強い恨みや憎悪を抱いているだろう。復讐も果たせず、貧しい自分とは正反対の少女に殺されたのだから。


 ならこれは、やっぱり危険な力なのか? 意識を完全に手放す直前、俺は何か大事な言葉を思い出さなかったか? あの少女が俺に言い残した、最後の台詞を。


 縋る気持ちで、香茱萸の方に視線を向ける。だが彼女は相変わらず、こちらに一瞥もくれず退屈そうに腕組みしたまま立っていた。


〝俺ハ……何カ問題ヲ起コシマシタカ? 他ノ『イザナミの骸』ミタイニ、暴レテ街ヲ破壊シマシタカ? 人ヲ……襲ッタンデスカ?〟

「てめっ……ふざけ──」

「いいや、むしろ役に立ってくれたよ。大健闘さ」


 よかった。内心不安だったのだ。暴走して、あの化け物どもみたいに街を蹂躙したり、人を襲ったりしてはいなかったかと。あの動画を見る限り、俺はあくまで敵を攻撃しただけで、人は攻撃していない。記憶は飛んでも、幸い忌術師としての本能で動いていたようだ。


 それにしても、あの動画はどこの誰が撮ったのだろう? だいぶ血で汚れていたが……


「君は『イザナミの心臓』として覚醒し、忌術も以前より進化した。忌譚を与え返すのみならず、自在に我が物にできるようになった。おかげで『イザナミの右腕』の討伐に成功。『左脚』を撃退まで追い込んだ。初陣から実に素晴らしい成果だ。誇っていいことだよ」


 正直、驚いた。まさかそこまで大きな戦績を残していたとは。この姿になる前は役にも立たなかったのに、これが『イザナミの心臓』の……いや、イザナミの力なのか。


「『イザナミの心臓』はね、どういうわけか長年行方知れずだったんだ。それが四年前、とあるショッピングモールで気配が観測された。一匹の世喪達が大暴れして、大勢の人が死んだ、他ならぬ君たち兄妹が当事者となったあの事件のことさ。どこかの誰かの通り魔的犯行として結社が葬った案件だよ。でも結局そこでは『心臓』は発見されなかった。ところが、だ。しばらくして意外な場所で発見された。それが君の魂の中ってわけ」


 にやりと、彼女は不敵な笑みを浮かべる。


「君と最初に出会ったとき、世喪達の大軍勢が現れたね。妙にリアルな忌譚に魅入られたとも言っていた。そして今度は『右腕』と『左脚』のお出ましだ。奴らはイザナミ……つまり『腸』に命じられて、君を奪い返しに来たんだろう。正確には君の中に眠る『心臓』を」


『左腕』の気配は囮だったよ。私が新幹線に乗ってしばらくして、結社から異常事態の報せが届いた。おそらく君を連れ去る上で私の存在が邪魔だったんだろうね。まったく次から次へと、迷惑な犯行だよ、と彼女は大袈裟な身振りで語る。 


「イザナミはね、あらゆる忌譚を自在に渡り歩いたり、世喪達を意のままに操ることができるんだ。それが世喪達の頂点に君臨する理由の一つさ。証拠に、電車に現れた世喪達の口から大勢の世喪達が湧いてきたり、例の廃ビルで忌譚の中から『右腕』と『左脚』が出現したそうじゃない。ねえ、ショッピングモールでも同じことが起きたんじゃないの? あの場で世喪達に対処できる人間はいなかったのに、なぜか消滅時の瘴気の残滓が確認されている。君はあのとき、『心臓』が忌譚か世喪達の口の中から出てきたところを見なかった?」


 そういえば、あの白い人影が現れたとき、世喪達の断末魔が聞こえた。以降、あの世喪達はどこかに消えた。電車の場合と同様に、強引に口の中から出てきたのだろうか──


「ああちなみに、君の妹──帆晴ちゃんの身柄はこっちでしてるから。君が何度も狙われたんだ。万が一を考えて、ね」

〝保護……デスッテ?〟


 怒りが込み上げた。一気に憤りが恐怖を凌駕して、本能的に眼下の冬月さんを睨んだ。


 保護なんて嘘っぱちだ。俺の逃亡を防ぐための、事実上の人質。こちらが下手なことをすれば帆晴の身に何が起こるか保証できないと、俺を脅しているのだろう。そんなの到底許せない。帆晴はこの件と何ら関係ないのだから。


〝サッキカラ黙ッテ聞イテリャ……俺ガ一体何ヲシタッテ言ウンデスカ! 街ヲ壊シタワケデモ、誰カヲ殺シタワケデモナイ! 邪悪ナ化ケ物ヲ駆除シタダケダ! ソレハ俺ガ忌術師ダカラ! タトエ今ハ醜イ化ケ物ノ姿デモ、俺ハ皆ト同ジれっきトシタ忌術師デス!〟

「バカが。このクソ化けモンが。てめぇはそもそも忌術師じゃねぇよ」

〝ハ?〟


 ──は?


 たしか雨谷あまやと呼ばれていたか。何を言ってるんだこのおっさんは? 俺が忌術師じゃないだって? 忌術が使えるのにそんな馬鹿なことがあるか。


「逢真くん、今の状態の君ならわかるんじゃないかな」


 俺の当惑を無視して、冬月さんはゆっくりソファから立ち上がる。


「呪術なんて言葉が浸透しているこの国で、なぜ私たちは忌術師なんて物騒な名で呼ばれてると思う? 忌術の〝忌〟ってさ、何を由来にしてるのかな?」


 言いながら、彼女は自分の右腕を高く掲げてみせる。その手の甲には三本足のカラスの紋章が黒い輝きを放っていた。いつか香茱萸が話していた結社の証、〝八咫烏やたがらすの紋章〟が。


 その黒い輝きに──一瞬、思考が停止した。


〝ソレッテ……マサカ、世喪達ノ気配……?〟

「その通り。これは単なる結社のシンボルじゃない。世喪達の魂が封印されてるのさ。それが〝八咫烏の紋章〟。君にないもので、君と私たちの最大の相違点」

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