バレンタインチョコ

「はい、陽翔お兄ちゃん! バレンタインチョコあげる!」


 バレンタインという特別な日でこそあったが、綾音からの義理チョコ以外は何事もなく学校での一日終えた後。


 着替えてから黒川姉妹の元に向かった陽翔に、玄関で待ち構えていた真那が可愛らしいラッピングの施された箱を渡してきた。


 真那自身が言った通り、中身はバレンタインチョコなんだろう。


 ひとまずリビングに移動して、台所に立つ真澄に軽く挨拶をしてから中身を確認する。


 箱にはハートの形をしたチョコが収められていた。チョコの中央には、『はるとお兄ちゃんへ』と多少歪な文字がホワイトチョコで描かれている。


「あのね陽翔お兄ちゃん。そのチョコレート、私一人で作ったんだよ」


「一人で? 黒川に手伝ってもらわなかったのか?」


「うん。だって陽翔お兄ちゃんにあげるチョコなんだもん、一人で作りたかったんだ」


「……そっか、ありがとうな。真那」


 純粋な真那の好意に、口元が自然と緩む。


 軽く頭を撫でれば、真那はふにゃりと表情を緩めて目を細めた。


「美味しく作ったから、早く食べてみてよ」


「そうだな。せっかくだし、ありがたくいただくな」


 真那が陽翔のために一人で作ってくれたチョコ。食べるのは惜しいが、食べないのはもったいない。


 真那に促され、チョコを一口齧る。


「どう、陽翔お兄ちゃん。美味しい?」


「ああ、美味いぞ。こんなに美味いチョコ、今まで食べたことがないな」


 実際のところ、味そのものは普通のチョコ。きっと溶かした市販品のチョコを型に入れて冷やし固めただけなんだろう。


 幼い真那が凝ったチョコを作れるとは思わないから、間違いないはずだ。


 だがそれでも、真那が自分のために作ってくれた。その事実が最高の調味料となって、チョコの味を何倍にも引き上げてくれている。


「えへへ……陽翔お兄ちゃんがそこまで気に入ってくれたのなら、来年もまた作ってあげるね!」


 陽翔の反応が余程嬉しかったのか、真那は満面の笑みでそう言った。






 真那のチョコを食べた後。相変わらず美味い真澄の手料理をご馳走になってからのことだった。


「真那、そんなところで寝ていては風邪を引いてしまいますよ」


 真澄はソファに身体を預ける真那の肩を揺するが、軽く身じろぎするだけで真那は目を覚まさない。随分と眠りが深いようだ。


「グッスリ眠ってるな。真那の奴、昨日夜ふかしでもしたのか?」


「そうですね。昨日は夜遅くまでチョコを作ってましたから、その疲れが出たんでしょうね」


「……大分無理させたみたいだな」


 自分のチョコを作るために無理をさせてしまったことに、罪悪感が湧いてくる。まだ幼い真那には、夜ふかしはかなりキツかったに違いない。


 真澄は用意していた毛布を真那にかけながら、微笑む。


「戸倉君が気に病むことではありませんよ。真那も随分と楽しそう作っていましたから。きっと、戸倉君のために作っていたからなんでしょう」


「……なら今度のホワイトデーは、ちゃんとしたお返しをしないとな」


「はい、是非そうしてあげてください。私の目から見ても、今回の真那は随分と頑張っていましたから」


「おお、任せてくれ。真那が喜んでくれるものを選んでやるよ」


 真那の気持ちに報いるだけのお返しをしようと、陽翔は誓う。


 ふと時計の時間を確認してみると、それなりに遅い時間になっていた。これ以上長居しても迷惑だろうと、ソファから立ち上がる。


「あ……その、戸倉君、少し帰るのは待ってもらえますか? 渡したいものがあるんです」


「渡したいもの?」


 真澄が玄関に向かおうとした陽翔を制止した。


 振り向くと、真澄は瞳を右往左往させ、先程までと違ってどこか落ち着きがない。何を渡すつもりなのか訊ねようとするが、その前に真澄は「今持ってきますね」と台所に引っ込んだ。


 真澄は台所から戻ってくると、手に持っていたものを差し出してきた。心なしか、彼女の顔色は少しだけ赤みを帯びている。


「……私からのバレンタインのチョコです。受け取ってください」


「俺に……?」


「はい、今日はバレンタインですから……迷惑でしたか?」


「いや、迷惑なんてことはない。もらえるなんて思ってなかったから驚いただけだ……わざわざ用意してくれて、ありがとな」


 上目遣いでこちらの反応を窺う真澄にそう答えてから、差し出されたチョコの箱を受け取る。


(黒川からのチョコか……)


 学校でも有名な真澄からのバレンタインチョコ。学校の男子たちに知れれば、嫉妬の嵐になること請け合いだ。


 もちろんこのチョコがどういう意図で作られたものかは、よく分かっている。おかしな勘違いをするほど、陽翔は自惚れてはいない。


 大方、真那があげるのなら自分も用意しなければいけないという義務感からくれたのだろう。気を遣わせてしまったようだ。


 まあどんな理由であれ、陽翔からすればこうしてもらえただけで十分すぎるくらいだ。


「黒川、これ今開けても――」


「ダメです。絶対にここでは開けないでください。開けるのなら、自分の部屋に戻ってからにしてください」


 突然の鬼気迫る真澄の表情に、思わずコクコクと数度頷かされた。


 そんな陽翔の反応を見て、真澄ははっとする。


「……無理を言ってしまってごめんなさい。ですがその、目の前で食べられると緊張すると言いますか……」


「緊張って……普段から黒川の作った手料理を目の前で食べてるんだから、今更だろ」


「それはそうなんですけど、お菓子なんて滅多に作りませんし、その上男の子にあげるのは初めてですから自信がなくて……」


「そんなことないと思うけどな」


 いつもしている料理とお菓子作りの違いはよく分からないが、真澄の腕ならその心配はないのではないだろうか。少なくとも、陽翔はそう思う。


 謙虚なのもいいが、真澄はもっと自分の料理の腕に自信を持ってもいいはずだ。


「そういうわけですから、できれば私の見ていないところで開けてもらえませんか?」


「分かったよ。そういうことなら、部屋に戻ってから開けさせてもらうな」


「はい、お願いします」


 それから陽翔は隣の自室に戻ると、早速もらつた箱の中身を確認しにかかる。手早くラッピングのリボンを解き、箱の中を検める。


 真澄が作ったのは、球体にパウダーのかかったチョコ――所謂、トリュフチョコレートというものだった。


 箱の中からトリュフの一つを手に取り、口に運ぶ。


「……やっぱり美味いじゃねえか」


 チョコ特有の濃厚な甘みと、ココアパウダーの苦味が混ざり合い、絶妙な味わいが口いっぱいに広がる。


 自信がないなどと言っていたが、陽翔が期待していた通り十分美味いチョコだ。手作りということもあり、市販品などとは比較にならない。


 きっと、手間暇をかけて作ってくれたんだろう。そう考えると、不思議と口元が緩んでしまう。


(お返しに何を渡せば、黒川は喜んでくれかな)


 また一つトリュフチョコを口に運びながら、気の早い陽翔は一ヶ月先のお返しのことを考えるのだった。


 

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