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それと、解せない点がもう一つ。この写真に写っているのが本物の
そもそも、テレビ番組すらまともに観る機会の少ない出水が、大島の顔を把握しているかどうかすら疑問だ。有名な俳優ならばともかく、イケメンでもないノンフィクション作家を覚えるのは至難の業だ。
とはいえ、ワイドショーなどに出るような人物ではある。何度も自然と目にするうちに、無意識に覚えてしまった、という可能性もあるか。
「しかし
「ん? そりゃま、なんつーかさ……よくネットで炎上してたから何となく、な。確信は無かったけど、
「何となく、か。まあ、普通そんなもんだよな」
芸能情報に詳しい金子でもこの程度となると、やはり余程のことがない限り記憶に残ることはないだろう。
つまり、出水と大島の間には何らかの接点があった、と考えるべきだ。大島の記事によって生活を破綻させられた人間は多い。もしかすると出水の両親、もしくは親族も大島によって人生を狂わされたのかも知れないな。
「出水、ちょっといいか」
「は、はい……」
「この男のこと、知ってたのか?」
「え? えっと、それは……」
「いや、無理に答えなくてもいい。よければ、でいいんだ。教えて――――」
「あの……知らなかった、です。さっきまで」
「さっき?」
予想外の返答に、思わずオウム返しをしてしまった。そればかりか声も上ずってしまい、妙に腑抜けた声が部室中に響く。
「ゴ、ゴホン! ごめん。さっき、って?」
「え、その……先輩たちが来るまで、金子先輩、教えてくれた、です……」
「はあ?」
出水の話によれば、彼女はどうやらつい先ほど、金子から大島の情報を得たのだという。それ以上のことは、完全に萎縮してしまって聞き出せないため、その情報を
「おいおい、金子。どういうことなんだ」
「ど、どういうって……別に。ほら、お前らがなかなか来ねぇから、昨日話したことを出水にも教えただけだって。まあ、ほとんど俺の独り言みたいになってたけどな」
「昨日の? ああ、ネットニュースの件か」
「そうそう。んで、もう話題が無くなったもんで黙ってたら、急に出水がこの段ボール箱を取ろうとしたんだよ。んだよ、俺が悪いってのか?」
なるほど、それで今に至っている、ということか。そうだとすれば、尚更のことおかしい。大島をつい先ほど知った出水が、どうしてこの写真に写っていることを思い出せたのだろう。
すると、まだ青白いままの顔を上げ、
「あー、先輩?
「はぁ? 偶然って、そんな都合の良いことあるか?」
「ホントに冴えてる時があるんですってば! まーでも、ホントに記憶力が良かったら由惟はもっと成績が良いはずですからねぇ。この前の英語の小テスト、最悪だった私より悲惨で――――」
するとその言葉を聞いた瞬間、ずっと俯いたままであった出水は表情を変え、信じられない、と言わんばかりに高城を睨み付けた。
「
「あ、ヤバ……」
高城は慌てて口を手で覆っているが、時すでに遅し。無言の圧力をかけられ、青白かった顔色をさらに白く変色させてゆく。これは言うまでもなく、高城が悪い。助け船を出す必要など無いだろう。
それにしても、確かに高城の言う通りで、出水は妙に勘というか第六感的なものが優れているな、と感じることはあった。ただ、本当に彼女の感覚が優れているかどうかについては定かでない。
偶然として片付けるのは釈然としないが、今はそう捉えておこう。問題はそこではないからだ。
「ごめん、ホントごめんって!」
「……」
「何か言ってよぉ!」
僕が思考を続ける間も、髪飾りを揺らしながら何度も謝る高城と、全く表情を変えることなく睨み続ける出水の攻防戦が続いている。まったく、緊張感の欠片も無いヤツらだ。
仕切り直す意味も含め、軽く苦笑いしつつ僕は金子へと向き直る。
「何やってんだかな……それはそうと金子。昨日の話って、出水にどこまで喋ったんだ?」
「どこまで? それはアレか、動画にしようぜって話してたヤツも含めて、ってことか?」
「……動画にはしないけどな。お前が
むしろ、誰が説得できるのか知っているのならば、その人を紹介して欲しいくらいだ。
「いや、それは勘弁してくれ……。あー、そうだな。さっき言った通りほとんど俺が一人で喋ってたんだけどさ、一応話したと思うぜ」
「陰謀論についても、か?」
「ああ。まあ、本人が聞いてたかどうかまでは、知ったこっちゃねぇけど」
そう言うと、金子は出水の方へと視線を移し、オーバーリアクション気味に両手を広げる。その一方で、僕たちの話はまるで聞こえていない様子の出水は、未だに高城を睨み続けていた。
さて、そろそろ二人を止めるか。このままでは埒が明かないし、これ以上は時間の無駄だ。
「悪い出水、もう一度聞くけどさ。どうしてこの写真を探そうと思ったんだ?」
「え? そ、その……」
高城から視線を外し、驚きと
「あの、大丈夫……ですか? 話しても」
「大丈夫、って?」
「えっと……昨日、大変だったのに……」
おずおずとした、顔色を窺うような彼女の姿勢に僕は少し戸惑った。何か問題があればそもそも登校していないし、この時間まで部室にいる僕たちに今さら気を遣っても遅い。それともまだ、昨日の事件は自分の責任だとでも思っているのだろうか。
「僕は大丈夫だよ。でも高城、お前は辛かったら帰っても構わないぞ。まだ顔色が優れないみたいだしな」
「えっ? そんなー、今さら帰れるわけないじゃないですか。そりゃ、実際はだいじょばないですけど……こんな中途半端な状況で帰った方が、なんかモヤモヤします」
ううー、と少し唸りつつ、高城もここに残ることを決断した。さすがに彼女も、この写真には興味があるようだ。
「だってさ、出水」
「う……そ、それなら……」
そう言って、出水はゆっくりとデスクトップPCの前へと移動する。そして軽くマウスに触れ、スリープモードを解除した。その途端にPCの画面は明るさを取り戻し、同時に先ほどまで出水が閲覧していたであろうインターネットのページが表示される。
「ん? これは……」
映し出されたのは、僕もよく利用するネットニュースサイトのページであった。記者によってバラつきはあるものの、更新が早く情報の先取りをするには有用なサイトである。
ニュースに対し誰でも自由にコメントできる機能が搭載してあるものの、大抵の場合は感情的な意見に占められており、特に芸能ニュースの場合は荒れることが多い。だから僕は基本的に、このコメント欄を非表示にしている。
一般人が事件やゴシップに関する情報を持っていることは滅多にないし、見たところで負の感情が掻き立てられるだけだ。このサイトの運営も、早くこの機能を削除したらいいのに。無関係な人間からの罵詈雑言ほど、無価値で無意味なものはない。
そんなコメント欄が、僕の目の前に映し出されていた。どうやら出水は、金子の話を聞いていた時、ちょうどこのサイトのコメント欄を開いたようである。
コメントの内容を見る限り、昨日報道された大島の事件に関する記事と思われる。そしてコメントの方はと言うと、案の定であった。
「うわー、これはまた……随分と荒れ放題だな」
「だな。炎上商法で売れたから仕方ないんだろうけどさ……これだから僕は嫌いなんだよ、ここのコメント欄」
不倫などのスキャンダルならばまだしも、今回に関しては自殺の記事である。それにも拘わらず、彼の過去の発言を取り上げ、死んで当然だ、とでも言わんばかりの暴論が展開されている。
「ヒドい。この人、死んじゃったんですよね? なのに……」
近付いてきた高城は、そのコメントの悪辣さに目を背けている。彼女の言う通り、大島の死を悼むような書き込みはほとんど見られない。これでは、さすがに死んだ大島はもちろん、遺族も不憫だ。
「出水、まさかこれを見せたかった、って訳じゃないよな?」
「……これ」
「え?」
僕の問いかけに対し、出水は無言で画面を指さす。
「これ、見て」
彼女の指さした先には、ある一人のコメントが表示されていた。ハンドルネームも無く、ただ一言だけ書かれたそのコメントは、誰の目から見ても興味をそそるものではない。
だがそのコメントは、この事件の記事をよく読んだ者……そしてその中でも、とある画家の作品を知っている者にのみ、その真意が理解できるものであった。
「これは……」
思わず、そのコメントを何度も見直す。だが、目に映るものが変化する様子はない。見間違いではないかと疑い軽く目を擦ってみるが、僕の視界は良好そのものであった。
間違いではない。でも、こんな偶然、あり得るはずが……。
「あん? どうしたんだよ水島……なになに?」
震える僕を
「えっと……『バートリー夫人』? なんだこりゃ」
「っ……!」
耳から伝わったことにより、より確信へと至ってしまった。僕の目が、僕の脳がおかしい、という仮説は脆くも崩れ去ったのである。
そう、そこに書き込まれていたのは、『バートリー夫人』という単語だけであった。当然、金子にも高城にも、もちろん他に書き込みをしている閲覧者にも、何の意味があるのか理解されないだろう。
だが、僕と出水は、その意味を知っている。何せ、昨日あの事件のあった現場で、そのタイトルが冠された絵を見たのだから。
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