2-8

 『父さん』


 顔面蒼白の真中まなかは、写真を見てそういった。彼女の様子を見る限り、嘘を吐いているようにはまるで思えない。つまり、例の写真には真中の父親も写っていた、と断言して良いだろう。


 ただ、それが事実ならばあまりにも異常だ。この写真に写る人物たちは皆、一連の事件に何らかの形で関与している、ということになるのだから。こんなものを、偶然として片付けるのは不可能だ。


 そんな中、真中は血相を変えて僕の胸倉に掴み掛かり言う。


「おい、この写真は何だ! 大島おおしまに西蓮寺、それに私の……私たちの父まで、どうして写っている!」

「ちょ、止めてください!」


 震える真中の手を振りほどき、息を整えて冷静に返す。


「知る訳ないじゃないですか。だいたい、この写真がいつからここにあるのか、それにこれが一体何なのか、見当もつかないんですし」

「だが、だとするなら、これは……」

「あの、少し落ち着きましょう? きっと疲れているせいで、混乱しているのだと思いますから。真中さん、酷く疲れた顔色をしていますから……ね?」

「……」


 西野にしのの助力もあり、どうにか真中は冷静さを取り戻しつつあるようだ。顔色はまだ悪いが全身の震えは治まり、険しい顔も少し緩んだような気がした。


 しかし、この写真の異常さを考えると真中の言動にも頷けてしまう。これに写っている人物の多くが、ここ最近起きた奇妙な事件に関与しているのだ。これを偶然というには難しかろう。


 不思議に思い、僕は改めて写真をじっと見つめる。他にも関係している人物がいないかどうか、確認する必要があると思ったのだ。


 すると僕は、ある人物の顔を見て凍り付いた。


「え? こ、これ……」

「どうしたの?」

「これ、もしかして……」

「これ? ……この人、まさか!」


 僕の指した人物を見て、西野も冷静さを失い驚愕する。


 そこにいたのは、木村きむら 一良かずよし……僕たちの活動の顧問的な存在で、この事件における被害者のひとりである。若さゆえか、僕のよく見た穏やかな表情ではなく、切迫感のある厳しい顔つきではあるが、紛れもなく木村だ。


「これ……偶然、なわけないよな」

「分からないけれど、異常なことは確かね」

「そうだよな。ってことは」


 もしかすると、他の四枚の写真に写っている人物にも、今回の事件と関係のある人物が写っているかも知れない。いてもたってもいられず、僕は残りの写真を取り出して机の上に並べる。


「うーん……西野、なにか思うところはあるか?」

「画角は違うけれど、写っている人たちに違いは無さそうよ。まあ、夏企なつきが見ればすぐに分かるでしょ?」


 確かに僕の目を通してみても、大体同じような人物が写っているだけで、どこかの施設を背景にした集合写真であるということには変わりなかった。そうなると、ますます怪しくなってくる。


 これはまだ仮説であり、確証に至るほどの物証でもない。だが、ここまで偶然が重なれば、それは必然とも言えよう。この写真に写る人物と、今回の一連の不審死は確実に関連していると推定して捜査すべきだ。


 解せないのは、その多くがこの西光せいこう学園と関係のある人物である、ということだ。ごく一般的な、少し偏差値の高いだけの私立学校の関係者で、どうしてそのような奇怪な事件が多発しているのか。


「そういえば……」

「夏企?」


 ふと、机の上に乱雑に置かれたままとなっている資料のことを思い出した。この学校の歴史やら何やらを検索し、使えそうなものを全部持ってきたのだと、数時間前に出水でみずが言っていた。つまり、この資料の中に何かヒントとなるような記述があってもおかしくはない。


 まだ頭の整理が追い付いていない様子の真中を横目にしつつ、奥の机の上に置かれた資料に目を通す。


「創立は、五十年くらい前、か。それ以外には……まあ、無いよな」


 僅かに期待していたものの、やはり事件に繋がるような黒い風聞など、インターネット上を探してもそう易々と見つかるものでは無いようだ。それに今回の資料は、あくまでも学校のPR動画制作のためのものだ。ネガティブ・キャンペーンに繋がるような資料など、あの真面目な出水が持参するはずが無い。


「ってことは……」

「夏企」


 すると、僕の考えを見抜いたようで、静かに立ち上がった西野は鋭い目つきで僕を制する。


「まさかとは思うけれど、この事件について調べようなんて思っていないでしょうね?」

「えっ……」

「やっぱりね。いい? 二つの事件に巻き込まれたからといって、あなた自身が事件に関わっていく必要なんて無いの。あなたは高校生で、それ以上でもそれ以下でもない。ただの男の子なのよ?」

「い、いや、それにしたって出来過ぎているだろ。この写真だって、学校の関係者ばかり写ってるんだ。何かあるって疑わない方が不自然じゃないか。それに、いいか。僕はただの高校生なんかじゃない。分かってるだろ?」


 僕は、普通なんかじゃない。『サヴァン症候群』という疾患を、目立った障害を受けぬままに獲得した、いわば選ばれし人間だ。『普通』という言葉が僕に当て嵌まらないと、幼馴染である彼女ならばよく分かっているはずなのだ。


 だが、それでも西野は反論を続ける。僕の怒りに触れてでも、止めようと必死であるようだ。その目には、うっすらと光る物すら浮かべている。


「あなたね……木村先生が、亡くなったのよ? それでも夏企は、事件に関わりたいって思うの? そんなこと、私は――――」

「ああ、そうだな。私もそれは、断じて許さない」

「っ!」


 不意に僕たちの論争へと割って入った真中は立ち上がると、古びたドアを力いっぱいに殴った。大きな音が部屋中に響き渡り、その轟音に僕と西野は少し飛び上がる。


「ただの高校生じゃない? くだらないな。お前はただ、不必要に記憶力が良くなっただけの、ただの高校生だ。いや……私からすればむしろ、にしか見えないな」

「は、はあ?」


 この女……突然立ち上がったかと思えば、途轍もなく酷い暴言を浴びせるものだ。まあ僕からすれば、力を持たぬ者の嫉妬にしか思えない。その手の煽りならば、これまで数知れず受けてきたのだ。今さらそんな安い挑発になど乗るものか。


 それに、モルモットという表現は実験動物、つまり試験的に何かを施されている生き物に対して使うものだ。僕はそんな実験を受けた記憶など無いし、そんな実験を受けさせられるほど愛されていた、とはまるで思えない。


「真中さん……警察なのに、僕のことを何も知らないんですね。僕は『サヴァン症候群』のせいで親から期待されて、異常な教育を受けて……それでも、僕がただの高校生だと言うんですか?」


 怒りに拳を震わせ、暴れ出したくなる気持ちを抑え込みつつも、この溢れ出る想いを口にした。


 この症候群のせいで、僕がどれだけの苦痛を味わったと思っているのだろう。両親は成績のことしか興味がなく、周囲の生徒は僕の能力に恐れて近付かない。完全な孤独を経験した僕が、普通な訳ないだろうに。


 これだけ僕が怒りに震える姿を見て、態度を改めようとしない人間など、そうはいないだろう。だが真中は僕の発言に対し、怪訝な様子で睨み返した。


「は……? 何を言っている。お前の父親はあの水島みずしま 龍太郎りゅうたろうだと、自分でそう言ったじゃないか。まさか、何も知らないのか?」

「え?」

「これは傑作だな。いいか、お前の父親は――――」

「真中さん」


 真中の話を遮るように、西野が強い口調で言い放つ。


「ただでさえ立て続けに事件に巻き込まれて疲れているのですから、彼の気持ちを少しは考えてあげてください。これ以上彼に何か言おうものなら、私も然るべき対応を取らせていただきます」

「……」


 それは僕たちの活動に口を挟む時と、まるで違う迫力だった。それに威圧されたのか、それとも冷静さを取り戻したのか、真中は少しだけ目を瞑ると、観念したように小さく舌打ちして返答した。


「チッ。確かに、生徒会長殿の言う通りだな。口が過ぎた、撤回しよう」

「え、その……」


 僕としては、真中がいったい何を言おうとしていたのか気になっていた。だが、確かに僕も疲弊していることは事実だ。ここで何か不用意な発言をすれば、西野をも敵に回しかねない。


 とりあえずは、今日起きた木村の件もこの奇妙な写真が何か関係している、ということがはっきりしたのだ。写真自体は真中に没収されるだろうが、僕の脳内にはすでに、しっかりと保存されている。ここにはカメラも無かったことだし、要件を済ませて早く帰る方が無難だろう。


 だが、写真を奪われるだけでは、あれだけ悪態をつかれたことに関して、割に合わない。少しくらい真中からも情報提供してもらっても、罰は当たらないだろう。


「では、この写真は貴重な手掛かりとして預からせてもらう。それで良いな」

「待ってください。その写真を渡す代わりに、一つだけ条件があるんですけど」

「条件、だと?」


 その言葉に、また少し真中は苛立ちを覚えたようで、鋭く僕を睨む。だが、もうその目に屈することは無い。なぜなら、西野の方が圧倒的に怖いからだ。


「木村先生の状態について、詳しく教えてください。警察署では何も教えてもらえませんでしたから」

「待ちなさい、夏企。もういいでしょう?」


 間に入って止めようとする西野だったが、それをも押しのけて僕は、睨み続ける真中へとさらに続ける。


「飛び降りる直前の木村先生、明らかに様子がおかしかったんです。まるで全身の血が抜き取られてしまったかのように真っ青で、自分から落ちたというより、誰かに落とされた感じがしました。それに定年も間近だったのに、わざわざ学校の屋上から飛び降りる理由が分からないんです。その辺り、警察の意見を聞かせてくれますか?」

「……それを信じる根拠は?」

「僕の、ここです」


 そう言って、僕は自分のこめかみの辺りを軽く指さす。動画なんて無くても、僕の頭の中にはしっかりと、あの光景が焼き付いている。『サヴァン症候群』であることを否定しなかった真中ならば、この意味を理解するはずだ。


「ふん、まったく小賢しいな。分かったよ、死因と動機……それでいいか?」

「はい、充分です。それと、必要ならより詳細に思い出しますので、言ってくれたらいつでも応じますよ」

「ま、真中さん!?」


 仰天し真中へと詰め寄る西野だったが、もう話は終わりだ、という頑なな姿勢を崩さない真中を目にし、諦めたように軽く頭を抱えた。生徒会長であり、幼馴染である彼女からすれば僕の行動は許し難いものだろう。だが今回の件は、学校生活における些細な問題とは訳が違う。


 僕の力……『サヴァン症候群』としての能力が、事件解決に役立てるかも知れない。そう思うと、初めて僕は産まれた意味を実感できるのだ周りからは倦厭けんえんされ、親からは見捨てられた僕が、怪事件を解決に導いた。そうなれば、僕にとっても非常に大きな糧となるだろう。


 救われるためには、待っているだけでは何も始まらない。『求めよらば与えられん、叩けよらば開けられん』……僕が、僕自身の環境を変えてやる。それが今なのだ。


「ごめん西野。なに、大丈夫だよ。捜査に協力するだけで実際に現場に行くとか、そんなことはしないから」

「そんなことをすれば、すぐさま豚箱に放り込むからな」

「だってさ」

「……」


 僕に危険の差し迫る可能性は低いと説明しても、どこか不安げな様子で西野は答えようとしない。彼女には、到底理解し得ないことだったのだろう。それもまあ、仕方の無いことである。西野のように、正しく愛を受けて育った人間には、立ち入ることの出来ない領域なのだ。


「さて、これらの写真は重要な証拠だ。情報提供してやるんだから、全部渡してもらうぞ。何枚だ?」

「えっと……五枚、ですね。写っている人物や背景に大きな違いは無いようですが、念のために全部渡します」

「よし。ん? この文字は何だ」


 写真を受け取った真中は、その裏側をみて怪訝そうに言った。すっかり忘れていたが、写真の裏には適当な平仮名が書いてあったのだ。今さらになってそれを思い出した僕は、少し慌てながらも彼女の質問に答える。


「ああ、そういえばなんか書いてましたね。意味は分かりません。五十音順に番号を割り振ったのかな、とは思ったんですけど」

「『あ』、『や』、『へ』、『い』、『か』……か。確かにそう思えなくもないが、違うな」

「え?」


 そう言うと、真中は再び写真を机の上に並べ、それぞれの端を指さす。


「見ろ、撮影した時間がそれぞれ異なっている」

「時間? ああ、本当ですね……」


 ランダムに撮影されていたように見えた五枚の写真であったが、そこにはしっかりと、それぞれに撮影した日付、時間がはっきりと記載されていた。これは比較的古いフィルムカメラに搭載されている日付機能によるもので、現在のデジタルカメラやスマートフォンによる写真では基本的に反映されないものである。


 五枚の写真にはそれぞれ、撮影されたのであろう時間が刻まれていた。数分の差であるが、撮影された順番に並べ直し、写真を裏返して記載された文字を解読してゆく。


 すると、先ほどまで完全にアトランダムに記載されていると思い込んでいた平仮名は、正しい語順へと並びなおることで、一つ意味のある単語を浮かび上がらせた。


「『あ・か・い・へ・や』……か」

「『あかいへや』……『赤い部屋』?」


 シンと静まり返る部屋の中、外を行く車の走行音が僅かに響く。夜の帳が下り、すでに街灯が点り始めている中、航空障害灯の赤い光が僅かに僕の視界に入り込む。


 この写真は、そして『赤い部屋』とは一体、何のことなのだろうか。

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