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 その一方————


 同時刻、東京都練馬ねりま区のとあるアパート。小さな神社を見下ろせる一室で、箱崎はこざき 邦洋くにひろ真中まなか 弘佳ひろかは無言のまま捜索を行なっていた。何の変哲もなく、事件現場となった訳でもない部屋だというのに、二人の間には重々しい空気が流れている。


 それというのも、この部屋の借主は真中 優佳ゆうか……つまり昨晩不審死を遂げた、弘佳の妹の生活拠点なのである。


 箱崎はともかく、弘佳に至っては実の妹の死からまだ一日も経過していない中での捜査である。普通ならば特別休暇が与えられるはずだが、彼女はそれを固辞し、こうして箱崎と行動を共にしていた。当然、彼女の表情は憔悴しょうすいし切っている。


 だが、それでも彼女はその手を休めない。事件の早期解決に向け、一心不乱に働き続ける。そんな痛々しい姿の彼女を、箱崎はただ見守ることしか出来ずにいた。


 それ故に、この部屋は夕暮れよりも暗く、冷たい空気に包まれている。主を喪った部屋の寂寥せきりょうではなく、沈痛な人間の想いが満ち溢れていた。


 そんな中、箱崎は耐えかねた様子で、軽く体を捻って弘佳へと声を掛けた。


「よし、そろそろ引き上げようか。真中よ、お前ほとんど寝てないだろ? 早いうちに帰って、ちっとは休んだ方が良いと思うけどな」

「余計なお気遣いは無用です、先輩」

「いや、しかしな……」


 箱崎の言葉を受けてもなお、手を動かし続ける弘佳に対し、彼は頬を掻きながら言葉を紡ぐ。


「まぁ、早く片付けたい気持ちも分かるが……そうやって焦っても、体力と精神ばかり削られるぞ。体調を崩しちまったら、それこそ妹さんが浮かばれない気がするんだが」

「……」


 すると、観念したように大きく溜息を吐き、弘佳はその手を止めた。そしてゆっくり立ち上がると、冷めた目つきで箱崎を睨む。


「妹と言っても、成人してからはほとんど口を利いてませんでしたから。別に『家族の絆』みたいな、薄ら寒い動機で捜査している訳じゃありませんよ」

「寒い、と来たか。なるほどなぁ。だとすれば、純粋に事件を解決したくて高校生にあんな悪態までついた、という理解で良いのか? そうなると、あまり褒められたことでは無いぞ」

「高校生……? ああ、あの頭の悪そうな二人ですか。しかし、首なし遺体を目撃した翌日に堂々と通学できるなんて、やっぱり見た目通り頭の中は空っぽなんでしょうね」


 悪口をエスカレートさせてゆく弘佳を止めることなく、むしろ箱崎も同意するように笑う。


「違いないね。それに、あの男の子……えっと、水島みずしまくん、とか言ったっけ。彼、何か隠しているような感じだったし」

「隠し……?」

「おや、気付かなかったかい? キミの質問に答えるとき、彼、少しだけ目が泳いでいたんだけどな。しかし意外だね、キミはああいう変化に目聡めざとかったはずなんだけど。やっぱり疲れてるんじゃないか?」

「……」


 また大きく息を吐くと、弘佳は目を瞑り、天井を仰いだ。高校生の表情の変化にすら気付けなかった自責と後悔を含ませながら、唸りのような低い声を発する。


「たかが高校生風情が、随分と舐めた真似を。……でも、そうですか。だとすれば、やはり私は疲れているのでしょうね。少し頭を切り替える時間が必要かも知れません」

「そうだろうとも。それと、何か思うことがあっても、進んで警察に話そうとする人なんて少数だからね。その辺もんであげてよ。一応、相手は未来のある高校生なんだし」

「未来ですか。はあ……」


 あまり納得のいく素振りを見せない弘佳に対し、箱崎は少し大げさに肩をすくませ、身をひるがえす。窓から差し込む街灯に照らされ、シワの多い背広がその凹凸をより克明にする。


「さてと。あの高校生に関しては、とりあえず保留として。この部屋にも特に異常は無いようだし、車に戻ろうか。仕切り直して、明日にはあの西蓮寺さいれんじとかいう画家を調べよう。それまでは休憩。いいね?」

「……分かりました」

「よろしい。じゃ、車で待ってるから、後片付けよろしく」


 そう言って箱崎は軽妙にドアを開けると、彼女を部屋に残したまま去って行った。丸投げされた弘佳は呆れつつも、アパート中に響き渡りそうな箱崎の階段を下る音を耳にしながら、手元へと視線を落とす。


 そこにあったのは、一枚の写真。弘佳と優佳が肩を寄せ合いながら、笑顔をこちらに向けていた。それを苦々しく見つめ、彼女は小さく呟く。


「表情の変化に目聡い、か。確かに、ね。ほんと、嫌になるくらいに」

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