第1話 聖女、魔王城に押しかける
はるか昔、魔族と人間は共に暮らしていた。
しかし、魔族に虐げられていた人間は、聖女によって独立し、ヒュストリアル国を作った。広大な領土を持つ魔族の国の片隅に、人間族の国ができたのである。
魔族にとって聖魔法は弱点であった。聖魔法の使い手である『聖女』がヒュストリアル国を守っている限り、魔族の国がいかに強大な国であっても下手に手を出すことはなかったのである。そのため、ヒュストリアル国は、『建国の聖女』亡き後も、その時の聖魔法の一番の使い手を『聖女』と呼んでいた。そして聖女が住まう場所は、魔族の国の境界線近くにあるのだった。強固な壁で侵略を防ぎ、高い塔から魔族の国の様子を伺うのだ。
時は夜。
壁の向こう側は、鬱蒼とした黒い木々が並ぶ森が広がっている。
そんな中を白いマントのような服を着ていれば、それはそれは目立つ。
しかし、聖女であるマヤは白い服以外持っておらず、暗い夜に黒い木々の森でたった一人白いマントを羽織って歩いていた。
そして必然、柄の悪そうな魔族の2人に絡まれた。
小柄なマヤを囲むように、男2人で挟み撃ちにして、ゆらゆらと尻尾を揺らし、口元をニヤつかせていた。
「人間がこんな所で何してんだあ?」
「危ないぜえ?」
ニヤニヤと下卑た笑顔でマヤを見る。マヤは顔を隠すようにフードをかぶっており、1人が覗き込むように体をかがめた。マヤはフードを取って冷静に、そして丁寧に話し始めた。
「魔王に用があってきました。案内してもらえませんか?」
その表情は怯える様子はなく、ひどく穏やかだった。
「ん?もしかして魔王退治てヤツか?」
「やめといた方がいいぜ。今代の魔王様は歴代一魔力が強いと噂だ。あんたじゃ話にならない。」
マヤの様子を自信満々だと思った魔族たちは嘲笑った。
「そうですか。」
マヤは俯いて、残念そうな表情を見せる。魔族たちの態度は全く気にしていなかった。それが面白くない魔族は、さらに挑発するようにマヤへと話しかけた。
「それより……」
「俺たちと楽しく遊んだほうがいいって」
魔族はマヤにじりじりと近寄ってくる。そんな魔族をマヤは無表情で見上げた。感情の読みづらい表情だが、その瞳には微かに怒りが宿っていた。
「案内はしてくれないのですね。」
そんなマヤの怒りに気づく訳もなく、魔族はマヤに手を伸ばした。
しかし、マヤに触れようとした瞬間、白い光が魔族の手を浄化した。ジュッという焼けるような音が鳴る。魔族は苦しみながら飛びのいた。
「ぎゃああぁあぁ」
浄化された魔族は、火傷したかのような爛れた手を震わせてその場にうずくまった。苦しむ叫び声も、悶えるように掠れて響く。そんな様子を、もう1人の魔族は、呆然を見つめていた。魔族の2人は何が起こったのか、全く理解できなかった。ただ動揺してキョロキョロとする瞳をマヤへと向けた。
マヤは、キラキラと綺麗な白い光の膜に覆われていた。
「すみません。大丈夫ですか?」
マヤは申し訳なさそうに近付いていく。白い光に包まれたマヤを、魔族たちは口をパクパクさせながら見ていることしかできなかった。
「怪我していますね。手当ていたします。」
そう言ってマヤは目を瞑り、魔族の怪我した手にマヤの手をかざした。マヤから白い光が溢れ出し、魔族の怪我した手を白い光が覆っていく。
「ぎゃあああぁっ!!」
魔族はさらに悶え苦しんだ。
見守っていたもう1人の魔族は、マヤを睨み、攻撃体制をとった。
「あら。」
マヤはきょとんとした表情を見せた。
そして、何か思いついたように、手をぽん、と打った。
「失礼しました。私、聖魔法使いなので、魔族の方達にはむしろダメでしたね。」
そう言って、優しい笑顔を見せた。悪気など全くない。
「何てことするんだ!」
当然、魔族は叫んだ。
マヤは優しい笑顔のまま、答えた。
「善意の治療です。」
そして、祈るように両手を合わせ、微笑んだ。
「私、聖女なので。」
天使の羽が舞うかのような優しく穏やかなマヤの笑顔は、まさしく聖女そのものだった。
しかし、魔族にとって聖女は天敵。
魔族2人は警戒した表情に変わった。
マヤはそんな魔族なんて気にせず、2人に近付いた。
「さあ。最後まで治療させて下さい。怪我した人を放ってはおけません。聖魔法しか使えませんが。」
「死んじまうだろうが!」
「これくらいで死ぬなんて、鍛錬が足りませんよ。ほら。」
そう言って、マヤはまた聖魔法をかけた。
白い光が魔族2人にふりかかる。優しく温かな白い光をあびた2人は、まるで電撃を受けたような悲鳴をあげる。
「ぎゃああああっ!」
「痛い痛い痛い痛い痛いっ!」
「ふふふ。」
マヤは2人がどんなに叫ぼうと、優しく微笑んでいた。まるで駄々をこねる子どもを見守るように、のたうち回る魔族を見ていた。
「ぎゃああああーーー!!!」
白い光からなんとか逃げ出した2人は、そのままマヤを振り返ることなく、叫びながら走り去って行った。
「あらあら。逃げられてしまいました。」
そんな2人を追いかけることなく、マヤは見送った。マヤは気にした素振りもなく、遠くを見つめた。その視線の先には大きな城がある。
ーーさて。魔王城を目指しますか。
この森を抜ければ、魔王城まですぐなのだ。
◆◆◆
その頃。
マヤの視線の先である魔王城には、すでにマヤの情報が届いていた。大きくて豪華な椅子に1人の女性が座っている。彼女は今代の魔王ニュイである。机に向かって黙々と書類と向き合っているニュイに横に、猫耳のメイド服の女性・ミカヅキがそっとティーカップを置いた。すると1匹のネズミが、ミカヅキの体を上って肩まで上がってきた。そしてミカヅキの耳元でちゅう、と鳴いた。ミカヅキはネズミを手の上に乗せた。ニュイも作業する手を止めて、ネズミへと視線を向けた。ネズミはミカヅキの手の上でちゅうちゅうと鳴いている。ミカヅキは冷静な表情のまま、ネズミの声に耳を傾けていた。
「ニュイ様、何者かこの国に侵入してきたようですよ。」
「侵入?」
ニュイは首を傾げた。
「はい。聖女と名乗っているとか。」
ニュイは窓の外を見た。不安なニュイを気持ちを感じ取ったのか、ミカヅキは冷静に、
「騎士達もいますから、心配はいらないでしょう。」
と言った。ミカヅキの言葉に安心したように、ニュイは頷くのだった。
「……そう、だな。」
けれど、ニュイはいつもとは違う、胸騒ぎのような嫌な予感を感じていた。
◆◆◆
「警報!警報!」
「魔王城に侵入者だ!!」
魔王城の門付近はかなり慌ただしくなっていた。
多くの騎士達が門に駆けつけて、各々武器を構えて警戒体制をとっている。ゆっくりと、散歩でもしているかのようなマヤの様子は、魔族とは対照的だった。
そんなマヤの様子に多くの騎士達が動揺し、ジリジリと後ろへと下がっていたところ、1人のがっしりした体型のドワーフの騎士が一歩前に出た。
「待て!それ以上動くな!」
ドワーフ騎士の身長はそれほど高くなく、威圧的には見えないものの、野太く大きな叫び声はとても威圧的であった。マヤはその言葉に従い、ゆっくりと立ち止まる。まるで誰かに呼び止められたかのようなのんびりとした様子は、どんなに威圧的な声で叫ばれても変わらなかった。
「こんにちは、皆様。」
マヤは丁寧にお辞儀した。そして、優しい微笑みで挨拶をした。
「私、ヒュストリアル国の聖女・マヤと申します。」
ドワーフの騎士は、多くの軍勢を前にしても全く動じないマヤの態度に一瞬怯んだ。しかし、すぐに気を取り直して、再度叫んだ。
「何が目的だ!」
ドワーフに騎士の後ろに控える魔族たちも、マヤの笑顔にうすら怖いものを感じていた。
「魔王様に用事があって参りました。」
「魔王様に……用事だと?」
ドワーフの騎士は動揺した。てっきり「倒しに来た」という事を言われると思っていたのだ。
マヤは笑顔を絶やさず、話を続けた。
「はい。決して悪意はありません。そうだ、お近づきの印に皆様に祝福を差し上げます。」
マヤは祈るポーズを取った。マヤから白い光が、溢れ出し、一帯を温かい光が包み込んだ。
神秘的な光景に魔族たちは、気を緩めてしまった。が、それもほんの少しのことだった。
「ぎゃああああっ!」
「あ。」
魔族たちの断末魔が響いた。多くの軍勢が黒焦げになって、その場に全員倒れた。
魔法をかけたマヤ自身も、ぽかんとしていた。
「そうでした。これも聖魔法でした。」
ぽん、と手を打って頷く。そして、ピクリとも動かない魔族たちをじっと見て少し考えた。
「……。まあいっか。」
マヤは考えることを諦めて、黒焦げになった軍勢を乗り越え、魔王城の門をくぐったのだった。
◆◆◆
聖女と名乗る侵入者が魔王城に乗り込んでいた。
その情報は瞬く間に魔王城中に広がり、魔王城は大慌てだった。
たった一人の人間族の少女が魔王城に乗り込んできて、次々と守りを突破していっているのだ。ばたばたと多くの魔族たちが走り回っている。そんな中、小さな部屋の中に、一人の魔族が駆け込んできた。
「早く!逃げた方がいい!人間が!人間が入り込んだらしいぞ!」
その中にはすでに一人の魔族がいた。息を切らしている魔族に、慌てたように声をかけた。
「勇者か!?」
息を整えながら、首を横に振った。
「いや。聖女と名乗っているとか……」
勇者ではないと聞いて、部屋にいた魔族は少し安心した表情を見せた。そんな様子に脅しをかけるように、話を続ける。
「優しい笑顔で殺しに来てるらしいぞ。」
「怖っ。本当に人間族か?」
「あの。」
「「ん?」」
この部屋には2人しかいないはず。少女のような声に魔族は首を傾げながら声のする方を向いた。
そこには優しい笑顔の、人間。金髪に碧眼、聖職者の象徴である白い服。
魔族はさっと顔を青くした。
「魔王様の部屋はどこでしょうか。」
「ぎゃああああっ!!」
魔族2人はものすごい勢いで部屋から逃げ出していった。マヤはぽつん、と部屋の中に取り残されてしまった。誰もいなくなった部屋を見渡して、マヤはため息をついた。
そこはどう見ても休憩室のようなこじんまりとした部屋で質素な椅子しかない。マヤが探している魔王の部屋とはとても思えない部屋だった。
「この部屋でもありませんでしたか。」
残念そうな表情をして、マヤは再び探し始めたのだった。
◆◆◆
バァーン!!
勢いよく扉が開いた。
部屋の中には、椅子に座ったニュイと、そのそばに控えているミカヅキが、驚くこともなく無表情のまま、扉の方を見ていた。
「ああ。この部屋でしたか。」
二人を見つけたマヤは、恭しくお辞儀した。
「はじめまして。私はヒュストリアル国の聖女・マヤと申します。」
マヤは一歩前に出た。
胸を張って、ニュイに向かって高らかに声をかけた。
「魔王様、私と一緒に人間を滅ぼしましょう!」
マヤは、とてもいい笑顔だった。
晴々とした、とても物騒なことを言っているとは思えない笑顔だった。
「え。そんなことしたら、かわいそうだろ?」
まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかったマヤは、そのまま固まってしまった。
沈黙が流れる。
マヤもニュイも互いに何を言っているんだ、と言いたげな表情で、固まったまま見つめあっていた。
先に動いたのは、マヤだった。
すぐそばに控えていたミカヅキの方を見て、マヤは首を傾げて尋ねた。
「えっと……?魔王様、ですよね?」
ミカヅキは頷いた。
「はい。こちらは正真正銘今代の魔王・ニュイ様です。」
ミカヅキから紹介されたニュイは、おどおどと落ち着きなく会釈した。
「……は…はじめまして。」
辿々しく、ニュイはそう言った。
「あ。はじめまして。」
つられてマヤも会釈した。
そしてまた、沈黙。
なんとも言えない雰囲気が漂っていた。
「聖女様、とりあえず、こちらに座られてはいかがでしょうか。」
そんな中でもミカヅキだけは冷静だった。
マヤは、ミカヅキが言う通り、案内された椅子に座る。ニュイと向き合って座る。
ニュイは、こほんと咳払いして改めてマヤに尋ねた。
「えっと。何をしにこの国へ来たのだ?」
「私、これまで多くの悩める人々を救ってきたのですが、思うところがありまして、もう人間族を滅ぼしてしまおうと考えて、魔王様と手を組もうと思いここまで来ました。」
「聖女だよな?」
「はい。ヒュストリアル王国では聖女と呼ばれていました。」
ニュイは頭を抱えた。
マヤは、部屋の中に飾られている歴代魔王の肖像画に視線を移した。学校の校長室のような雰囲気で飾られている。マヤは、その中の1人、金髪碧眼の魔女の肖像画を指さした。
「あの方は、ヒュストリアル国が建った時のこの国の魔王様ですね。」
ニュイとミカヅキは目を丸くした。
その通りだった。魔族の中ではかなり有名な魔王なのだが、まさか人間が知っているとは思いもしなかった。
「よく知っているな。」
ニュイは感心した。
マヤは懐かしそうに肖像画を眺めながら微笑んだ。
「お会いした事が、ありますから。」
その言葉に、ニュイは驚いたような、疑うような表情でマヤに問いかけた。
「?本当に人間なのか?」
「前世も今も、間違いなく人間です。」
マヤは真剣な表情でそう答えた。しかし、ニュイは何となく腑に落ちない表情をしている。
ミカヅキは、ふと何かを思い出したような表情で、マヤを見た。
「そう言えば、聞いたことがありますね。今代のヒュストリアル国の聖女は、建国の聖女の生まれ変わりだと。」
ミカヅキの問いかけるような視線に、マヤは微笑むだけだった。
ニュイは真剣な眼差しで、マヤに問いかけた。
「もしそれが本当なら、自分が建てた国を滅ぼすというのか?」
「自分が建てたからこそ、です。」
マヤは真剣な表情になった。
拳をぎゅっと握りしめて、力強く話した。
「腐り切った人間社会に、終止符を打つ。それが国を作った私の責務なんです。」
それが、マヤの決意だった。
前世、マヤは建国の聖女と呼ばれていた。生まれ変わり、記憶が戻ったのは10歳頃のこと。その頃に聖魔法が使えるようになり、マヤは周囲から聖女と呼ばれるようになった。聖女として、今のヒュストリアル国に尽くしているうちに、ヒュストリアル国の、人間たちの、汚い部分を沢山見てしまった。
あんなに差別を憎んでいたはずの人間が、差別する側になっていた。
ニュイは、マヤの真剣な表情をじっと見つめていた。
「だが私は手を組むつもりはない。」
ニュイは冷たくそう言い放った。
「やりたければ、1人でやれ。」
突き放すような言い方に、マヤは俯いた。
「わかりました。」
マヤは小さな声で、ぽつりと、そういった。
「では、しばらくこちらにお世話になります。」
「なんでそうなる?!」
が、落ち込んでいるわけではなかった。
マヤは、ぱっと顔を上げると、とても爽やかな笑顔をしていた。ニュイは思わず叫んだ。ニュイにはマヤの思考が分からなくなっていた。勇気を振り絞って冷たくしたのに、全く気にしていないし、引き下がる気配もない。むしろ、居座る気満々の太々しい態度に、圧倒されてしまっていた。
「安心してください。」
マヤはふふん、と自慢げに胸を張って、カバンを取り出した。マントに隠れて見えていなかったが、そこそこ大きなカバンを肩から下げていたようである。
「着替えなどの荷物は持ってきています!」
マヤはドヤ顔でそう言った。
「そうじゃない!帰って!」
「料理は作れませんが、掃除なら得意です。」
「いらない!そんなのいいから!帰っててば!」
ニュイは叫び、ツッコみながらだんだんと涙目になっていった。
ーーあれ?私の声、聖女に聴こえてないの?
マヤは、天使のような優しい笑顔を見せた。
「私、諦めませんから。」
「帰ってえぇ!!」
ニュイの叫びは、虚しく響くだけだった。
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