2-5
午後四時、
「また会うことになるなんてな。しかしキミたちも災難だな、こうも立て続けに死体を見る人間なんて、そういないと思うぞ。ギネス記録でも狙えるんじゃないか?」
「そう、ですかね……」
少し暗い雰囲気の小さな部屋の中、机を挟んで僕の真向かいに座る警察官……先日出会ったばかりの
意識を取り戻した僕を待ち構えていたのは、警察による聴取であった。聴取と言っても、僕が今回の事件に関与していないことは明白であるし、状況の整理のために呼ばれた、というだけの話である。あの状況で僕を容疑者扱いする人間がいるとすれば、それは恐らく僕に私怨のある人物以外にいないだろう。
とはいえ、こうして警察官と相対すると非常に落ち着かないものだ。一度会っている人間ではあるが、教師などと同じく親しい間柄となりにくい職種なのだから。
しかし、教師、か。今でもまだ実感が湧かない。あのいつも朗らかだった
悲しいとか辛いとか、そうした感情よりも疑問しか浮かばない。いくら考えても、ただでさえ定年を目前とした彼が、あえてこの時期に命を絶つ理由が存在しないのである。
それに僕はつい昨日、木村と直接会話をしている。その時は少し忙しいと話していたが、それ以外についてはいつも通りの彼だった。もしかすると、僕たちには見せていない何か大きなもの……例えば重病だとか、そういったものを抱えていたのだろうか。
「あの、えっと……箱崎さん?」
「おや、よく俺の名前を憶えてくれていたね。さすが、あの有名な進学校の生徒だけある。それで? 何か聞きたいことでも?」
ああ、そうか。この人は僕が『サヴァン症候群』であることを知らないのか。まあ別に話しておくようなことでは無いし、今はまず木村の状況について知りたい。
「木村先生とは、その……昨日会ったばかりなんです」
「昨日? 祝日だったはずだけど」
「ちょっと用事があって。でもその時は飛び降り自殺をする、なんて雰囲気は全然なくて。だから、ええと……」
「ああ、そういうことか。まあ聞き込みは始まったばかりだし、それはまだ何とも言えないね。ただ……そうだな。一つだけ言っておくけど、事件の情報を聞くのは止めなさい。誰のためにもならないし、法律上の問題もある。そこはもう、
「す、すみません」
返す言葉もない。事件に巻き込まれたせいで、どこか僕自身も捜査をしなければ、という気分になっていたようだ。
未成年であるため実名報道はされないが、罪に問われる年齢である。その部分を、僕はもっとよく理解しておかねば。
「さて、それを踏まえてだけど……これは他の皆にも聞いたことだから、一応確認しておくね。キミたちが学校に登校していたのは、動画撮影のため、で良いのかな?」
「そう、です。
「昨日キミが先生に会ったというのも、同じような理由かな?」
「はい。学校に来た方が作業が進む気がして」
「そうか、なるほどね……それで?」
「それ、で……」
それで? と問われても、それ以上話しておくことは特にない。ただ脚本づくりのために一時間ほど話し合って、正午前には機材の組み立てを始めただけである。その辺りの情報なんて四人から聴取しているだろうし、今さら語る意味は無いだろう。昨日のことについては、なおさら話す価値などない。
なぜなら、あの時の木村は死ぬなんて微塵も思えないほど元気だったのだから。
「それだけ、ですね。後から合流した
「うんうん、そうだな。他の子と間違いなさそうだね。それで三人とも同じ場所から先生の落ちる瞬間を見た、ということかな?」
そう、その話に間違いはない。澄み渡った青空の下、顔面蒼白の木村は風に煽られるような形で、ごく自然に前方へと倒れていき、そして……落ちて――――
「うっ……」
その瞬間を思い出し、嫌なものが喉まで込み上がってくる感覚に襲われる。土煙を上げて落下した木村は、人形のように動かなくなった。あれが死の瞬間なのだと理解すると同時に、猛烈な嫌悪感に全身が支配されてゆく。
「大丈夫かい?」
「だ、大丈夫、です。ゲホッ」
結局、今日は昼食を摂らないままであったため、込み上げてくるとしても胃液くらいだ。だが結果的に幸いだった。何か食べていたら、今頃は嘔吐していたに違いない。それくらい、気持ちの悪い何かが込み上げてきているのだ。
それと、運が良かったのは遺体の状況だ。つい先日、
まてよ、血液……?
「あれ……?」
そこまで想起したところで、一つ大きな違和感を覚える。木村が転落する直前、彼の顔を偶然カメラで撮影した時点で彼は、
無論、相当に絶望するような出来事があれば、顔も青白くなるだろう。だが、あの時の表情はそんな生易しいものではなかった。吸血鬼にでも襲われたかのように、血の気配を感じなかったのである。
そして、また一つ思い出したことがあった。僕は意図せず、木村の転落するまでの一部始終を、あのカメラに収めていたのである。
「あ、あのっ箱崎さん! 僕……先生が自殺する瞬間を、カメラで撮っていました」
「なんだって?」
先ほどまで生暖かく僕を見つめていた箱崎は、その言葉を受け険しい表情へと一変させる。その変わり様に戸惑いつつも、僕はさらに話を続ける。
「そうです。えっと、撮影のリハーサルをしようと思って、それで……偶然ですけど、先生が屋上にいるのに気付いて、思わず録画してしまったんです」
「それはすごい、大手柄じゃないか! それで、その映像はどこに?」
「えっと……」
思い返してみても、ズームボタンと間違えて録画ボタンを押してから、録画を停止させたという記憶はない。それならば、あのカメラを片付けた人間が知っているだろう。
「録画停止までしていなかったので、そのあとどうなったかまでは分かりません。えっと、気を失ってしまったので。なので、カメラを撤収した人なら知っているかも知れません」
「なるほど、そうか。しかしそれは有力な手がかりだ。どうもありがとう」
そう言うと、箱崎は手元にあるメモ用紙に荒っぽく書き殴った後、静かに溜息を吐く。有益な情報を得たというのに、それが
そんな僕の視線にも気付かず、箱崎はチラ、と時計を一瞥し軽く頬を掻いた。
「はあーあ、まったく、もうこんな時間か。申し訳ないけど、これからキミたちのカメラを拝借しようと思うんだけど、いいかな? ああ、データだけ抜いたら返すつもりだから安心して」
「えっと……今から、ですか?」
「そりゃね。だから申し訳ないけど、一緒に学校まで向かってくれないかな。さすがに警察が勝手に校内に入って、キミたちのものを借りる訳にはいかないし。どうだい?」
どう、と言われても。ここで断ることなんて出来るはずが無い。僕としても撮影機材を放っておいたままであったし、あの後部室がきちんと元通りになっているかどうか確認しなければ、と思っていたところでもある。ある意味で渡りに船、だと思うようにしよう。
「分かりました。カメラを取りに行くだけなら、僕だけでも大丈夫ですよね?」
「いいや、さすがにそれは無理だな。申し訳ないけど、別の警官と一緒に向かってもらうよ。万が一のこともあるからね。さて、と」
箱崎は素早く椅子から立ち上がり、ドアノブへと手を掛ける。そして扉が開くのと同時に、廊下にいた人物へと話しかけ始めた。どうやらその人物は、僕たちの会話を壁の外側で聞いていたようである。
「ということで至急、彼と一緒に
「……了解しました」
どこか不満そうな声色ではありながらも、廊下の人物は素直に彼の命令に応じたようだ。その代わりに、その会話がすべて聞こえていた僕には強い不安がよぎる。問題行動を起こすような人物と、これから行動を共にするのかと思うと、ぞっとしてしまう。
そして、箱崎に手招きされ、その人物は室内へと足を踏み入れた。
そこで僕は、箱崎の提案を易々と受け入れるべきでは無かった、と強く後悔させられることとなった。何故ならば、姿を現したその人物には、非常に不愉快な印象を抱いていたからである。
栗色の髪、プライドの強そうな目鼻立ち……そう、志摩丹での事件で妹を喪ったという、
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