1-12

「バー、トリー……」


 怪訝そうな金子かねこ高城たかしろとは対照的に、僕は唇を震わせながら、倒れないよう必死に机へとしがみ付いていた。しかし僕の反応は金子たちの興味を惹くものではなかったらしく、彼らは僕の方など見向きもせず、その書き込みを睨んで悶々と想像しているようだった。


 微塵も心配する素振りを見せない二人に軽い怒りを覚えつつも、ひとまず精神を落ち着かせてから出水でみずへと向き直る。どうやら彼女だけは僕の心配をしてくれているようで、目が合った瞬間、何ともいえない表情を浮かべていた。


「えっと。これを見て、私、その……」

「そういうことか。それは確かに、なあ……」


 この書き込みを見た時、出水は恐らく相当に驚いたのだろう。そうでなければ、いつも冷静で慎重な彼女が戸棚の上にある段ボールなんて、落とすはずが無い。いや、そもそも背の高い金子に取ってもらっていたはずだ。


 金子から話を聞かなければ、こんな書き込みを目にすることも無かっただろう。決して幸運とは言えないが、これで金子たちにもこの事件の異常さを理解してもらえるに違いない。


 しかし、あのことを金子や高城へ話してしまっても良いのだろうか。恐怖は複数人で共有すれば薄まってゆくが、逆にパニック状態へと陥らせることもある。それに高城については、この手の話に免疫が無いということを知っている。無理に耳に入れ、体調を崩させてしまっては夢見が悪い。


「出水」

「ん?」


 黙っているように、と出水へ向け人差し指を立てる。幸いにも、二人はまだ画面に張り付いているため、こちらの素振りに気付いていないようだ。僕の意図を理解し、出水が小さく頷くのを確認した後、わざとらしく大きめに独り言を呟く。


「はーあ、それにしても疲れたな。今何時だっけ?」

「あ? 何時って、そりゃ……うお、もうこんな時間かよ!」


 僕の声につられた金子は、画面に表示された時刻を目にして驚愕する。表示されていた数字は、十七……つまり、午後五時であった。午前授業であるというにも拘わらず、僕たちは動画制作に向けた議論ではなく、無駄な会話だけで一日の大半を消費してしまったのである。


 話題を振った僕ですら、その事実に狼狽して軽く咳き込む。


「うわっ、何ですかいきなり! 汚いでしょ!」

「ゴホッ……う、うるさいな、高城。それよりお前、今日は早く帰る予定だったんだろ。そろそろ帰った方が良いんじゃないか?」

「ひっどーい! ゴールデンウィーク中に撮影するから手伝え、って言ったの先輩じゃないですかぁ。まさか、忘れたんじゃありませんよね?」

「あ……」


 そうだ。通学途中のことですっかり失念していたが、動画制作をするために気乗りしない高城を呼んだ張本人は、僕だった。警察の件や今回の出水の件で、完全にいつもの活動のノリになってしまっていた。


 最終的には高城自身の意志でここに来たのだが、そもそも誘ったのは僕であるし、ここで「帰れ」と言うのはさすがに失礼過ぎる。瞬間記憶能力を有しているために、記憶に関して少し驕りがあったようだ。反省せねば。


「悪かった、ごめん。でも、もうこんな時間だし……そうだ。明日は日曜だし、明後日から本格的に始動するってのは、どうだ? それなら、僕も高城もゆっくり休めるだろうし」


 僕の提案に対し、空気を読んだのか金子も同意する。


「そうだよな。詳しくは知らねぇけど、なんか事件に巻き込まれたんだろ? だったら水島みずしまと高城は、ちゃんと休んだ方が良いって。それに、出水も何か調子悪そうだしな」

「悪いな。お前も塾とかで忙しいのに」

「いいってことよ。で、そうだな……月曜日の午前中に打合せして、午後から撮影開始、ってのが現実的だと思うけど、どうだ?」

「えー、そうですかぁ? うー、このまま帰っても誰もいないし……ねー、由惟ユイはどう思う?」

「え、わ、私?」


 急に話を振られ、困惑した様子で出水は視線を泳がせる。話を聞いてなかったのか、それともまだ西蓮寺さいれんじの件を引き摺っているのかは定かでない。ただ、彼女もこの二日間でかなり疲労したことは間違いない。金子の言う通り、体調を整えて出直す方が賢明であろう。


 その一方で、高城には悪い記憶を何か別のことで紛らわせたい、という思いもあるようだ。それに関しては僕も同意だし、このまま帰宅して一人きりになりたくはない。みんなと一緒にいた方が、圧倒的に気分が楽だ。


 僕はこの活動の代表であるため、メンバーの意見を聞いて判断する役割にある。この三人が多数決で導き出した答えを、僕の個人的な感情で振り回すことだけは避けなければならない。そうなるようであれば、僕は潔くこの座を退くつもりだ。


 さて、つまりは出水の回答次第となるわけだが……このままここに残り、動画制作の話を続けるか。それとも、さっさと帰って静養するか。そのいずれかだ。


 僕たちの視線を浴び、かなり萎縮しつつも出水は自分の意見を頭の中でまとめているようだ。そして意を決したように顔を上げ、口を開いた、その時だった。


「あの、私――――」

「さっさと帰ることね。あなたたちの活動を、これ以上見過ごすわけにもいかないもの」

「えっ?」


 僕を含め、全員がその声のする方向へと視線を移す。そこには、仮面のように感情の無い笑顔を浮かべ、腕を組む西野にしのの姿があった。


「に、西野……なんでまた、ここに……」

「なんで、とはまた随分な挨拶ね。くだんのPR動画制作について、進捗状況を聞きに来ただけなのだけど」

「あ、ああそうか。えっと……」


 西野の方が、むしろ何故そんなことを聞くのか、と言わんばかりに顔をしかめる。まったく、昨日の夜とはえらい違いだ。僕に向けられていたあの優しい微笑みは、今や冷酷なものへと豹変している。


 返答に窮し、全員揃って顔を見合わせる。そんな僕たちの反応に、西野は一つ溜息を吐くと、ゆっくりと僕に近付いて言う。


「ちょっとは真面目に取り組んでるのかと思ったのだけど、さっきは全然違う話題で盛り上がっていたみたいじゃない。やっぱり、学校のPR動画の制作依頼は取り下げて、このまま活動を廃止させた方が無難かしらね」

「ちょ、ちょっと待ってくれ! 今日は、ほら……知っての通り、高城も僕も、出水も色々とあった訳だから……」

「それにしては、楽しそうにも見えたけど? まあ、一度約束したことを反故ほごにするのは、私としても不本意だわ。ちゃんと心を入れ替えて、ゴールデンウィーク期間中に動画を完成させるのなら見逃してあげるけど。どう?」

「……」


 反論の余地も無い。ここで歯向かえば、何もかもを失うことになる。やっと、この学校で見つけた居場所なのだ、そう簡単に手放してなるものか。


 念のため、後方にいる他の三人の顔も見渡す。やはり金子たちも、素直に応じる姿勢を見せている。こんなところで意見が一致しない、などという残念な結末を迎えず、心から安堵した。


「ああ、ちゃんと動画は作る。だから、その……」

「そう答えると思ったわ。でも、今日は大人しく解散しなさい。さっきの話にも出ていたけれど、そう簡単に気持ちを切り替えることなんて出来ないから。今日くらいはゆっくり休んで、連休中に制作を始めること。いい?」


 強引に決定され、僕たちは頷くしかなかった。全員が立場を改めて理解したことを確認した西野は、長い髪を掻き上げ、少し満足そうに微笑む。


「それでよし。……ああ、そうそう。撮影に木村きむら先生は帯同しないそうだから、何かあれば私に報告するように。まったく、正式な顧問ではないけど無責任なんだから……」


 ぶつくさと文句を言いながら、彼女はまた部室の扉へと向かう。そしてゆっくりと開け、無言ながらも僕たちに下校を促す。


「ほら、どうしたの。早く帰宅の準備をしなさい」

「仕方ない。帰るぞ、みんな」

「はーい……」

「へいへい……」


 もう、帰る以外に選択肢は残されていない。ここでモタモタしていれば、また何か苦言を呈されるに違いない。これ以上、彼女から小言を言われるのはうんざりだ。


 荷物をまとめ終えた順に、部屋から去ってゆく。僕は一応責任者として、全員がいなくなってから室内の確認をして帰るつもりであった。だが、出水、高城、金子と立ち去ってゆく中で、西野だけはこちらを見つめたまま帰ろうとしない。


「どうしたの、水島くん。残ったのはあなただけよ?」

「あの、ほら……僕はこれでも責任者だからさ。戸締りとか、そういうのを確認しないと」

「ふうん。意外と真面目なのね」


 そう言うと西野は、身をひるがえして廊下を覗き込む。他の三人の姿が見えなくなることを確認した後、また一つ大きく息を吐いて僕を見つめる。


夏企なつき、大変だったわね。警察まで来ていたんでしょ?」

「あ、ああ……」


 家に上がった時のように、生徒会長から幼馴染の顔へと変貌させ、西野は心配そうに僕へと問いかける。これほどまでに態度を豹変させられるというのは、なかなかすごいことだ。個人的には、この顔のままで普段から接してくれた方が良いのだが……元はと言えば僕が悪いので、それに関しては口が裂けても言及しないけど。


 しかし、警察が来たのはずっと昔のことのようにも思える。それほど、この部室で起きたことというのは衝撃的であったのだ。そのため、ずっと気を張っていたせいか、ここに来てどっと疲れが押し寄せてくる。


「警察は、まあ……別に僕たちに非は無いんだし、堂々として居ればいいだけだから大丈夫だ。でも……」

「でも?」

「……いや、何でもない。さて、僕も疲れたことだし、まっすぐ帰るよ。西野も、帰れる時は早く帰った方が良いと思うよ。ご両親も心配するだろうし」


 それに、あの凶悪な事件を引き起こしたであろう犯人が、まだ捕まったという報せを受けていないのだ。ただでさえ、お世辞にも治安がいいとは言えないこの新宿sんじゅくで、華の女子高校生が一人で夜間にうろつくなど、危険すぎる。


 忠告だけして、僕はそのまま帰るつもりだった。だが西野は、何かを思い出したかのように僕へと話しかける。


「あ、夏企。ちょっと待って」

「ん?」


 そう言うと、西野は僕の横を通り過ぎ、机の上に並べられたあの写真……西蓮寺と大島おおしまが写る、奇妙な写真を手に取った。いろいろとバタバタしていたこともあり、すっかり片付けるのを忘れていたようだ。


「これ、どこで見つけたの? 大学の先生とか、色んな人が写っているけど」

「あ、ああ。何だ、それのことか。偶然見つけた古いアルバムの間に挟まってたんだよ。前からあった箱の中に入ってたし、かなり昔のものなんじゃないかって、そんな話してて」

「ふーん?」


 少し苦しい言い訳だったのか、西野は目を細くして僕を見つめる。品定めされているようでとても居心地が悪いが、本当のことを明かして怒られるより、断然マシである。何せ、事件のことを調べているようなものなのだから。


「な、なんだよその目は。写真だったら、また月曜日にでも片付けるから平気だよ」

「なに言ってるの。写真は光に弱いんだから、早くアルバムに戻さないと駄目じゃない。アルバムは……これね?」

「あ、ちょっと!」


 僕の話も聞かず、西野はあの奇妙なアルバムへと手を伸ばす。この距離では、どうしたって制止できないし、無理に彼女の手を取ろうものなら、何か後ろめたい理由があると勘付かれてしまうだろう。


 ここは、西野があのアルバムを詳しく調べないよう祈るしかない。


「えっと、どのページかしら……あれ、このアルバム真っ白ね?」

「ああ、それは……多分だけど、それ卒業アルバムの見本か何かだと思うんだ。さっき僕たちも見たけど、その写真以外にそのアルバムには何も無かったし。全部空白だったよ」

「そうなの? でも確かに、このタイプのアルバムは、生徒会に入ってから見たことが無いわね。きっとかなり古いものか、他のメーカーに発注したのね。なるほど」


 そして一通りページをパラパラとめくり、得心いったように小さく頷くと、静かにアルバムを閉じた。


「さすがに真っ白じゃ、どこに挟まっていたのか分からないわ。夏企、後で戻しておいてくれる?」

「いや、そんなに気にすることじゃないだろ。適当でいいよ」

「そう? まあ、それもそうね。じゃあ、最初のページに……あら?」


 言葉が途切れた途端、西野の手の動きも止まる。最初のページに写真を入れる、と彼女は言っていた。もしかすると、ハードカバーが外れることに気付かれたのかも知れない。ああ、真ん中あたり、と指定しておけば良かった。


 さあっと、血の気が引いてゆく。倒れそうになる体を必死に支えつつも、彼女の一挙手一投足を注視する。だが、次に彼女が口にした言葉は、僕の予想から完全に外れるものであった。


「ねえ、夏企? この写真、のだけど」

「え?」


 裏に、何かが書いてある? まさか、先ほど四人であれほど見たというのに、そんな単純なものを見落とすなんて、有り得ない。……いや、写真に写る人物までは、それこそ穴が開くほど見た。ただ、裏面までは注意が及んでいなかった。


 そうだ、出水も、金子も、高城も……そして、僕も。誰一人として、写真を裏返していなかったのだ。


「ちょ、ちょっと見せてくれないか?」

「え? ええ、良いけど……」


 戸惑う西野から写真を奪い取り、裏面へと視線を落とす。そこには確かに、隅の方であるが油性ペンで書かれたような字が、はっきりと僕の目に映った。


「『あ』……?」

「ええ、『あ』。それ以外には、特に何も書かれていないわ。五十音順に写真の順番を並べていたのかしら。でも、アルバムにはそんな文字は書かれていなかったけど……」


 彼女の言う通り、五十音が書かれているのであれば、何かの順番なのであろうと判断できる。ただ、この写真が隠されていたアルバムには、本当に何も書かれていない。まっさらなページが延々と続くだけ、なのだ。


 だとすれば、どういった意味があるのだろうか。他の四枚の写真を確認する必要があるだろう。


「西野、他の写真には何か書かれているか?」

「え? えっと……ああ、書かれているわ。読み上げていくけど、いい?」

「ああ、頼む」


 そして、西野は淡々と写真の裏に書かれた文字を読み上げる。僕は手近なメモ用紙に、その文字を記入していく。


 最終的に得られた文字は、計五つ。五枚の写真それぞれに、小さく平仮名で書かれていた。


「『あ』、『や』、『か』、『へ』、『い』……? なんだ、これ」


 何の規則性もない、ただの平仮名であるようにも思える。数字の割り振りも無く、これ自体に何か意味があるようには思い難い。


「うーん、単純に順番が抜けてしまったのかも知れないわね。ほら、アルバムも何だかボロボロだし」

「そうかもしれないけど……でも、何か意味がありそうな気がする。だって、明らかに変じゃないか」

「……夏企。あなた、やっぱり疲れているんじゃないかしら。こんな下らないものが気になるなんて、ちょっとおかしいわよ。早く帰った方が良いわね」

「そ、そうかな? ……そう、かもな。ごめん」


 西野の言う通り、疲れていておかしな思想を抱くようになっているだけ、なのかも知れない。一度しっかりと休息を取り、思考をまとめ直す時間も必要だろう。いくら気味が悪くとも、正常な精神でないのならば考えても無駄だ。


 写真を片付け、僕たちは部室を後にする。しっかりと鍵がかかったことを確認し、西野の方へと向き直る。


「じゃあ、また。月曜日のスケジュールについては、追って連絡するよ。それでいいか?」

「ええ。でも、本当に気を付けるのよ、夏企」

「……? 心配するなって。それじゃ、また」


 何か言いたげな表情を浮かべる西野であったが、とにかく今日は疲れたことだし、さっさと帰ることにしよう。空は梅雨前らしく分厚い雲が覆い始めていた。自宅に着くまでに、一雨来なければよいのだが。

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