第3話 聖女は意地でも帰らない

 それから魔王城はすぐに慌ただしくなった。騎士たちが出発の準備を急ピッチで進めて、事務官たちも住民の避難を急いでいた。そんな魔族たちの中、マヤは少し足早に歩いていた。

 向かう先はもちろん、魔王がいる部屋である。

 勝手知ったる部屋の前で、いつものようにノックをして、部屋の中へと入っていく。

 深刻そうな表情をしたミカヅキと、そして少し疲れた表情のニュイが、マヤを見ていた。


「魔王様。勇者がやってきたと聞いたのですが。」

「ああ。目的は、聖女の奪還、だそうだ。」

「そうなんですね。」


ヒュストリアル国の聖女であるマヤが失踪したとなれば、このような事態になるのは目に見えていた。いつかくるだろうとは思っていたが、思っていた以上に早かった。

 それはニュイもミカヅキも同じだったようで、深刻そうなピリッとした雰囲気はあるものの、焦った様子は見られなかった。

 ニュイはズルズルと姿勢を崩して、机に突っ伏してしまった。


「はああ……今日は厄日かな。」

「魔王様が厄を気にしてどうするですか。厄を振り撒く側でしょう?」


うじうじと文句を連ねるニュイに、マヤはため息をついた。今日に限ってどうやらとても調子が悪いらしい。


「私は平和に暮らしたいだけなのに……。」


 ポツリとこぼされたニュイの言葉が、部屋にこだまする。

 ミカヅキは変わらず作業を進めているが、ちらと視線をニュイへと向けた。マヤも黙ってニュイを見つめた。


「魔王様」


マヤは、ニュイの肩に手を置いた。


「勇者を追い返しに行きましょう。」

「え!?いや、お前が帰ればいいじゃん?!」


ニュイは机から顔を上げて、マヤを見上げた。動揺して丸くなった目が、「なんで?」と問いかけるようにマヤを見つめてくる。しかし、マヤは首を横に振った。


「いいえ。帰りません。私、魔王様と一緒がいいんです。」


そういうマヤの瞳はとてもまっすぐだった。しかし、そのまっすぐなマヤの気持ちは、ニュイには届かなかった。


「お断りだってば!」


 ブワッと涙をこぼしながらニュイは叫び、訴えた。

 しかし、ニュイの訴えはマヤには届かない。にっこりと微笑むマヤの気持ちはすでに決まっていて、ニュイが訴えたところで変わるものではなかったのだ。

 ニュイの肩を掴むマヤの手が徐々に強くなっていく。

 さあ、行こう。

 優しい笑顔で力強く肩を掴まれているだけなのに、そう言われている気がしてならない。ぽろぽろと大粒の涙をこぼし、震えて見せても、マヤは態度を変えることはなかった。ニュイはミカヅキに助けを求めるように、視線を送った。

 その視線に気づいたミカヅキは、ため息をついて、仕方ない、と言わんばかりに立ち上がった。


「マヤ様」


ミカヅキがマヤに声をかけた。ニュイは期待のこもった眼差しで2人のやりとりを見つめていた。涙のせいか、キラキラと瞳が輝いている。


「こういう時は、魔王様を引きずって行って構いませんよ。」


とてもいい笑顔だった。


「むしろ引きずって行ってください。運動不足のせいで動きが鈍いんです」

「そうなんですか。」

「違う違う!!」


 ニュイは慌てて2人の間に入ろうと立ち上がった。

 そして、立ち上がったことを心から後悔する。

 見事なほど素早い動き、本当に一瞬の間に、ニュイは出陣の準備を整えられてしまった。魔王の象徴でもある魔法の杖を持たされ、動きやすい靴に履き替えられ、戦場で映えるマントに変えられている。

 しまった。

 とてもいい笑顔のミカヅキが、恭しく頭を下げているのが、なんとも憎らしい。


「ご武運を祈っております。魔王様なら心配することもないと思いますが。」

「準備バッチリですね!では行きましょう。」


息ぴったりなミカヅキとマヤのやりとりに、もしや最初から打ち合わせされていたのではないか、と疑いたくなるほどだった。


「たっ……助けてえぇ〜!」

「行ってらっしゃいませ、魔王様。」


 そして本当に文字通りズルズルと引きずられながら、ニュイは出陣することになるのだった。いつまでも他人行儀のように礼儀正しいミカヅキの態度を、涙を堪えながら睨むしかできなかったのだ。


 パタン、と魔王の部屋の扉が閉まる音が、虚しく響いた。




◆◆◆



 マヤが魔族の国へやってくる時に通った黒い木々が茂る森の中。あの時は暗く、マヤも一直線に魔王城を目指していたので、気付かなかったが、森の中には広く拓けた場所があった。数人の騎士たちが、これ以上侵攻させまいと盾を構えていたところに、マヤとニュイはやってきた。

 対峙しているのがどのくらいの人数かと思えば、たった1人だけであった。


「魔王!よくも我が国の聖女を誘拐してくれたな!」


 太陽の光を浴びて一層輝く向日葵色のツインテールの少女が勇ましく叫んだ。ビシッと、ニュイに向けて指をさし、目を釣り上げている。見たところ、マヤとあまり変わらないくらいの若い少女に見える。


「あれが、勇者か」

「そうです。彼女は勇者ヒナ。ヒュストリアル国では勇者と呼ばれています。」


 建国の聖女の伝説の中には、1人の勇者が出てくる。聖女を支え、人間族を鼓舞し、導いた存在として、聖女と並んでヒュストリアル国で有名な存在である。聖女と違い、毎回選ばれるものではなく、魔力や身体能力によって教会が認めた存在が「勇者」となるのだ。今回は数十年ぶりに勇者が現れた、とかなり噂になっていたことをマヤは思い出していた。

 マヤは一歩前に出て、ヒナに声をかけた。


「勇者様。私は自分の意思でこの地に来ました。」

「か弱いマヤが脱走できるわけないじゃん!そこの魔王に誘拐されてそんなこと言わされてるんでしょ!」


ニュイはマヤの方を見た。

 確かに、普通「聖女」と聞くと勇者が言うような印象を持つ。しかし、ここ数日マヤと過ごしてきたニュイは、そんな常識的な聖女像がこの少女に当てはまらないことは重々わかっていた。


「普通の聖女はそう言うイメージだよなあ。」


思わず本音が漏れてしまった。


「私、普通の聖女じゃないので。建国の聖女の生まれ変わりの特別な聖女なので。」


違う。そうじゃない。

そう思ったが、ニュイは言葉に出さなかった。ただ黙って、成り行きを見ることにした。


「いいえ。あなたの勘違いです。」

「マヤが脱走するはずがない!」


そりゃそうだ。


「脱走する聖女とか聞いたことないもんな。」


ニュイはまたも本音が漏れていた。


「脱走、経験なさそうですもんね、魔王様。今度やってみませんか?楽しいですよ。」


 なんと脱走に誘われてしまった。ニュイは引き攣りながら、笑って誤魔化した。

 ヒナにはマヤとニュイのやりとりは聞こえていないようで、1人話を続けていた。


「どんなにマヤが天使のように優しく美しくても、空を飛ばない限り脱走は不可能です!」


 天使のように優しい?ニュイは首を傾げながら最近のマヤの行動を思い返してみた。勝手に魔王城の掃除を始め、掃除担当のブラウニーたちが喜んでいる一方で、城を汚すものを病院送りにしたというマヤ。そんな人物を天使のように優しいと言うのだろうか。

 空を飛ばない限り脱走は不可能?魔王城に押しかけてきた時の身体能力は人間とは思えないほど優れていたように見えた。羽根なんかなくても脚力と腕力で物理的にどうにかできそうな気がしないでもない。


「何ですか、魔王様。その目は。」


 ついつい胡乱な目でマヤを見ていたようである。

 もしかして、ヒュストリアル国では、ものすごい猫被りだったのか?そう思ってしまうほどにヒナとニュイのマヤの人物像はかけ離れていた。


「いや。どんな状況なのかと思って。」


マヤは、自分が脱走した時のことを思い出し、話し始めた。


「そうですね。60階ほどある教会のてっぺんが私の部屋だったのですが、そこから飛び降りて、」

「は。」

「裏道を駆け抜けて国境の壁をよじ登って、」

「え。」

「それからは魔王の町まで全力疾走です。」

「え。人間じゃない。」

「ふふ。魔王様は冗談が上手ですね。私はどこからどう見ても人間じゃありませんか。それとも天使に見えますか?ヒュストリアルではよく天使のようだと言われていたんですよ。」


 ヒュストリアルの人間の目は節穴しかいないのだろうか。

 魔族の国の王でありながら、ニュイはちょっぴり不安になったのだった。


「何を話しているのだ!聖女を返せ!」


ヒナそっちのけでマヤと話していたニュイは、「むしろ連れて帰って」と叫びたくなった。全く、自分の国の聖女の管理くらいきちんとして欲しいものだと、内心不満を募らせていた。


「あの子、昔から世話焼きというか、お節介なところがあるんです。早とちりして1人で乗り込んできたんでしょう。」


 マヤの話に、ニュイは納得した。魔族の国に攻め込んで来るにしては、心許ないと思っていた。ヒナはそれほどまでにマヤのことを心配していたのだろう。

 思い立ったが吉日とばかりに、押しかけてきた聖女。

 聖女が誘拐されたと思い込んで、単身攻め込んでくる勇者。


「人間族ってなんというか……猪突猛進なヤツばかりなのか?」


 なんだが魔族は振り回されているだけのような気がする。今後もこんなことが続いては振り回されてしまうのだろうかと思うと、ニュイはめまいを覚えた。


「?彼女くらいですよ。ほら、私なんて聖魔法以外は普通の人間ですし。」


 嘘だ。

 むしろ代表格だ。猪突猛進という言葉がマヤのために生まれたと言われても納得するくらいだ。それなのに、マヤはずっと聖魔法以外は普通の人間族のか弱い女の子と断言するのだ。反論しようものなら物理的に黙らせるあたり、もう「か弱い」はずがないのに。


「魔王様。さあ、腕の見せ所です。」


 マヤはニュイの手を引いて、前へと引き寄せる。されるがまま、一歩前へと出てきたニュイは、急に緊張してきた。そんなニュイの緊張など知らないマヤは、にっこりと微笑んでいた。


「勇者に立ちはだかるのは魔王と相場が決まっています。」

「でもでも……ほら……国際問題とか……」


ニュイがモゴモゴと口をまごつかせ、色々と理由を並べ立てていく。そのどれをとっても、歯切れが悪いものばかりだった。


「今、すぐ、やりましょう。」


マヤは力をこめて、ずいずいとニュイへと迫った。しかし、迫られれば迫られるほど、押しに弱いニュイは目を回してしまうのだった。今もすでにぐるぐると回る目と、混乱でまとまらない頭で、立っているのもやっとの状態であった。


「ふう。しょうがないですね。」


マヤはニュイから手を離した。混乱しているニュイにこれ以上無理を言う気にはなれなかった。


ーー突然押しかけてきた敵だと思っていた存在から、こんなこと言われても、混乱するのは当然ですよね。


マヤは、真っ直ぐニュイを見つめた。


「私が魔王様の味方だと証明してみせます。」

「……?何を?」

「勇者ヒナを追い返します。」

「!?」

「魔族の皆さんは、怪我しないよう気をつけてくださいね。」


 そう言って、勇者へと立ち向かっていく聖女の背中が、とても逞しく、かっこよく見えたのだった。

 マヤの足元に、白い魔法陣が浮かび上がった。その光に見覚えのあった騎士たちは、「ひい」と小さな悲鳴をあげて草陰に隠れようと必死でマヤから逃げていった。


「『聖弓』」


 マヤと同じくらいの大きな白い弓が現れた。白い光を放つ弓を構え、弦をひく。狙いを定めて、躊躇なく弓を放つ。

 弓は光の速さでヒナの足元に突き刺さった。人間の目で追うことなど不可能な速さの弓に、ヒナは何が起こったのか分からなかった。ただ、ゾワゾワと嫌な寒気を感じるだけ。


「ヒナ。私が相手になります。」


再び弓を構えたマヤが、ヒナに宣言する。

そんなマヤの様子から、ようやく聖女から攻撃されたのだと分かった。


「マヤ、聖魔法は私には効かないって知ってるでしょ?」


 聖魔法は魔族の弱点であるが、人間族には全くの効果がない。むしろ、能力を高めたり、癒したりするのだ。つまり、人間族である勇者ヒナにも、マヤの魔法は効かないのだ。

 いかにものすごいスピードで放たれようとも、魔力でできた弓がヒナに当たったところで、怪我を負うことはないのだ。


「そうですね。」


 マヤは大人しく弓を消した。そして、肩からかけていた鞄の中へと手を入れた。

 何かを探しているようなマヤの様子を、ヒナは首を傾げながら見守っていた。


「では。」


そうして出来たのは一冊のノートだった。黒い表紙に、白字で大きく「まる秘」と書かれている。ヒナは目を白黒させながら、そのノートとマヤを交互に見た。


「いつかこういう日のために取ってあったのです。勇者ヒナの昔話。」


パラパラとページをめくる音がいやに響いて聞こえる。ヒナは緊張した面持ちでマヤの行動を見ていた。


「その一。勇者となった日に、大人ぶってコーヒーを飲んだが、初めてのコーヒーでにがすぎてその場で吹き出した。」


ーーうん。コーヒー苦いもんね。


 ニュイはヒナにちょっとだけ優しい気持ちを持てた。

 遠くの草陰に隠れた魔族と違い、ニュイは、一歩下がったところでマヤとニュイのやりとりを見ていた。マヤの『聖弓』に見惚れてしまい、素直にすごいと思った。そのおかげで、混乱していた頭もすっかり落ち着きを取り戻していたのだ。

 ニュイは、ヒナへと視線を移した。耳を赤くしてプルプルと震え、羞恥心に耐えている姿に、心の底から同情した。


「そのニ。自分のキャラが薄いことで悩んでいた時期があり、わざと語尾を変えていた。」

「うわああっ!!」


なんで知ってるのお!?と叫ぶヒナの目は潤んでいた。


「その三。貰ったラブレターの中に、熱烈なものがあっ「もうやめて!」


ヒナはマヤの持っていたノートを強制的に閉じた。必死な表情で訴えるように「やめて」と叫んだヒナに、ニュイは物凄く共感した。ヒナとは友達になれる、そんな気さえしてしまった。


「ヒナ。」


はあはあと息を乱して、耳も真っ赤になっているヒナに、マヤは優しく声をかけた。


「私を心配してくれたんですよね。」


マヤの言葉に、ヒナは目を丸くした。そして、今度は頬をほんのりと紅潮させた。


「と……当然じゃない!」

「ほら、よしよししてあげますよ。」


 そう言って、マヤはヒナの頭を撫でた。

 大人社会にその身を置いていたマヤとヒナは、同年代ということもあり、自然と距離が近かった。ヒナにとってマヤは唯一気の許せる友達でもあったのだ。その友達が突然姿を消してしまった。

 それで単身乗り込んできたのだ。


「私は元気です。心配いりません。」

「そうね。」

「やりたいことがあったんです。そのためにこの国に来たんです。誘拐されたわけじゃありませんし、皆さんよくしてくれているんですよ。」


感情のまま乗り込んできたであろうヒナは、ようやく話に耳を傾けてくれた。

ヒナの顔は、置いて行かれた子供のような、寂しそうな表情を浮かべていた。


「ねえ、なんでこの国にきたの?ヒュストリアルじゃダメなの?」


ヒナの悲痛な問いかけに、マヤは真っ直ぐと向き合った。


「この国でしかできないことがやりたいんです。」


その瞳の強さに、ヒナは何も言えなかった。


「私とマヤは敵、なの?」

「それはヒナ次第です。」


そう言ってマヤはいつもと変わらない笑顔を見せた。その笑顔は、ヒナがヒュストリアルでいつも見てきた笑顔と変わらない優しい聖女の微笑みだった。


「わかったわ。好きにしたらいいわ。」

「ヒナ」

「とりあえず私の勘違いで、マヤが元気そうだってわかったから。とりあえずそれだけでいいの。」


ヒナも、明るい太陽のような笑顔を見せた。


「でも、ヒュストリアルに戻ってきてもらうのを諦めたわけじゃないから。一旦帰るだけ。」

「勝手に飛び出していったら怒られますもんね。」


図星だったのか、ヒナは少し罰が悪そうにむくれた。


「じゃあまたね、マヤ。」

「ええ。また。」


ヒナはすっきりした笑顔でもと来た方向へと帰っていった。


「ん?」


そんなヒナの後ろ姿を見ながら、ニュイは眉間に皺を寄せた。

マヤとヒナのやりとりを温かく見守っていたが、このままでは聖女は魔王城に居座ってしまう。はっと気付いたニュイは、「待って!」と叫んだ。


「待て!いや待って下さい!勇者様!この聖女を!この聖女も連れて帰ってー!!」


しかし、悲しいかな。

勇者・ヒナは、颯爽と姿を消していた。それでもまだ声は届くかもしれない。いや、届いて欲しい。そう願ってニュイは「待ってえ」と叫び続けた。


「何言ってるんですか、魔王様。ほら、帰りますよ。」


手のかかる子供をあやすようにマヤはニュイの手を引いて魔王城へと向かい始めた。


「帰ってえぇっ!!」


ニュイの悲痛な叫び声は、ただただ、響くばかりだった。



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