2-6

 警察署から学校までの距離は、はっきり言って非常に近い。道の混雑次第では、通い慣れた人間であれば徒歩の方が早いこともあるくらいである。


 だからこそ、この午後四時過ぎという時間帯に学校へと戻るのであれば、僕一人で向かいたかった。こんな険しい表情を崩さないままの、態度の悪い女性と同じ空間にいるなんて、まっぴらごめんだ。


 しかし、警察という絶対的な権力を有する組織から指定された以上、僕に逆らう余地など無い。だからこそ、僕はこうして真中まなかの運転する車に黙って同乗する羽目になったのである。


「チッ」


 時間帯的に渋滞し出す頃であるということは、この周辺を利用する人間であればよく知っているはずであった。だが彼女は、苛立ちを隠せない様子で舌打ちする。恐らく、渋滞以外に彼女の気分を害する存在がいるのだろう。当然、車内には僕と真中しかいないので、その要因は僕ということになるが。


 僕は彼女に何かしただろうか。確か双子の妹を亡くしたばかりなのだから、気が立っているのも当たり前ではある。しかしそれにしたって酷い態度である。


「あ、あの……」

「何だ」

「妹さんを亡くされたばかりなのに、その……大変ですね」

「それが何だ」

「え、っと……」

「チッ」


 僕が口籠くちごもると、また真中は大きく舌打ちをした。もういいや、この人と会話にはならない。学校に着いたら、さっさとカメラを渡して帰ろう。同じ被害者である西野にしのたちが自宅に到着しているだろうという中、僕だけこんな罰ゲームのような仕打ちを受けるなんて、あんまりだ。


 すると、一向に進む気配のない道の状況を改めてナビで確認した後、真中は苛立ちを隠さぬまま僕へ問いかけてきた。


「くそ、やっぱりこんな道……いや、ちょうどいいか。お前にはひとつ聞いておきたかったことがある」

「えっと……な、なんでしょうか」


 バックミラー越しに睨まれ、その圧力により少し萎縮しつつも、僕はどんな質問が来るのかと身構える。


「お前、何か隠しているだろう。警察に嘘をくとは、大したヤツだな」

「えっ!」


 思いがけない質問に、ドキリと大きく心臓が跳ねてしまい、表情にもそれが浮かんでしまった。それを確認した真中は、少し鼻で笑いつつも話を続ける。


「図星だな。まったく、これだからガキは嫌いなんだ。それで? いったい何を隠している」

「え、えっと……」


 そうか。その件を含めて、彼女は機嫌が悪いのか。確かに先週の土曜日、真中の質問に対して嘘を吐いた。「何か妙なものを見なかったか」という質問に対し、僕は咄嗟とっさに「見なかった」と答えたのだ。


 実際は、あの遺体の傍にはが落ちていた。真中に対して良い感情を抱いていなかったことも事実だが、あれが何なのか確証を得ていなかったこともあって、僕はあえて黙っていた。それがまさかバレていた……いや、バレてしまうとは。


 ここは車内であり、走行しているのは交通量の多い道路だ。いくら渋滞しているとはいえ、急にドアを開けて逃げる訳にもいかないし、ここは素直に答える以外にない。


 一体どれほどの叱責を受けるのか想像もつかないが、これ以上黙っている方が良くないだろう。そう思い、僕は諦めてあの時の光景をありのままに話し始める。


「……便器の横に、その……黒いカードみたいなものが落ちていました」

「それはの個室か?」

「え?」


 その答えを予測していたかのような素早い切り返しを受け、僕はまた少しひるみながらも答え続ける。


「どうなんだ。早くしろ」

「い、いえ。遺体のあった個室の方、手前から三番目です」

「……」


 そしてしばらくの間、車内に沈黙が流れる。すぐに激高されるかと思ったのだが、なぜか彼女は僕に罵詈雑言を浴びせることなく、険しい表情のまま口を閉ざしている。


 『黒いカード』としか伝えていないにも拘わらず、これだけの表情を見せるということは、それだけこの情報が重要であったのだろう。余計な感情に流されず、もっと早くに話しておくべきだった。あの箱崎はこざきという警察官にも申し訳ないことをした。


 そしてまた信号が赤に変わったとき、真中は天井を見上げ、少し思案にふけるような仕草を見せた後、また僕へと問いかける。


「そのカードには、何か書いていなかったか?」

「え? その……」


 彼女の質問を受け、記憶を辿ってみる。しかしカードには何の記載も無く、ただ光沢のある表面に白い陶器便器が反射されるのみであった。いくら思い返しても、ただ黒いだけでそれ以外の特徴は無い。


 そう、素直に答えようとした時だった。真中は少し息を吐き、小さく呟いた。


「なんて、覚えている訳が無いよな。あんな光景を目にして、他のことまで覚えられるなんて有り得ない。……嫌なことを思い出させたな、もう忘れてくれ」


 思いがけず優しい言葉をかけられ、驚いてしまった。だがそれと同時に、この女性を見返してやりたい、という意欲に駆られる。僕は、そんな一般の高校生ではない。先ほどから馬鹿にするような態度を取られ続けていたが、実は普通の人間ではない。そう、思わせたくなってしまった。


「……覚えていますよ。ちゃんと」

「は? 何を言って――――」

「僕は『サヴァン症候群』ですから。見たものは全て、この頭の中に入っています。ですので、僕の記憶に間違いは有り得ません。知りませんでしたか? サヴァン症候群という病気を」


 本来ならば、この疾患のことをこうして口外するのははばかられる。だが、学校でもそうであったが、僕の尊厳を傷つけられるようならば迷わず打ち明ける。それに、今回に関しては事件解決の糸口ともなり得る話なのだ。警察から信用されて、不利益となるとは到底思えない。


 だからこそ、あまり好ましくない真中が相手でも僕は打ち明けたのだ。これで嘘を吐いていたことがチャラになれば、信頼は得られずとも、それはそれで儲けものである。


 僕の話を聞き、真中はどういう反応を示すか。驚くだろうか、それとも呆れかえるだろうか。バックミラー越しではあるが、じっと様子を観察する。


 しかし、僕の予想に反して真中は、どこか得心いったような表情を浮かべ、不思議な質問を投げかけてきた。


「……そうか。たしかお前の父親は水島みずしま 龍太郎りゅうたろう、だったな?」

「え? ……ええ、そうですが、それが何か?」

「なるほど、な。納得したよ。そうか、か」


 突然、父親の話をされたかと思えば妙に納得されてそれ以上の追及は無く、真中はまた前へと向き直った。僕とすれば、もっとサヴァン症候群について聞かれるかと思ったのだが、まさかそれも想定の範囲内だったのだろうか。


 そんな、あり得ない。全世界でも稀な疾患であるし、サヴァン症候群に典型的な症状のない僕の話を、すっかり鵜呑みにしたというのか。真中は人の言うことを疑わない純粋な人間である……なんて、そんな訳があるまい。


 それに、『お前もそうだった』、とはどういう意味なのだろう。彼女の身近にいる人物がサヴァン症候群だった、とでもいうのか。様々な疑問が次々と浮かび、脳内は軽くパニック状態となる。


 とにかく、まずは落ち着いて一つ一つ疑問を解消しよう。そう考え、息を整えた時であった。大通りを抜け、見覚えのある景色が僕の視界に広がってゆく。いつの間にか渋滞を抜けていた車は、学校の手前まで来てしまっていたようだ。


「そろそろ着くぞ。案内は頼む」

「えっ、あ、はい……」


 肝心な時に限って渋滞しないなんて、なんと間の悪いことだ。学校へ到着してしまえば、誰かが駐車場で待ち構えているに違いない。これ以上事件のことや、サヴァン症候群に関する話を聞くことは難しいだろう。警察が何の断りもなしに学校へと踏み込むことなど、まず有り得ないのだから。


 仕方がない。色々と疑問は残っているが、これ以上の詮索は不可能であろう。早いところ、木村きむらの飛び降りる瞬間を撮影した映像を渡して、帰ってしまおう。もう心も体も疲れてしまった。


 そして学校へと到着した僕たちを待ち受けていたのは、これもまた残念なことに、あの校長であった。


「あ、ああ、この前の方ですか。すみません、わが校ではこのような事態、初めてでして。どうしたらいいものか、と……」


 車から降りた真中に対し、校長は汗を拭いながら次々と言葉を投げかけている。


 相変わらず、自分の立場を案ずる以外、頭にないのだな、ということが犇々ひしひしと伝わる話し振りである。そんな校長を真中は冷たい目で軽く睨みつけると、まるで定型文を読み上げるかの如く、感情も抑揚もない調子で語りかけた。


「いえ。事件に関しては他の者に一任しておりますので、校長先生はそちらに同行してください。私は別件で動いておりますので。……ああ、そうそう、以前も申し上げた通り、私の行動に関しては詮索無用でお願いいたします」

「え? あ、その……わ、分かりました」

「ふん……じゃあ、行くぞ。早く案内しろ」

「は、はい」


 口をもごもごと動かし、意見したそうな校長を尻目に、僕たちは校内へと入ってゆく。夕陽はすでに沈みかけており、気味の悪い静けさと薄暗さが相まって、校内の雰囲気はいつもとまるで異なっていた。


 あまりの不気味さと、それに加えて木村が死亡したという事実もあり、全身が得体の知れないものにより包まれているようであった。一歩一歩が重い。普段ならばすぐに到着できるほどの距離ですらも、今や数キロメートルも先の場所であるかのようだ。


 真中による無言の圧力と気味の悪さに耐えながら、ようやく僕たちは部室のある廊下へと辿り着く。この廊下の一番奥が、僕たちの部室だ。


 だが、そこで僕の視界には、まったく予想外の人物の姿が映り込んでいた。部室の前に、一人の女性が佇んでいる。それは、つい数時間前まで僕の隣にいた人で、僕の幼馴染である人物――――


 そう、西野にしの 心深ここみである。

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