美少女のお誘い

「やっと終わった……」


 埃一つないピカピカの床を前に、陽翔は疲労混じりの息を吐いた。


 長期間散らかしっぱなしにしていたので当然のことではあるが、掃除に数時間費やしてしまった。おかげで陽翔は掃除に慣れていないこともあり、くたくただ。


 だがその甲斐もあり、部屋は半年前の入居時の如し清潔感を取り戻した。フローリングだけでなく窓ガラスやサッシもピカピカになっている。


 陽翔一人では、どれだけ時間をかけたとしてもここまではできなかっただろう。それもこれも、真澄が一緒だったからこその結果だ。


「それにしても、まさか掃除でここまで疲れるとはな……」


「普段から掃除をしていれば、ここまで手間はかかりませんよ。これを期に、掃除する習慣をつけた方がいいのでは?」


「……まあ、努力はするよ」


 歯切れの悪い返事をすると真澄が胡乱げな目を向けてきたが、陽翔は全力で気付かないフリをした。


 ちなみに陽翔はかなり消耗したのに対して、真澄は涼しい顔をしている。これは常日頃、家事をしている者とそうでない者との差なんだろう。


「そ、それよりも、こんなに長い時間付き合わせて悪かったな。妹も心配してるんじゃないか?」


「元々それなりの時間がかかると思っていましたし、真那に遅くなることは伝えていたから大丈夫です」


「なら良かった」


 ほっと一安心すると同時に、陽翔を空腹感が襲った。


 テーブルの上に置かれたスマホで時刻を確認してみれば、画面には十九時前であることが表示された。夕飯には丁度いい時間だ。


 掃除でかなり身体を動かしたからだろう、かなり強い空腹感だ。今すぐ夕飯にしたいところだが、まだ真澄がいるのでグっと堪える。


「今日は掃除に付き合ってくれてありがとうな、黒川。後片付けは俺がやっておくから、もう帰ってもいいぞ」


「いえ、ここまでしたのですから最後まで付き合いますよ。戸倉君一人だと、ちゃんと片付けられるのか心配ですし」


「うぐッ……じゃあ悪いけど、お言葉に甘えさせてもらうよ」


 真澄の申し出はありがたいものだったので、申し訳ないと思いつつも後片付けも手を借りた。二人でしたこともあって、後片付けは手早く済ませられた。


「これで後片付けも含めて全部終わったか……黒川、お疲れ様」


「戸倉君もお疲れ様です」


 二人は互いに労いの言葉をかけ合う。


 陽翔が掃除を終えた達成感に浸っていると、ぐう、という音が腹の底から響いてきた。どうやら腹が限界を迎え、空腹を訴えたようだ。


 生理現象とはいえ人前で腹が鳴るというのは、少しばかり恥ずかしい。音はそれなりに大きかったから、まず間違いなく真澄には聞かれているはずだ。


「戸倉君、お腹が空いているんですか?」


「ああ……掃除で結構身体を動かしたからな。まあカップ麵があるから、それを食べればいいけどな」


「カップ麺はあまり身体に良くありませんよ? もう少し栄養のあるものを食べないと、身体を壊してしまいます」


「分かってはいるんだよ……ただ俺には料理ができなくてな」


 残念なことに陽翔に料理スキルは皆無だ。


「見たところ、戸倉君は一人暮らしですよね? 掃除も料理もできないのに、よく一人暮らしができますね」


 真澄の呆れ混じりの辛辣な言葉が耳に痛い。悔しいが自覚があるため、反論もできない。


「……もしよろしければウチで夕食を食べていきませんか?」


 真澄は一度考えるような素振りを見せてから、そんな提案をしてきた。


 いきなりの提案に陽翔の目が点になる。一瞬間を置いてから、陽翔の口が動いた。


「……随分と唐突だな。どういうつもりだ?」


「別におかしなことは考えてませんよ。ただ隣人の夕食があまりにも粗末なもので、見過ごせないだけです。私の手作りになりますが、少なくともカップ麵よりはマシなものが出せると思いますよ?」


 最後に「もちろん無理にとは言いませんが」と、真澄は付け加えた。


 真澄の手作り料理。学校の男子たちなら、誰もが喜んで誘いに乗るだろう。陽翔は別に真澄のことをそういう目で見ていないが、ここ半年ほどはカップ麵ばかりを食べていたので手料理が恋しい。


 この提案はとてもありがたいものだ。唯一懸念があるとすればそれは、


「俺にとってはありがたい話だからその誘いは喜んで受けたいけど……黒川は迷惑じゃないのか?」


「迷惑だと思うなら、そもそも誘いません。ただの気まぐれみたいなものですから、そういうことは気にしなくていいですよ」


 真澄は言葉通り何でもないことのように言う。


「……そういうことなら、遠慮なくごちそうになろうかな」


 ここまで言われたら、断るのも悪い。陽翔は真澄からのありがたいお誘いに乗った。






「どうぞ、入ってください」


「お邪魔します」


 真澄に促され、陽翔は部屋に足を踏み入れる。玄関で靴を脱いでから、真澄に先導されてリビングに着いた。


 同じ間取りではあるが、真澄のところのリビングは陽翔とは違い綺麗だ。常日頃掃除をしてるからだろう。住む人間が違うだけで、同じような部屋でも随分と変わるものみたいだ。


(よくよく考えてみると、女の子の家にお邪魔するのって初めてだな……)


 だからどうしたという話ではあるが、ここが女の子の家だと意識すると途端に妙な緊張に支配される。


 今日はあくまで夕食を食べに来ただけなのだから緊張する必要はないのだが、一度意識するとどうしても拭えなくなってしまう。


「お兄ちゃん!」


 悶々としていると、喜色の声が聞こえた。次いでソファーから何かがこちらに向かって駆け寄ってきたかと思えば、ギュっと突然抱きついてきた。


「えへへ。こんにちは、お兄ちゃん」


 少女――真那は顔を上げ、目を丸くした陽翔と視線が交わると、まるで花が咲いたような笑顔を浮かべた。


「どうして今日はウチに来たの? もしかして、私に会いに来てくれたの?」


「いや、俺が来たのは――」


「戸倉君が来たのは、ウチで夕食を食べていくからですよ。今日は三人での夕食です」


 陽翔の言葉に被せる形で、真澄が質問に答えた。


「え……お兄ちゃん、今日一緒にご飯食べるの?」


「まあ、そうだな。余所の奴と一緒は嫌か?」


「ううん、お兄ちゃんなら全然嫌じゃないよ」


 真那は無邪気に笑う。何だ、この可愛い生き物は。


「戸倉君、申し訳ありませんが今から夕食を作るので少し待っていてください。できるだけ早く作りますから」


 真澄はそれだけ言い残して台所に引っ込んだ。


「お兄ちゃんお兄ちゃん、お姉ちゃんの夕食ができるまで一緒にお喋りしよう」


 グイグイと真那が陽翔の服の袖を引っ張り、ソファーまで連れていく。どうやら夕食ができるまでの間は、彼女の相手をすることになりそうだ。

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