思わぬ来客
陽翔に来客と真澄から連絡を受けたのは、日直の仕事を終えて遅めの下校の途中のことだった。
ただ来客と言われても、陽翔の元を訪ねるような人間に心当たりはない。候補として挙げられるのは綾音や大地だが、あの二人ならわざわざ真澄も連絡はしてこないはずだ。
いったい誰が何の用で自分を訪ねてきたのか。陽翔は頭を悩ませながらも歩き続け、やがて真澄の暮らす部屋の前まで来てしまった。
下校途中で来客が誰なのか考え続けたが、結局答えは出ることはなかった。こうなったら、直接確認した方が手っ取り早い。
「おかえりなさい、陽翔君」
インターホンを鳴らすと、すぐに真澄がドアを開けてくれた。きっと陽翔の客の相手をしてくれていたからだろう、普段ならエプロンを身に着けて夕食の準備をしているのに、まだ制服のままだ。
「ただいま。悪いな、真澄。俺の客の相手をさせちまって」
「いえ、お気になさらず。それよりも陽翔君のことを首を長くして待っていらっしゃいましたから、早く顔を見せてあげてください」
真澄に先導されて、リビングまで歩む。するとそこには、
「……葵さん? どうしてここに……」
義理の母である、戸倉葵がいた。
顔を合わせるのは一年振りくらいだろうか。最後に顔を見たのは、高校進学に伴って一人暮らしのために家を出た時。
その義母が目の前にいる。様々な感情が脳内を駆け巡り、グチャグチャになってどんな顔をすればいいのか分からなくなる。
「こんにちは、陽翔君。その……元気にしていたかしら?」
「え、あ……はい、まあ一応は」
予想だにしない人物の登場に多少動揺しつつも答えると、葵は微笑を浮かべた。
「そう、それは良かったわ。陽翔君、滅多に連絡をくれないからずっと心配していたのよ。元気にしていることが分かって安心したわ」
「……すいません、連絡も寄越さないで」
「あ、別に責めているわけではないのよ? 連絡がなかったのは、それぐらい学校生活が忙しかったからでしょう? 初めての一人暮らしなら仕方のないことだわ」
連絡がなかったことを責めないどころか、陽翔が気に病まないよう配慮をしてくれている。余計な気を遣わせてしまったことに、小さくない罪悪感が芽生えた。
しかし陽翔の胸中など知るわけもなく、葵は続ける。
「けれど元気そうで本当に良かったわ。それに素敵な恋人まで作って……ふふふ、学校生活を謳歌しているのなら何よりだわ」
言いながら、チラリと意味ありげに真澄に視線をやる。
「葵さん、何か勘違いしてるようですけど……俺と真澄はそういう関係じゃありませんよ?」
「あら、そうなの? でも黒川さんから聞いた話だと、陽翔君は黒川さんに生活面で色々とお世話になっているのよね? 部屋の掃除をしてもらったり、夕食も毎日ご馳走になってるって聞いたわ。ここまでしてもらっているのに、付き合ってないの?」
「……つ、付き合ってないです」
よくよく考えてみれば、恋人でもないのに身の回りの世話をしてもらっている今の関係は、第三者から見れば奇妙なものに映ってもおかしくない。
むしろ男女の仲でもないのに、身の回りの世話をしてもらっている今の方が異常なのだ。それでも今の関係が何の問題もなく継続できているのは、ひとえに真澄の善意によるものだ。
そうでもなければ、陽翔みたいな何の取り柄もない男が真澄みたいな文武両道の完璧美少女と親しくできるわけがない。
陽翔が肯定すると軽く目を見開きつつ、今度は真澄に訊ねる。
「本当なの、黒川さん?」
「は、はい、私と陽翔君はそういう関係ではありません。先程も否定したはずですけど……」
真澄はこういう話は苦手なのか、頬を朱色に染めながら首を小さく縦に振った。
葵は「最近の子はみんなこうなのかしら? 今時の子は随分と進んでるのねえ」と戸惑いつつも、納得を示してくれた。
「陽翔お兄ちゃん、陽翔お兄ちゃん」
不意に制服の袖をグイグイと引っ張られる。視線を下にやると、そこには真澄の可愛い妹である真那が立っていた。
「真那……いたのか」
時間帯的には、真那はとっくに帰宅していてもおかしくはない。気が付けなかったのは、葵という想定外の人物に気を取られていたから。
「むう、私ずっといたよ!」
「悪い悪い。そんなに怒らないでくれ」
プンスカと怒る真那の軽く頭を撫でてやれば、あっさりと怒りを引っ込めて「えへへへへ」と無邪気な笑みを浮かべてくれた。
「陽翔お兄ちゃんのお母さんって、凄く綺麗な人だね。それにとっても優しかった」
普段の快活さで忘れそうになるが、真那は意外と人見知りする方だ。その真那が、つい先程知り合ったばかりの葵に対して、随分と打ち解けた態度をしている。
……家族になってそれなりに時間が経つのに、未だに葵のことを何一つ知らずどう接すればいいのかも分からない陽翔とは大違いだ。
――それからしばらくして、陽翔は葵とテーブルを挟んで向かい合う形で座っていた。
場所は黒川家のリビング。本来なら自分の部屋のリビングを利用すべきなのだが、真澄が「どうせ陽翔君のことですから、来客用の準備なんて何もできてないでしょう?」と反論の余地もない正論を口にしたため、申し訳ないと思いつつも利用させてもらうことにした。
真那は話の邪魔になるからと真澄によってリビングから追い出され、真澄は二人から少し離れた台所でお茶とお菓子の準備をしている。
きっと気を遣って二人きりにしてくれたのだろう。後でお礼を言っておこうと心に決める。
「今更だけどごめんなさいね、いきなり押しかけてしまって」
「気にしないでください。悪いのはずっと連絡しないで、心配をかけてしまった俺ですから」
「さっきも言ったけれど、陽翔君はそんなこと気にしなくていいのよ。陽翔君の顔が見れただけで、私は十分だわ」
微笑と共に、葵は柔らかい声音でそう言った。そこには、陽翔を責める意図など一切感じられない。
そのことが、陽翔に胸が締め付けられるような感覚を覚えさせた。
「ねえ陽翔君、今度のゴールデンウィークなんだけど……実は家族で旅行に行こうと思ってるの。だからもしゴールデンウィークに何も予定がないのなら、一緒にどうかしら?」
きっと葵が今日陽翔の元を訪れたのは、このためだったのだろう。陽翔の顔を見に来たという発言に嘘はないだろうが、本命はこちらに違いない。
「私たち、あまり家族で何かしたことはなかったでしょう? だからこの機会に、思い出をたくさん作りたいと思ってるの」
葵の言葉に陽翔は目を瞬かせる。
きっと今の言葉は、葵の本心なのだろう。陽翔とただ純粋に家族として思い出を築きたい。言葉の端々から感じ取れる。
――だからこそ申し訳ない。彼女の誘いを断らなければいけないことが。
「……すいません、葵さん。実は俺、ゴールデンウィークに友達と約束してるんです。だからその……旅行には行けません」
「そう……それなら仕方ないわね」
「すいません、せっかく来てくれたのに……」
「いいのよ、謝らなくて。友達と予定があるのなら仕方ないわ」
そう言って苦笑を浮かべながら、葵はあっさりと引き下がった。
そんな彼女を見て、陽翔はまた罪悪感で胸を痛めた。
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