第2話 臆病な魔王は帰ってほしい
「昔々の物語。
人間の国と魔族の国がまだ一つの国だった時のことです。
人間族は魔族にこき使われていました。それは、人間族が弱かったからです。人間族は逆らえませんでした。
しかしある時、ひとりの強い聖魔法使いの人間が生まれました。
彼女は人間を率いて魔族から独立しようと動きました。そして、魔王と話をして、ついに独立することになったのです。」
マヤの語る物語にニュイは黙って耳を傾けていた。
「こうして、聖魔法使いは、建国の聖女と称えられるようになりましたとさ。おしまい。」
手作り感満載の紙芝居の最後は、喜びに湧く笑顔の民衆に囲まれたひとりの女性のイラストで締め括られた。
ここは、魔王城の魔王が控える部屋。
今この部屋にはマヤとニュイ、そしてミカヅキの3人しかいない。突然押しかけてきたマヤは、手に持っていた紙芝居を唐突にニュイの目の前に出し、なんの前奥もなく語り始めたのだ。関わりたくないのか、ミカヅキは静かに机に向かって事務作業を進めている。ニュイはそんなミカヅキを恨みがましく睨みつつも、マヤに何も言うことが出来ずただひたすら、突然始まった紙芝居を聞いていた。
伝わる。伝わりはするのだ。
だが、個性的なイラストのせいで感情が追いつかない。『建国の聖女』として描かれているはずの女性は首から手が生えている。まるでクラゲのようなイラストに、「いやそいつ絶対聖女じゃない」とは口が裂けても言えない。むしろマヤには人間族がこのように見えているのかと不安を覚える。ニュイは複雑な表情で、やり切った表情をしていたマヤに声かけた。
「おい。」
「はい、何でしょう。」
「その話はもう飽きた。毎日毎日……」
マヤが魔王城にやってきて数週間が経った。
マヤは朝一に魔王の部屋にやってきてこうして紙芝居を読み始めるのだ。幼稚園児が描いたような微笑ましいイラストと、短すぎず長すぎない絶妙な長さのストーリーに、ニュイは口を挟むタイミングを完全に見失っていた。
なのでついつい最後まで紙芝居を見てしまうこと数週間。さすがに聞き慣れた話にうんざりし始めたのだ。
「さすが魔王様です。もう覚えたのですね。それでは第二章のお話を……」
そう言ってマヤは肩から掛けていた鞄の中を探り始める。その行動にニュイは焦った。
「第二章?」
想定外であった。てっきりもう次はないと思っていたのだ。
絶対にこんなものを日課にしたくはない。ニュイはマヤの個性的なイラストで精神が崩壊してしまいそうだった。
しかし、そんなニュイの気持ちなど露知らず、マヤは満面の笑みで返してきた。
「はい。第二章は建国の聖女が国を平定するまでの苦難の道のりを紙芝居にしてみました。」
「聞かないから。」
ニュイは間髪入れずにツッコむものの、マヤには聞こえていないようだった。マヤが「じゃーん」と言って出してきた紙芝居に、ニュイは顔を引き攣らせた。白い聖職者の服を身に纏った女性が教会のバルコニーに立っているイラストだった。もちろん首から手が生えている。紙芝居を、トントンと整えて、ニュイの前に突き出し始めた。そんな今からでも紙芝居を始めそうなマヤに、ニュイはうんざりした表情で問いかけた。
「というか。本当にいつまでいるんだ?」
ニュイの問いかけに、マヤは目をぱちくりさせた。
「いつまで、ですか……そうですねえ。」
そう言って首を傾げる。
「ヒュストリアル国は滅ぼすので、実質ずっとですね!」
「帰れ!」
聖女のような優しい笑顔のマヤに、ニュイは椅子から立ち上がって突っ込んだ。
そんな2人のそばにそっとティーカップを置いていくミカヅキ。ここまでのやりとりなど、もうほとんど毎朝恒例のやりとりになっていた。毎日続く2人のやりとりに、ミカヅキはすでに慣れた様子ですっかり落ち着いている。
「あ。ミカヅキさんのお茶美味しくて好きなんです。いつもありがとうございます。」
ミカヅキの紅茶を嬉しそうに飲み始めるマヤも、もうすっかり魔王城に馴染んでいるように見える。ミカヅキはうすく笑みを浮かべて軽く会釈した。
「ありがとうございます。」
ミカヅキとマヤのほのぼのとしたやり取りに、ニュイは頬を膨らませた。
「ねえ、帰れって言っているの、聞いてるのか?」
のんびりと紅茶を飲むマヤの様子はすっかり休憩モードだった。ニュイの声など聞こえていない。それどころかミカヅキとマヤは楽しげに紅茶の話を始めた。茶葉はここが一番だの、ヒュストリアルではこういう茶葉が流行っているだの。
ニュイの存在も忘れているのではないだろうかと思えるほど、ほのぼのとした様子だった。不貞腐れたニュイもそんな2人を恨みがましく睨みながら、紅茶を啜るのだった。
しばらくすると、紅茶を飲み終えたマヤが立ち上がり、一礼した。
「それでは魔王様。今日はこのへんで。」
「いや。もう来なくていいから」
ニュイはむすっとした表情でマヤを睨んだ。口をへの字にして、不満を全面に出してきている。しかし、そんな事気にもせず、マヤは優しく微笑んだ。
「また明日来ますね。」
「ねえ聞いて!?まずは私の話を聞いて?」
しかしニュイの声は届かない。ニュイの言葉に反応することなく紙芝居を鞄に仕舞い、帰り支度をしている。
「では。私は用事がありますので。魔王様。人間を滅ぼす決意が固まりましたらすぐに呼んで下さいね。」
マヤは言うだけ言って部屋を出て行った。虚しくも残されたニュイは、大きくて深いため息をついた。こんなやり取りももう何回した事だろうか。ニュイは机に突っ伏した。
「…………あの聖女は、普段何してるんだ?」
「聖女なら魔王城中を掃除していますよ。」
「え?」
ニュイは初耳であった。マヤは紙芝居をした後はすぐに何処かへ行ってしまっていたが、嵐が去ったと思って安心していて今日まで気にした事もなかった。まさか掃除をしているとは全く想像もしていなかった。そういえば、「料理はできないが掃除は得意」と初日に言っていたような気もする。
ミカヅキは部屋をぐるりと見渡し、窓の方へと歩いた。ニュイはそんなミカヅキの様子を不思議そうに眺めていた。
「『こんなところにホコリがありますよ。』と、言ってみたかったのですが……。」
ミカヅキは窓の縁を人差し指ですうっとなぞった。
「ご覧の通りホコリ一つありません。」
確かにミカヅキの人差し指は綺麗なままだった。ニュイも思わず部屋を見渡した。心なしか以前よりも綺麗に見える。今まで汚いと思ったことはないが、よくよく見ると所々に残っていた埃や汚れが、今は全く見られないのだ。ここまで掃除するのはさぞ大変だろう。ニュイはますます訳が分からなくなった。
「何故。」
「ただの居候は心苦しい、と申していました。」
「じゃあ帰ってくれないかなあ。」
「え。ダメですよ。」
「何故!?」
ニュイは驚いた。自分の副審であるミカヅキも聖女と手を組むなんて考えていないと思っていたのに、まさかの発言に目を丸くした。まさかミカヅキも人間を滅ぼしたいと思っているのだろうか、と思い、思わず動揺してしまった。
ミカヅキは表情ひとつ変えず、淡々と話した。
「魔王城の掃除担当のブラウニー達から喜びの声が届いています。めちゃ助かる、と。」
ニュイは別の意味で驚いた。「は」と素っ頓狂な声が漏れる。まさかマヤを歓迎しているものがいたとは思ってもいなかった。しかし、それと同時に安心もした。
「あ。でも。」
もうこれ以上聞きたくないが、まだマヤに関する情報があるらしい。ニュイに再び緊張が走る。
「掃除に厳しすぎる、という悲鳴も届いています。魔王城にゴミを落とした騎士の1人を、聖女が病院送りにしたと。」
「何それ怖。」
マヤがやってきて数週間。
たった数週間で既に被害者が出ているとは思ってもみなかった。魔王城に押しかけて来た時も大勢の被害者を出したのに、マヤはけろりとしていた。多くの倒れている魔族のそばで、優しい笑顔で立っているマヤは、多くの魔族にトラウマを植え付けた、と聞いている。
そんなこと、知ってか知らずか聖女は今、庭の掃除をしている。窓から見える姿は他のブラウニーたちと同じように真面目に掃除に勤しむ姿であった。その様子から人間を滅ぼそうという考えも、逆に魔族を滅ぼそうと言う考えも、どちらも見えてこない。
ミカヅキは、そんな聖女の姿を部屋から見下ろしていた。
「ミカヅキ……。」
机に突っ伏したままニュイが力なく呼びかける。
「はい。」
ミカヅキは冷静なまま、返事をした。
「本当にどおしよおぉ〜。」
机から顔をあげたニュイは、べそべそと泣いていた。ポロポロと涙を流して、ちょっと鼻水まで出ている。迷子になった幼稚園児のような表情のニュイには、魔王の威厳などカケラもない。そんなニュイの頭をミカヅキは優しく撫でた。ニュイと長い付き合いになるミカヅキは、魔王となってからニュイがなんとか虚勢を張っているのを知っていた。もともと弱気で泣き虫なニュイが、プツンと糸が切れるように泣き出すのにも、それをあやすのにも、ミカヅキにとっては慣れたことだった。
「どうしましょうかねえ。」
「帰って欲しいよおぉ〜」
ぐずぐずと涙をすするニュイは駄々をこねるように呟いた。
ちゅう。
ミカヅキの耳元にネズミの鳴き声が聞こえた。ミカヅキはそのままネズミの鳴き声に耳を傾けた。
「え。」
ミカヅキは少し険しい表情を見せた。まだ瞳いっぱいに涙を溜めているニュイも、首を傾げた。
「どうした?」
「また、侵入者です。」
「侵入者」という言葉にニュイの表情は一層悲壮感あふれるものに変わった。そんなニュイの涙をハンカチで拭ってやる。ニュイはされるがままであった。
ふと、遠くからバタバタと慌ただしい足音が聞こえてくる。ニュイはその足音にしぶしぶと姿勢を正した。
「大変です!魔王様!」
バタン!と言う大きな音とともに1人の魔族が駆け込んできた。本来なら無礼だとミカヅキから一蹴されるところであるが、ミカヅキにはそれほど一大事であるということがわかっていたので、見逃した。
乱れた息を整える間も惜しいとばかりに魔族は話を始めた。
「ゆっ、勇者がっ……攻めて、はあっ…きました!」
その報告に、ニュイは目の前が真っ暗になる気持ちになった。
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