第14話 聖女、本領発揮する

「ねえ聞いた?」

「ああ、聞いた聞いた。聖女のことでしょ?」

「よくここに配属されたよね。」

「向こうで事務仕事してたんだってよ。」

「本当かな。忙しいんだから邪魔だけはしてほしくないんだけどお。」


マヤの失敗は、事務官達にすぐ伝わった。

仕事を終えて、大広間から次第に人の姿が減っていく。その時にマヤの執務室の前を通るのだが、扉の前でこれ見よがしにひそひそ話をして行く。

そう言われても仕方ない。

この忙しい時期に事務経験があると言って配属されたのに、実際はなんの役にも立たないのだから。

窓の外には月が出始めていた。

マヤは書類を整理して、大広間のゴミを集め、一息ついていた。

これと言って仕事をした訳ではないが、疲れてしまったようである。


「ふう。上手くいきませんねえ。」


くよくよしていても仕方ない事なのだが、やはり勝手が分からないのはなかなかに堪える。

『ここは実力主義。認めてほしければ実力を示せ。』

ニュイに言われた言葉を思い出し、マヤはため息をついた。力でねじ伏せられる軍部と違い、事務部ではなかなか上手く行かないものである。


「頑張ってるのねえ。」


ふと、優しく眠たげな声が聞こえてきた。


「夜遅くまでご苦労様。」


いつの間にか棺桶があき、そこから人が出てきていた。夜に溶けるようなダークブルーの髪に、月のように明るい金色の瞳をした美しい女性であった。まだ眠たそうにとろんと蕩けた瞳をしている。

事務官とは思えない程、強大な魔力を感じて、マヤは少し身構えた。


「……いえ。貴方こそ。」

「ふふ。」


優しく微笑む姿もとても妖艶である。

マルテもかなり妖艶であったが、それとはまた違う美しさがある。


「えっと……ラミアさん、ですよね。」

「そうだよ。」


ラミアはゆっくりと棺桶から出てきた。

そしてマヤが整理して置いていた書類に目を通し始めた。


「ああ。貴方、噂の聖女なんだね。」

「はい。よろしくお願いします」


マヤは聞きたい事が色々あったが、ラミアの一挙一動をじっと見つめていた。


「ラミアさんは、夜型と聞いたのですが……。」

「ああ、そうだよ。ほら、適材適所ってあるじゃない?他の人が昼が良くても、うちは夜が適してるの。吸血鬼だしね。」


なるほど。

マヤは納得した。


「まあ、夜型の吸血鬼はうちだけなんだけどね。今はほとんどの吸血鬼が昼も活動するよ。どっちかというと苦手な人が多いんだけど、うちの場合は全くダメなんだよ。」


悩ましそうに首を傾ける姿も色っぽい。


「ところで、この仕事。貴方向きじゃないんじゃない?」

「……どういうことですか?」


ラミアは一枚の書類をマヤに渡した。それは司会進行表であった。

しかしまだ未完成で、誤字脱字も目立つ。いつ何をするのか、何も分からない。ただやるべき事を並べているだけの内容であった。

マヤは聖女として何度も教会の大規模な行事を取り締まってきた。勿論司会だって務めてきたので、大まかな流れややり方は分かる。


「どうせ駄目でもともとでしょう。新人なんだから。だったら式典の準備なんてやる事沢山あるんだし、やれることからやったらいいんじゃない?」

「やれること」

「やったことがあること、とかね。」


ラミアはそう言って、残りの書類に取り掛かり始めた。


「やる気があるなら後はやれる事を見つけるだけじゃない。頑張って。」


◆◆◆


翌日。

魔王に憐れまれた男性は精神的なショックで珍しく定時で帰った。そのため仕事が終わっておらず、朝早くに登庁してきていた。

今日は一段とため息が重い。

大広間は戦場と同じだ。朝早く行くとたまに床に誰かが転がっていることもある。書類は床に散らばり、泥棒が入り込んだかのような状況である。大道具も置いてあるので手狭に感じるのだ。

そんな場所に入るだけで憂鬱なのだ。


「あれ?」


男性が大広間の扉を開くと、いつもと違い、澄んだ空気をしていた。

床は綺麗に掃除されていて、書類も机の上に整理して置いてある。終わったもの、捨てるもの、まだやりかけのもの、とわかりやすく分類されている。

しかも、今日やるつもりだった書類のいくつかが終わった書類の中に入っていた。

男性がそれを手に取り、内容を見てみると、完璧に仕上がっていた。


「これは……誰が?」


周囲を見渡すと、足元に大きなゴミ袋が集められていた。


「あ。邪魔でしたか?」


箒を持ったマヤが駆け寄り、ゴミ袋を持って大広間を出ようとしている。


「あの……この書類、貴方が?」

「はい。出来るところはやりましたので、確認してください。」

「あ、ありがとう!」


男性は心からお礼を述べた。

そしてもう一度完璧に仕上がった書類を見つめるのだった。


 書類を完璧に仕上げた事で、聖女が有能なのではないか、という噂が広まり始めた。片付けが完璧であった事からも、書類の内容を把握し、こなす能力があるのだと分かる。

 何より、昨日よりも仕事がしやすいのだ。

 しかし、それを気に入らないものも必ずいる。


「……生意気だな。」


ポツリとつぶやいた言葉は誰にも聞こえなかった。


 一方マヤは大広間から出て、執務室でのんびりと過ごしていた。

 掃除は終わったし、書類整理も終わった。

 書類を片付けていて、ここまで出来れば間に合うだろう、と思うところまで仕事も済ませた。できる範囲ではあるが、夜のうちにラミアに色々と助言をもらいながら仕事を覚えた。そのせいか、今は少し眠い。

 ちらりと横を見ると、そこにはやはり大きな棺桶がある。朝日が昇る頃、ラミアは大きな欠伸をしながら棺桶の中に入って行った。

 もしかして毎日こういう感じなのだろうか、と思うと何だか健康に良くない気がしてきた。


ーーラミアさん、食事とってなかったですね。


マヤは執務室を出て何か食べ物を探しに行ったのだった。


 執務室に戻ると、マヤは目を丸くした。


「これは……」


片付いていたはずの執務室は、先日までの大広間のような状況になっていた。

書類は床に散らばり、片付けたはずのゴミまで散らかっている。

これは見るからに明らかな状況であった。


「嫌がらせですね。」


マヤは腕を組んでうんうんと唸った。これを片付けたところで、また嫌がらせされては一緒である。

正直掃除・片付け大好きなマヤとしては、仕事も特になかったので丁度いい暇つぶしなのだが、これを何度もされると嫌気がさす。こういう事をする輩は一度だけで終わるはずがないのだ。特に、マヤが困っている様子も見せないので、必ずまた嫌がらせをする。

 とりあえず、書類を拾い、掃除をしつつ、マヤは対策を考えた。

 聖魔法と掃除くらいしか取り柄のないマヤは、上手く機転の効いたことが出来そうにない。


「仕方ありません。」


掃除を終えたマヤは執務室の入り口に魔法陣を描いた。自分に害意のあるものを浄化する魔法である。


「これで当分は大丈夫でしょう。」


マヤは自分でも満足のいく出来の魔法陣に、笑みをこぼした。


「さ。ゴミ捨てに行きますか。」


マヤは意気揚々と執務室を後にしたのだった。


 そしてこの魔法陣は、すぐに効果を発揮するのであった。


「見事に引っかかってますね。」


マヤが執務室に帰ってくると、ひとりの魔族が黒焦げになって倒れていた。


「あの。大丈夫ですか?」


揺さぶってみるが、魔族からの反応はない。よく見るとこの魔族にも目の下にくまが出来ている。


ーー……。まあ、休息は必要ですよね。


マヤは魔族を引きずって、仮眠室に寝かせることにした。マヤは、(強制的に)休息を与える事ができたと思い、満足していた。

そして、はたと気付いた。


ーー軍部も大概でしたが、事務部ももしかして弱いのではないでしょうか。


例え事務部と言っても、それなりの魔力耐性は必要であるだろう。しかしそんなに強くはない聖魔法にも倒れてしまう始末である。確かにここ数日疲れていたのかもしれない。

マヤはぽんと、手を打った。


「……これはいい訓練になるかもしれませんね。」


思い立ったが吉日。

マヤは仮眠室からの帰る途中で、色々なところに聖魔法のトラップを仕掛けていった。

そして満足げに執務室に戻るとまたもや黒焦げになった魔族が転がっていた。


「全く。」


しかし、今度は意識があるようである。忌々しそうにマヤを睨みつけてきたのだ。

マヤはしゃがみ込んで、魔族に話しかけた。


「反感を持つのは当然だと思います。しかし、まずは他の人に嫉妬する前に己の力を磨いては?」

「ちっ。野蛮なヤツめ!」

「だからそういう態度を表に出しちゃいけません。」


そう言って『回復』魔法をかけた。

魔族の叫びは、声にもならなかった。


「貴方が不快だからと言って、それを相手にぶつけては本末転倒ですよ。じっくりと機会を伺いながら、仕返ししてください。」


しかし、マヤの言葉は相手に届いていなかった。マヤは仕方ないなあ、という表情で魔族を廊下の隅に追いやった。

そして執務室に入らず、そのまま大広間の方へと向かった。

突然入ってきた聖女に、その場で慌ただしく準備していた魔族は動かしていた手を止めた。何があったのだろうか、と緊張が走る。


「聖女様、どうしたんですか?」


男性が慌てて声をかけてきた。一刻も早くこの場を立ち去って欲しそうに、マヤと大広間を交互にチラチラ見ている。


「まだ二日目ですが、少々思うところがあります。」

「な、何でしょうか。」

「ここの事務部は腹芸というものが苦手のようですね。すぐ態度が出ています。素直なことはとても良い事だと思いますが、事務官として相手の気持ちをいち早く感じ取り、掌握することも、時には必要です。軍部だろうが、事務部だろうが、己の心情をコントロールすることは大事なことですよ。それが全く出来ていないんですよ。」


そう言って、マヤは大広間にいた魔族全てに聖魔法をかけた。魔法をかけられること自体が稀な事務官達は驚いた。中にはパニックになりかけているものもいる。


「安心してください。この聖魔法はすぐには発動しません。害意が表面に出たら聖魔法が発動するようになっています。何度も繰り返すと、徐々に聖魔法の威力も増していきますからね。お気をつけください。」


魔族達はさあ、と顔色を青くした。


「事務官としてのみなさんの素晴らしい忍耐力を期待しています」


事務だって体が資本。

騎士と違い頭を使うからこそポーカーフェイスが必要な時もある。

ああ。かわいそうかな。

これによって何人もの魔族が死にかけ、マヤに叱責されることになるのであった。


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