怒りの理由
結局真澄たちの怒りの理由も分からないまま迎えた夕食。本日のメインメニューはチキン南蛮だ。
甘酢タレのかかった鶏肉は食欲をそそる香りをしており、更にタルタルソースは真澄の手作りだ。当然美味くないわけなどない。ないのだが……。
(き、気マズい……)
針の筵とは、今のような状況を指すのだろう。普段なら真那が率先してその日の出来事を話すのに、今日はそれがない。寒気すら覚えるほどの静寂の空気が漂うのみ。
せっかくの美味しいはずのチキン南蛮なのに、二人から感じる無言の圧力のせいで味が全く分からない。昨日までは平穏そのものだった食卓が、僅か一夜で二人の少女の怒りが支配する地獄に早変わりだ。
これは大変よろしくない。陽翔の数少ない娯楽が、これから毎日苦行になるなんてごめん被る。となれば、早急に解決に向けて動くしかない。
陽翔が真澄たちの怒りを買うような真似をしたのなら、今すぐにでも謝って許してもらいたいが、そもそも何が原因かも分からない状態で謝罪をしても意味がない。
だから、まずは原因を知るところから始めるべきだろう。
「……なあ真澄。俺、何かお前らを怒らせるようなことをしたか?」
「……どうして、そう思ったんですか?」
真澄は箸を持つ手を止めると、陽翔を見据えながらそう質問を返した。
「いや、どうしてって……何か真澄も真那も、今日は機嫌が悪そうに見えたから」
質問に質問で返されるとは思わず戸惑いながらも、素直に答えた。
「そうですね。私も真那も確かに怒っています。どうして怒っているのか、分かりますか?」
言われて何か手掛かりはないかとここ数日の記憶を探ってみるが、残念ながら思い当たることは何もない。真澄と真那がここまで怒りを露わにしているのなら余程のことのはずだが、陽翔には全く覚えがないのだ。
「……もしかして、この前買い物を頼まれたのに卵を買ってくるのを忘れたことが原因なのか?」
「全然違います。その程度のことで、私たちがここまで怒ると思っているんですか?」
「……ごめんなさい」
もちろん思ってなどいない。ただ苦し紛れで言ってみただけだ。結果として火に油を注ぐこととなってしまったので、言わなければ良かったと後悔する。
「……少しイジメすぎてしまいましたね」
万策尽きたと陽翔が頭を抱えていると、真澄は小さく息を吐いた。
「真那、これ以上は陽翔君が可哀想ですから許してあげましょう。別に私たちは、陽翔君をイジメたいわけではないんですから」
「うん、いいよ。陽翔お兄ちゃん、ちょっと可哀想になってきたもん」
「……許してくれるのか?」
恐る恐る二人に訊ねてみる。
「はい、流石に少しやりすぎてしまいました。ごめんなさい、陽翔君」
「酷いこと言ってごめんね、陽翔お兄ちゃん」
謝罪をする二人からは、先程までの怒りは感じられない。よく分からないが、本当に陽翔のことを許してくれたようだ。
陽翔はほっと胸を撫で下ろす。なぜ二人が怒ってたのかは皆目見当もつかないが、怒りを収めてくれたのなら陽翔はそれだけで十分だ。
「二人が怒ってないならもういいよ。どうせ知らない内に、俺が何か二人を怒らせるようなことをしたんだろ?」
「そう、ですね。私たちも酷いことをしてしまいましたが、今回の陽翔君は酷かったと思います。……陽翔君、どうして誕生日のことを教えてくれなかったんですか?」
先程までの怒りこそないものの、どこか責めるような口調の真澄。
「誕生日? 誰の誕生日のことを言ってるんだ?」
「陽翔君の誕生日に決まってるじゃないですか。綾音さんが言ってましたが、今月末ですよね?」
「あー……そういえば、そろそろだったか。すっかり忘れてたな。俺の誕生日なんて、誰から聞いたんだ?」
真澄の言う通り、陽翔の誕生日は今月末だ。自分の誕生日にあまり頓着したことがないので、意識すらしていなかった。
「綾音さんです。今朝、教えてくれました」
「ああ、そういえば綾音と大地には誕生日教えてたな。まだ覚えてたのか」
「……綾音さんたちには教えていたんですか。そうですか」
「ま、真澄?」
何が気に入らなかったのか、頬を膨らませて不満を露わにしている。彼女らしからぬ子供じみた反応だ。
「……陽翔お兄ちゃんのバカ」
そして真澄の横でなぜか怒りを再燃させる真那。
陽翔は心にダメージを受けた。ちょっと泣きそうになる。
「もう一度訊きます。綾音さんたちには教えたのに、どうして私たちには誕生日を教えてくれなかったんですか? 私たちにぐらい、教えてくれても良かったじゃないですか」
「どうしてって……別にわざと教えなかったとか、そういうことはないからな? 綾音に教えたのは、前に会話の流れで訊かれたからだし」
丁度去年の今頃、たまたま話の流れで誕生日をポロりと漏らしただけ。何か意図があって真澄たちに黙っていたわけではない。
(そういえば、あの時の綾音と大地も今の真澄たちみたいに怒ってたな)
思い返すのは昨年の今頃のこと。確かあれは、陽翔の誕生日から少し後のことだっただろうか。なぜ怒っていたのかは未だに不明だが、何となく理由は今の真澄たちと同じ気がした。
「そもそも、俺の誕生日なんか知ったからって何かあるわけでもないだろ」
「何を言ってるんですか? 陽翔君の誕生日会をするに決まっているじゃないですか」
「え……?」
今日一番の驚愕が、陽翔を襲う。まさか自分が祝ってもらえるなんて発想は、これっぽっちもなかったからだ。
「何ですか、その反応は。もしかして、私たちに誕生日を祝われるのは迷惑なんですか?」
「い、いや、そういうわけじゃない。ただ少し驚いただけで……誕生日なんて、今まで祝ってもらったことがないからさ」
「え、陽翔お兄ちゃん、誕生日お祝いしてもらったことないの?」
真那が目を丸くする。
「お父さんやお母さんと誕生日会もしたことないの? 本当に?」
「あー……まあな。父親は昔から仕事であまり家にいなかったから、そういったことはしたことがないんだ」
その上母親は陽翔が物心ついた頃から入院していることが多かったこともあり、誕生日のようなイベント事とは無縁だった。
だから正直、いきなり誕生日を祝うと言われても、どうしても戸惑いが先行してしまう。決して迷惑なんてことはないが、どういう反応をすればいいのか分からなくなってしまう。
「そっか。それなら今度の誕生日会が、陽翔お兄ちゃんにとっては初めての誕生日会になるんだね」
「そうなるな」
陽翔がそう答えると、真那は子供らしい無邪気な笑みを浮かべた。
「じゃあ、今までできなかった分も私たちでいっぱいお祝いしないとね! ねえ、お姉ちゃん」
「ええ、最高の誕生日会にして見せましょう。当日は料理も普段以上に丹精込めて作りますから、期待していてくださいね?」
「二人共……」
本音を言えば、陽翔は自分の誕生日などどうでもいいと考えている。今まで誕生日に何かしてもらったことはないから、今更だと。
けれど目の前の二人は、そんな陽翔の誕生日を陽翔以上に大事に想ってくれている。陽翔自身どうでもいいとすら思っていたことでも、二人にとっては違ったらしい。
その事実に、陽翔は胸中にこみ上げてくるものを自覚した。気付けば、口元も淡く緩んでいた。
陽翔の誕生日まで、まだ日数はそれなりにある。今ほど何かを待ち遠しいと感じたことは、陽翔にはなかった。
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