1-9
どういう、ことだ。
男性の隣に堂々と座っている女性は、どう見ても昨日遺体となって発見された人と同じ顔をしている。僕は悪夢でも見ているのだろうか。それとも、昨日のあの事件自体が夢だったのだろうか。
あまりの衝撃で、まともな思考が出来ない。それどころか、心臓すら停止してしまったかのように全身が動かないままだ。
どうにかしなければ。このままでは、あの二人に妙な印象を与えてしまう。よりによって警察官を相手にして硬直してしまっては、自供しているも同然である。
無論、僕は何もやっていない。むしろ、あんなグロい遺体を見せ付けられてしまった被害者の一人だ。いくら疑われようと、何の証拠も出てこないはずである。
ただ、自白を強要でもされてしまえば、僕には堪えられる自信がない。どうしたらいいんだ。僕は、一体どうしたら――――
「先輩? ちょっと先輩!」
「え……?」
不意に、背後から怒声にも近い声が響く。チラリと後ろを確認すると、不機嫌そうに頬を膨らませた
「なにしてるんですか! さっさと入ってくださいよ!」
「え、いや……」
高城の語気に
駄目だ。あの女性だけは、高城に見せてはいけない。
あの事件から、時間にしてまだ一日も経過していないというのに、その状況で遺体と同じ顔を持つ人間と相対すれば、きっと取り返しのつかないことになる。この場で卒倒するだけならばまだしも、強烈なトラウマとして心に刻み込まれてしまう可能性すらある。
消したくても消せない記憶なんて、無い方が良い。『忘れられない苦しみ』は、この僕が一番理解していることなのだ。
「待て、高城。お前は少し外で待っててくれ」
「はぁ? どういうことですか! 私も呼ばれたからここに来てるんですけどぉ!」
「いや、それはそうなんだけど、そうじゃなくて!」
彼女が怒るのも当然だ。あんな事件のあった翌日、早く帰ろうと思っていた矢先に警察から呼び出され、しかもこうして邪険に扱われたのだ。気晴らしをすることも出来ず、相当にストレスが溜まっていることであろう。
しかしだからこそ、彼女を素直にこの部屋へと通してはいけない。少なくともあの女性が一体誰なのか、それを確かめてからの方が良い。
「とにかく、僕が先に少し話を聞くからさ……その後にしてくれないか。頼むから」
「えー? そんなの訳が分からないんですけど。一緒に席についた方が時間も無駄にならないじゃないですかぁ」
「……ちょっと良いかな、二人とも」
口論を続ける僕たちに、部屋の中にいた男性が声を掛けて来た。柔和な笑みを崩さず、かといって全く隙がない。やはり、それなりに大きな事件を乗り越えてきた人なのだろう。雰囲気から、それが充分に伝わってくる。
「な、なんでしょうか。あ、失礼なことをしてすみません。その……」
「いや、確かにキミが混乱しちゃうのも分かる。だって、この子は今回の被害者、
「ふ、双子?」
「そう、一卵性双生児だ。だから別に被害者が生きているとか、そういうことじゃないからね。安心……っていうのはおかしいけど、少なくともキミの思うようなことにはならないだろう」
一卵性双生児、か。確かにそれならば、被害女性と同じ顔をしていても不思議ではない。まったく、そうなのであれば先に伝えて欲しかったものだ。
一方、男の言葉は高城の耳にも届いたようで、彼女はおずおずと、未だ姿の見えない男に対して質問をする。
「えっと、つまりこの部屋には……あの女と同じ顔の人がいる、ってことですか?」
「その通りだ」
「っ……」
高城の顔色が、今朝と同じくらい白くなっていく。ただ、この程度の反応で済んだのは、この男性がこちらの空気を察して、双子であるという情報を与えてくれたからだ。そうでなければ、今頃どうなっていたか想像もつかない。
さて、そろそろ本題に入らねば。男は表情こそ穏やかだが、忙しく事件に追われる中で僕たちの口論を聞かされたのだ。その心中は、きっと見た目通りではないのだろう。
「仕方ない。入るぞ、高城……大丈夫か?」
「……別に、今度は心構えが出来てますから大丈夫ですよ。早くしましょ」
誰がどう見ても強がっているだけだが、これ以上待たせられない。速やかに二人の目の前へと向かい、着席する。
高城は、チラッとあの女性を視界の端に捉えた程度で、それ以上顔を上げることは無かった。その一方で、遺体とまったく同じ顔貌を持つ女性は、険しい表情でじっと高城と僕を見つめていた。
「さてと。時間も時間だし、さっさと要件を伝えることにするよ。俺は警視庁の
そう言いながら、彼らは軽く警察手帳を僕らに提示する。
「先ほどは済みませんでした。ご存じだとと思いますけど、僕が
「いや、調書には目を通したし、何よりキミたちがあんな事件を起こせそうもない、というのはよく分かったよ。今さら何か聞くことはないと思っていいよ」
「ありがとうございます。でも、それなら今日はどういう用件なんですか? 僕たちとしても、あれ以上何か話すこともありませんし……」
高城と僕の間で見た光景が違う、ということについては僕の口から説明することではない。そもそもそんなもの、女子トイレを検証すれば一発で分かることだ。むしろ下手に何か喋って、これ以上ここに閉じ込められる方が苦痛となる。
逆に、何か僕たちに別の情報を与えようということならば話は別だが……どうも、箱崎や真中の様子からその気配はない。軽く品定めするような目付きで僕たちを見つめた後、箱崎は少し神妙な面持ちで口を開いた。
「じゃあ、率直に言おう。あの事件については、一切の口外を禁止する。友達や家族を含め、僕ら以外の警察官に対しても、だ。良いかな?」
「は?」
「え?」
口外禁止、つまりは誰にも喋るな、ということか。余程、重大な事件が背後に隠されていると考えて良さそうだが……それにしても、少し引っかかる。
どうして、彼ら以外の警察官にも言ってはいけないのだろうか。警視庁を挙げての捜査ならば、むしろ全捜査員に情報を周知させるべきであるのに。
「その、それは……」
「おっと、理由を聞くのも禁止だ。悪いけど、キミたちに拒否権は無いと思ってくれ」
先ほどまでの柔和な
「その沈黙は、了解したとして受け取るね。さて、僕の用件はこれだけなんだけど、彼女の方からも一つ聞きたいことがあるみたいなんだ。それには答えてもらっていいかな?」
そう言って、箱崎は真中へと目で合図を送る。それを受け軽く頷き、真中は箱崎よりもさらに険しい目つきで、僕たちを睨みながら問い
「正直に答えろ。現場で、妙なモノを見なかったか?」
「み、妙なモノ、とは?」
「だから、妙なモノだ。その場にそぐわないモノが落ちていなかったかどうかと聞いているんだ。早くしろ、時間が惜しい」
「え、えっと……」
有無を言わさない姿勢の箱崎とは全く異なり、真中はただの喧嘩腰であった。若さゆえか、もしくは妹の死が彼女を焦らせているのか……それは定かではない。
ただ、そんな風に迫られても、僕たちとしては協力しようという気にならない。それに、妙なモノなどという曖昧な表現をされても、そんなものはどこにも――――
「あっ」
「なんだ、何か思い出したのか? 答えろ」
「……」
そういえば、あの遺体の傍らに黒いカードのようなものが落ちていたような。いや、確かに落ちていた。僕の消えない記憶からは、しっかりとその存在が確認できる。
ただ、その場にそぐわないかどうかまでは分からない。クレジットカードやポイントカードの
ここは、黙っておこう。それに、何と言うか……この人に力を貸すのは、
「すみません、その……特に何も」
「チッ、役立たずめ。そっちの女は?」
「あ、えっと……私も別に」
「はあ……もういい、分かった。私からは以上だ」
返答を聞き、彼女は完全に僕たちへの関心を失ったようで、それから一切口を利くことは無かった。それを受けて箱崎は、やれやれ、といったジェスチャーをすると僕たちへ向けてまた穏やかに微笑む。
「ごめんね。身内を喪ったばかりだからさ、悪気があった訳じゃない。さてと、それじゃあキミたちはもう帰っていいよ。僕たちは、また校長先生と軽く話をしてから帰るから、そう伝えてくれるかな」
「あ、はい。分かりました」
退席を促された僕たちが立ち上がった時でも、真中はそっぽを向いたまま、何か考え事を続けている。見送る気は一切ないようだ。まあ、彼女に見送られてもいい気分にはならないし、もう出会うことはないだろうから、どうでもいい。
応接室の扉を閉めると、引き
「ど、どうだったかな。その、何も無かったかな?」
「何も。警察の方々は、校長先生に何か話したいことがあるそうですよ。早く入った方が良いと思います」
「あ、ああそうなのか。分かった、連絡ありがとうね」
そして、足早に応接室へと校長の姿が消えてゆくのを確認してから、ゆっくりとその部屋を後にした。廊下を歩み続ける
「もー、昨日の刑事さんの方が、ぜんっぜんマシでしたね! なんですかね、あの女の態度! 高校生だと思ってバカにしてるとしか思えませんよ!」
あの遺体と同じ顔を見た衝撃よりも、彼女に対する怒りの方が勝ったようだ。結果的に元気になって良かったが、高城の言う通り、あの態度はいただけない。
「そうだな、さすがに妹さんを亡くしたばかりだとは言ってもな。それに悲しんでいるという感じでも無かったし、事件にしか興味がない人なのかもしれないな。まあ、決めつけるのは良くないことだけどさ」
「あー、ほんっとに頭にくる。……こうなったら、さっきの約束破りません? これから部室に行って、みんなに話しちゃいましょうよ。そうでもしないと、このイライラは先輩にぶつけるしかなくなりますし」
「おい、それは……」
いくら真中の態度が悪かったとはいえ、そんなことをすれば警察に目を付けられてしまう。口外しない、という約束を破ることが何らかの法に反する行為かどうかは定かでないが、少なくとも警察に好意を持たれることは無い。ハイリスク・ノーリターンというやつだ。このノータリンめ、少しは考えて発言して欲しいものだ。
でも、このまま二人の間だけで話を完結させるのは難しい。実際、
幸運にも、
それに僕も何だかんだ言って、あの真中の態度は気に食わなかったこともある。ちょっとやり返したい、という気持ちは僅かながらにあるのだ。
「しょうがないか。言っておくが、あのメンバーにだけだぞ? その他の人にもそうだし、動画配信では絶対に言うなよ。絶対にな」
「……先輩、私そこまでバカじゃないんですけ、どっ!」
「いってぇ、蹴るな!」
例の如く、僕の制服には高城の靴跡がまたくっきりと付いてしまった。せめて蹴るならば足の甲を使って欲しい。いや、そもそも先輩を堂々と蹴らないで欲しいのだが。
「と、とにかく。とりあえず部室に行くってことで良いんだな?」
「当然です! このまま帰ったって良いことなんかありませんし、だったらみんなでワイワイやったほうが楽しいですもん」
「……まあ、学校のPR動画の件もあるし、ついでに話し合える方が良いか。じゃあ、このまま部室に行くか」
そして、僕たちはみんなの待っているであろう部室へと歩みを進めた。警察と交わした約束を
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