第15話 聖女、サメと出会う
聖女・マヤ。
ヒュストリアル国出身で、人間を滅ぼすため、魔王と手を組みたいと魔王城に押しかけてきたのが数週間前のこと。その後試験的に軍部に配属され、模擬試合大会で見事優勝した強力な聖魔法の使い手である。その後も軍部にて数々の異名を残し、恐れられる存在である。密かに『向こう見ずの勢女』と呼ばれているが、これは決して本人には知られてはならないあだ名である。
そんな前情報を聞いていた事務官達だったが、初日に聖女が注文票を魔王のもとに送ったことから見下していた。しかし、今日にはいくつかの書類を完成させていたり、仕事しやすい環境を整えてくれていたりと、有能さを垣間見せてきた。
それでもやはり、心のどこかでは馬鹿にしていた。この忙しい時期に大した役に立たないお荷物だと。
そして、そんなふうに思っていた事を心の底から後悔していた。足元に光る円形の魔法陣が、恐怖を象徴していた。
「皆さん、私が何も感じない頭お花畑の少女だと思っているでしょう。」
天使のような笑顔のマヤがそう言った。
確かに、いつもニコニコした能天気な小娘だと思っていたことは事実である。
「そんな訳無いじゃないですか。」
天使の笑顔のまま、そんなことを言うのだから、聖女の皮を被った悪魔に違いない。
「腹黒い大人相手に、いつまでも天使じゃいられませんよ。」
確かに自分で自分を天使と言ってしまうのは天然な箱入り少女には言えないセリフである。
「……と、それは今はどうでもいい事です。私はこれでもまだまだなんで、あまり参考にはならないんですけど、そんな私より皆さんが出来ていない事が問題なのです。」
それには誰も反論できなかった。
そう。この場にいた者たちがマヤを見下していたのだ。そんなマヤに掌握されているのだから文句は言えない。
「皆さんならきっとできます。聖魔法だってそんなに強くはありませんから、仕事にも支障はありませんよ。」
その聖魔法で、すでに二名黒焦げになってしまっているのだが、それは言わないでおく。
「無理じゃない?」
マヤから遠く離れた場所にいた事務官の一人が、忌々しそうな表情で、ポツリとこぼした。
そのすぐそばにいた事務官が慌てたような表情をした。
「お前!顔に出てるぞ!それに、今しゃべったらアレが来る!」
「アレ、とは?」
いつの間にかすぐそばにマヤがいた。
感情の見えない天使の笑顔をしている。
「「っ!!!!」」
「まだ名前を覚えもらえていないようですね。」
そしてしくしくと涙を流し始めた。
静かに涙を流す様子が、本気で泣いているように見える。しかし、それも嘘の涙なのだ。
マヤはすぐににっこりと微笑んだ。
「忘れられなくしてあげます。」
「「っっ!!っ!!!」」
魔族二人は、良い見せしめになった。
その様子を見ていた事務官達は蒼白となり、マヤに対する恐怖でいっぱいになっていた。彼女に害意を持つ気力も失いつつある。
マヤはくるりと振り返って、みんなに笑顔を見せた。
「時には涙も武器になります。特に女性の涙は効果的です。皆さんもぜひ使えるようになって下さいね。」
楽しそうに大広間を去るマヤを、事務官達は何も言えない表情で見つめていた。
◆◆◆
その日の夜、ラミアと共にご飯を食べながら、マヤは今日起きた事を話していた。
するとラミアは急にむせて、笑い出した。
「ふはははっ。面白いことをしているんだね。」
「ラミアさん、笑うところですか?」
「笑わずにおれるか。いやあ、色々やってくれるねえ。」
ラミアは大きく深呼吸して、またご飯を口に持っていく。
「それで今日はやたらと聖魔法の気配がするわけか。ふぅん。マヤはかなり魔力が高いな。」
「でも私は聖魔法しか使えません。」
「この魔族の国では最強じゃないか。」
確かに、聖魔法は人間族を癒し、魔族を浄化する。全ての魔族に効果がある魔法属性である。
「ラミアさんも強いですよね。」
「うちか?まあ、それなりかな。でもうちも水属性しか使えないぞ。」
「え。そうなんですか。でも魔力はマルテさんよりも強いですよね?」
「何だ。マルテを知っているのか。ああ、そうか。模擬試合大会で対戦したんだったな。マルテは肉体派だからな。魔力よりも身体能力が優れている。」
マヤは対戦した時に、拳で殴りかかってきた事を思い出した。
「マルテはサディストだからな。そういう戦闘が好きなのだろうな。」
「そうですね……。」
否定できなかった。
「ちょっと、私の噂話?」
むすっとした声が聞こえてきた。声のする方を向くと、入り口に口をへの字に曲げたマルテが仁王立ちしていた。
「マルテさん!」
「マヤちゃ〜ん!」
そしてマヤを見ると、駆け寄って抱きついてきた。
「マヤちゃんがいなくなって、軍部は寂しいんだよぉ。だからね、即位式が終わったらまた軍部に戻ってきてほしいの。」
「そ、それは嬉しいお話ですが、決めるのは私ではありませんよ。」
「そ。だから、ピスシスに話をしにきたのよ。」
そう言って、マルテはラミアを見た。
「ラミアさんと会うのは久しぶりですね。」
「そうだな。うちは夜しか活動しないからな。ピスシスなら今きっと外だぞ。色々と調べ物をしていたな。」
「そうですか。仕方ないですね。」
マルテはため息をついた。
「ラミアさんも一緒に軍部に来てくれたら嬉しいのになあ。」
「ふははは。それこそ無理だな。夜だけしか働けないんだからな。軍部では使い勝手が悪いだろ。」
「そうなんですけどぉ。」
マルテはつまらなさそうにため息をついた。
「ラミアさんもいて、マヤちゃんまで取って。事務部は贅沢だわあ。」
そう思っているのは、きっと今はマルテだけである。
◆◆◆
「あー……。お願いなので暗闇課に異動してもらえないでしょうか。」
マヤが聖魔法をかけてから数日後。すっかりと事務官たちの恐怖の対象となったマヤは、再び異動することになるようである。しかも暗闇課という何をするのか名前からは想像できない部署に配属されることになるようだ。
マヤは首を傾げて尋ねた。
「暗闇課、とは何をするところ何ですか?」
「特に機密性の高い事業に取り組むことが多い部署です。ここだけはその特異性から式典の準備をしておりません。時々手伝いはしてもらいますが、基本的には通常業務をしています。ラミア様もその課所属なのです。」
内容を聞いてもよくわからなかった。
マヤは首を傾げたまま、「わかりました」と言った。
「執務室はそのまま、あの部屋ですので。」
「えっと、ラミアさんの他に人はいないんですか?」
「いますよ。」
男性は執務室の入り口で一度立ち止まり、恐る恐る扉に手をかけた。どうやら聖魔法がトラウマになってきているようである。ここ数日で何人もの事務官が医務室行きになっているのだ。すぐに目を覚ますのだが、皆口を揃えて「地獄で天使を見た」と言うのだ。それがまたマヤへの恐怖を募らせていったのだった。
男性が扉を開けると、小さくて丸っこい物体がマヤに向かって飛び掛かってきた。
「ようこそー!」
もふん、とした心地よさが突撃してきた。
全く痛くない。むしろ気持ちが良くて、マヤは笑みをこぼした。
青みがかった灰色の丸い物体は、マヤよりも小さく、幼稚園に通う子供くらいの身長であった。そして上を向いてマヤに笑顔を見せた。
サメであった。
サメの着ぐるみを着た事務官。もふもふの心地よい触り心地で、ずっと触っていたい気持ちになるが、誤魔化されてはいけない。
可愛くてもふもふにデフォルメされていても、サメである。
しかも二足歩行している。
「私のことはどうぞ、ティブロンとお呼びください」
「あ。マヤと言います。」
「今日からよろしくお願いしまーす!」
元気の良いサメである。
マヤもつい圧倒されてしまった。
呆然とするマヤを気にせず、ぐいぐいと手を引っ張ってくる。
「さあさあ!早く中へどうぞ!」
「あ。じゃあ頑張って下さい。私はこれで。」
ティブロンに引っ張られてマヤは部屋の中へと入って行った。そんな隙を見て、男性はそそくさと逃げるようにこの場を後にしたのであった。
「本当に丁度いい時期に人員が増えてくれましたー。」
ティブロンはマヤの目の前の席に座って、足のように見える尾鰭をパタパタと動かした。何とも器用である。
「何か、懸案事項でもあるんですか?」
「もう沢山ありますよ!山積み状態デス!」
そう言ってティブロンは机をペシペシと叩いた。
「でも一番厄介で急ぎの事案は、最近国で広まりつつある毒薬の出どころを突き止めることです。」
「毒薬ですか。」
「はい。一種の麻薬ですねー。」
軽く言っているように聞こえるが、何とも重い内容である。
「そこで!マヤちゃんにはこの麻薬の出どころを掴むのを手伝ってほしいんです!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます