第16話 聖女、喫茶店に行く
美しい三日月が浮かぶ夜、ニュイは一枚の書類を悩ましげに読み返し、何度もため息をついた。
冷んやりとした空気が流れてきて、ニュイは部屋の入り口へと視線を移した。
「魔王様」
扉が開き、水色の髪の少女がひょっこりと顔を出した。整った顔立ちの正統派美少女である。透き通る声が静かな夜に響く。
「ピスシスか」
「先程、マルテに会いました。聖女を返せと怒鳴られましたよ。」
ピスシス。
四天魔の一人で事務部のトップに君臨する魔族である。マルテのことを思い出して、ピスシスはクスクスと笑う。
まさか本当に文句を言うとは思っていなかったニュイは驚いた。
「ほ、本当に言いに行ったのか、アイツ。」
「マルテは余程聖女を気に入ったようですね」
「そのようだな。」
確かにマルテはマヤを殊の外気に入っている。ニュイも予想外だった。
「私も、そこまでマルテが気に入る聖女が気になってきました」
「まあ、退屈はしないな。」
ニュイはマヤを思い浮かべてみた。
いつも笑顔で悪魔のような所業をしていくマヤ。
おかげで軍部はマヤに完全服従している。
「私の期待に応えられる人かどうか、楽しみです」
ピスシスは楽しそうにクスクスと笑った。
夜空の三日月が、笑っているように輝いている。
◆◆◆
麻薬事件。
数週間前に、飲食店の店主が半狂乱になったところを家族が通報した事から、この事件は始まる。医師の診断の結果、店主が麻薬中毒になっていると判明。その際に医師からこういった患者が増えていると聞いたことから事態が想像よりも深刻であると分かり、王宮が調査に乗り出したのであった。
「まだ流通しているわけではないんですが、どうもじわじわと被害が出てきているようなんです。しかも麻薬中毒者が口を揃えて麻薬を飲んだ覚えはないと言うんです。確かに彼らの家には麻薬らしいものはありませんでした。」
マヤはティブロンから事情を聞き、眉間に皺を寄せた。
「麻薬自体はこれまでもちょこちょこあったんですけど、大体中毒者は自覚していて、麻薬も所持していました。なのに今回は違う。中毒者の状況が皆ほとんど同じであることから、誰かが徐々に麻薬漬けにしていっていると考えています。」
「その麻薬の出どころを探しているわけですね。」
「そうなんです!魔王様就任三周年記念式典を控えた今!この時期に!一気に広がりを見せているところが問題なんです。おそらくそれに対する嫌がらせでしょうけど。」
「相手は魔族ですか。それとも他国ですか。」
「わかりません。でも今うちと表立って敵対している国はないはずですが……」
魔王に対する国内の反乱分子か。それとも国外からの攻撃か。どちらにせよ、王宮に仕える者としてこの事態を見過ごすわけにはいかない。
「ティブロンさん。ラミアさんは起こさなくていいんですか?ラミアさんもかなり優秀な方ですよね。」
「起こしたら殺されますよ。」
「!?」
「よくてこの部屋が大破します」
けろりとそんなことを言うティブロンにも驚いた。マヤの驚いた様子に、ティブロンは苦笑した。
「ラミアさんはとても優秀なんですが、見ての通り吸血鬼で昼間が苦手なんです。過去寝ているラミアを起こした際に、起こした者が瀕死の状態に陥ったことがあるという。」
「そうなんですか。」
「ということで、マヤさんが来てくれて本当に助かりました!」
ティブロンは一息ついて、ティーセットを準備し始めた。
「まあラミアさんなら資料を置いておけばすぐに事情を把握してくれますから。マヤさんはまだこの国については疎いでしょう?」
そう言って紅茶を差し出した。
柑橘系の爽やかな香りのする紅茶で、さっぱりした味がする。マヤはティブロンが出してくれた紅茶を一口飲んで、笑みをこぼした。
「この国の紅茶は美味しいですね。模擬試験大会の時も飲みましたが、本当に落ち着きます。」
「紅茶はこの国ではよく飲まれていますから。最近はヒュストリアルからの茶葉も流通するようになりましたよ。」
そう言って、ティブロンは茶葉を見せてくれた。それはヒュストリアルでもよく飲まれていた花茶であった。
「懐かしいです。」
「ふふ。いつか一緒に飲みましょうね。」
ティブロンは机の上に地図を広げた。海に囲まれた半島の地図である。これが、魔族の国。そして半島の南端に位置するのがヒュストリアルである。魔族の国に比べるとかなり小さな国なのだ。
その上にもう一つ縮尺の小さな地図が広げられた。
「これが王都の地図です。」
マヤは目を輝かせた。魔王城に押しかけてきてからというもの、街を散策したこともなかったので、なかなかに不便を感じていたのだ。色々なところに店が立ち並び、居住地区と商業地区がしっかりと分けられている。かなり整備された都市である。
「この国で一番品物が集まる王都の商業地区がここです。ここは月に一度他国の商品を売るマーケットも開かれます。ちなみに紅茶の専門店がここです。」
ティブロンが指差した場所は、魔王城からさほど遠くない場所にあった。
「まずはこの店に行こうと思います。」
指差したのは公園だった。
この王都は、魔王城の目の前に大きな公園のような広場がある。この公園では、月に一度大規模なマーケットが開かれており、とても賑やかな場所なのである。公園を抜けると商店街があり、いつも多くの人々で賑わっているのだ。その商店街に並ぶ一つの店を指していた。
「ここは、何のお店ですか?」
「ここは喫茶店です。」
「もう、目星がついているんですか?」
ティブロンはクスクスと笑った。
「ここじゃありませんよ。でもここの店主を差し置いて調査を進めたら、怒られちゃいますから。」
そうして、日中は全く使い物にならないラミアは放っておいて、マヤとティブロンは一緒に調査へとくり出したのだった。
◆◆◆
王都は非常に可愛らしい街並みをしていた。カラフルなレンガで造られた塀は、まるでおとぎ話の世界のように街を彩っている。建物も黄色や赤と明るい色合いの物が多い。屋根が白いので、ホイップクリームをたっぷりのせたショートケーキのような印象を与える。
そして魔王城前の公園には所々に魔法具が置いてある。その魔法具は子供たちの遊び道具のようで、魔族の子供たちがきゃっきゃっと魔法具を使って遊び回っている。何とも穏やかな公園の様子に、マヤは笑みをこぼした。
そして公園を抜けると商業地区が続いている。カラフルなレンガの塀で整備された地区は、多くの種族が賑わっていた。商品も多種多様である。多種多様な種族が住んでいるので、必然的に商品の種類も増えるのであろう。ヒュストリアルでは見たこともないような商品に、マヤは目を輝かせた。
「マヤさん、楽しそうですねえ。」
「はい。見たことない物ばかりです。」
そんなマヤの様子にティブロンは微笑んだ。
「私、マヤさんの噂は聞いていましたよ。」
「え?噂ですか?」
マヤは首を傾げた。噂になるようなことなど何もしていないのだ。
「はい!とてもお強いんだと聞きました!」
ティブロンはそのもふもふの着ぐるみでマヤにぐいっと近付いてきた。その気迫にマヤは少し引いた。
「私はあまり攻撃魔法は得意ではないので、マヤさんのように強い方が来てくださって本当に助かります」
「そう言ってもらえると嬉しいです」
「いざという時は、気にせず私ごと攻撃しちゃってくださいね!」
「え!そんなことしませんよ!」
「いえいえ!本当遠慮せずやっちゃってください!」
何故だろう。何故だかマルテに似た寒気がする。
仕事熱心なだけではない何かを感じ取って、マヤはティブロンを警戒するのだった。
「あ。あそこです。」
ティブロンが指差したのは、小さな昔ながらの喫茶店であった。『ハルディン』という店名を掲げた看板は古く、文字も少し掠れている。店内はそこそこに広く、お客さんで賑わっている。椅子や机は年季が入っているが、清潔感があり、観光スポットとしても人気なのだそうだ。
ティブロンはお店に入ると迷いなくカウンターの席に座った。そして目の前の老年の男性に話しかけた。
「こんにちは。お久しぶりです、マスター。」
「おや珍しい。あまりお会いしたくない方がいらっしゃいましたね。」
笑顔を絶やさず、落ち着いた話しぶりをする店主であった。グラスをきれいに磨きながら、ティブロンを見て、困ったようにため息をついた。
「そんな事言わないで下さい。たまにバラの花を見たくなっちゃうんですよ。」
「うちのバラの花は高くつきますよ。」
「良い良い。」
落ち着いた老年男性の声でもなく、ティブロンの声でもないハスキーボイスが奥の方から聞こえてきて、マヤは覗き込むように見た。
「ちょうど会いたいと思っていたところじゃからな。」
「わあ!会いたいなんて嬉しいです。ロサさん。」
ロサと呼ばれた女性は、タレ目にメガネをかけていた。長くて美しい黒髪に白い着物を着ている。
「まあこっちへ来い。」
「はぁい!行こう、マヤさん」
「はい」
ロサはピク、と動いてマヤへと視線を向けた。
「ほう。お主が噂の聖女か。」
「はじめまして。マヤと言います。」
マヤは頭を下げた。しかし、ロサは表情を変えず、返事もせずに奥へと進んでいった。
そして、奥の行き止まりにあるひっそりとした個室に入った。整理されたこの部屋は、机と椅子といった必要最低限のものしかないのに、店のものより磨き上げられた高級品であった。
「お主らが探しているものは知っておる。」
「さすがロサさんです」
「ふ。お主も相変わらず何処から情報を集めておることやら。」
「ふふ。」
ロサはティブロンの隣に座っていたマヤに視線を向けた。
「一夜にして魔王城に押しかけて、図々しくも居座り、すでに軍部を掌握した聖女様がこんな小娘だったとは。城から出ぬからどんな人物かと思っていたところじゃ。」
「一見全然そんなふうに見えませんよね」
「噂だけが独り歩きしている状況じゃからな。」
じっと観察されるように見つめられるマヤは、少し体をこわばらせた。ロサに見つめられると肌寒く感じてしまう。
「さあ。ロサさんが気になっていたモノは見れたんですから、そちらも情報を下さい。」
「そうじゃな。まあ、此方に影響がないうちは気にせずとも良いものじゃな。事務部が掌握される日が楽しみじゃ。」
ロサはマヤににっこりと微笑んで見せた。何が起こっているのか分からないマヤは疑問符頭に浮かべて様子を見守った。
「残念じゃが、探しているモノはここ一帯にはないぞ。そして、さらに残念なことにこれ以上の情報も持ち合わせておらぬ。」
「そんな……。」
「納得せぬなら、納得するまで探すが良い。」
ロサは楽しそうに笑った。そんなロサの様子に、ティブロンはため息をつくしかできなかった。
「わかりました。」
ティブロンは立ち上がった。
「それではここあたり一帯は調べさせてもらいます。」
「頑張ることじゃ。」
ティブロンが部屋を出ようとしたので、マヤも彼女の後ろについていく。
「魔王様の御代が平和になることを願っておるよ。」
「魔王様の御代は平和にします。」
マヤは二人のやり取りに入ることができなかった。
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