放課後の買い物

 陽翔の通学路の途中には、それなりの規模のスーパーがある。陽翔は普段カップ麵を買う以外の用で寄ることはないが、品揃えはそれなりにいい。


 そんなスーパーの前で真澄を見つけたのは、全くの偶然だった。


 学校での一日を終え、いつも通り帰宅している最中、たまたまスーパーに入ろうとしている真澄を見かけた。


 以前の陽翔なら、見かけたところで何も思うことなくスルーしていただろう。しかしここ最近は何かと世話になっている手前、それは躊躇われた。


 軽く挨拶だけでもしておこうかと考えていると、陽翔が声をかけるよりも先に真澄の方が陽翔に気が付いた。彼女も陽翔がいたことが意外だったのか、目を丸くしている。


「こんなところで会うなんて奇遇ですね」


「そうだな。黒川は……今から買い物か?」


「はい、今日は特売日で色々と安いものがあるので、この機会にたくさん買っておこうと思いまして」


「学校が終わってから買い物なんて大変だな」


「生活がかかっていますから。節約のためなら、多少の苦労は仕方ありません」


 真澄が生活に窮しているようには見えないので、金銭的に苦労しているわけではないだろう。それでも節約を心掛ける真澄には、所帯じみたものを感じる。


 両親不在の中、妹の世話や家事の一切を取り仕切るだけでなく家計のことまで考える真澄は素直に尊敬できる。少なくとも、陽翔には真似できない。


(……申し訳ないな)


 だが同時に、陽翔は胸を締め付けられるのを感じた。学校帰りに買い物をし、家に戻れば家事をしなければいけない彼女に夕食をごちそうになっていることが、陽翔に小さくない罪悪感を抱かせた。


 夕食についてはもちろん食事代は払っているが、あくまでそれは使用した食材の、それも一部のみだ。真澄の労力に対して、陽翔は一銭も払っていない。


 なら、ここで労力分の恩返しをしてもバチは当たらないはずだ。


「……なあ黒川。もし良かったらだけど、その買い物俺も手伝わせてくれないか? まあ簡単な荷物持ちぐらいしか、力にはなれないだろうけどさ」


「私はいいですけど……戸倉君がわざわざ付き合う必要はありませんよ?」


「必要はなくても、義理ぐらいはあるだろ。最近黒川には世話になってるからな、こういう時ぐらい俺を頼ってくれよ」


「……そういうことなら、お言葉に甘えさせてもらいます」


 わずかに逡巡を見せた真澄だったが、最終的には陽翔の同行を許可してくれた。






 二人はスーパー内に入ると、カゴの載ったカートを押して店内を回る。


 手伝うと言ったはいいものの、陽翔はカップ麵の購入ぐらいでしかスーパーを利用したことがないので、買い物中はあまり役に立てなかった。


「戸倉君、次はあちらに行きましょう」


「分かった」


 唯一役に立てているとすれば、真澄の指示に従ってカートを押すぐらいのこと。自分から手伝うと申し出ていてこの体たらく……ちょっぴり恥じているのは、ここだけの話だ。


 真澄は普段から買い物をしていることもあってか、丸印の付けられた特売のチラシ片手に効率良くスーパー内を回れている。


 三十分も経つと、必要なものは全て購入し終えていた。


「……随分と買ったな」


 サッカー台の上に置かれた大きなエコバックを前に、陽翔は驚き半分呆れ半分の声で呟いた。エコバックの中身は買ったものでいっぱいだ。重さもかなりあるだろう。


「これだけの量を最初から買うつもりだったのか? 俺がいなかったらどうするつもりだったんだよ」


「もちろん一人で持って帰っていましたよ。普段から買い物で重いものは持ち慣れていますから」


 真澄は淡々と答えた。冗談を言っているわけではないようだ。


 彼女の華奢な身体にそこまでの力があるとは思えない。一人で持って帰るとなれば、相当苦労するはずだ。


 大量購入の理由の一端は夕食をごちそうになっている陽翔にもあるだろう。そう考えると真澄に負担をかけていることを申し訳なく思うと同時に、今日この場に居合わせることができて良かったと安堵する。


「外は暗くなってきましたね。真那ももう帰ってきている頃でしょうし、そろそろ帰りましょうか」


「そうだな」


 真澄の言葉に頷き、陽翔はサッカー台の上に置かれたエコバックを持つ。ズシリとした重さが、陽翔の手にのしかかる。男なら持てない重さではないが、女子の真澄には少しキツい重さだ。


(こんなのを一人で持って帰るつもりだったのか……)


 内心呆れつつ、陽翔は真澄と一緒にスーパーを出た。


 幸いとでも言うべきか、周囲に学校関係者はいない。仮に真澄と一緒に帰っているところを見られたら、変な噂が立っていただろうから一安心だ。


「戸倉君、重くはありませんか? 重いのなら、代わりますよ?」


「このぐらいならマンションまでもつから平気だ」


 スーパーを出てからしばらくして。訊ねてきた真澄に、言葉通り何でもないことのように答えた。実際、片手で持てる程度の重さなので強がりなどではない。


「私の買ったものなのに、持たせてしまってすいません」


「俺が好きでやってることだ。さっきも言ったけど最近はかなり世話になってるからな、たまには恩返しくらいはさせてくれ」


「恩返しなんてそんな……私はもう十分恩は返してもらってますよ」


「……?」


 真澄は恩を返してもらったと言っているが、陽翔は恩返しになるようなことをした覚えがない。むしろ恩は溜まる一方で、どう返したものかと頭を悩ませている。


「ここ最近は戸倉君が夕食を食べに来ると、真那が凄く嬉しそうにしているんです。戸倉君のおかげで、今あの子は毎日が楽しいんだと思います」


 妹のことを語る真澄の表情は穏やかで、微笑みは慈愛に満ちたものだった。この笑みだけで、彼女が真那のことをどれだけ大切に想っているのかが窺い知れる。


「そんなことで、恩を返したことになるのか? 俺がしたことって、黒川に夕食をごちそうになったぐらいだぞ」


「はい。あの子を笑顔にしてくれるだけで、私は十分です」


 確かに陽翔の前では真那はよく笑っているが、別に陽翔が意図して笑顔にしているわけではない。なぜか真那が懐いているだけだ。


 夕食を食べさせてもらっているだけの身で感謝されるのは、複雑な気分だ。


(もしかして俺の分も夕食作ってくれるのって、真那のためだったりするのか?)


 ふとそんな可能性が脳裏をよぎった。


「……黒川って、本当に真那のことが大事なんだな」


「あの子は大切な妹で、私はお姉ちゃんですから。……よく小言を言って、ケンカもしますけどね」


「小言を言うのは、愛情の裏返しってやつだろ? 黒川が真那のことを大切に想ってるってのは、真那にだって伝わってるはずだ」


 でなければ以前部屋に入れた時、真那は姉のことを自慢げに語ったりはしなかった。真澄が真那を大切に想っているように、真那も真澄を同じように想っていると断言できる。


 しかしそのことを知らない真澄は、心なしか沈んだ瞳で陽翔を見上げる。


「……本当にそうでしょうか?」


「間違いなくな、俺が保証してやるよ。真那は黒川のこと、絶対に大好きだからさ」


 弱々しく呟く真澄に、キッパリと答える。


 真澄からすれば、何の根拠もない言葉だ。信じるに値しないだろう。実際、真澄はキョトンとしている。


 だが次の瞬間には、真澄の桜色の唇が静かに緩んだ。


「大好き……ですか。そうだと私も嬉しいです」


 沈んだ瞳に色が戻り、柔らかく細められた。


 次いで「ありがとうございます」と囁くような声量で感謝の言葉を告げられた気がした。

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