2章
第13話 聖女、注文する
あの日ーー。
訓練場にいた騎士達は数日間寝込む羽目になった。後にあの場にいた者は口を揃えて「地獄に行ってきた。」と言い、今生きていることを心から喜んでいた。
そんな事は知らないマヤは、今、大広間に来ていた。朝早くに来たつもりだったが、もう何人もの事務官が広間に来ていた。数人は目の下にくまを作っている。もしかしたら徹夜の者もいるのかもしれない。それほどまでに過酷な状況なようである。
「早いですね、聖女様」
その中には昨日紹介してもらった男性もいた。彼も目の下にくまを作っていて、見ているだけで疲れているのがわかる。
男性はマヤがきたのを見つけると、話しかけてきた。その態度はどこかよそよそしかった。
「とりあえずこちらへ」
そう言って大広間から出て隣の部屋へと案内される。
「あの、私は何をすれば良いでしょうか。」
「聖女様には会場設営の準備をしていただこうと思います。」
「はい。」
「分からない事はラミア様に聞いて下さい。」
「ラミアさん……」
しかし、そのラミアがいない。この部屋には男性とマヤしかおらず、机も三つほどしかない、なんとも殺風景な執務室であった。
「あの、すみません。ラミアさんはどちらに?」
「おそらく、その中です。」
男性が指差した先には棺桶があった。マヤは何と言って良いのかわからず、じっと棺桶を見つめていた。
「開けない方が良いですよ。怒られますから。」
「え……と、生きていらっしゃるんですね?」
「当然です。ラミア様は夜型なのです。」
「そうなんですね」
マヤはそれ以上何もいえなかった。
魔族にとって、こういうのは普通なのかもしれない。マヤはここに来て初めて文化の違いを実感していた。
「あと、これはお願いなのですが……」
男性が言いにくそうに口をモゴモゴさせている。
「聖女様が、先日軍部で訓練を行ったという噂を聞きました。その噂を聞いた事務部は、聖女様を少し怖がっています。」
マヤは衝撃を受けた。
怖がられるような事をした記憶がないのだから当然である。
あまりの衝撃で言葉が出てこなかった。
「ですので、この部屋で仕事をしていただきたいのです。その……他の事務官のためにも……」
「わ、わかりました。」
ヒュストリアルで天使と謳われ、優しさの象徴ときて扱われてきたマヤは、自分が怖がられているなど微塵も思っていなかった。
マヤはその衝撃から少し立ち直るのに時間がかかる気がした。
もともとこの部屋には雑務が運ばれてくるようである。ラミアが夜型という事でいつでも出来るような仕事がたくさん集まってくるのだ。
「失礼しまーす。」
ノックもなく入ってくる事務官たちの様子から、この部屋に昼間人がいないのが普通のようである。しかし今日からマヤがいるので、入った後に皆驚いていた。
「うわっ。新人?あー、じゃあこれ、注文してきて。」
「はい。」
そう言って書類を渡してすぐに立ち去っていく。
マヤは渡された書類に目を通した。ペンや用紙といった文房具がずらりと書き連ねられている。これをお店に注文しなければならないようだが、マヤは首を傾げた。
「どこに注文したらよいのでしょうか。この書類、魔法で転送させて良いのでしょうか。」
ヒュストリアルと勝手が違うこの国では、単純な業務もどうしていいのか分からなかった。ましてまだこの国の事をよく知らないのである。どこに行けば何が手に入るのか、さっぱり分からない。
「訓練に集中しすぎていましたね。失念していました。」
こんな事ならアルコでも誘って王都を散策しておけばよかったと後悔した。
チラリと棺桶の方に目を向けるが、そもそもそこに本当にラミアがいるかも怪しい。物音ひとつせず、しんと静かな棺桶を見つめてもしょうがない。マヤは仕方なく大広間の方へと向かった。
誰かに聞かねば仕事にならない。
そう思って大広間の扉を開けると、先日よりもより慌ただしく駆け回る事務官たちで溢れかえっていた。
「こっち!枚数足りない!増刷してきて!」
「待て待て!この書類どうなってるんだ!これ、修正前のヤツだぞ!」
「おーい。この締切っていつだ?」
「くそ!今日までって言ってた書類が揃ってないじゃないか!」
軍部よりも戦場のような場所で働く事務官たちに、とても声をかけられず、マヤはそっと大広間を後にした。
とりあえずやるしかない。
執務室に戻ったマヤは、部屋の中に見覚えのある魔法具を見つけた。箱のような形をしたその魔法具は、箱の中に入れたものを転送するための道具である。
マヤはとりあえずその箱の中に書類を入れてみた。すると、箱はカタカタとゼンマイが回るような音を立て始めた。チーンという鐘の音がして、再度箱を開けてみると書類がなくなっていた。
どうやらうまくいったようである。
マヤは少し胸を撫で下ろした。
そしてふと、思った。
「書類、どこに転送されたのでしょう。」
だが間違っていたらきっと連絡が来るだろうと思い、マヤは気にしないことにしたのだった。
◆◆◆
「魔王様、軍部は大喜びです。皆、魔王様の慈悲深い対応に一生の忠誠を誓う所存だそうです。」
ぶすっとした表情の不機嫌マックスなマルテは、ニュイにそう報告した。
「そうか。昨日聖女にやられた騎士達の様子はどうだ。」
「彼らはこれもいい思い出だととても良い笑顔をしていました。そんなことが言えるんですから元気ですよ。」
「なら良かった。」
「何もよくありません!」
マルテはぷりぷりと怒り始めた。
「騎士達が傷付く事を恐れてどうするんですか!本当にこのままでは腑抜けになってしまいます!やはりマヤちゃんは軍部に戻すべきです!」
「それはもう話しただろうが。」
「じゃあ私に訓練させて下さい。」
ニュイはまた困ったような表情を見せた。
マルテも、マヤと同様、かなりのスパルタであった。聖魔法を手加減してギリギリを攻めるマヤと違い、マルテは手加減知らずであった。
何よりも問題だったのは、マルテのサキュバスとしての能力であった。
マルテに傷付けられ負傷した騎士達は一様に「もっと踏んで下さい!」と自ら怪我しにいくようになるのだった。なんでもクセになるらしい。サキュバスであるマルテが攻撃するから、それさえも快楽に感じてしまうのではないだろうか。そう思っているのだ。
魔王軍がドエムの巣窟とか絶対に回避せねばならない。
「ダメだ。」
「魔王様!」
「とにかく、今は騎士達にも休息が必要だろう。またしばらくしたら考える。事務部の反応も含めてな。」
「マルテさん、今は魔王様の即位三周年記念式典の準備で事務部は多忙を極めています。この時期は猫の手も借りたい時期なのですよ。」
「……仕方ありません。」
マルテはしょんぼりと俯いて頷いた。
しかし次の瞬間、キリッとした表情で前を向いた。
「ピスシスには私から式典が終わったらマヤちゃんを返すよう言っておきますからね。」
「……まあ、好きにしろ。」
ニュイの答えに満足したマルテは、ぱっと表情を明るくして部屋から出て行った。
「マルテはだいぶ聖女を気に入ったようですね」
「アイツも戦うのが好きだからな。相手がなかなかいなくて暇だったんだろう」
「そうですね。確かに今は平和ボケしているのかもしれませんね」
「いい事じゃないか。」
ここ数十年。戦争のない平和な時代が続いている。ヒュストリアルも表立って何かを仕掛けてくることはない。そんな中で聖女がやってきた。
「ヒュストリアル、ね。」
ニュイは机の中から一枚の紙を取り出した。そこに書かれている内容に、目をしかめた。
「どうしたものか……。」
あまりよろしくない内容の書類にニュイは頭を抱えた。
すると、カチカチという音が聞こえてきた。その音にミカヅキは小さな箱に近寄った。リリンという音がして、ミカヅキはその箱の中から書類を取り出した。書類を見たミカヅキが目をパチクリさせ、そしてそのままニュイに差し出した。
「面白そうなものが届きましたよ。」
「ん?面白い?」
ニュイは目を丸くした。
「これは……。」
◆◆◆
日も沈みかけてきた頃になっても大広間には昼間と変わらないくらい多くの魔族が仕事をしていた。
夕方になれば少しは人が減っているだろうと思ったニュイだが、その考えは甘かったようである。邪魔にならないようこっそりと用件を終えるつもりだったが、すぐに多くの事務官に気付かれてしまった。
「あ、あれ!」
「まままま魔王様!!」
「魔王様だ!」
憧れの眼差しで皆がみんな、ニュイに見惚れていた。さっきまで死んだ魚のような目をしていた事務官達の瞳に輝きが戻り始める。
「魔王様!!ど、どうされたのですか!」
「ああ、忙しいところすまない。……ピスシスはいるか?」
「ピスシス様は現在、式典準備以外の事務仕事を全て行っておりまして、今は外に出ております。」
「そうか。」
ニュイは申し訳なさそうに書類を一枚差し出した。
「その……私のところに注文票が届いたんだが。」
「ひえ」
男性は目眩を覚えた。いっそ倒れてしまいたかったが、なんとか堪えてみせた。
「その、疲れているようだな。あまり無理するな。」
倒れてしまいそうな男性に、ニュイは哀れみの目で慰めの言葉を送った。ニュイなりに気遣いをしたつもりだった。
しかしそのニュイの優しい気遣いが、男性の心に傷をつけてしまった。
ニュイは書類を渡すとそそくさとその場を後にした。男性は書類を握りしめたまま、すぐに大広間を出て、マヤのいる控え室に駆け込んだ。
「わ!どうされたんですか?」
急に大きな音を立てて開いたドアに驚いて、マヤは目をパチクリさせた。
「なにしてんのおおお!!」
男性は涙目で書類を机の上に叩きつけた。
「この注文書、魔王様のところに届いてたんだけどおぉっ!!」
どうやらあの箱を使うと魔王のところに書類が届くようである。マヤは頭を下げるしか出来なかった。
「すみません」
「憧れの魔王様に!魔王様に憐れまれたっ!!うぅ〜っ!!」
「本当すみません」
男性は力が抜けたようにその場にへたり込んだ。静かに涙を流す男性を見て、マヤは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
かなり精神的にも疲れていたところに、余計な心労までかけてしまったのだ。
「もういい。この辺りの書類はラミア様が片付けると思うから、ゴミ捨てでもしてて。」
「はい」
自分の不甲斐なさに、マヤは何も言えなかった。
手伝うつもりが、困らせてしまった。
なんとも力不足な自分に、マヤは項垂れるしかなかった。
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