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 多くの人間が行き交う新宿。その中でも、高校から志摩丹しまたんへと向かうために使うこの明治めいじ通りは、時間帯に関わらず車通りも多い賑やかな道である。


 普段であれば、最寄り駅を越えた先にあるために通ることのない場所だが、他でもない可愛い後輩の頼みであれば、致し方ない。そもそも、こうした雑踏というものを好む人間などいるまい。


 しかし、だ。


「なあ出水でみず、なんで志摩丹なんだ? 買い物なら他にも安い店がたくさんあるのに」


 その道中、僕はどうしてもそのことが気になっていた。そしてついに、志摩丹を目の前にしてようやくその質問をひねり出すことに成功したのだ。


 志摩丹と言えば、その名を全国にとどろかせる大手百貨店であり、主な利用者層は高所得者だ。高校生がふらっと買い物をしに入るとは、あまり思えない。近年ではその風潮も消えつつあるようだが、僕の感覚としては、やはりここに立ち入るのには抵抗感が強い。


 それに、これは失礼な話だが……こと出水に関して言えば、古来よりファッション性で有名な志摩丹を利用することなど考えられない。何故ならば、彼女は普段から化粧気もなく、私服もかなり地味で最先端のファッションとは無縁であった。


 だからこそ、どうしてこんなところに買い物に行きたいというのか。それが非常に引っかかっていたのだ。しかも、男性である僕を引き連れるなんて……まさか、本当に告白でもする気では無いだろうな。


「化粧品、な訳ないよな。そもそも僕と一緒に来てる時点で、服とかそういうものじゃないだろうし……なあ、何を買うんだ?」

「……これ」

「ん?」


 スッと、差し出されたパンフレットを受け取る。これは、個展の案内か。油絵だろうか、随分と綺麗な……しかし、何とも奇妙な作風の絵が並んでいる。


 首を吊る女の絵、燃え盛る炎から逃げ惑う人々の絵……個性的と言えば聞こえはいいものの、言い換えれば単なるグロ画像である。お世辞にもセンスがいいとは思えない。


 作家名は、西蓮寺さいれんじ 真冬まふゆ。やはり、聞いたことのない作家だ。


「ああ、この人の個展をやってるのか。それで、この人の絵を見ようと?」


 少し絵から目を逸らしつつパンフレットを出水へ返し、確認を行なう。表情を変える様子もなく、彼女は黙って頷いた。


「そんな趣味があったのか……けどなぁ、これだったら別に一人で行っても良かっただろうに」

「……ちょっと、入るの、難しい」

「難しい? ああ、確かに雰囲気は、な」


 それは感じているのか、出水は。恐らく、個展ブースに入ることが難しいのではなく、志摩丹に入ること自体に躊躇ためらいがあるのだろう。それには大いに同感である。


 そんな会話をしていると、いつの間にやら志摩丹入口へと辿り着いたようだ。さっそく店内へと入り、エレベーターホールに向かう。ブースは、先ほどのパンフレットの記載では六階である。階段で行く高さでは無いし、そこまでして行きたいものでもない。


 エレベーターの到着を待つ間、少し疑問に思うことがあったため、出水へと問いかける。


「そういえば、どうして僕なんだ? 他の人には頼めなかったのか?」

「断らなさそうだから」

「はぁ?」


 珍しく返答が早いと思ったら、そんな理由か。いくら可愛い後輩とはいえ、その態度はいただけない。素直に付いてきた僕も僕だが、ここはちゃんと注意しておかねば。


「あのな、お前――――」


 口を開き反論しかけた時、間の悪いことにエレベーターのドアが開いてしまった。見知らぬ人の前で後輩の女子を叱ることなど出来ないため、咄嗟とっさに口をつぐむ。


 しかし、せっかく閉じたその口を、僕はまた開けることとなった。エレベーターから降りてきた人は、意外なことに僕も、そして出水もよく知った人物であったのだ。


「……あ、あれ? 高城たかしろ?」

「え? あ、先輩センパイ! それに由惟ユイも!」


 なんとまあ、嫌な奴に最悪のタイミングで出会ってしまった。高城は僕の露骨な表情の変化に気付き、ジロジロと顔を覗き込む。その耳にぶら下げているピアスがキラキラと反射して、非常にわずらわしい。


 彼女は、高城たかしろ 美琉加みるか。僕たちの活動に興味があると言って、出水と同じく入学と同時に僕たちへコンタクトを取りに来た後輩である。


 ……というか、彼女の場合は出水と異なり、押し込み強盗の如く部室へと入り込み、「活動に入れてくれるまで動きません!」と高らかに宣言して、本当に半日以上居座ったという伝説の自由人である。


 言っておくが、僕らはただ彼女の熱意に根負けした訳ではない。抜群のスタイルと整った顔立ち、それに何より、特徴的で可愛らしい声質を兼ね備えていた逸材なのだ。それ故に、活動への参加を許可した訳だが……これがまた、なかなか厄介な事件を巻き起こすのだ。


 彼女は作品に演者として参加し、自分自身を有名にしたいというタイプで、僕たちの制作している動画のコンセプトとはかなり異なる。そのため、動画のシナリオを書く段階で必ずと言っていいほど、僕たちと彼女は衝突していた。


 とはいえ、多数決ともなれば彼女は負けるため、渋々と撮影に協力してくれるのだが……毎度毎度、その無駄な時間のせいで、動画の制作が滞るのだ。しかも、編集時に自分の画像をねじ込もうとしてきたり、通行人のふりをして映像に紛れたりすることもあり、手を焼いていた。


 ちなみに、高城と僕たちは険悪な仲、という訳ではない。何故なのかは知らないが、喧嘩になったとしても翌日にはまったく持ち越すことは無く、こちらがむしろ驚くくらいに、積極的に声を掛けてくるのだ。その感覚は、未だに謎である。


「ああ、おデート中でしたかぁ。お邪魔虫はさっさと失礼しましょうかねぇ。……しっかし由惟ユイ、まさか水島先輩この人を選ぶとはねぇ。やっぱ、なかなかセンス悪いねぇ」

「……公然と僕の批判をするな。それと、地味に出水にも失礼だぞ、それ」


 この通り、先輩である僕に対しても臆面もなく、こうしてイジってくるのである。本気で叱りつけようと思っても、そこは彼女の上手いところで、本気で怒るギリギリの線を守っている。そういう意味では、彼女は非常に要領がよいとも言えよう。


「あ、美琉加みるか……良かったら、どう? 油絵の個展」


 先ほどの失礼な指摘には、恐らく気付いていないのだろう。淡々と、出水は先ほど僕に見せたパンフレットを取り出し、高城へと手渡す。


「え? なになに……あー、これかぁ。ごめん私はパス。興味ないし、なんかこれ怖くてムリ」


 そう言って高城は素っ気なくパンフレットを突き返す。しかし、出水はその腕を勢いよく掴み取った。彼女の予想外の行動に、高城の目はまさに点となった。


「え?」

「ほら、早く行こう」

「ち、ちょっと待って! 私行かないから!」

「大丈夫、見るだけ……ほら、ほら」


 強引に、引きるようにエレベーターへと高城を連れ込む。本気で焦る高城とは対照的に、出水の顔は何ともイキイキとしている。


 一見すると、先ほどの発言に怒りを覚えた出水による仕返し、とも思える。しかし、そうではないだろう。何故かというと、どういう訳だか出水は高城を非常に好いているのだ。


 同学年だからか、見た目が好きなのか、それとも気軽に声を掛けてくれる存在だからなのか……はっきりとは分からない。それに対し、高城の方も特に嫌がる素振りを見せないので問題はないが、時にこうして暴走することもある。


 自分の好きなもの好きな人にを見せたい、という純粋な気持ちなのだろう。こういう時の出水は、あの西野にしのと同等……いや、もしかするとそれ以上の強さを発揮する。それ故に、僕らメンバーはこうなった出水を止めることはできないのである。


「先輩」

「ん? なんだ?」

「早くして。閉まっちゃう」

「あ、ああ……」


 この通り、先輩も後輩も関係なく威圧する。僕はもうすっかり諦めているので、四の五の言わずにさっさとエレベーターへと乗り込んだ。


 未だ不満げな高城へ、僕は同情するように囁く。


「……諦めろ、高城。遠くから見守ってくれていれば、それでいいから」

「もう、だったら首輪くらい付けといてくださいよ……付き合ってんでしょ?」

「付き合ってねえからな、マジで……痛っ」


 高城の軽い蹴りが、僕のすねへと当たる。軽い痛みと共に、僕の制服には彼女の足跡がくっきりと残されていた。こうして、出水の暴走に付き合わされた高城のストレスは、僕に向けられるのである。いつもながら、本当にこの二人は……少しは先輩を敬って欲しいものだ。


 一方、高城を共にしたことでさらに上機嫌となった出水は、六階のアートギャラリーに到着するや否や、エレベーターから飛び出した。そこまで見たかったのか、と僕と高城は子どもを見るように少し苦笑する。


 出水の駆け出したその先には、くだんの西蓮寺 真冬の絵が飾られている。しかしながら、その作品の特徴から特別展示にしては閑古鳥が鳴いていた。いや、その鳴く鳥すらいないと言えよう。


 それもそのはずだ。一歩踏み込んだ先にあるのが、西蓮寺の代表作らしい絵画……『』が飾られているのだ。


 多くの場合、ギロチンをモチーフとした絵画であれば、処刑される人間の表情、それと周囲の人間の様子を描くものである。しかし西蓮寺の描く『ギロチン』には、処刑された後の様子……つまり、が描かれているのだ。


 しかも、落ちた頭部、それに断頭台に残された体……それらが非常に写実的に描かれており、何とも痛烈な不快感をもたらす。そして、その首の周囲には誰もいない。まるで自分が処刑したかのような視点の、非常に不可解な絵である。


 どうして僕がこの絵のことを知っているのかというと、先ほどパンフレットを一瞬だけ見てしまったのだ。そう、あの一瞬だけでも。全く、嫌な能力である。


「うえぇ、これ、ムリだぁ……」


 そう言うと、高城は早々に女子トイレへと駆け込んでいった。エレベーターへと引き返さないのは、彼女なりの優しさなのだろう。むしろ、ここまで来てくれただけでも御の字だ。出水が満足したら、後で呼びに行かせるとするか。


 一方で出水は、と言うと……すでに奥の方まで歩みを進めており、一人の女性と話しているようだ。彼女がこうして果敢に他人と話している様子など、なかなかお目にかかれないことであった。


 その女性は、何やら怪しげな雰囲気の深緑色、だろうか。色のはっきりしないドレスを身に纏っている。その雰囲気で、恐らく彼女がここに飾られている絵の作者、西蓮寺 真冬なのだろうと察した。


「ええ、もう大ファンで……でもまだ学生で、絵は高くて。でも、それでも大好きなんです」

「そうなの。それは嬉しいけど、あそこにいる方は彼氏さん? 彼は、初めてなの?」

「え? あ、その……」


 人がいないせいで、西蓮寺と思しき女性は僕へ真っ先に問いかけてきた。恐らく、エレベーターから降りてきた段階で僕たちを見ていたのだろう。しかし、彼氏ということは否定しろよ。どうしてそこで言い淀むんだ。


「ああ、すみません……ええと、西蓮寺先生、で宜しいでしょうか。実は僕、彼氏じゃなくて部活の先輩なんです」


 仕方なく二人の元へ歩み寄りつつ、やんわりと否定しておいた。恋人同士でないことは雰囲気で分かるだろうが、念のためだ。


「あらそうなの、残念。そう、私が西蓮寺 真冬。びっくりしたでしょ? こんな絵ばかりで……初めての方は大抵、驚かれるんですよ」


 西蓮寺はこちらへと向き直り、優しい微笑ほほえみを浮かべて返答した。その表情、それにたおやかな仕草……一見すると、このような残虐な絵を描くとは思えない。人は本当に見かけによらないものだ。


「まぁ、驚きましたが……すみません、僕もお金を持っている訳ではないので、ほとんど冷やかしになってしまうのですが……」

「それはそうでしょうね。まだ学生なのですから、自分で稼いだお金で買ってくれた方が有難いもの。でも、そうね……ポストカードでよければあるのだけど、見ていきますか?」

「ポストカード! やった!」


 その言葉に、出水は目を輝かせる。この流れだと、恐らく彼女は買うことになるだろう。そうなると、僕は買わない、という選択肢もなくなる訳なのだが。


 まぁ、ポストカード一枚くらいなら問題は無いだろう。ふところ事情としても、後々の処理のし易さに関しても、だ。


「そうね……せっかくだから、二人の雰囲気に合うものを選んでも良いかしら。この通り暇ですし、私も何かお返し出来たらと思うの」


 そう言って、彼女はブースに設置された机から数枚のポストカードを取り出す。そして、何かブツブツと呟きながらペラペラと捲っていく。


「ねぇ、先輩。こんな機会、滅多にないですよ。良かったですね」

「お、おう……」


 確かに、クリエイターが目の前で自分に合ったものを選択してくれるというのは、なかなかないだろう。しかし出水は、西蓮寺に会ってから異様に饒舌だな。普段からこのくらい喋って欲しいものだ。


「……ああ、これなんかどうかしら。出水さんにはこれかな、って思うの」


 西蓮寺が差し出したポストカードを二人で覗き込む。そこに描かれていたのは、牛の角を生やした死神のような化物が老婆の肉を食っている絵、であった。これは出水に合っている……のだろうか。


「『』だ! すごい、私これ好きなんですよ!」


 受け取ったポストカードを抱きしめ、出水は恍惚にも似た表情を浮かべる。僕はその様子を、硬直したまま見つめることしか出来ずにいた。


 モレクとは確か、中東の方の神様、だったか。子どもを生贄に捧げる類の神様だったと記憶しているが、あの絵には老婆が描かれていた。これは彼女なりの、何かしらのメッセージなのだろうか。まったく理解の出来ない世界観だ。


 やはり、たとえポストカードであろうと価値の分からない人間に渡しても無意味だ。せっかくではあるが、断ろう……そう決意し、顔を上げた。


 その時――――


「はい、これはあなたの分。でも、気に入ってくれたら、でいいから。無理はしないでね」

「え……」


 僕の心中を察したように、彼女は少し悲しそうに、しかしそれを表さないよう堪えるような表情を見せる。そして、すぐさま財布を取り出した出水の相手をするため、僕の元から離れていった。


「……」


 恐らく、僕のように無理をしてポストカードを受け取った客が以前もいたのだろう。そしてその結果、ポストカード彼女の作品は捨てられてしまったのだ。


 本気で作品を手掛ける人にとって、作品は自分の子どもにも近い存在である。それ故、気に入らない人の手に渡ることだけは絶対に許容できないものだ。そう言う意味でも、彼女は紛れもなく、自分の作品で商売を行なうプロであった。


 これでは、さすがにちゃんと彼女の作品と向き合わなければ申し訳が立たない。しっかりと感じ取り、その上で評価しよう。それが僕に出来る最善の対応だ。


 そう考え、ポストカードへと視線を落とした。


「え……」


 そこには、あまりにも地味な死の描写があった。散々、悪魔に食われるだの、首をねられるだのと見せられていた僕には、微塵のグロさも感じさせない、普通の遺体の絵である。


 それでもこの体は、そしてこの目は、一切動かすことも儘ならなかった。それほどの衝撃が、体中を襲っていたのだ。


「こ、これって……」


 そこに描かれていたのは、一人の遺体。手首を切り浴槽に浸かったまま、自らの血液に塗れ悦に浸るような、奇妙な男性の死体だった。

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