第20話 聖女、恐怖する

「そんな事、許しませんよ」


怒気をはらんだ声が静かな夜の街に響いた。

透き通る幼い少女の声に、シスターは怪訝そうに顔を歪めた。

そして、暗がりからゆっくりと姿を現したマヤを見つけると、息を呑んだ。


「マヤ様……っ!?」


驚きで手が震えている。建国の聖女に心酔し、崇める彼女にとって聖女・マヤの存在は神にも等しいものだった。


「何故貴方様がここにいらっしゃるのですか!?」


頬を紅潮させて目を潤ませた。そのまま跪く勢いである。しかしそんなシスターの様子を意にも介さずマヤはシスターを睨みつけた。


「貴方はサルバドール教の教えを取り違えています。魔族と敵対する事、魔族を苦しめることは教えにはありません。」

「マヤ様……?」


シスターはマヤの言葉に戸惑いを隠せなかった。


「で、ですが魔族ですよ?魔族は悪なのです。何故生かしておかねばならないのですか?」


ティブロンはゾッとした。天使のような笑顔の裏で魔族を殺すこと、それが常識のような考えを持っていたとは、きっと誰も思わなかった。


「さあ共に帰りましょう!」


そう言って両手を広げる。マヤはその手を忌々しく睨んだ。


「その手を取ることは出来ません。そして貴方の行いは許されるものでもありません。」

「マヤ様!?」


シスターは怯んで手を引っ込めた。その隙にティブロンがシスターとの間合いを詰めた。


「必ず捕まえますよ!」

「あら。申し訳ありません。ここで捕まるわけにはいきませんの。」


しかし、虚な魔族の騎士達が盾になるようにシスターの前に出てきて、ティブロンの邪魔をした。ティブロンは苛立った表情で再びシスターとの距離を取った。


「くそっ!催眠術!?」


ティブロンらしくない荒々しい口調で悪態をついた。ティブロンは事務官である。どんなに優秀でもそれは事務処理においてであって、騎士に勝てるはずもないのである。例え催眠術にかかっているとはいえ、騎士数人を相手になど出来ない。


と、その時だった。


「水砲」


マヤの後方から水の球がものすごい勢いで騎士達を攻撃した。


「ラミアさん!」


ティブロンが嬉しそうな声を上げた。

そこには寝起きのラミアが立っていた。寝起きだからか少し不機嫌そうに見える。ラミアはチラリとマヤを見た。

マヤはラミアの視線の意図に気付いて聖魔法を繰り出した。


「『祝福』」


今回は手加減無しである。

眩いほどの光が騎士達を包み込んだ。温かくて優しい光に包まれた騎士達は、次の瞬間焼き殺されるかのような痛みが全身を襲った。マヤの渾身の聖魔法をかけられた騎士達は耐えることができるわけもなく、その場に倒れていった。


「うちが寝ている間に色々事が進んでいたようだな。」

「はい。麻薬の出どころも掴みました。そして、騎士達も微量ながら麻薬を摂取していたようなんです。」

「ふん。このくらいの麻薬なら取り除いてやろう」

「え。ラミアさん、そんな事できるんですか。」

「うちは吸血鬼だぞ。血に混ざった毒素を抜く事くらい容易いことだ。」


ラミアは騎士達の傷口に触れた。そしてそこから魔力を流し込んで、するすると血を抜き取っていく。指をくるくると動かして血の玉を作り、試験管におさめていく。その作業を繰り返し、血をためた試験管が数十本出来上がった。


「毒素は抜いた。これでおそらく大丈夫だ。まあ少し貧血になるかもしれんがな。」


試験管の中にあるのが毒素の混ざった血のようである。ラミアはそれを全て拾い上げた。


「ラミアさんありがとうございます。」

「大したことはしていない。全く。騎士がこんな体たらくでどうする。」


そう言って一番近くにいた記事を足蹴にした。


「ところでピスシスはどうした」

「ピスシスさん、ですか?」


マヤは首を傾げた。

名前はどこかで聞いた事があるが、会ったことはない。ラミアが誰のことを言っているのかピンとこなかった。そんなマヤの様子に、ラミアも首を傾げた。


「ほら。サメの格好していただろう。うちを運んで働かせておいて、アイツはどこに行った?」

「ラミアさん酷い言い方ですよ。」


耳に心地よい澄んだ声が聞こえてきた。

月に照らされて、水色の髪が輝いて見える。すらりとしたスタイルの美少女が穏やかに笑っていた。整った顔立ちで笑顔を向けられると少し照れてしまう。それほどの美少女だった。


「私だって色々やる事あるんですから。これでも四天魔なんですよ。」


もふもふのサメの着ぐるみを着たティブロン。

その本来の姿は四天魔の一人・事務部のトップのピスシスであった。穏やかな雰囲気のピスシスはずるずると何かを引きずりながら二人に近寄ってくる。

引きずっているのはシスターだった。

それを見たラミアは苦笑した。


「本当、美味しいところ持って行くのが上手いな。」

「そうでなければ事務部のトップはやっていけませんよ。」


ピスシスはマヤに向き直ってにっこりと微笑んだ。


「改めてまして。初めまして。私はピスシスと言います。四天魔の一人、事務部のトップを務めています。ティブロンという偽名を使ってしまい、申し訳ありませんでした。」

「ティブロン、さんですか?」

「はい!そうです!」

「お、驚きました……」


マヤは言葉を失った。

ティブロンも強いだろうとは思っていたが、まさか四天魔だったとは思ってもいなかった。


「ところでマヤちゃんにはお願いがあります」

「は、はい。」


ピスシスはキラキラした瞳で、マヤの両手を握りしめた。


「先程の聖魔法は素晴らしかったです。本当に物凄い威力でした。こんな威力の強い魔法、久しぶりです。」


キラキラした瞳に、熱がこもっているような気がする。マヤはなんだか怖くなってピスシスから離れようとした。しかし、なぜか手を離してくれない。しかも力がめちゃくちゃ強い。


「私、ぜひその魔法をもっと体験したいんです」

「……つまりどういう事でしょうか。」


マヤは冷や汗をかいた。

キラキラと輝くピスシスの目が怖い。


「私にもっと聖魔法をかけてくださいな!」

「遠慮します」

「私を祝福して下さい!聖女様!」

「近寄らないで下さい!」

「私の聖女様!お願いしますぅ!」

「本当、そういう趣味はありませんから!!」


シスターの狂気的な目も怖いが、ピスシスのキラキラした瞳も充分に怖い。

しかもシスターを一人で捕まえる事ができたのだ。一体どんな手を使ったのか。


いや。

今はそんなことどうでも良い。


マヤは何とかしてピスシスから離れたかったが、それが一番難しいのであった。


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