第12話 聖女、異動する
マヤが軍部に配属され、数日が経った。はじめは怪訝な態度をとっていた魔族達も、今となってはすっかりマヤに恐怖している。声が聞こえてくれば背筋を伸ばし、姿が見えれば列を成して頭を下げる。右軍のみに行なっていたマヤの訓練もいつの間にか左軍にも行うようになっていたので、軍部の中でマヤの恐怖訓練を体験した事のない者などいない。軍部のトップであるマルテに次ぐ存在として、マヤは軍に君臨しているのであった。
そして今日も変わらず、魔王城には悲鳴が響き渡る。
「皆さん!それでは人間を滅ぼせませんよ!」
マヤは足元でぜえぜえと息を切らしている騎士達に叱咤激励する。マヤの聖魔法を魔法で防ぎ続けるという訓練を行っていたが、マヤがギリギリのところで攻めてくるので一瞬でも気を抜けば聖魔法の餌食になってしまう。
ちらほらとちょっと焦げているが者たちがいる。防ぎきれなかった証拠である。だが、ちょっと焦げるくらいなら、まだ優しい方である。訓練から逃げ出そうとした者の末路は真っ黒焦げなのだから。
彼らに逃げ場などないのだ。
「あ。聖女様〜!」
「アルコさん」
バサバサと羽を羽ばたかせて、アルコが飛んできた。マヤも上を向き、アルコに微笑んだ。
「どうしたんですか。アルコさんは今日、テソーロ森林の巡回ではなかったのですか?」
「そうだったんですけど、マルテ様に呼ばれまして……それで、聖女様に魔王様のところに来て欲しいとのことです。」
「ニュイさんのところにですか?何でしょう?」
マヤは首を傾げた。呼び出される覚えは特になかった。アルコもよく知らないようで、眉根を下げた。
「すみません。内容までは聞いてません。」
「そうですか。わかりました。」
アルコとの会話を耳にした騎士達は、心の中に淡い期待を抱いた。
聖女がここから離れる。
これで聖女から解放される。
つまり、この訓練が終わるということではないのか。
そう思ったのだ。
「あ。そうだ。皆さん。」
けれど、それは間違いであった。
マヤは騎士達の方を向いて、祈りのポーズをとった。すると騎士達一人一人の足元が円形に光り輝いた。体がすっぽり入るくらいの大きさの円に騎士達は目をパチクリさせた。
この光は嫌というほど知っている。
最初こそこの光の美しさに見惚れた時もあったが、今となっては恐怖でしかない。
マヤの聖魔法だ。
「その魔法は円が徐々に狭くなっていきます。じわじわと締め付けるように迫ってきますから、しっかり防御して下さい。私が戻るまで耐えてて下さいね。」
その言葉に騎士達はショックを受けた。
やっぱりね、という気持ちもあったが、自分達の想像以上に怖い気がする。
いつ戻るかも分からない。
どこにも逃げられない。
そしてじわじわと迫ってくる聖魔法に怯えながら、騎士達は必死に防御をはるしかできないのだ。
「それでは頑張って下さいね」
マヤの天使のような笑顔を見送りながら、騎士達はとにかく死に物狂いで防御魔法をはった。
そんな騎士達を、アルコは懐かしい目で見ていた。
マヤは魔王の部屋に着くと、「失礼します」と言って扉を開けた。部屋の中にはニュイとミカヅキ、そしてマルテがいた。マルテは口をへの字に曲げて不満を前面に出している。
「急に呼び出してすまないな。」
「いえ。どうしたんですか?」
マヤはちらりとマルテを見た。何か一悶着あったに違いない。
「実はマヤには軍部から事務部に異動してもらおうと思ってるんだ。」
「事務部、ですか?」
意外だった。
マヤは目を丸くしてニュイとマルテを交互に見た。
「ああ。軍部だけでなく、実際に色々な適性を見た方がいいだろ。」
「そうですね。ヒュストリアルでも事務仕事はこなしていましたから大丈夫だとは思います。」
「そうなのか。」
ニュイは心の中で、よかった!と叫んだ。
マヤの事は完全に体育会系だと思っていた。マヤが大人しく机に着いている姿が想像できない。そのためこの判断が本当に正しいのか何度も悩んだ。
だが軍部に置いておくわけにはいかなかったのだ。
「では明日から事務部に行ってくれ。」
「わかりました。」
「詳しい内容はミカヅキから説明を受けてくれ。」
ニュイはミカヅキに視線を送った。ミカヅキはその視線に頷いて応えた。
「よろしくお願いします、ミカヅキさん」
「では案内いたします。」
マヤはミカヅキに連れられて魔王の部屋を後にした。
兎にも角にも軍部の様子からマヤを軍に置いておくのは問題だと判断したニュイは、マヤがヒュストリアル国で事務処理も行なっていたと聞き、事務官に配属しようかと検討を始めた。
「ニュイ様」
「なんだ、マルテ。」
「本当にマヤちゃんを事務部に異動させるんですか?」
「ああ。説明しただろう。」
ニュイは引き出しから先日騎士達から提出された要望書を出した。それを見たマルテが眉間に皺を寄せた。
「騎士達は疲労困憊状態で、とてもこのままにはしておけない状態だ」
マルテはぷくっと頬を膨らませた。
全く納得していない表情であった。
「そんな顔してもダメだ。」
「だってだって!これからマヤちゃんと軍部強化していこうって思ってたんですよ!」
「だが、周りがついて来れなかったら意味がないだろ」
それにマルテは言い返せない。頬を膨らませたまま、少し俯いた。
「でもでも!マヤちゃんの軍部再配属は諦めませんから!」
そう言い残して、マルテも部屋から出て行った。
一人残されたニュイは大きくため息をついて窓の外を眺めた。
「これで少しは落ち着いてくれればいいのだがな。」
そんなわけない。
それはわかっている。
けれど、少しでも願わずにはおれないのだった。
一方、マヤはミカヅキに連れられて、大広間の方へと向かっていた。
魔王城の一階は事務部の執務室が多くある。その中に大広間もあった。何かのイベントが行われる時にしか使われない大広間なので、マヤは初めて訪れる。
その道中、マヤはミカヅキから説明を受けていた。
「一ヶ月後に魔王様の即位三年を祝う式典が行われます。聖女様にはそこの手伝いをしてもらいます。」
「式典ですか。」
「はい。魔王様はその強大な力を見込まれて、先代魔王様から地位を譲られて即位しました。しかしあまりに人前が苦手で就任式ではほとんど喋らず終わっています。」
それは何となくわかる。
カチンコチンに固まって、直立不動のまま動かないニュイの姿が容易に想像できた。
「そんな就任式だったので、就任一周年の記念式典を開催したのですが、腹痛で途中退場しました。二周年の時は……。」
ミカヅキは遠い目をした。
「就任式と同じで直立不動でした。」
マヤはポカンと口を開けた。
想像以上に問題である。
「事務部一同、三周年こそはと思っていた矢先に聖女様が押しかけてきたので少々先延ばしになっている状況です。今は最後の追い込み、といったところですね。」
マヤはちょっとだけ罪悪感を感じた。
「ここです。」
目の前にはマヤやミカヅキの身長の数倍もある大きな扉がある。そんな大きな扉越しでも、中がざわざわと慌ただしくしている声が漏れ聞こえてくる。
ミカヅキが扉を開くと、そこには大勢の魔族が慌ただしく働いていた。
扉が開いた事にほとんどの魔族が気付いていないようである。
「ミカヅキ様」
ミカヅキに気付いたひとりの年配の魔族が声をかけてきた。慌てた様子でこちらに駆け寄ってくるが、やつれ切った彼の表情が現場の疲れた様を表していた。
「彼女が先日この国にやってきました聖女のマヤです。」
「彼女が……」
少し驚いた様子の男性は、マヤをじろじろと見るだけで、目を合わせようとはしなかった。腫れ物を見るかのような扱いである。軍部とは違い、表情からは感情がなかなか読めないが歓迎されている雰囲気ではなかった。
マヤは天使のような笑顔を見せた。その笑顔に、男性は少し戸惑いを見せた。
「明日からお世話になります。マヤと申します。」
マヤの言葉に男性はぎょっとした。
「ええと……軍部にいらしたのではなかったのですか?」
「聖女様は異動となりました。こちらが猫の手も借りたいほどだと聞きましたので。」
「よろしくお願いします。」
マヤは元気に挨拶をして、頭を下げた。
「まあ……確かにそうですが。」
男性は煮え切らない態度で口をもごもごとさせた。
「マヤ様はヒュストリアル国では事務もこなしていたそうなので、即戦力になると思います。」
「はあ。」
複雑な表情だ。扱いにくいのだろう。マヤはまた何か一悶着ありそうな気がして、改めて気を引き締めるのであった。
◆◆◆
聖女異動の知らせは瞬く間に軍部に駆け巡った。
「お、おい!聖女様が事務部に異動するらしいぞ。」
「え!急だな!」
そのニュースに、騎士達は喜びを隠しきれずにいた。
「おい〜。そんなに喜んだら失礼だろ〜。」
「お前だって!」
ざわざわと浮き足立つ騎士達は、この朗報をすぐに広めねばと思い、そうして一気に広まっていくのだった。
歓喜した騎士達は魔王を讃えた。短い期間だが、地獄を味わった。そんな地獄から救ってくれた魔王に、一生の忠誠を誓うのだった。
そして、そのニュースは現在聖女から訓練を受けている真っ只中の騎士達にも届いた。マヤの聖魔法から必死に己の身を守りながら、そのニュースに歓喜した。こんな状況もこれが最後かと思えば、少し感慨深い。そんな気持ちでふと力を弱めてしまい聖魔法をくらった騎士が数人いたが、皆どこか清々しい表情をしていた。
アルコにも勿論、聖女異動のニュースが届いていた。聖女が突然軍部にやってきて、共に優勝を目指して訓練した記憶が次々と蘇る。確かに辛い事の方が多いのだが、どこか寂しくも感じる。
「あ。聖女様だ。」
アルコの言葉に騎士一同気をしきしめた。
そう。異動するのは明日なのだ。
今日までは何が起こるのか分からない。だがそうは言っても、どんな仕打ちを受けても明日はない。
騎士達の明日は明るい。
「聖女様、事務部に異動なんですか?」
「アルコさん、情報が早いですね。実は、明日から異動なんです。」
「そうなんですか……」
少し寂しそうなアルコの様子にマヤは微笑んだ。
「この国を出て行くわけではありませんから。いつでも相手になりますよ」
「本当ですか!」
「なんなら今からお相手いたしますよ。」
存在を忘れられているかのように二人の世界が広がっている。騎士達はほっこりつつも、じりじりと迫る聖魔法を早く解いてほしくてたまらなかった。
「皆さん。よく耐えましたね。お疲れ様でした。」
マヤが気付いてくれて、聖魔法が解かれた。
騎士達にとってそれは、マヤからの解放と同じであった。
大声で歓声を上げたい気持ちを必死に抑えながら、幸せを噛み締めている。
だが、幸せは長く続かないものである。
マヤは続けて魔法をかけた。明るく温かな光が一面に広がっていく。パァと放たれた光は一瞬にして訓練場を円形に包み込んだ。
その魔法に身に覚えのある騎士達は、何が起こっているのか分からず口をポカンと開けた。
「私からの餞別です。まとめてかかってきて下さい。勿論、手加減は致しません。」
マヤは今まで抑えていた力を解放するかのように、力の限りの聖魔法を繰り出した。温かくて小さな無数の光の玉が空から降り注いでくる。避ける隙間がないほどの数に騎士達は戦慄した。
しかも訓練場を包み込んだ円形の光がじわじわと迫ってきているような気がする。
「勿論、逃がしもいたしません。」
騎士達は思った。
俺たちに明日はくるのだろうか、と。
この日の騎士達の悲鳴は、これまでで一番悲痛な叫びであった。
あまりの声に、多くの騎士達が駆けつけてはマヤの聖魔法に飲み込まれていく。そうして、悲鳴は次なる悲鳴を呼び、訓練場はまさに阿鼻叫喚と化していた。
命からがら魔王のもとにたどり着いた騎士の知らせによって訓練場にニュイが駆けつけた時には、そこはまさに地獄絵図であった。
本当にマヤは魔族と手を組むつもりなのだろうか、と疑う程に悲惨な状況に、ニュイは青ざめた。
ーーこの聖女、早く出て行ってくれないかなあ。
そんなことを思うニュイなのだった。
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