母親
(あの方は誰でしょうか?)
学校での一日を終え帰路に着いた真澄は、マンションの自室の隣――つまり陽翔の部屋の前に知らない女性が立っているのを発見した。
年の頃は三十代半ばほど。見覚えのない人物なので、少なくともこのマンションの住人ではないだろう。となると考えられるのは、陽翔の知人ぐらいだ。
綾音や大地以外で陽翔の元を訪ねるのは珍しいが、もし本当に陽翔の知人なら見過ごすわけにもいかない。
「あの、その部屋の人に何かご用でしょうか?」
「ええ、そうだけれど……あなたは?」
「あ、すいません、いきなり声をかけてしまって。私は黒川真澄と言います。そちらの部屋の戸倉陽翔君とは、クラスメイトです」
「陽翔君のクラスメイト? あらあら、そうなの」
陽翔を親しみのある呼び方をしながら、女性は頬に手を当てて笑う。話してみた印象は、おっとりとした柔らかい雰囲気の女性といった感じだ。
「わざわざ声をかけてくれてありがとうね。実は私、今日は近くで用事があったからついでに陽翔君の様子を確認しようと思って来たのだけれど、不在みたいで……」
「そうだったんですか。陽翔君なら今日は日直でしたから、帰ってくるのは少し遅くなると思いますよ」
「そう、それならここで待っていれば陽翔君は戻ってくるのね。無駄足にならないのなら、何よりだわ」
どうやら、陽翔が戻ってくるまでここで待つつもりのようだ。
恐らく陽翔が戻ってくるのは、三十分後。それまで間、目の前の女性が一人で陽翔の帰りを待つのは忍びない。
「あの……もしよろしければ、私の部屋で陽翔君が戻ってくるのを待ちませんか? 私の部屋、すぐ隣ですから」
「誘ってくれるのは嬉しいけど……迷惑じゃないかしら? こんな今日会ったばかりのおばさんを部屋に招いて」
女性の不安は最もだ。真澄だって、普段なら見ず知らずの人間にここまでするほどお人好しではない。
「はい、構いません。陽翔君は夜はウチにご飯を食べに来ますから、ここで待つよりもウチで待った方がいいでしょうし……何より陽翔君のお知り合いですから」
真澄にとっては、陽翔に関わりがあるというだけで理由としては十分だ。
女性は一瞬目を丸くした後、口元を静かに緩めた。
「あらあら、黒川さんは陽翔君のことを随分と信頼しているのね。陽翔君とは、本当にただのクラスメイトなの?」
「も、もちろんです。陽翔君には、その……いっぱいお世話になっていますから、これぐらいは当たり前です」
少し声が上擦り、顔に熱が集まるのが分かった。別に何も恥ずかしがることはないのに、なぜだか女性の視線に耐えられなくなって顔を逸らしてしまう。
陽翔とはただのクラスメイトでしかない。ただその事実を口にするだけなのに、どうしてこんなに顔が熱いのだろう。
「それならお言葉に甘えて……陽翔君が戻ってくるまでの間、黒川さんから陽翔君のことを色々と聞かせてもらおうかしら?」
「い、色々ですか? 期待するような面白い話はありませんよ?」
「ふふふ、そんなに身構えなくても大丈夫よ。ただ陽翔君が学校や家でどんな風に過ごしているのか、教えてほしいだけだから……陽翔君とは、こういう話はあまりできないもの」
女性が僅かに瞳を細める。細められた瞳からは、どうしてか憂いの感情が見え隠れしているようだった。
次の瞬間、女性が何かを思い出したかのように突然両手を合わせた。
「ああ、そういえばまだ私の自己紹介をしていなかったわね。ごめんなさいね、黒川さんとのお喋りが楽しくて、ついつい忘れてしまっていたわ」
言われて真澄もはっとなる。陽翔を訪ねる知人が珍しくて、名前を訊くのをついつい失念していた。
謝罪を口にしながら、女性は続ける。
「私の名前は
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