1-10

 二階の廊下を進み、部室前付近にまでやってきたところで、廊下に響くほどの大きな物音が聞こえてきた。高いところにあった段ボール箱でも落としたような、重く埃っぽい音だ。


「ん? 今の音、なんだ?」

「んっと……部室から、ですかねぇ。はぁ、まーた金子カネコ先輩が余計なことでもしたんじゃないですかぁ? この前も確か、部室の掃除をするんだー、とか言って張り切って、部屋中を埃だらけにしたじゃないですかぁ」

「ああ、その話は聞いてるよ。はあ、どうしてこうも次々と問題が起こるんだか」


 高城たかしろと互いに顔を見合わせ、少しだけ溜息を吐く。そして、いつもより重たく感じる部室の扉を開けた。するとそこには、予想通り金子が段ボール箱の前で佇んで……いなかった。むしろ彼は目を大きく見開きながら、椅子に座っていたのである。


 驚くことに、彼の視線の先には出水でみずが埃に塗れた状態で呆然と座り込んでいた。どうやら、戸棚の上にあった段ボール箱を落としたのは出水で、ついでにその弾みで転んでしまったようなのである。


「ちょっとちょっと、どうしたの由惟ユイ!」


 その様子に気付いた高城は、僕を押しのけて出水の元へと駆け寄る。


「あ、美琉加みるか……だ、大丈夫だった? ごめんね。私のせいで、あんなことになって……」

「そりゃあ、だいじょばないけど……今は由惟の方が心配だよ! 何があったの?」

「あ、うん……その……」


 何か言い淀む様子の出水を、心配そうに高城は見つめる。どこか平静ではない状態だったため、僕は椅子に座ったままの金子へとこっそり問いかけた。


「金子、お前見てたんなら助けてやれよ。その無駄に高い身長は何のためにあるんだ」

「お? おお、戻ったか水島みずしま。って、無駄とはなんだ、無駄とは。いや、出水が急にその箱を取ろうとしたもんだからさ。間に合わなかったんだよ」

「急に?」


 それは確かに、金子を責める問題では無さそうだ。何を考えているのか分かりづらい出水の行動を予測する、なんてことは僕でも、高城でも困難だろう。


 では、出水は一体何をするために、あの箱を取ろうと思ったのだろうか。


「出水? 何か言い辛いことなのか?」

「違う、そうじゃ、ないけど……でも……」


 僕の質問にも反応こそしているが、顔面蒼白なまま答える気配はない。そうとなれば、出水の目の前に置かれた、あの箱に何か答えが隠されている可能性が高いだろう。本人が答えられないのならば、そうするしかあるまい。


 黙り込んでしまった出水の態度に首をかしげつつも、僕は古い段ボール箱へと近付く。この箱は……僕たちの活動では使っていなかったものだ。


「金子、これ……ずっと前からこの部屋にあった箱、だよな」

「そういえばそうだな。何も書いてねぇけど……ってうわ、この製造日、昭和って書いてあるぜ? どんだけ前からあるんだよ」


 興味があったのか、同じく近寄って来た金子は段ボール箱の側面を見て驚嘆する。彼の言う通り、側面にも上部にも、この箱の存在意義を示すような記載はない。あるのは、元々この中に入っていたのであろう缶詰の製造年月日だけであった。


 やはり、これを開けてみないことには始まらない。肝心の出水は相変わらず青白い顔のままうつむいているし、開けてみようではないか。このパンドラの箱を。


「え、先輩。これ、開けるんですかぁ? 勇気あるなぁ……」

「別に、こんなの勇気なんか要らないだろ。ただ開けるだけなんだし」

「いやいや、虫とかが出てきたら私、速攻ソッコーで逃げますからね」

「……」


 全く考えてもいなかった指摘に、思わず閉口する。確かに、生死はともかく虫が飛び出してくる可能性は高い。僕は、はっきり言って虫は全般的に嫌いだ。もし万が一、あの黒くてカサカサとうごめくヤツが出てきたら……僕も速攻で逃げるとしよう。


「し、仕方ないだろ。それじゃ開けるぞ……出水、良いよな?」

「……」


 出水は無言で首を縦に振った。口にするのは難しいが、僕らがこの箱を開けること自体に問題は無い、ということだろう。俄然、この箱に何が入っているのか興味が湧いてきた。虫なんか無視してやる。


 付着した埃を少し払い、ゆっくりと蓋を開ける。幸いなことに、生きた虫が飛び出してくる様子はない。それどころか、中身は意外と綺麗なままであった。


「これは……」


 入っていたのは、鮮やかな紅色の装丁、それに数センチメートルはあろうかという厚みのある本であった。これは、アルバムか何かだろう。


「卒業アルバム、かな。それにしては、表紙に何も書いていないけど……」

「どれどれ? おお、確かにそれっぽいな。中身はどうなってんだ?」

「焦るなよ金子。……よいしょ、っと」


 腕にかなりの重量を感じつつ、箱からその本を取り出す。背表紙、裏表紙にも同様に何も書かれておらず、ただ少しカビ臭さが部屋に充満してゆくだけであった。


「出水はこれを探してたのか?」

「……この前、掃除した時に……見つけたの」

「この前? ああ、さっき言ってたやつか」


 それは恐らく、金子の提案で部室清掃をすることとなった日のことを指しているのだろう。その時、これを偶然にも見つけたということか。僕はその日、西野にしのに呼び出されて掃除には参加できなかったので、どうりで見覚えが無いわけだ。


「それはいいからさ、早く開いてみろよ。時間がもったいねぇし」

「分かったよ、ちょっと静かに……うん?」


 金子にかされ、本の適当なページを開く。しかし、そこには何も書かれていない。まったくの白紙であった。


「落丁、か?」


 数ページめくってみたものの、どこにも写真どころか、一言も印字がない。昔の卒業アルバムによくある、寄せ書きのため意図的に設けられた白紙の部分、という訳でも無いようだ。


「もしかして、これ……アルバムの見本か?」

「見本?」


 学校側がアルバムの製作会社に発注した見本であれば、装丁とサイズだけが分かるものであればよい。これは、その時に返品し忘れたものなのだろう。そう考えれば、全編に及んで白紙であることも理解できる。


「なんだ、そういうことかよ。てっきり、面白い物が入ってるかと思ったのによ」

「だな。で、何で出水はどうしてこれを?」


 すっかり拍子抜けした僕は、本を閉じて出水へと顔を向ける。しかし、彼女は未だ俯いたまま、口をもごもごと動かすだけであった。


「出水?」

「違う。中じゃ、無い。……外」

「外?」


 本の外とは、つまりこの豪華なハードカバーのことを示しているのだろうか。卒業アルバムらしく、手触りの良いカバーである。これに何か仕掛けがある、ということなのか。


 出水の指摘通り、本を広げハードカバーだけを摘まみ上げる。すると――――


「あっ」


 持ち上げた拍子に本体の重みに負けてしまい、ハードカバーは外れて綴じられていた紙が床へと落下した。糊付けされた各ページもその衝撃でバラバラになり、蜘蛛の子を散らすように白い紙が縦横無尽に部屋の床を滑空する。


「ちょっと先輩! なにしてるんですか!」

「い、いや! まさかこれが取れるだなんて思わないじゃないか!」


 高城に反論しつつ、焦って飛び散った紙を拾い集めるためハードカバーを置こうとした、その時だった。ハードカバーの裏側、つまり製本された際には隠れてしまう部分に、一般には不可思議なものが存在しているのを、僕の目が捉えた。


「ん? これ、は……」


 そこには、小さな封筒が貼りつけられていた。何の変哲もない、小さめの茶封筒である。


 恐る恐る、その封筒をハードカバーから外す。僅かに厚みがあり、中に何か入っているということが窺えた。


 通常ならば、こんなことはあり得ない。そもそも糊付けされてしまう部分であるのだから、そんな場所にあえて封筒を隠そうなどという発想すらない。タイムカプセルのような存在だとしても、肝心の卒業アルバムを破壊しなければ得られない物など欲しがるような者はいないだろう。


 だとすれば、この封筒は意図して貼られたもの、と考えるのが妥当だ。しかも、これだけ厳重に偽装されたものであれば、犯罪に関わるものである可能性すら、考えられる。


「これ、なのか。出水……」

「……そう」

「マジかよ」


 彼女が本当に探していたのは、これだったのか。金子と高城は、僕の手に握られた封筒を呆気に取られたままじっと見つめる。当の僕も驚いているのだ、その反応に無理はない。


「じゃ、じゃあ……開けるぞ。いいか?」

「おう……」

「は、はい……」


 出水を除く二人の同意を得た後、ゆっくりと封筒の中へ手を入れる。感触としては、紙か写真のようなものが数枚入っているようだ。


 心臓が早鐘を打つ。それを取り出してはいけない、と脳がブレーキをかける。しかし、僕の手はそれを取り出すことを止めない。いや、止められなかった。恐怖心よりも、好奇心が勝ってしまったのだ。


 慎重にその中身を引き抜く。どうやら写真、のようだ。色のせ具合からして、撮影されてからそこまで日にちの経ったものではなさそうである。


 その写真を見て、僕は安堵した。何故ならばこれらの写真はすぐに、旅行の際に撮影したのであろうと推測できたのである。数名から十数名までが写り込み、そのそれぞれが良い笑顔をこちらへと向けていた。


 恐らく、奇抜なアイデアを持った人間がこの写真をアルバムに隠したまま、この部屋に置き去りにしてしまったのだろう。何とも、人騒がせな。


 大きく息を吐き、それらを二人が確認できるように提示する。僕の様子を見て少し緊張が解けたのか、二人はまるで本当に他人の卒業アルバムを眺めるかのように、写真を見つめる。


「はは、なんだこれ。ふっつーの写真じゃねぇか。……そうか、なるほどなぁ。随分と手の込んだサプライズだな」

「ほんとですねぇ。でも、みんな良い顔してる。生徒の写真っていうより、先生たちの写真みたいですね。大人ばっかりで」

「確かに、修学旅行か何かかな? まあ、先生との思い出を取っておきたい人もいるんだろうな。僕は要らないけど」

「そうか? 俺は古文のミキちゃん先生のなら欲しいけど」

「……最ッ低」


 すっかり気の抜けてしまった僕たちは、そんな下らない会話を始めた。試験が終わった日のような心地の良い疲労が全身を巡る。


 しかし、出水だけは暗い顔のままでいた。僕たちがどれだけ明るい話題で盛り上がろうと、顔を上げようとしない。


「由惟? どしたの、まだそんな顔して。これは別に普通の写真だったよ?」


 その様子を見かねた高城が、そっと出水へと近寄り、あの写真の内の一枚を彼女へ見せる。すると、出水がチラリとその写真に目を向けた瞬間、化物でも見てしまったかのように目を見開き、顔を両手で覆った。


 明らかに異常な反応だ。西蓮寺さいれんじの描く、あのグロテスクな絵を好む彼女が、ただの写真でここまで怯えるとは思えない。もしかすると、僕たちが気付いていないだけでこれらの写真には、何か重大なものが隠されているのだろうか。


「……高城、ちょっとその写真を見せてくれないか? もうちょっと、よく観察してみる」

「え、あ、はい。良いですけど……」


 写真を受け取り、写っているそれぞれの顔をじっくりと観察する。改めて考えると、この高校の教師ならば、この僕が誰一人見たこともないというのはおかしい。僕は一度見たものは忘れない。それはれっきとした事実なのだ。


 見落としているものがないか確認している最中さなか、出水が震える声で僕へと話しかけてきた。


「……右下、女性を見て」

「右下の女性? この綺麗な人が、何か……あ、これって……」


 彼女に指摘され、目を凝らしてみてようやく気が付いた。そこに写っていたのは、つい昨日出会った、あの女性だ。


「西蓮寺だ……」

「西蓮寺って、昨日の? 嘘でしょ!?」


 高城は仰天し、僕から写真を奪い取ってじっくりと写真を眺め始める。そのまましばらくその写真を見つめた結果、彼女もその人物を同定することが出来たようだ。険しい表情を浮かべたまま僕に写真を返すと、昨日のことを思い返してしまったようで、顔色を青白く染め上げて俯いてしまった。


「あ、いや……確かあの人も大学で講師をしているそうだから、別に写真に残っていても不思議じゃないだろ? それとも、まだ何かあるのか?」

「……」


 西蓮寺がこの写真に写っていたとしても、大学の教諭が高校の教師の集団に紛れて映り込むこともあるだろう。特別講師などを行なう機会もあるだろうし、それ自体は何ら不思議ではない。それに、彼女は普通にしていればかなり美人であるから、金子のように彼女の写真を欲しがる人間もいるだろう。ここまで、出水が怯える必要は無いはずなのだ。


「おい、俺にも見せてくれよ。つっても、その西蓮寺っていう人は知らないんだけどな」

「美人が見たいだけだろ? そんなの後にしてくれよ」

「いやいや、俺だけけ者にすんなって。……おお、確かに美人だ。うん? こいつ、どこかで……」

「金子?」


 最初こそ僕の予想通り、西蓮寺を見て少し口角をまなじりを下げていた金子だったが、不意に眉を寄せた。そして、記憶を遡るように頭を掻きながら唸り始めた。


「うーん……こいつ、どこかで見たような。おい水島、お前なら分かるだろ? この西蓮寺って美人の上にいる男の顔。誰だっけな……」

「はあ? そんなの分かる訳……ん?」


 差し出された写真を受け取り、金子が指示した辺りにいる男性の顔を見つめる。確かに、言われてみれば見覚えのある顔だが……実際に会ったことのある人間、では無さそうだ。恐らく、写真や画面を通じて見たことのある人間であろう。


 画面、というと……テレビ画面、となる。テレビ画面に映るとすれば、芸能関係の者となる訳だが……。


 まさか、この男は……。


「こ、これ、大島おおしま ひろしじゃないか! この前不審死した、あの!」

「そう、それだ! どっかで見たなって思って……ん? でもなんで、あの大島がこの写真に写ってるんだ? うちの大学の教師だったとか?」

「いや、そんな話は……」


 大島の経歴など調べたことも無いため断定はできない。ただ、世間を騒がせたあの大島が西蓮寺と共に写っている、ということは紛れもない事実だ。しかも、偶然にも写り込んだ訳ではなく、しっかりとカメラを意識した写り方をしている。


 誰がどう考えても、西蓮寺と大島には面識がある、と捉えて良いだろう。これは、果たして偶然と言えるだろうか。

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